包括的な多様性の偽善には付き合えない…映画『マスター ~見えない敵~』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にAmazonで配信
監督:マリアマ・ディアロ
人種差別描写
マスター 見えない敵
ますたー みえないてき
『マスター 見えない敵』あらすじ
『マスター 見えない敵』感想(ネタバレなし)
本当に多様性をわかってる?
今は企業や大学などあらゆる組織が「多様性」を掲げるようにはなってきています。しかし、その実態としての中身は本当に「多様性」と言えるべきものになっているのか。そういう疑問はあります。
もちろん「多様性なんて価値ないですよ」みたいなトンチンカンな知ったかぶりの思いこみ人間の相手をするつもりはありません。それは論外なので放置です。
今回の論点は「多様性? もちろん大事ですよね」と一見すると肯定しているような組織や人間は本当に信用できるのかという話です。厄介なのは、多様性というとどうしても大きな数値目標ばかりが注目され(男女比率を半々にするとか)、もっと末端で起きている小さな差別や不均衡は見過ごされてしまいやすいということです。これは難しい問題で、社会というのは見栄ばかりを気にするので表面さえキチっとできていれば良し!みたいなところがあります。これは私もそうですし、自戒を込めて書いていますが、そういう状況は危ういですよね。本当に困っている一番弱い人を無視しているかもしれないのですから。
そんなことを考えつつ、この映画を観るのがいいのではないでしょうか。
それが本作『マスター 見えない敵』です。
なんだろう、タイトルの雰囲気だけで判断するとカンフーマスターが強敵と戦ってそうな感じもありますが、全くそういう映画ではありません。
これはもう隠してもしょうがないですし、説明してしまいますが、『マスター 見えない敵』は人種差別を主題にしています。具体的には黒人差別ですね。
物語は、3人の黒人女性で主に進行していきます。舞台はアメリカの由緒ある歴史を誇る大学です。ひとりはこの大学に入学してきたばかりの新入生の大学生。もうひとりはこの大学で黒人初の学寮長(英語で「master」と呼ぶ)になって張り切っている黒人女性。さらにもうひとりはその大学で非常勤講師を務めていて終身在職権を目指している黒人女性。
本作はその立場もバラバラな3人の黒人女性が表面的には「包括的な多様性を尊重します!」と謳う大学というキャンパス環境の中で、その表向きの看板とは全く異なる現実に直面していくというもの。
大学と人種差別のリアルさを描いた作品は最近だと『ザ・チェア 私は学科長』などがありました。
ただ、この『マスター 見えない敵』は、ここにホラー要素が混ざり合ってくるので予想つかない事態に陥ってきます。この舞台となる大学、なにやら昔は魔女狩りの魔女裁判で処刑が行われた場所らしく…。何でそんな場所に大学を建てたんだ…。
つまり、『ゲット・アウト』などの“ジョーダン・ピール”作品と似た感じのジャンル・テイストになっており、現実社会にある黒人差別の構造をホラーという触媒で可視化させるタイプの映画です。
その『マスター 見えない敵』を監督したのは、本作が長編映画監督デビュー作となる“マリアマ・ディアロ”(なお同姓同名の俳優もいるので混同しないように)。勢いのあるこの黒人差別題材ホラーの界隈において、新しい才能の仲間入りということでますます活躍が期待されます(今後も同じジャンルでいくかはわかりませんけど)。
主演を務めるのは、『最終絶叫計画』のようなコメディ・スラッシャー映画から、『サポート・ザ・ガールズ』のような高評価作品まで、幅広くこなしている“レジーナ・ホール”。『ガールズ・トリップ』や『リトル』などどちらかと言えばコメディ映画の印象が強い俳優ですけど、『ヘイト・ユー・ギブ』といった人種差別に真正面から向き合うシリアスな作品にも出演していますし、今回の『マスター 見えない敵』は真面目寄りですね。
共演は、『Hadestown』など舞台劇で活躍する“アンバー・グレイ”、ドラマ『ブラックライトニング』の“ゾーイ・レニー”、『アナと世界の終わり』で賑やかにゾンビに立ち向かっていた“エラ・ハント”、『17歳の瞳に映る世界』で印象的な演技を見せた“タリア・ライダー”など。
『マスター 見えない敵』はホラーといってもがっつりとホラーというわけではなく、心理的な恐怖をじわじわと与えるスリラーといった感じで、そんなに恐怖映像が山盛りということはありません。ただし、虫が苦手な人は注意をしてください。
『マスター 見えない敵』は日本では劇場未公開で「Amazonプライムビデオ」での独占配信となりましたので、そんなに映画ファンの間でも認知されていませんが、気になる人はぜひ。
オススメ度のチェック
ひとり | :人種差別を描く作品に関心あるなら |
友人 | :盛り上がるエンタメではない |
恋人 | :ロマンチックな映画ではない |
キッズ | :やや子どもにはわかりづらい |
『マスター 見えない敵』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):違和感だらけの大学生活
ニューイングランドのエリートな歴史のある大学。この厳かな建物が並ぶ広々としたキャンパスをあたりを見回しながらいかにも初見のように歩くひとりの若い女子。リュックを背負い、キャリーケースをひきずっていたジャスミン・ムーアは「新入生ね」と先輩たちに話しかけられます。
「あなたの部屋は…あの部屋ね」…そう言って、意味ありげに仲間と目を合わせる先輩学生。寮の場所を教えてそれ以上は何も言わず立ち去ってしまいます。
一方、その寮の建物を開けて新入生を迎える準備をするのはゲイル・ビショップ。ベルヴィル寮の学寮長に任命されて張り切っていました。黒人初の学寮長ということでキャリアにも期待がかかっています。
ジャスミンは新鮮なベッドで寝転がり、これから始めるキャンパスライフを噛みしめていました。そこにアメリアというルームメイトも入ってきます。
夜にはアンカスター・カレッジの新入生を集めて説明会です。ゲイルは登壇して話し始めます。
「2名のアメリカ大統領と多くの上院議員がこの大学を卒業しています。そしてもうひとり、マーガレット・ミレットです。魔術を行い、この近くで絞首刑にされました」
ここが故郷であると優しく宣言し、新入生たちは学期の初めと終わりに行う「原初の叫び」の儀式で窓から思う存分に叫びます。
学寮長となったゲイルは肖像画を描いてもらいます。ゲイルは寮の近くの家に暮らすことになり、引っ越しは済ませました。そこも昔からある家です。ふと室内にいると、ゲイルは鈴の音が聞こえた気がして上の部屋へ。そこには段ボール箱があり、黒人の使用人が映っている昔住んでいたであろう一家の写真がありました。
大学生活の開始となったジャスミンですが、すでに違和感を感じていました。ルームメイトの女子が部屋に先輩の男たちをたくさん招いており、そこでは変な話を聞きます。
なんでもここは呪われた部屋らしく、昔に女子学生が死んだとか。魔女は毎年新入生を1人選び、自分たちの時はトレジャーという学生で飛び降りた、と。冗談なのかわからない話題に反応に困るジャスミン。
授業も始まります。ジャスミンはリヴ・ベックマン教授の講義を楽しみにしていました。しかし、同じ黒人同士のはずなのにリヴ・ベックマン教授とは課題対象の意味する黒人差別文脈の解釈で話が合いません。まるで黒人のことを何もわかっていないかのように的外れなことを言っているようにも見えますし、なぜかクレシダのような白人学生の白人視点の蔑視的な解釈にもそこまで否定的ではありません。
また、ゲイルも居心地の悪さを感じていました。気分が悪くて同僚教師のパーティを抜けてきたゲイルは同じ立場のリヴの家へ。素直に語り合えるのは彼女くらいです。
リヴは終身在職権を目指しており、大学の教授会議でもそのことが議論されていました。ゲイルは友人ですが、あくまでフェアに議論に参加しようと考えています。
その頃、ジャスミンは魔女の話がどうしても気になり、図書館で調べることにします。確かに事実でした。過去記事には「302号室の悲劇」と書かれており、1968年に初の黒人学生だったルイザ・ウィークスが非業の死を遂げたことがわかります。
一体この大学では何が起きているのか…。
呪いのふりをする小さな差別
『マスター 見えない敵』は前述したとおり黒人差別を描いており、とくに歪んだ差別構造というものをじんわりと可視化させます。しかし、これは観客の立ち位置によって理解度も異なるものです。ある人は「え? これのどこが差別なの?」と本作の加害者側のような認識しか持てず、本作の意図する狙いが全く伝わらないこともあるはずです。まあ、その認識の齟齬を浮かび上がらせるのがこの映画の一番の効果なのでしょうけど。
新入生のジャスミンはキャンパスライフ開幕早々から差別を受けています。それは小さな無自覚なものから始まります。いわゆる「マイクロアグレッション」ですね。
この大学は黒人は珍しいらしく、ジャスミンはあれこれと引っかかるような言及をされます。同じ学生からは名前を揶揄われたり、召使のようにこき使われたり、髪の毛を暗に気持ち悪いとなじられたり、図書館では盗みをしているのではと疑われたり…。食堂で働く黒人女性は白人の学生にはやたら愛想がいいのに黒人の自分には真逆で冷たいです。ここでは黒人同士の馴れ合いは良い結果を生まないとわかっているかのように…。
そして自分が唯一得意になれそうなリヴ・ベックマン教授の講義で、まさかの低評価を受け、最初は教授による嫌がらせではないかと感じ、申し立てすらします。
で、しだいにこれは魔女の怨念のようなものではないかとさえ疑念を深めていくことに…。
実際はジャスミンは差別を受けているというのが事実です。おそらく過去に死亡した学生もこういう差別の積み重ねで追い込まれた結果の死なのでしょう。しかし、この大学は完全に白人主体なので、それは差別がもたらしたものだと誰も考えない。呪いのように片付ける。
『キャンディマン』でもありましたが、こういうように差別を自覚したくないゆえに怪談を利用する(「これは差別じゃない。呪いだよ」というロジック)という社会の構造は恐ろしいものです。
結局、首つり縄を送りつけられたり、十字架を燃やされたり、差別は露骨に悪化していき、やがてはジャスミンは命を絶つことになるのですが…。
黒人がマスターになるという矛盾
一方で、ゲイル・ビショップの方も別のかたちで差別に直面します。
ゲイルは黒人女性で(おそらくクィアなんだと思いますが)、ここで学寮長になったというのが重要ですね。学寮長は英語で「master(マスター)」。つまり「主」になったはず。でも実態は違う。いや、そもそもここでそんな肩書を黒人に与えることがいかにおぞましいものなのか。それをゲイルは嫌というほどに痛感していきます。
ゲイルは引っ越した先の住居でふいに鳴り始める鈴の音を聞きます。それは屋根裏の家にある部屋に備えられた鈴からでした。これは使用人を呼ぶ時の鈴ですね。あの部屋は使用人の部屋であり、ここには黒人の使用人がいたことがわかります。
こうした歴史を踏まえつつ、黒人女性がマスターに指名されるという明らかな矛盾がゲイルを苦しめるのですが(これは黒人がヒーローになるという矛盾に向き合った『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』にも通じる)、周囲の他の非黒人の同僚たちは気にもしていません。「キャリアを与えてやった。次は学長かな」なんて呑気な態度です。
差別される側に立つ当事者はマジョリティからは「同情してもらえるし、優遇もあるだろうから、羨ましい」と思われることがしばしばあります。でもそれは全く構造を理解していない人の物言いであり、実際はゲイルのようにとても複雑な状況に追い込まれることも珍しくないです。
本作はオバマ時代以降の映画です。バラク・オバマ大統領の登場(ファースト・レディのミシェル・オバマ含めて)は学歴のある黒人にとっては希望の証でしたが、現実はそう理想どおりになっていない。キャリアアップの過程でおびただしいほどの差別に出会うだけでなく、その差別構造に加担することさえも強いられる。あらためて本作が突きつけるその構造はゾっとします。
終盤はリヴの隠された真相が判明します。「黒人としての都合の良い部分だけを消費する」という行為の問題性は、ドキュメンタリー『レイチェル 黒人と名乗った女性』でも題材になっていましたね。
視覚的なホラービジュアルが欲しかったなとか、ノンストップなストーリーテリングとしてはやはり“ジョーダン・ピール”に軍配が上がるなとか、そういう要望もあるにはありますが、“マリアマ・ディアロ”監督のデビュー作としてはじゅうぶんすぎるくらいに尖っていました。
『マスター 見えない敵』の物語はフィクションですが、“マリアマ・ディアロ”監督の実体験も基になっているとインタビューでも語っていますし、こうしたマイクロアグレッション的な差別は本当にどこにでもあります。ホラーはそれを視覚化させるジャンルとして今後も重宝されるでしょうね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 74% Audience 63%
IMDb
4.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Animal Kingdom
以上、『マスター 見えない敵』の感想でした。
Master (2022) [Japanese Review] 『マスター 見えない敵』考察・評価レビュー