きっとそうに違いない…映画『サムシング・イン・ザ・ダート』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年11月24日
監督:アーロン・ムーアヘッド、ジャスティン・ベンソン
サムシング・イン・ザ・ダート
さむしんぐいんざだーと
『サムシング・イン・ザ・ダート』あらすじ
『サムシング・イン・ザ・ダート』感想(ネタバレなし)
このコンビはやはり小規模作こそ
二人組で映像作品の監督をする人はたくさんいます。兄弟関係であれば、“コーエン”、“ルッソ”、“ダルデンヌ”…あらためて並べると凄い顔触れだな…。兄弟じゃない人だと、“フィル・ロード”&“クリス・ミラー”は今や絶好調すぎるほど。“ダニエルズ”はマルチバースのオスカーをもぎとったし…。
しかし、勢いに乗っているコンビ監督ならば、やはり“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”を忘れるわけにはいきません。
2012年に『キャビン・イン・ザ・ウッズ』(原題は「Resolution」)で長編映画監督デビューし、以後もアンソロジーの『V/H/S ファイナル・インパクト』(2014年)、『モンスター 変身する美女』(2014年)、『アルカディア』(2017年)、『シンクロニック』(2019年)とインディーズ映画を生み出し続けます。
“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”監督の作家性は独特で、ジャンル・ベンディングと言うのかな…ときに妄想的で何が現実なのか曖昧ながらもセンスだけはしっかりしているため、一部のマニアックなSFファンを魅了しました。
知る人ぞ知る隠れ監督コンビという感じだったのですが、2022年からはMCUのドラマシリーズに大抜擢。『ムーンナイト』や『ロキ』シーズン2のエピソード監督で活躍しまくっていました。大作予算の企画に映っても、そちらのドラマもなかなかに癖が強かったので、このコンビならぴったりだなという人選でしたけど。
その“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”監督が新型コロナウイルスのロックダウン中に構想して2022年に製作した映画がありました。“ジャスティン・ベンソン”のアパートで撮ったという、正真正銘、自家製!って感じの作品です。
それが本作『サムシング・イン・ザ・ダート』。
この本作『サムシング・イン・ザ・ダート』、“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”監督の良い意味でひん曲がった作家性が炸裂していて、「やっぱりこの監督はこうでなくちゃ!」と思わせる気持ちのいい怪作です。
物語はアパートに住んでいる2人の男が主人公で、この2人がある奇妙な現象に遭遇し、そこからああだこうだと言いながら、なんかやっていく…そんなオッサン・トーク映画です。ほんと、大部分がオッサン2人の無駄話に割かれており、「これで物語になるのか?」と不安になるのですけど、結構トリッキーなプロットも同時並行でやっています。
実験的映画なのか、はたまた“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”監督がただ遊んでいるだけなのか…。
もちろん今作でも“ジャスティン・ベンソン”と”アーロン・ムーアヘッド”が主演しています。自家製なのでだいたい自分たちでやるのです。
うん…ネタバレなしだと他に語れそうなことはあんまりないな…。
この『サムシング・イン・ザ・ダート』はストーリーをネタバレしたとしても「え? なにそれ?」で終わっちゃうような話ですし、そもそも一般人100人にこの映画を見せたとしても99人は「どこが面白いのかさっぱりわからない…」って答えるような作品なんですよ。
大傑作です!と絶賛するのもなんか違うし…。いや、絶賛したい人はそうしていいし、私は大好物な映画でしたよ。
まあ、この映画の批評性という名の半分は露悪性大放出なところにどこまでノれるのか、そこに全部がかかっているんじゃないかな。
あ、でもこの『サムシング・イン・ザ・ダート』で事前に語れることがひとつありました。本作は主人公のひとりが同性愛者で、もうひとりが無性愛者なのです。でもこのクィアであることがメインストーリーに絡んでくることもなく、あくまでそういうキャラクターの設定であるというだけで終わっています。こういう強調しないさりげないクィア表象はまだまだ珍しいですし(アセクシュアルでこのパターンはかなり貴重)、そこは良いですね。
オッサン2人に付き合う準備ができた人は、ぜひこの映画のドアをノックしてみてください。
『サムシング・イン・ザ・ダート』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ヘンテコな一作を |
友人 | :マニア同士で |
恋人 | :変わり種だけど |
キッズ | :やや小難しい |
『サムシング・イン・ザ・ダート』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):さあ、考察を始めよう
殺風景な部屋。寝袋で雑に寝ているひとりの男、リーヴァイ。ふと起きて窓から外を眺めます。明るい街並みの風景です。
カラコロと音がしますが、家の作りが粗雑なのか…。ここはアパートですが、確かにボロボロです。クローゼットのドアはグラグラでちゃんと閉まらず、今にも外れそうでした。中には灰皿のような謎の水晶が落ちていて、それを拾いあげます。ひとつの壁には何か数式みたいなものが書いてもありました。
リーヴァイは外で座って煙草を吸っていた別の男のもとへ行き、煙草をもらいます。その男はジョンという名で、このアパートに10年以上も住んでいる写真家らしいです。元夫がいたそうですが、今は独りの様子。
自分も自己紹介するリーヴァイは引っ越してきたばかりで夜はバーテンダーだと説明。元住人の家具を使っていいとジョンは言ってくれます。
ジョンは一旦去っていき、リーヴァイは呑気にリスの写真を撮ります。
その後、2人で部屋で家具運びをします。リーヴァイはロブスターの話など、他愛もない話題が止まりません。
そのとき、部屋の片隅に置いてあったあの謎の水晶が宙に浮き始めました。2人とも茫然とその信じられない光景を眺めます。なぜこんなことが起きたのか、理解不能です。今は何もわからないので2人は部屋を飛び出します。
一旦、落ち着き、話し合った結果、映像で記録しようということになります。Netflixみたいなところに売りつければきっと儲けられるのではないか?…と考えて…。ドキュメンタリーにすればかなり良い感じになると素人のノリで思いつき、そのまま実行に移すことにします。
まずあるだけの機材を持ちよって撮影開始。テレビにノイズが流れ、水晶がまた浮きだしました。しかし、機材に慣れていないリーヴァイがもたもたしているうちにあまり撮れずに終わります。
もっといい機材がいるということになり、仕切り直してカメラをあちこちに設置。今回はやたらとカメラが豊富です。
そんな中、たまたまネットを調べていたジョンはリーヴァイが性犯罪者リストに登録されていることを知ってしまいました。
なかなか言い出せずに、思い切ってそのことに触れると、リーヴァイは立ち小便していただけでとくに悪いことはしていないと言い、この話題を切り上げます。
また水晶は浮きだします。光の幾何学模様が壁に映り、何とも言えない不思議な空間となります。
するとジョンはこの水晶の反射による幾何学模様のシンボルは街のあちこちにあると言い出します。
こうして調査することが増えていく中、不思議な現象はまだ連発し…。
”陰謀論者”観察映画
ここから『サムシング・イン・ザ・ダート』のネタバレありの感想本文です。
『サムシング・イン・ザ・ダート』はぞんざいに言ってしまえば、”陰謀論者”観察映画です。『ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説』みたいな陰謀論者の姿を追いかけたドキュメンタリーはいくつもありますが、この『サムシング・イン・ザ・ダート』はそれを劇映画として物語でやりつつ、同時にこの映画自体が陰謀論者が作ったドキュメンタリーであるかのような構成にもなっており、非常にメタ的です。
リーヴァイとジョンは謎の浮かぶ水晶の目撃以降、この現象の解明に取り組み始めるのですが、と言っても2人ともただのオッサンで一般人です。とくに専門的知識も何もないです。バーテンダーと写真家ですからね。
なので2人が思いついた案と言えば、「映像で撮ってみる」…それだけです。小学生の自由研究的なノリです。そしてとりあえずどんどんカメラを増やしてみることにします。別に撮影を増やしても何か新しい解明につながる具体的な効果は何もないんですけど、もうこれしか手段が思いつきません。
それでも当人たちは最初は「『X-ファイル』みたいになるかな~」なんてお気楽ムードで、本当にミーハーな感覚で始めているのが見え見えです。
しかし、この2人に亀裂が生じ始めます。というのもリーヴァイは暇つぶし感覚なんですが、ジョンのほうはガチというか、コイツは完全に陰謀論者の思考に偏向しているんですね。ジョンは次から次へと話を脱線させながら、「ウサギの穴」的な思考回路で、点と点を強引に繋げて独自陰謀論を構築し、それに執着します。
本作は具体的な実在の陰謀論に言及はしませんが、その節々で実在の陰謀論をサンプリングしているのがわかります。
例えば、ジョンは福音派教会だったという背景もあってか、「エルサレム症候群」のようにハマりこみ、ダン・ブラウン(『ダ・ヴィンチ・コード』のあの作家ですね)の言葉を引用したり、根っからのそっちの人なんだなというのがわかります。
また、作中でリーヴァイに性犯罪歴があることが判明しますが(本人は誤逮捕だったと言っている)、ジョンはそこで不信感が芽生え、それはラストの決裂へと波及します。ここで小児性愛と絡めるあたりが典型的な「Qアノン」と一緒です(ドキュメンタリー『Qアノンの正体』も参照)。
ポルターガイスト、宇宙人のコンタクト…と、どんどんと仮説は膨らみ転がっていき、しまいにはこのドキュメンタリー制作自体が何かから妨害でも受けているかのように妄想は無限に拡大し、最終的には…ジョンの頭の中では完結します。はい、彼の頭の中では証明完了です。Q.E.D.
とってつけたように作中でいきなり専門家っぽい人たちの解説シーンが何度も挿入されたり、とにかく真面目なドキュメンタリー風に見えるポーズだけはとろうとするジョン。まあ、それをすればするほどにやっぱり茶番劇としてのシュールさが際立ってしまうのですけども…。
考察しちゃいますか?
『サムシング・イン・ザ・ダート』は「陰謀論者になるのはダメだよ」みたいな説教臭い映画でもなくて、中身ではこの映画自体もめちゃくちゃ弄んでいます。
そもそもこの映画の冒頭から何かおかしくて、やたらと低空でヘリや飛行機が飛んでいたり、もくもくと黒い煙が上がっていたり、なんだか終末が近づいているような世界観になっていますが、何の説明もありません。
ジョンも初登場時に服に赤い血のようなものがついていたり、違和感だらけのオープニングです。
また、根本的に解明されていないこともいっぱいあります。結局、浮かぶ水晶は何だったのか…とか。そしていかにも考察できそうなヒントをこれまたわざとらしく散りばめています。
要するに観客に対しても「ほ~ら、考察したくなってくるでしょ? 考察する? 陰謀論、やっちゃう?」みたいなノリで、ルンルンに目を輝かせていじってくるのです。
ダサい第九(交響曲第9番)で煽りながら、観客すらもバカにしているかのようにおちょくって、映画自体が何の責任もとらない。酷い作品です。そこが良いんですけども。
前提としてこの映画はそれ自体がジョンの作ったドキュメンタリーのようにもなっているので(ご丁寧に編集者まで作中で登場して特殊効果やVFXを手がけましたと言っている)、作中で映し出される映像が実際のとおりというわけではなく、明らかにジョンの思惑で作ったものだとも示唆しています(無論、この映画は“ジャスティン・ベンソン”&”アーロン・ムーアヘッド”監督が作ったものなので、メタな自己言及です)。
結局のところ、一番気になるのはリーヴァイはどうなったのかという点。
得意げにジョンが語るとおり、リーヴァイは不思議な力で天高く宙に浮かんで叩き落されて悲惨な死を迎えたのでしょうか。それとも自死したのでしょうか。いや、単に愛想をつかして出ていっただけか。まさか最初からリーヴァイなんておらず、ジョンが設定したキャラクターにすぎないってことは…。
少なくとも作中で描かれる範囲だけで見ると、あのリーヴァイはメンタル面で問題を抱えているのが推察できます。あの引っ越したばかりにしてはあまりに殺風景すぎる部屋もセルフネグレクトな雰囲気ですし、そんな不調なら体重だって激減します。おそらく本人は話し相手が単に欲しくて、ジョンと無意味な話題でも喋り合っているだけで気がまぎれたのでしょう。
『サムシング・イン・ザ・ダート』はロックダウンで世界と隔離された男たちが、一瞬だけ支え合う奇跡を見せてくれるも、陰謀論で相互理解の絆を絶たれ、儚く散っていく…そんな虚しさを垣間見せてくれる作品だったのかもしれません。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 45%
IMDb
5.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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作品ポスター・画像 (C)2021 Rustic Films サムシングインザダート
以上、『サムシング・イン・ザ・ダート』の感想でした。
Something in the Dirt (2022) [Japanese Review] 『サムシング・イン・ザ・ダート』考察・評価レビュー