それともラストだけカットする?…映画『映画検閲』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2021年)
日本公開日:2024年9月6日
監督:プラノ・ベイリー=ボンド
ゴア描写
えいがけんえつ
『映画検閲』物語 簡単紹介
『映画検閲』感想(ネタバレなし)
ビデオ・ナスティ
現在、過激な暴力描写や性描写のある映画でもわりと簡単にアクセスして観れます。映像作品の歴史上、最も容易に観られる時代になっていると思います。
しかし、昔はそうではありませんでした。
各国で事情は違いますが、イギリスにおける映画の検閲を語るなら「ビデオ・ナスティ」に触れないわけにはいきません。
イギリスでは1960年代から過激な暴力描写・性描写、もしくは性的マイノリティを描く作品を「有害」とみなし、メディアを規制しようというキャンペーンが盛んになっていきました。そのキャンペーンの中核を担ったのが、1965年に設立した「National Viewers’ and Listeners’ Association(NVLA)」という活動団体で、その組織を立ち上げたのが”メアリー・ホワイトハウス”という保守系活動家でした。
”メアリー・ホワイトハウス”はキリスト教を下地にした宗教右派をバックに抱えて左派系のリベラルに猛然と敵意を剥き出しにしていた典型的な保守派で、”性革命・フェミニズム・LGBTQの権利・子どもの権利”などに反対する運動を展開。
映画などのメディアも標的になったのですが、70年代から80年代にかけてある問題が浮上しました。というのも、当時の映画は「全英映画検閲機構」によって検閲されていたのですが、ビデオは検閲されず、過激な暴力などの描写がある作品が市場に流れていました。これが”メアリー・ホワイトハウス”を始めとする保守系の政治・宗教層に目ざとく問題視され、デイリーメールなどのタブロイドもそれを煽って、モラルパニック的な大騒動となります。「ビデオ・ナスティ」は「NVLA」が作った造語で、彼らが有害視する過激なビデオ作品を指します。
そして1980年代、”メアリー・ホワイトハウス”は最高の強力な味方を見つけました。社会保守派の支持基盤を持つ“マーガレット・サッチャー”首相です。この政治的パイプによって、1984年に「ビデオ録画法」が制定され、「全英映画検閲機構」は「全英映像等級審査機構(BBFC)」に名称を変え、ビデオ・ナスティも審査することになりました。
これがざっくりした1960年代から80年代におけるイギリスの映画検閲の歴史の流れです。
日本の言論で空前の流行りフレーズとなっている「正義の暴走」「行き過ぎた正しさ」という陳腐な批評もどきをこの「検閲」にも当てはめる人がいるだろうなというのは容易に想像がつきますが、検閲はそんなものではなく、実際は保守的な政治背景があることがよくわかると思います。検閲は正義じゃなくて政治がやってるのですからね。
今回紹介するイギリス映画は、そんな1980年代にビデオ・ナスティを審査する「全英映像等級審査機構」で働くひとりの女性を主人公にした異色の作品です。
それが本作『映画検閲』。原題は「Censor」です。
タイトルに「検閲」とありますが、主人公がやっているのはいわゆる「レーティング」であり、この作品がどの年齢指定で区分されるかを映像をチェックして審査しています。公開できない表現もあるので、その場合は「ここをカットすれば”R18”の範囲に収まって公開できる」などと製作陣と相談します。日本で言うところの「映画倫理機構(映倫)」と同じ仕事です(ちなみに本作は日本では「R15+」にレーティングされています)。
舞台は1985年で、当時は上記で説明したようにちょうど「全英映画検閲機構」が「全英映像等級審査機構(BBFC)」へ変わった移行期の初期だったこともあり、検閲と審査の明解な違いみたいな認識はあまり定着していないようですが…。
この職業を主題にするところも珍しいのですが、本作がさらに際立っているのは、スリラー映画のジャンルになっている点です。残虐なホラー映画などを審査していた主人公がそのジャンルとの虚実の境界が曖昧になっていくという、非常にメタな構造に変貌していきます。“デイヴィッド・クローネンバーグ”監督の『ヴィデオドローム』みたいな肌触りですが、よりフェミニズムな側面もあり、今までにないかたちで研ぎ澄まされています。
最近は新鋭の女性監督の手によって既存のホラー/スリラーのジャンルに新しい息吹を吹き込んだ作品が続々と登場しており、『RAW 少女のめざめ』(2016年)、『TITANE チタン』(2021年)、『PIGGY ピギー』(2022年)、『オーメン:ザ・ファースト』(2024年)と顔触れが増えています。
『映画検閲』は2021年の作品ですが、この奇異な一作を長編監督デビュー作で贈りだしたのが“プラノ・ベイリー=ボンド”という1982年生まれのウェールズの人です。覚えておきたい名前ですね。
日本では2024年にやっと公開されましたが、マニアックな一作ですが、ぜひ今までこういうジャンルに手を出していない人にも観てほしい映画です(残酷なのは苦手という人もいるだろうけども)。こういうジャンルを男のモノだと思っていて、女性が批評すると途端に怒りだす連中もいますが、そういう輩はカットしましょう。
『映画検閲』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :変わった一作を観るなら |
友人 | :批評し合える相手と |
恋人 | :互いにジャンル好きなら |
キッズ | :激しい残酷描写あり |
『映画検閲』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
真っ暗な野外でひとりの女性が恐怖の形相で倒れ込み、何かに引きずり込まれ、暗闇に消えていく…。
そんな映像を薄暗い部屋で一時停止するのは、映像チェックのときだけ眼鏡をかけたイーニッド・ベインズ。全英映像等級審査機構(BBFC)で働いており、審査官です。巻き戻ししながら、その映像作品がレーティングでどのカテゴリになるのかを細かく審査します。今回の作品は「R18」とする場合はもっとシーンのカットが必要になると、イーニッドはルールに基づき、指摘します。とくに残虐なシーンがいくつか該当しています。
隣のスーツ姿のサンダーソンはタバコを吸いながらそんなイーニッドの仕事を眺めています。イーニッドの基準に徹底して厳格な仕事っぷりゆえに、同僚から彼女は「リトル・ミス・パーフェクト」と呼ばれていました。イーニッドはどんな残酷な映像にも目を背けず、淡々と業務を全うします。職場内では審査をめぐって同僚同士で意見も分かれることがありますが、イーニッドは揺るぎません。
巷のニュースではマーガレット・サッチャーがマイノリティによる抗議の声は社会秩序を破壊すると高らかに語っています。
帰宅すると、母から留守電にメッセージ。両親に会うと、両親は言いづらそうにある書類をみせてきます。幼い頃に行方不明になった妹のニーナについて、ついに法的に死亡したという扱いで納得することにしたようです。両親は次に進みたいようですが、イーニッドはどうも踏ん切りがついていません。
家に戻り、まだ保存している幼い時の姉妹の写真や失踪時の新聞記事などを取り出します。道端で似た人を見かけるとフラッシュバックすることもあります。
ある日、職場で上司のフレイザーに呼び出されます。何やら深刻そうな顔つき。何でもイーニッドが審査を担当した映画が、実際に起きた殺人事件に影響を与えたとタブロイド紙が報じたようです。その殺人事件は男が妻子を殺すというもの。その映画を承認した審査官としてイーニッドの名前がメディアに流れてしまっていました。
それ以降、イーニッドは実在の殺人を後押しした人間として世間から非難され、脅迫や誹謗中傷が相次ぐようになります。マスコミに追いかけられ、家でも落ち着けません。
それでも仕事は続けていると、映画プロデューサーのダグ・スマートがやってきて、挨拶してきます。何でもベテランのホラー監督のフレデリック・ノースが、自身の古い作品の審査をイーニッドに指名依頼したようです。
さっそく審査すると、その内容は妹ニーナの失踪の記憶を呼び起こすもので…。
その仕事に疑問を持たない
ここから『映画検閲』のネタバレありの感想本文です。
『映画検閲』は、何も考えずに映し出される映像だけを与えられるままに飲み込んでしまうと、「審査員の女が残酷ホラーを観ていてどんどん狂ってしまう」みたいに捉えて終わりになりかねないです。ましてや主人公のイーニッドを「正義の断罪」をしているなどステレオタイプに認識すると単純な解釈になりかねません。実際、その見方は往々にして女性蔑視的ですけど、ただ、本作はそんな浅い受け取り方もじゅうぶんに想定したうえで、二段階でもっと別の構造を潜ませている…かなり用意周到な映画だなと私は思いました。
こういう一見すると典型的な女性像を描き、後半からひっくり返すことで差別構造を暴いていく作品は、『バービー』や『ドント・ウォーリー・ダーリン』など定番なのですけど、『映画検閲』はより巧妙に仕込んでいるのでわかりにくいところはあります。
まず主人公のイーニッドですけど、一面的ではないかなり複雑な人物です。審査の仕事をしていますが、露骨に熱の強い正義感はみせず、それどころか政治性をみせません。よくあるロボットみたいに労働をこなすタイプの人間のようです。
職場内では官僚主義の歯車であることに疑問を感じている同僚もいて、「この仕事に意味はあるのか」と吐露する人もいますし、確かにひたすら残酷映像を見続けるなんて楽しい仕事ではないです。
でもイーニッドは仕事に楽しさとかやりがいを求めておらず、与えられた業務をこなすだけのマニュアル思考で生きています。これは要するに「保守的な社会でもあえてノンポリのように振舞って従属的になることに疑問を持たない」という立ち位置ですね。保守的な社会というのは保守系の人たちだけでなく、こういう人間が支えてしまっているものです。
しかし、そんなイーニッドが唯一、感情をみせるのは妹のニーナのことです。イーニッドにとってそれは未練であり、後悔であり、恐怖です。本作はそのトラウマに向き合うことになるのですが、それは健全なかたちとはいきません。
人を暴力に駆り立てる本当の原因は?
『映画検閲』のイーニッドはフレデリック・ノースという監督の作品に出演する女優アリス・リーが行方不明の妹に似ていると感じ始め、「妹は生きていて今は映画産業に囚われている」という強迫観念に憑りつかれていきます。
ここからは一種のリベンジ・スリラーのジャンルとなっていきます。
妹の件は詳細は不明のままですがフェミサイドな犯罪性を匂わせますし、手がかりを求めたイーニッドが映画プロデューサーのダグ・スマートから同意のない接触をされるくだりは、映画業界の性暴力を暗示させます。
結果的にイーニッドはその歪みに対して牙をむきます。後半はイーニッドが普段の業務で審査していたホラー映画のようなシチュエーションに陥るのですが、重要なのはイーニッドが「殺す側」であり、殺されるのは「男性」だということ。
一般的に、あの当時の暴力映画の多くは「男性の眼差し」で主体的に作られている傾向にあり、その作品における「女性」というのは男性にとってのフェティッシュな嗜虐性を満腹にさせるために消費される道具です。
つまり、本作の後半はビデオ・ナスティのジェンダー構造の典型を逆転させていると言えます。
なので本作は「残酷暴力映画、万歳!」みたいな能天気な気楽さではなく、ちゃんとその表象を自己批判的に分析できています。
それに加え、「残酷映画が暴力を招く」というレトリックが保守的政治のスケープゴートであるということも批判の射程にしています。実際のところは、保守的な勢力にとって都合の悪い表現を槍玉にしているだけで、本当に現実で起きている犯罪の原因には直視していないじゃないか、と。
例えば、1974年の『Deranged』という映画は、アメリカ中西部の田舎に住む中年男性が、保守的な宗教によってミソジニーを悪化させ、やがて残忍な連続殺人に手をつけていく姿を生々しく描いた一作です。保守的な社会が人を恐ろしい暴力に駆り立てることを描いた映画なわけです。
こうやって当時の残酷映画の中にはしっかり社会批判できている作品もあるんですよね。保守的な勢力による検閲はそうした自分たちの政治の悪い部分を浮き彫りにさせる映画までも封じ込めており、結局はやってることは不正の隠匿のようなものです。まあ、現代もそうですが、「女や子どもを守る」という名目は保守的な勢力が「女や子どもを支配したい」という欲望を隠すために頻繁に掲げる手口ですから。
この権力者のスケープゴートの時代に埋もれた「フィクションではないリアルな暴力」を突きつけ、検閲の実行者である保守的な社会の欺瞞もつまびらかにする。とても練られたプロットだと思います。
審査の仕事をしている最中のイーニッドは眼鏡をしていて落ち着いた格好で、ベタな保守的女性に見えますが、後半の狂乱の中では印象はガラっと変わります。血塗れを経験した後、最後はやけに純白な衣装で敬虔な佇まいになります。
ラストでは、残酷映画はすべて禁止され、犯罪は根絶され、失業はなくなったというユートピアを装ったディストピアの世界で、イーニッドは”あの俳優を妹ということにして”理想を演出します。ある意味、本当に恐ろしい社会の到来です。
このエンディングの味わいは『ミッドサマー』っぽいですね。苦痛から解放された女性がもっとヤバイ世界に足を踏み入れてしまったという…。
『映画検閲』は“プラノ・ベイリー=ボンド”監督によるビデオ・ナスティ時代の映画社会批評がたっぷり詰まっていて、講義でも聴いたような気持ちで勉強にもなりました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Censor Productions Ltd
以上、『映画検閲』の感想でした。
Censor (2021) [Japanese Review] 『映画検閲』考察・評価レビュー
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