見事に恐怖を蘇らせたニア・ダコスタ監督の名を繰り返したい…映画『キャンディマン(2021)』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2021年10月15日
監督:ニア・ダコスタ
人種差別描写 ゴア描写 性描写 恋愛描写
キャンディマン(2021)
きゃんでぃまん
『キャンディマン』あらすじ
シカゴの古い公営住宅「カブリーニ=グリーン」地区には、「鏡に向かって5回その名を唱えると、右手が鋭利なかぎ爪になった殺人鬼に体を切り裂かれる」という都市伝説があった。老朽化した公営住宅が取り壊されてから10年後、恋人とともに町の高級コンドミニアムに引っ越してきたアンソニーは、自身の創作活動の一環としてキャンディマンの謎を探っていた。やがて公営住宅の元住人だという老人と出会うが…。
『キャンディマン』感想(ネタバレなし)
あの恐怖の逸話を見事に蘇らせる
ホラー映画は人気のジャンルなので次から次へと新作が生まれているわけですが、中でも過去に公開された有名な作品をリメイクorリブートするというのがひとつの定番になっています。
最近も『スパイラル:ソウ オールリセット』、『ザ・クラフト:レガシー』、『ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷』、『透明人間』、『ペット・セメタリー』、『チャイルド・プレイ』、『ハロウィン』、『サスペリア』など、絶え間なく連発している状況です。
ネームバリューのあるタイトルをピックアップすることでヒットを狙いやすくするという魂胆だとは思いますが、必ずしも上手くいくとは限りません。やはり根強い支持のある過去の作品を超えるというプレッシャーがありますからね。それに過去の作品がジャンル的なエンタメ性という意味でも、社会にインパクトを与える時代性という意味でも、すっかり古くなって新鮮味も何も無くなってしまっているという問題も発生します。そうなってくると鮮度を上げるために何かしらの手入れが必要なのですが、これまた難しいことで…。
そんな難易度の高いクリエイティブな壁を見事に乗り越えて、かつての恐怖を大胆に蘇らせた映画が登場しました。それが本作『キャンディマン』です。
なんか美味しそうなタイトルですが、甘いお菓子をご馳走してくれるわけではありません。本作は1992年に同名の映画が公開されています。まずそれを知っているでしょうか。ちなみに私はだいぶ前に観たっきりだったので今回久しぶりに見直しました。
題材になっているのは、鏡の前で「キャンディマン」とその名を5回唱えて口にすると出現するという、右腕の根元に鈎が付いた殺人鬼の霊。鏡をトリガーに出没するなんてのは心霊界隈ではよくあることですが、この作品が特徴的なのはアメリカの黒人コミュニティを舞台にしていることであり、そのキャンディマンという殺人鬼も黒人なんですね。1992年の映画ではその黒人コミュニティに伝わるキャンディマンの都市伝説を研究のために調査しにきた白人の女子学生であるヘレン・ライルが主人公であり、しだいにその恐怖に憑りつかれて大変なことになっていく…という、ざっくり言えばそんな物語。
1995年に『キャンディマン2』、1999年に『キャンディマン3』が作られたりもしました。
その映画が2021年に再び『キャンディマン』として蘇ったわけです。でも完全なリメイク&リブートということではなく、いわゆる「精神的続編」という立ち位置になっています。ただ、想像以上に1作目との接続が深い内容になってはいるんですけどね。
一番の違いは黒人コミュニティを題材にしていた元の映画の要素をより一層深めているということ。なにせ製作&脚本にはあの『ゲット・アウト』や『アス』で一躍話題のクリエイターとなった“ジョーダン・ピール”が関与しているのですから。とても“ジョーダン・ピール”らしいテイストになっています。
そして注目は監督。2021年版『キャンディマン』の監督に抜擢されたのは、2018年に『ヘヴィ・ドライブ』で長編監督デビューしたばかりの“ニア・ダコスタ”。この『キャンディマン』は本国アメリカでは公開週の興行収入トップとなり、結果的に“ニア・ダコスタ”は公開週の興行収入トップとなった初の黒人女性監督になりました。しかも、今後はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の最新作『The Marvels』の監督に決定済みという、凄いキャリアアップが確定している期待の新鋭ですよ。
2021年版『キャンディマン』の俳優陣は、『アクアマン』やドラマ『ウォッチメン』でも異彩を放っていた“ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世”、ドラマ『ワンダヴィジョン』の“テヨナ・パリス”、『クエスト・オブ・キング 魔法使いと4人の騎士』の“ネイサン・スチュワート=ジャレット”、『ビール・ストリートの恋人たち』の“コールマン・ドミンゴ”など。
素晴らしいクリエイターたちの手で蘇った『キャンディマン』をぜひその目で目撃してください。でも映画館のトイレとかの鏡の前で名前は繰り返してはいけませんよ(変な奴に思われる)。
『キャンディマン』を観る前のQ&A
A:あくまで精神的続編なので過去作を絶対に観ないとダメというほどではありません。ただし、1992年の1作目である『キャンディマン』を観ておくことで物語に深く入り込めて衝撃度が増すと思いますので、時間があればぜひ1作目を鑑賞しておくのもいいです。
A:ジャンルとしてはスラッシャー映画なので、痛々しい描写は頻発します。
オススメ度のチェック
ひとり | :過去作のファンは必見 |
友人 | :ハロウィンの盛り上げに |
恋人 | :ホラーが好きなら |
キッズ | :暴力描写が多数 |
『キャンディマン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):その名を5回唱えると…
1977年。シカゴの「カブリーニ=グリーン」という公営住宅団地を歩くひとりの黒人少年。洗濯物を抱えて団地の地下の洗濯機のある場所に入ってきます。しかし、その壁の穴から鉤づめの男がゆっくり出てきて、不気味に突っ立ち、手のひらにキャンディをたくさん乗せて差し出してきます。思わず絶叫してしまう少年。それを聞いた近くで待機していた白人の警官はパトカーを飛び出し…。
2019年。同じくシカゴの同一の場所。アンソニー・マッコイは恋人のブリアンナ・カートライトと高級コンドミニアムに引っ越してきたばかりで、その部屋は2人がアーティストということで芸術品に溢れています。今日はブリアンナの弟のトロイ・カートライトとその恋人を招いて家でくつろいでしました。
トロイは蝋燭に火をつけて部屋を暗くして怖い話を語り始めます。それは都市伝説。主人公はヘレン・ライルというひとりの白人の若い女。彼女は大学院生で「カブリーニ=グリーン」の都市伝説を調査するために何度もその場所を訪問。しかし、ある日そのヘレンはおかしくなり、犬の首を切断し、人さえも殺し始めます。そして団地の赤ちゃんを誘拐し、地元のかがり火の夜に現れて、その赤ん坊を生贄に捧げようとし、なんとか食い止められて、それでもヘレンは錯乱したまま自ら炎の中で焼死した…。
そんな怪談も終えて帰るトロイたち。ブリアンナはバカバカしい話だと相手にせず、アンソニーも嘘っぽいと思っていましたが、創作に息詰まっていた彼はその団地に向かってきます。今はすっかりひと気は減り、落書きだらけの暗がりを明かりで照らしながら探索。
するとウィリアム・バークという男に話しかけられ、コインランドリーに一緒に行きます。彼は自分が子どもの頃の話をしてくれました。それはキャンディマンの正体であるシャーマン・フィールズとの出会い。その男は右腕がフックになっており、アメをくれることで近所では有名でした。しかし、白人少女がもらったアメにカミソリ刃が混入していたという噂が広がり、警察に狙われます。そして、シャーマンに遭遇したバーク少年が声をあげてしまったばかりに、警察が駆け付け、続々と警察たちに暴行を加えられ死亡した…と。カミソリ刃のアメはその後も見つかり、シャーマンは無実だったと判明もした…と。
その悲惨な逸話の裏側を知ってアンソニーはインスピレーションを得て、キャンディマンの伝説に基づいたアートを製作します。そしてブリアンナのアートギャラリーで展示することに。
鏡を開けると奥に絵が見えるという仕掛けで、説明には「キャンディマンと5回繰り返してください」とも。しかし、評論家の評判はイマイチ。
終了後、暗いギャラリーでブリアンナの同僚男女はイチャイチャしています。キスしながらキャンディマンと女は繰り返し…いきなり血塗れになる女性。男は奥で鉤づめの何者かを見ます。鏡にしか映らないのか。逃げようと入り口に行くも開かず、見えない何者かに足を引きずられ…。
キャンディマンは再びやってきました。
都合よく消費・改変された都市伝説
2021年版『キャンディマン』はしっかり1作目の土台を引き継ぎながら、見事に人種差別のテーマで上書きをし、今の時代に突き刺さる一作へとアップデートを遂げていました。過去作にリスペクトを捧げながらここまでの攻めた進化を披露するとは…。やっぱり“ジョーダン・ピール”の凄さを痛感する…。
『透明人間』はジェンダーの観点から逆転構造を提示しましたけど、『キャンディマン』では人種が観点になります。まあ、これは当然ですよね。1作目の時点で人種要素がある『キャンディマン』なのですから。
とくにキャンディマン都市伝説のキーポイントになる「5回名前を繰り返す」という要素の意趣返し。元は単なる不気味な要素だったのですが、それを人種差別の犠牲者への追悼と怒りを表す行動に置き換えるという、このアイディア一発が上手く物語を激変させています。これは『アメリカン・ユートピア』でも曲にあった「say his/her name」のやつですね。
今作ではキャンディマンと呼ばれる黒人の男(シャーマン・フィールズ)が実は警察による暴力の犠牲者だったという、白人社会に都合よく消費・改変された都市伝説の真実を暴き出し、しかもそれは脈々と続く人種差別暴力の歴史の断章に過ぎないという事実も提示する。
よく言われがちなのは「ホラー映画は怖さだけ楽しめればいい」という感想ですが、それができるのはホラーを単に消費だけできる特権的立場の人なんですよね。消費される側のことを考えたことありますか?という話がまさに『キャンディマン』であって…。
そこからのアンソニー・マッコイへの継承。それはまさにホラーとは社会の恐怖(それが誰目線の恐怖なのかというのが重要ですが)を映し出すものであるという基本を貫き、同時に語り継がれることで存在性は増していくという肝も描く。この2021年版『キャンディマン』は非常にホラーに誠実に作られていて、そこが何よりも素晴らしいなと思います。
自分ではない自分に憑りつかれる恐怖(それが社会によって勝手に規定される恐怖)というのは“ジョーダン・ピール”がずっと描いていることでしたが、今作でもそれは踏襲されていました。
しかし、今回の最後はもはやダークヒーローの誕生譚でもあり、これまでの過去作以上に踏み超えた切れ味だったのではないでしょうか。
演出の巧みさ、そして「ハチ」の意味
2021年版『キャンディマン』は演出も素晴らしかったです。
まず最初にアート・ギャラリーで名を5回繰り返すシーン。ここでは女性がキスをしてイチャつきながら名を繰り返すのですが、それは「キャンディマン」という単語のどことないエロティックな語感を意識したもので、そんなセクシャルなシーンの後にグサっと残虐展開がぶっこまれる。これもスラッシャー映画の王道に実に忠実ですよね。
続く殺戮は、10代女子たちがトイレの鏡に並んでキャンディマンと繰り返すシーン。ここもカメラワークが絶妙で、トイレの個室でヘッドホンをしていた黒人女性だけがドアの下の隙間から目撃するだけになっており、トイレという閉鎖空間を巧みに恐怖に利用していました。
ラストも良かったです。キャンディマン化したアンソニーに警察が突入して発砲し、またも悲劇は繰り返されるのですが、パトカーの後部座席に保護されたブリアンナがバックミラーに映る白人警官を見るという、この恐怖の逆転演出。そしてそのバックミラーを利用してのキャンディマン召喚。ここの展開はゾクゾクするものでした。
1作目との連結部分の見せ方も自然ながらショッキングで、アンソニーの母が登場し(演じているのは1作目と同様の“ヴァネッサ・ウィリアムズ”)、そこであの生贄になりかけた赤ん坊がアンソニーだと判明するという告白の場面。因果はそんな昔からあったのか…。でも1作目はそもそも全体的に「黒人=恐怖の象徴」のような扱いであり、1作目の主人公であるヘレンも典型的な錯乱した女性像なのですが、そういうホラーというエンタメが若干の搾取をともなっている部分が大きいものでした。今の時代感覚で観ると余計にそこは違和感に感じるでしょう。だからこそ今作ではしっかり真の犠牲者を映し出すことに意味があり、あの1作目を再解釈する方法としては真っ当に思います。
そう言えば本作でも重要な生き物である「ハチ」ですけど、ハチはアリと同じ仲間ですが、アリ類の中には他の巣を襲って子どもをさらい、自分の巣の労働者として使役する通称「奴隷狩り」という習性を持つものもいるんですよね。偶然なのか、ものすごく黒人を虐げてきた奴隷歴史に通じるものがあります。
とにかく“ニア・ダコスタ”監督の才能が迸る新たな『キャンディマン』。こうやってホラーが語り継がれるなら大歓迎です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 72%
IMDb
6.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 Universal Pictures
以上、『キャンディマン』の感想でした。
Candyman (2021) [Japanese Review] 『キャンディマン』考察・評価レビュー