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『恋人はアンバー』感想(ネタバレ)…良作に潜むバイセクシュアル・イレイジャーの問題点

恋人はアンバー

最後は爽やかな良作だけど…映画『恋人はアンバー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Dating Amber
製作国:アイルランド(2020年)
日本公開日:2022年11月3日
監督:デイヴィッド・フレイン
LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写

恋人はアンバー

こいびとはあんばー
恋人はアンバー

『恋人はアンバー』あらすじ

1995年のアイルランド。同性愛者に対する差別や偏見が根強く残る田舎町で暮らす高校生のエディは、自身がゲイである可能性を自覚しつつも受け入れられずにいた。一方、エディのクラスメイトであるアンバーはレズビアンであることを隠して暮らしている。2人は卒業までの期間を平穏無事に過ごすため、周囲にセクシュアリティを悟られないようカップルを装うことにする。順調にいくと思っていたが…。

『恋人はアンバー』感想(ネタバレなし)

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アイルランドの歴史も感じつつ

ヨーロッパの中でもLGBTQの平等が進んでいる国はどこ?と聞かれれば、いくつか国名が挙げられるでしょうけど、とくに最近になって一気にLGBTQの平等に向けて社会が良好に改善した国はどこ?との問いであるならば、アイルランドを挙げたくなります。

過去のアイルランドはLGBTQの当事者にとって理想の国とは言い難い状況でした。しかし、2015年に同性婚が法的に制度化したのを皮切りに、パスポートや出生証明書などで性別の自己申告ができるようになってトランスジェンダーなどの人々の配慮が進み、また職場での性的指向や性自認に基づく差別も法的に禁止されるようになりました。

この大きな変化を先導した功労者のひとりが、オープンリーなゲイである“レオ・バラッカー”議員。この人は2017年から2020年までアイルランドの首相を務め、国をクィアに優しい社会にするべく尽力しました。元は医者で、コロナ禍のときは医者業に舞い戻ったというのですから、よく働く人ですね。

また、特筆される政治家の働きはこの年代だけではありません。アイルランドのLGBTQ史において転機となったのが、同性の性行為が非犯罪化となった1993年。この変革に貢献したひとりが“デビッド・ノリス”議員でした。

政治がLGBTQの権利を全力で支える…そんな姿がそこにあり、羨ましいなと思います。

今回はそんなアイルランドのゲイ・ムービーを紹介します。

それが本作『恋人はアンバー』です。

アイルランドのLGBTQ映画と言えば、『カウボーイズ&エンジェルズ』(2003年)、『アルバート氏の人生』(2011年)、『ぼくたちのチーム』(2016年)などがありましたが、この『恋人はアンバー』は2020年の作品です。

主人公はアイルランドの田舎町に暮らす高校生の男女。男子と女子それぞれが実はゲイであり、差別や偏見が当たり前のようにあるこの故郷で自身の性的指向を隠しながら生活しています。そして周囲にゲイだとバレないようにこの2人はカップルとして付き合っているふりをすることになる…という話です。

本作を鑑賞するうえでぜひ事前に頭に入れておきたいのは、描かれる年代が1995年だということ。前述したとおり、アイルランドは1993年に同性同士の性行為が非犯罪化になったばかりです(日本の公式サイトでは「同性愛が違法でなくなってから2年後」と説明されていますが、同性結婚は依然としてできないという点に注意)。つまり、同性愛差別はまだまだ色濃い中で、ゲイという言葉が世間の話題として取り上げられ始めている時期であり、ある意味で最も露骨に中傷されやすい空気が漂っているわけです。

この『恋人はアンバー』の物語内でも、主人公たちはとても頻繁に侮蔑的な態度に直面することになります。誰かが「それはダメだぞ」と咎めることもほぼない。差別が平然とそこにある環境。そんな抑圧の最中のストーリーなんだということを覚えておいてください。

『恋人はアンバー』を監督したのは、『CURED キュアード』で長編監督デビューしたアイルランドの“デイヴィッド・フレイン”(デヴィッド・フレイン)。デビュー作はパンデミック後のディストピアを描いたもので、ずいぶんとガラっと異なるジャンルを手がけるんだなと思いましたけど、よく考えると両作とも抑圧的な社会を描いており、共通点があるんですね。“デイヴィッド・フレイン”監督としては『恋人はアンバー』でデビューするつもりだったそうで、資金調達の問題で、こっちは後回しになったようです。

『恋人はアンバー』に出演するのは、ドラマ『ふつうの人々』の“フィン・オシェイ”、『A Bump Along the Way』の“ローラ・ペティクルー”、『Everybody’s Talking About Jamie ~ジェイミー~』の“シャロン・ホーガン”、『メイズ 大脱走』の“バリー・ワード”、ドラマ『ダークハート 猟奇殺人捜査班』の“シモーヌ・カービー”など。

かなり不快感をもたらす差別描写が多々あるのでそこは留意が要りますが、一方でそんな中でも肯定感を求めて模索する2人の健気さや爽やかに駆け足で突っ走るストーリーは、観客の心に元気を与えると思います。チャーミングな青春映画として気に入る人も多いはず。

以下の後半の感想では、そんな『恋人はアンバー』の私なりに感じた問題点などにも言及しています。

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『恋人はアンバー』を観る前のQ&A

✔『恋人はアンバー』の見どころ
★主人公2人のチャーミングさ。
★爽やかな肯定感のあるストーリー。
✔『恋人はアンバー』の欠点
☆陰湿な差別描写が多少はある。
☆同性愛のみにフォーカスしている。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:青春映画好きなら
友人 3.5:気に入りそうな人と
恋人 3.5:同性愛ロマンスあり
キッズ 3.5:やや差別表現あり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『恋人はアンバー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):偽だけどカップルになろう

1995年、平原が広がるアイルランドの田舎町。眼鏡のジャックはテレビを見ており、軍人である父のイアンがインタビューで答えている姿を眺めます。

そのジャックの兄のエディは庭のブランコで懸垂を試みていましたが、全然できずに地面に倒れます。父や母のハンナも呆れ顔。エディはアイルランド軍に入隊するつもりですが、どうなることやら…。

エディは自転車で登校します。ジャックはその後ろを頑張ってついていきます。ヘッドホンのエディは周りが全然見ていません。

校内では、エディは男子のグループに混ざっていましたが、他の男子たちは下品に女子の品定めに興じている中、エディだけ乗り気でない様子。女子に興味なさそうな反応をするエディにケヴィンは「お前はホモかよ」と指摘。

「まさか。そんなわけ…」「誰かひとり女を選んでみろよ」

そう言われてエディはテキトーに周囲を見渡し、「え~っと、トレイシー…トレイシーだね。すっごくセクシーだと思う」とその場しのぎで発言。ケヴィンはそのままトレイシーのもとに行き、YESの返事を勝手にもらってきます。

こうしてトレイシーとキスするハメになったエディはですが、全く楽しくなさそうに受け止め、腕を掴まれるも拒絶します。そんなエディの態度に「馬鹿にしているの?」とトレイシーも怪訝な顔。チャイムが鳴ったので、その場を逃げるように退散するエディでした。

一方、同じ高校に通うアンバーは母親が管理する公園で、密かにセックスがしたい10代の子向けにキャラバンを貸し出して、おカネを稼いでいました

窓から覗いているのがバレて、「失せろ、レズビアン」と言われてしまい、「は? レズビアンじゃないし…!」ともう誰もいない場で口にした言葉だけが虚しく宙に消えます。

アンバーはこんな田舎からさっさと出ていき、ロンドンに引っ越すのが夢でした。

エディは家族との食事の席でもガールフレンドの話になってしまい慌てます。なんとかして恋人を手に入れなくては…。

翌日の学校。エディは緊張し、隣にアンバーが座っていても気づかないほど。そしてトレイシーに「映画を観に行かないか」と誘うも、追い返されます。

それを見かねたアンバーは自転車で去るエディを追い、「私がデートしてあげる」と持ちかけます。エディは意味がわかりません。なぜ急にアンバーが…。

こうして2人は出かけ、スクリーンで男女が交わるシーンを鑑賞しつつ、夜道を帰ります。アンバーは「ありがとう。楽しかった」と言い、エディはこれが流れなのだと思い、別れのキスをしようとして、振り払われます。

「あんなはゲイでしょ。私もよ」

そう言われて、しどろもどろになるエディ。自分がゲイだとは受け止めきれていない様子。

けれども自分はゲイなのかはさておき、カノジョは必要です。いて損はないはず。いや、いないと学校でも家庭でも辛い…。

次の学校の日、エディはアンバーに「ボーイフレンドになるよ」と宣言。アンバーも「偽のね」と付け加えますが、ともかくエディとアンバーは表向きはカップルになりました。

教室でもぎこちなくカップルのふりを続け、一緒にいる時間も増えていくと互いの悩みを打ち明けられるようになっていきますが…。

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クィアプラトニック・リレーションシップとしても

『恋人はアンバー』は、共に同性愛差別に抑圧されて疲弊している男子高校生と女子高校生が手を組むというストーリーです。

この感想の冒頭でも説明したとおり、1995年のアイルランドは同性同士の性行為が非犯罪化したにすぎず、差別自体は劣悪なまま。しかも、ここは田舎なので、とても保守的な空気が漂っています。

教室で映し出されるなんともオブラートに包んだ性教育ビデオも印象的。おそらくあれは同性同士の性行為が犯罪だった時代の教材をそのまま使い続けているということなんでしょうね。とにかくこの地域の子どもたちはろくな性教育すらも受けていません。アンバーのカネ稼ぎに使っているあのスペースが実質的なラブホみたいなもので、10代の性はそこで無秩序に発散されています。

一方、同じ同性愛者と言えども、エディとアンバーでは少し状況は違います。

エディは軍人の父に育てられ、それはまさしく軍という保守性の傘下にあり、自分も軍人にならなければという圧力を感じています。男らしさの抑圧が平然と存在し、エディはその中で認められれば、自分も自信に溢れた一人前の「男」になると信じています。学校では「男なら女とヤるべき」という同調圧力が強く、そのノリにもまたクタクタになっています。

対するアンバーはレズビアンである前に、男子からの消費的な目線にかなりうんざりしており、同時に自分はそんな性でカネを稼がないとこの場所から抜け出せもしないという悩みもある。とてもジレンマに挟まれた立場です。

要するに2人とも相当に恋愛伴侶規範や性愛至上主義に滅入っています

そのうえで2人は“偽装”カップルとして一時的な解放感を得ます。表向きはカップルなので、これで多少の世間の戯言から回避できますし、何より異性愛的な関係を持つことを当然とする視線を互いに持っていないので、安心感が全然違う。そんな共犯で成立する共存関係です。

この2人の親密さを深めていく描写がまたチャーミングで、ダブリン旅行のパートも本当に楽しそうです。本作はゲイ・ムービーということになっていますが、クィアプラトニック・リレーションシップな映画としてもピタリとハマる作品なんじゃないでしょうか。

最終的にはアンバーがエディにおカネを渡し、エディは電車に乗り込み、軍人ではない別の人生へと踏み出します。ドラマの第1話みたいな期待を膨らませるエンディングですね。

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物語構造の問題点

『恋人はアンバー』はウェルメイドな良作なのは間違いないです。しかし、個人的には本作の物語構造の問題点も無視できないかなと思います。

それが「バイセクシュアル・イレイジャー(bi-erasure)」の問題です。

もちろん実際にこうしてやむを得ず世間的に異性カップルとして振るまってきた同性愛者当事者は今も昔も実在するでしょう。その事実や苦悩を否定するものではありません。

ただ、同性愛表象においてこの物語の様式は多用されがちです。「偽りの異性カップル」「真の同性カップル」という、対極的な関係性を表示させることで観客にカタルシスを与える…。これは同性愛当事者が抱えてきた同性カップルへの軽蔑的な目線(「同性同士の愛って本当に愛なんですか?」という反応)に対するカウンターとしてガツンとキマりやすいですから。

けれどもこのカウンター技は強力な反面、反動によるデメリットもあると思います。「誰に惹かれるか」というアトラクション(魅力)ではなく「誰とカップルを作るか」というアクション(行動)に、観客の思考を誘導させてしまいます。結果、異性カップルであればマジョリティで、同性カップルであればマイノリティなのだ…という固定観念にいとも簡単に接続してしまうことになりやすいです。

その反動のせいで一番に割を食うのはバイセクシュアルやパンセクシュアルの当事者です。「バイ/パン」の人たちは異性同士でカップルを作ることもありますが、それだとマジョリティだと受け止められてしまうという事態によく直面します。

これは最近も印象的な出来事があり、『HEARTSTOPPER ハートストッパー』に出演した“キット・コナー”が女性と手を繋いでいる姿を目撃されただけでクィア・ベイティングだと一部で指摘され、やむなく「自分はバイセクシュアルだ」と強制的にカミングアウトしないといけない状況になってしまった事件でも観察されたとおり(PinkNews)。「バイ/パン」当事者には現在進行形で深刻な偏見として蔓延しています。

これらの偏見の背景には、既存のレプリゼンテーションに無自覚に染み込んでいるセクシュアル・マイノリティの同性愛スタンダードの考えに基づき、「異性カップルはマジョリティ」という先入観が周囲に無意識にばらまかれているのもあるのだと推察できます。

『恋人はアンバー』の物語構造の軸になっている「異性カップルになればマジョリティに見えて、抑圧から避けられる」という同性愛者的な視点は、「バイ/パン」当事者とは重ならないどころか、状況を逆撫でするリスクがあることは頭に入れておくべきなのかな、と。

他にも本作には「アセクシュアル・イレイジャー」の問題もなくはないのですが、その説明は長くなるので割愛。

ともあれ『恋人はアンバー』は2020年代のクィアを描く物語のフォーマットとしてはいささか古い気もします。

ひとつの物語で包括性を提示するのは簡単ではありません。そんな要求度の高さを面倒だと思う人もいるでしょう。でもこれを煩わしいと思ってしまったらLGBTQの連帯はそこで終わりです。多様なレプリゼンテーションには多様な批評も必要で、「なんかみんな褒めているし、ここで批判したら水を差すかな…」と消極的になる必要はないんだということ。それこそ社会の抑圧ですからね。

『恋人はアンバー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 86%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0

作品ポスター・画像 (C)Atomic 80 Productions Limited/ Wrong Men North 2020, All rights reserved.

以上、『恋人はアンバー』の感想でした。

Dating Amber (2022) [Japanese Review] 『恋人はアンバー』考察・評価レビュー