指図されるだけの女だった私は置いていく…映画『アイム・ユア・ウーマン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にAmazonビデオで配信
監督:ジュリア・ハート
アイム・ユア・ウーマン
あいむゆあうーまん
『アイム・ユア・ウーマン』あらすじ
夫に言われるがままに家でずっと暮らしてきた女性。ある日、突然、その夫は赤ん坊を連れてきて、いきなり慌ただしい生活が始まる。しかし、それだけで終わらなかった。急に赤ん坊と一緒に逃亡生活を余儀なくされる。一体何が起こっているのか、その説明は誰もしてくれない。とにかく右も左もわからないままに、隠れて逃げるだけの日々に追われていく。
『アイム・ユア・ウーマン』感想(ネタバレなし)
これぞニュー・ノーマルな主婦
「結婚することが女性の幸せです!」「女性は素敵な男性を支えて人生が満たされます!」
そんな価値観は当の昔に時代遅れ…だと思ったのですが、最近公開された某国民的アニメのCG映画とかを見ているとそんな時代錯誤どころか封建的とすら思わる内容のメッセージ性が、温故知新を模した残飯のように提供されているのを目撃し、なんだかげっそりした2020年。
それでもそんな有害な懐古に浸る映画に対抗できるのも映画なわけで…。
保守的な家庭観に縛られない女性像をガンガン見せつけていく映画を応援しようと私は2021年も頑張っていきたいと思います。新しい生活様式だとか、ニュー・ノーマルだとか、そんな言葉をほざく暇があるならジェンダー認識を改善してよって話です。
そこで今回の紹介する映画も既存の旧式の女性らしさ圧力をズドン!と撃ち抜く作品です。それが本作『アイム・ユア・ウーマン』。
タイトルからして何やら挑発的な感じがしますよね。しかし、この作品、内容を説明しづらいです。いや、語ることはできるにはできます。
物語は何の変哲もないひとりの主婦が主人公。その主婦は赤ん坊を育てていたのですが、夫が見知らぬところでヘマをしたせいで危険な奴らに狙われることになってしまい、家を出て逃避行するしかない状況に追い込まれます。ジャンルとしてはクライム・スリラーになりますかね。
普通の主婦が大切な人を奪われたことで復讐を果たしていくリベンジものというのも最近はあって、『ライリー・ノース 復讐の女神』なんかはそうでした。この『アイム・ユア・ウーマン』も一見するとそんなふうに思えるじゃないですか。実際、私も鑑賞前はそうなのかなと思ってました。
しかし、この『アイム・ユア・ウーマン』はそれとは全くタッチが違っています。かなり独特の作品センスがあり、合う合わないはあるでしょうけど、ユニークなアプローチだなと私は感じました。ネタバレになりかねないので詳細は言えませんが、ジャンル的な過剰な味付けに頼らず、それでいてジャンルっぽいノリでリアルな女性像を描いていく…。こういう小粒な作品が自然に登場してきたことが嬉しいです。
監督は『マイ・ビューティフル・デイズ』(2016年)、『Fast Color』(2018年)、そしてDisney+で配信された映画『スターガール』(2020年)を手がけた“ジュリア・ハート”です。彼女の父は『フック』などで脚本を手がけた“ジェームズ・V・ハート”で、“ジュリア・ハート”も脚本の仕事もしていたらしく、2010年代に映画業界でキャリアを伸ばし始めました。とても独特なクリエイティビティを持っているので、今後も要注目ではないでしょうか。
そして『アイム・ユア・ウーマン』の主演を飾るのは、ドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』で主役でないながらも注目を集め、ドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』では堂々たる主演作をモノにし、批評家から絶賛を受け、ゴールデングローブ賞女優賞を2度も獲得した“レイチェル・ブロズナハン”。まだ30歳と若いのですが、すでにキャリア的には絶好調です。今回、映画でも主演作となりますが、これまた“レイチェル・ブロズナハン”らしい絶妙なバランスの演技を披露しています。演技の仕方にちょっとクセがあるのですが、そこがなんとも印象をさりげなく残す魅力がありますね。
“レイチェル・ブロズナハン”はこの『アイム・ユア・ウーマン』では脚本と製作も兼任しており、彼女の才能がやはり迸っています。
他にはウィークエンドなど舞台で活躍するイギリス人の“アリンゼ・ケニ”、ドラマ『ボクらを見る目』の“マーシャ・ステファニー・ブレイク”など。
なお、音楽を手がけるのは『37セカンズ』の“アスカ・マツミヤ”という人で、本作でも地味ながら非常に巧みにサスペンスを盛り上げていく良い仕事をしています。
『アイム・ユア・ウーマン』は日本では劇場公開されることなく、Amazonオリジナル映画として「Amazon Prime Video」で配信されるのみにとどまっています。なので映画ファンの間でも全然話題にもなっていません。
たまにはこんな影に隠れている映画も鑑賞してみてはどうでしょうか。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(俳優ファンは必見) |
友人 | ◯(シニカルなスリラーをお望みなら) |
恋人 | ◯(少し毛色の違う夫婦ドラマを) |
キッズ | ◯(やや大人向けです) |
『アイム・ユア・ウーマン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):振り返らずに
1970年代。ひとりの女性が広々とした庭でくつろいでいます。彼女の名はジーン。タバコを吸い、とくにやることもなく、のんびりとした時間を過ごすのみ。夫のエディは仕事です。子どもは試したもののできなかったのでいません。
ある日、エディが何の前触れもなくいきなりひとりの赤ん坊を連れて家に帰ってきます。「俺たちの子だ」とやけに気楽そうに言い放つ夫。ジーンは意味もわからず「悪い冗談はやめて」と反応しますが、「冗談じゃない。うまくいったぞ、うちの子だ」とエディは全く気にしていない様子。
赤ん坊を平然とあやしているエディは、「抱いてみろ」とその子をジーンに持たせます。慣れない手つきで赤ん坊を持つジーン。
「どこで?」「気にするな、お前の子だ」「名前は?」「好きにつけろ」
揺らしてあやすジーン。こうしてこの子は夫婦の子になりました。赤ん坊の名前はとりあえず「ハリー」とします。
公園でベビーカーを押し、家では赤ん坊の子育てと家事でいっぱいいっぱいなジーン。料理は焦がし、上手くいかないこともしばしば。しかし、夫は相変わらずお気楽。
今夜は帰らないとエディは言います。何かを言いかけるジーンでしたが、でもやめました。
そして夜、事態は急変します。突然のドアを叩く音。ドアを開けると夫の仕事仲間のジミーです。「誰も来てないか?」「マズいことになった、逃げるぞ」といきなり急かしてきます。そしてあれよあれよと荷物を詰め込むジミーは「あとのことはカルに聞け」と言うだけで何も説明してくれず、ジーンを家から追い出しました。
赤ん坊を抱えて家を出ることになったジーン。わけがわからない…。外にカルという男が待っていて、車に乗り込みます。
意味不明なままモーテルに到着。カルは何も説明しません。赤ん坊は大泣きし、カルが赤ん坊をあやしてくれます。育児に慣れているようです。
「エディの生業を知っているだろう」と聞かれ、「窃盗でしょう」と答えるジーン。夫が世間的に良くないことをしているのは知っていました。何かヤバいことになったようで、カルはジーンと赤ん坊を守る役割を命じられているらしいです。
「いつまで逃げ続けるの?」「わからない」「電話させて」「無理だ、居場所はわからない、誰も知らない」
どうやらエディは敵に狙われており、ジーンもまたエディの行方を知っているとみなされているのでターゲットのようです。
ずっと流浪の生活も限度があります。そこである家へ。緊急の連絡先をもらい、ナイトテーブルの下に固定電話があるとカルは言います。「誰ともしゃべるな、出るな」と注意し、ジーンと赤ん坊だけでこの家に潜伏するように指示。ひととおりの食料などはあるようです。そしてエディはどこかへ消えました。
ひとりで暮らしたことないジーンは不安です。でもやるしかありません。
しかし、退屈な日々は思っているよりも続きませんでした。追っ手は用意周到に迫ってきており、殺意すらも剥き出しに…。特に何のスキルも持たない主婦のジーンにできることはあるのか…。
赤ん坊を与えられても…
『アイム・ユア・ウーマン』の序盤。ジーンの専業主婦的な生活は一見すると安寧の上で平穏に成り立っているように見えます。夫とも仲良さそうです。
しかし、実のところ、その実態はかなり夫の支配的な空間に閉じ込められており、振り回されっぱなし。ジーンがどんな人生をたどって今に至るのか、作中ではほぼ説明はありませんが、おそらくこの家に来てからは主体的な自由はほとんど与えられていないのだと推察できます。服にタグがついているあたりを見ると、着る衣服さえも自分で選びに買い物に出かけられないのかもしれません。
『透明人間』のあの女性主人公が受けたほどの狂気的な束縛ではないにせよ、『Swallow スワロウ』のような「籠の中の鳥」状態です。夫にとっての都合のいい妻として家に配置されているだけなんですから。オブジェクトですね。
それがとくに浮き彫りになるのが赤ん坊の件。ジーンは赤ん坊が産めない体で、そんな彼女のことを想いやってエディは赤ん坊を連れてきたのでしょう。しかし、あまりにも一方的。この行動の裏には「女なんだから赤ちゃんを育てるのは幸せだろ?」という偏見がこびりついているのは言うまでもなく。「自分で主体的に選び取って赤ん坊を手にすること」と「有無を言わせず赤ん坊を投げ与えられること」は全然違うのですが、この夫にはそれが全く理解に至ってません。赤ん坊は女性に元気を与える活力剤ではないのですけどね…。
その赤ん坊、ハリーに対するジーンの対応の仕方も面白いです。もうこの例えでいいのかあれですけど、友人から「私、旅行で1週間家を空けるから、その間に飼っているカメの面倒をみててくれない?」と頼まれたような…。とにかくジーンはこの赤ん坊に愛着が芽生えるほどの信頼関係もなく、でも命あるもの無下にできないのでとりあえず育てている…そんな感じ。
ここでジーンが赤ん坊を母性溢れる慈しみの表情で見つめたりしないのがまたよくて、“レイチェル・ブロズナハン”十八番の薄い表情演技でどこかシュールなユーモアで見せてきます。
潜伏先の最初の家でのひとり育児のシーンも、育児の過酷さをシリアスに見せるというよりは、どこか事務的に映しだす感じでシニカルです。基本的にジーンはあんまり喋らない性格なので無言で事を進めていることが多く、それもまた味になっていたり。チャップリン的といいますか、サイレントなギャグセンスが“レイチェル・ブロズナハン”にはありますよね。
あのエディの赤ん坊の件、そして後に明らかになるテリーとの関係から推察するに、ジーンは恵まれない生活環境に子どもの頃からあり、エディがそんなジーンを半ば拾ってきたのかなとも想像できます。となれば、ジーンは自分の人生を自分で歩いたことが一度もないのかもしれません。
そんなジーンが少しずつ少しずつ主体性というものを見いだしていく。誰のものでもない女性になっていく。それが本作のひとつのメインストーリーです。ジャンル映画的な「敵に復讐して、はい終わり!」という簡潔さではありません。
こうやって考えると、『マーベラス・ミセス・メイゼル』の主人公キャラクターにも通じるものがあります。あちらも「家庭」という枠に閉じ込められた主婦が解き放たれていくストーリーでしたから。
“ジュリア・ハート”監督は『スターガール』でも母親の描写が過度に役割を担い過ぎないものになっていたので、そういう要点を押さえている人なのかな。
人生のハンドルを自分で握る
まずそのジーンを助けてくれる人としてカルが現れます。男女の関係ですが、安易に恋愛関係に陥ることもない、ノンセクシャルな交流も良いところ。そして、子育ての最初の講師にもなってくれます。あの「ハリーは笑う? なら大丈夫」の言葉の後の歌の場面の、妙な可笑しさともども、こういう男女関係も本当に素敵だなと思います。
さらに最初の潜伏先の家で玄関の前に現れるご近所さんのエヴリン。この「困ったことがあったら言ってね」といかにも世話好きな空気を醸し出すも、状況が状況なだけにむやみやたらにジーンは警戒してしまいます。このあたりもシュールです。でも相手を変に疑いすぎて育児などの負担をひとりで抱え込んでしまうというのは、よくありがちなことじゃないかな、と。
そしてカルの妻であるテリーとその家族の登場。ここでジーンは対等な主婦に出会い、先輩から教わるように成長していきます。テリーはエディと関係が過去にあり、それもあって本当に信用してもいいものかと疑心暗鬼にかられますが、最終的には主婦シスターフッドが出来あがっていくことに。
森の家での一幕は言ってしまえばジーンがそれまで無自覚に背負ってしまった「主婦としてこうあるべき」「母親としてこうあるべき」「女としてこうあるべき」という重荷を降ろすカウンセリングでもありました。アートから銃の撃ち方を教わるくだりも、初めて自分で何かを跳ね除けるという主体性の興奮を味わった最初の瞬間。この森の家に赤ん坊を置いていくのも意味深いですよね。
クラブにて襲撃犯に狙われてパニックになり、コインランドリーで途方に暮れるジーンを「大丈夫、心配ない」と優しく寄り添う見知らぬ女性たちなど、随所にさりげなくも頼もしい女性の連帯があるのもいいですね。
また、その間、夫は姿としては一切出てこず、でもその尻ぬぐいだけはさせられる。このへんは『ロスト・マネー 偽りの報酬』や『ザ・キッチン』と重なりますが…。
そしていよいよ映画も終盤。ついにジーンは完全に主体性を発揮。派手なクラッシュの後、敵に車でさらわれ、そこでの一撃。相手はまさかこんな凡人の主婦が牙をむくとは思わなかったでしょう。
ジーンはそもそも能力のある女性だったと思うのです。あの子育てに実直に取り組んでいる姿からも真面目さが窺えますし、決して不器用ではなく、単にそのチャンスを与えられず、技を磨けなかっただけであろう、と。こういう真面目さを利用して、世間的には悪くない程度に使い回す人はやっぱり最低じゃないですか。ジーンはそういう人間と縁が切れただけでじゅうぶん人生は好転するはずで…。
その後、ジーンは自分で車を運転して家に帰ります。自分で運転している…というのも肝です(ずっと運転はしていなかった)。もうジーンは人生のハンドルを自分で握って操作できるようになりました。どこへ行くかは自分で決めます。過去のことは振り返りません。指図されるだけの女だった私は置いていく…。
“ジュリア・ハート”監督と“レイチェル・ブロズナハン”の見事なタッグで、静かに女性の新しい出発を描く良作。今後も双方の才能に期待大です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 81% Audience 50%
IMDb
6.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Amazon Studios アイムユアウーマン
以上、『アイム・ユア・ウーマン』の感想でした。
I’m Your Woman (2020) [Japanese Review] 『アイム・ユア・ウーマン』考察・評価レビュー