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映画『窮鼠はチーズの夢を見る』感想(ネタバレ)…マジョリティはゲイの夢を見る

窮鼠はチーズの夢を見る

マジョリティは自由気ままにゲイの夢を見る…実写映画『窮鼠はチーズの夢を見る』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:窮鼠はチーズの夢を見る
製作国:日本(2020年)
日本公開日:2020年9月11日
監督:行定勲

窮鼠はチーズの夢を見る

窮鼠はチーズの夢を見る

『窮鼠はチーズの夢を見る』あらすじ

優柔不断な性格から不倫を重ねてきた広告代理店勤務の大伴恭一の前に、大学の卒業以来会う機会のなかった後輩・今ヶ瀬渉が現れる。今ヶ瀬は妻から派遣された浮気調査員として、恭一の不倫を証拠とともに把握していた。知られたくない不倫の事実を恭一に淡々と突きつけた今ヶ瀬は、その事実を隠す条件を提示する。それは「カラダと引き換えに」という耳を疑うものだった。恭一は当然のように拒絶するが…。

『窮鼠はチーズの夢を見る』感想(ネタバレなし)

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同性愛映画が目立った2020年

2020年は日本では男性同士の同性愛を描いた映画が目立った印象があります。1月の『his』に始まり、コロナ禍による映画業界の沈黙時期を挟んで、9月には『窮鼠はチーズの夢を見る』『リスタートはただいまのあとで』。また、アニメでも『海辺のエトランゼ』『映画 ギヴン』などが劇場で公開されました。

一方で、その宣伝、メディアでの紹介のされ方、監督や俳優の口から出る言葉、大衆の反応…それら諸々について、不満を抱く当事者やLGBTQコミュニティの人々も多かった1年ではなかったでしょうか。

最も定番の不満。それは「普遍的な愛」や「純愛」というマジカル・ワードによって同性愛が覆い隠されてしまうことです。「この映画は同性愛ではなく、普遍的な愛を描いたもので~」というフレーズはよく目にします。

悪気はないのでしょう。どんな言葉を使うべきかと考えあぐねた結果かもしれません。ポジティブに映画を表現しようと思ってのことかもしれません。物語の本質的な愛について強調したかったゆえということもあると思います。

正直に告白すれば、私も昔は同性愛を扱った映画を他人に薦めるとき、そういう言葉を添え物のようについつい活用してしまったこともあります。便利です。パっと出てしまいやすいです。無意識に…。

しかし、その無自覚さこそ問われないといけない部分です。当事者ならともかく、マジョリティの人がそんなふうに同性愛を扱っていいのか、と。差別をしてきた加害の歴史を踏まえることなく、そんな都合よくウケのいいものとして綺麗に包装してよかったのか、と。

まだまだ日本は同性愛を映像作品で扱うにはさまざまな面において欠けているものがあります。製作陣にも観客にも…。

ということで今回は『窮鼠はチーズの夢を見る』を題材に、日本の映画業界における「マジョリティがゲイを描く」ということのアレコレを私なりに考えようと思います。

まず手始めに『窮鼠はチーズの夢を見る』について紹介。本作は“水城せとな”による漫画作品が原作。2004年から発表され、不定期掲載ながらも人気を集め、BL作品の代表作となったそうです。なお、原作者の方は自ら異性愛者であると述べており、また「BLは“萌え”を求める女性に向けて作られたファンタジーであり、この作品はBLを描いたつもりはなく、同性愛者の方が出てくる話を描きました」とも語っています。ただ、世間的にはBL漫画としてカテゴリされていることが多いようです。

映画の公式サイトでは原作について「人を好きになることの喜びや痛みをどこまでも純粋に描き、圧倒的な共感を呼ぶ心理描写で、多くの女性から支持を得た」と紹介しており、「同性愛」も「ゲイ」も、「BL」の単語すらもひとつもないけど…。

その話題の原作がついに映画化されるとあって、それを誰が手がけるのか注目されます。その大役を担うのが“行定勲”監督。数多くの愛を描いてきたベテランであり、その実力は証明済み。2020年は『劇場』という監督作をコロナ禍の中で劇場公開とネット配信を同時展開するという英断を決行しました(ネット配信に浮気した扱いで『劇場』は国内映画賞にスルーされてしまってさすがに可哀想でしたね…)。

俳優陣は、アイドルグループ「関ジャニ∞」の“大倉忠義”が主演を務め、ファンにとっても見逃せないキャリアに。そして『愛がなんだ』『さよならくちびる』『弥生、三月 君を愛した30年』と映画に出るたびにその才能に惚れ惚れすることになる“成田凌”。『窮鼠はチーズの夢を見る』も“成田凌”の独壇場のようなもので、実質“成田凌”ムービーだった…。

他には『チワワちゃん』の“吉田志織”、ミュージシャンとしても活動する“さとうほなみ”など。ただ、あくまでサイドのキャラクターであり、基本的には“大倉忠義”と“成田凌”の濃厚な関係性をずっと観ることになる作品ですけど…。

脚本は『真夜中の五分前』『ジムノペディに乱れる』『ナラタージュ』など“行定勲”監督作ではいつも一緒に仕事をしている“堀泉杏”

なお、映像自体は“行定勲”監督なだけあってセクシャルなシーンが非常に多いのも特徴なので、同性愛とか関係なしに(というか作中では同性愛・異性愛双方の濡れ場シーンがある)、そういう性描写が根本的に苦手な人には薦めづらいですが…。

『窮鼠はチーズの夢を見る』の興収は5億円くらいだったらしいですが、もうちょっといってほしかったですね(私が公開日に観に行ったときは結構観客が入っていたのだけど)。2004年の監督作『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットでしたが、同性愛映画がそれと並べたらいいなと…。

後半の感想では「マジョリティがゲイを描く」ということについてもっと掘り下げていっています。

作品を観れます!

オススメ度のチェック

ひとり3.5:気になる人はぜひ
友人3.5:俳優ファン同士でも
恋人3.5:それぞれの愛の考えを語り合って
キッズ1.0:直接的な性描写が非常に多い
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『窮鼠はチーズの夢を見る』予告動画

9月11日(金)公開/映画『窮鼠はチーズの夢を見る』90秒予告
↓ここからネタバレが含まれます↓

『窮鼠はチーズの夢を見る』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):本当に好きだったと言えずに

サラリーマンの大伴恭一は、結婚記念日をどうするかという悩みを抱える会社の常務にさらりとアドバイスし、「なんでわかるの?すげえな」と感心されています。

そんな雑談をしつつ、会社のロビーに着くと男がひとり。「おお、久しぶり」と大伴。その男は無言でこちらを見ます。彼は大学時代の後輩・今ヶ瀬渉です。

2人きりになった後、何かの資料っぽいものを渡してくる今ヶ瀬。それは調査報告書。そこには大伴が不倫しているという証拠が写真とともに整理されています。「どういうこと?」

今ヶ瀬は今は探偵として働いているらしく、「調査対象者が大伴先輩だったから僕も驚きました」と告げます。「どうにか誤魔化してもらえないかな」と大伴は懇願し、とりあえず高級寿司をおごることに。

その店で「大学の頃から先輩はああいう女の人がタイプでしたよね。可愛くてしたたかで、でもいかにも女らしい子」「なんで結婚しようと思ったのですか」「なんでだろう」「そんなことだとお前は結婚できないぞ」「別にしなきゃいけないものじゃないでしょ」…などと会話が続きます。バカだったと反省する大伴は「今ヶ瀬も男なら気持ちがわかるだろう」と同情を期待しますが、こっちをじっと見つめてくるだけでした。

店を出て「ごちそうさまでした」と言ってくる今ヶ瀬でしたが、これだけではまだ黙ってはくれないようで…。

2人は暗い部屋で接近。「キスだけだと言っただろ」…今ヶ瀬が顔を近づけると、思わず拒否する大伴。

「ごめん、やっぱり無理」「お前、俺のこと好きなの?」「好きですよ」 

強引にキスしてくる今ヶ瀬。舌を入れてくるのを拒絶するも、それでも続けられ…。

翌日の家。大伴は妻・知佳子の作った食事を黙々と食べています。どこか窺うような目線を向けつつ、「どこか食事いこう」と切り出します。

それでも大伴は浮気相手と関係を続けていました。セックスして外に出ると、そこには今ヶ瀬。「浮気調査を続行してほしいと言われました」と宣告されるも、大伴はどうも別れを切り出せません。「俺、別れ方って大切だと思うけど」と往生際が悪いです。

結局、またキスされる身に。黙って耐える大伴。今ヶ瀬は遠慮なく大伴のベルトを外し、下を脱がせ、アソコをくわえ…。

帰宅する大伴。妻はシャワーを浴びており、不意を突かれたようでびっくりした反応です。

妻と約束していた食事をすると急に泣き出す妻。「私と別れてください」「勝手でごめんね」…そう言って女性関係を調べてもらっていたこと、何にも証拠が出なかったこと、自分は1年以上お付き合いしている人がいると告白してきます。「非の打ち所がない旦那様だったんだね」

こうして大伴は離婚しました。その後も引っ越し先の大伴の独身アパートにやってくる今ヶ瀬。「僕と付き合いますか」「なんで男と付き合わないといけないんだよ」

独り身となった恭一の部屋に今ヶ瀬は入り浸ります。一方で大伴はまだあの不倫相手と体を交えており、その関係も今ヶ瀬にバレて「緩い奴」と言われる始末。それでもしだいに今ヶ瀬を受け入れるようになり…。

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マジョリティがゲイを描くと起きる問題

同性愛(ゲイ)を描いた作品は大きく分けて2種類あり、それは「当事者がゲイを描くもの」「マジョリティがゲイを描くもの」です。実際はそんな単純に2分類できるものでもないですが、この視点は大切です。BLかどうかよりもその論点の方が重要でしょう。『窮鼠はチーズの夢を見る』は無論、後者です。

ここでいうマジョリティとは「ゲイではない人=異性愛者(ヘテロセクシュアル/ストレート)」という意味ではありません。「LGBTQ表象の問題に無頓着でも平気な人(経済的にも健康的にも精神的にも何らダメージを受けない人)」という意味です。要するに無自覚な特権を有しているということですね。

もちろんマジョリティの人がゲイを描いてはいけないと言っているわけではないです。『窮鼠はチーズの夢を見る』の原作者であろうと監督であろうと俳優であろうと、それなりのクリエイティブな自信を持って作品を世に送り出しています。それは重々承知しています。ただ、一定の注意がどうしたって必要になるよという話。

ありがちなのは、「私は同性愛を普遍的な愛として描ける!」という謎の自信に満ち溢れているケース。でもそれができるのはハッキリ言って同性愛当事者だけでしょう。美化とかリアルとかをマジョリティが饒舌に語れる立場にはないはず。

とくにマジョリティがゲイを描くときに起きがちなのは、ゲイの消費という原作が持っていたコンテンツのマイナス面がさらに増長されてしまう事態です。映画化されると、そこに俳優が加わり、ときに多額の予算で宣伝も加わりますから、消費性がぐんと増してしまうんですね。こうなってしまうとエンパワーメントとは真逆で「なんだか利用されただけだな…」と感じる当事者も当然発生します。

さらにマジョリティなクリエイターが自分の創作信念に夢中になりすぎたり、プライドにこだわったりすると、視野狭窄を引き起こし、表象に有害性が混じっても気づかなくなります

『窮鼠はチーズの夢を見る』の物語内でも問題点は見られたと思います。

例えば、本作では今ヶ瀬渉を筆頭に、作中で登場したゲイバーとかでもそうなのですが、ゲイ当事者はみんな肉体関係にしか興味ないような、やたらとセックスに飢えた奴として画一的に描かれます。当時者の監督と俳優で製作された『ボーイズ・イン・ザ・バンド』で観られる多様なゲイの姿とは180度違います。『窮鼠はチーズの夢を見る』はもうマジョリティが抱きがちなコテコテのステレオタイプなゲイ表象です。

また、作中では女性キャラクターは基本的に大伴恭一と今ヶ瀬渉という男性カップルを邪魔する存在としてしか登場しません。とくに夏生の描写は酷く、ホモフォビア全開なのですが、それをわざわざ「女性的なやり方」と作中で論じさせるなど、ミソジニー的ですらあります。別にこんなシーン、主軸のストーリーと関係ないのに。

こういう安直な「女性を敵とする」構図はなぜ問題かと言えば、現実のゲイ・コミュニティの間にも女性憎悪が問題視されており、それを煽りかねないからです。同性愛差別の責任は社会にあるのにそれを「女性」にすり替えるのは違うでしょう。

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どんなに名監督でも苦手なものはある

『窮鼠はチーズの夢を見る』は映画自体が下手なわけではありませんし、そこはあのベテランの“行定勲”監督ですから、全体のクオリティはとても高いです。でもそういう問題でもないんですよね。

そもそも名監督なら分野外のテーマでも意外とこなせたりします。クリント・イーストウッド監督がフェミニズムを上手く扱うこともあるし、マーティン・スコセッシ監督が時代劇を上質に生み出すこともある。これはやはり経験値があるからこそのプロの技。

一方でどんな名監督でもダメなものはダメになるウィーク・ポイントもあります。とくに弱点が出やすいのは「恋愛」と「LGBTQ」だと思います。

あのスピルバーグでさえ『カラーパープル』はイマイチな結果に終わっています。それは彼が恋愛描写がそもそも苦手だし、それに加えてレズビアンかつアフリカ系歴史文化という門外漢なテーマに手を出したからで、墓穴を掘るのも当然。

“行定勲”監督は恋愛をテーマに扱うのはスピルバーグの何十倍も上手いですが、LGBTQは苦手だろうなと。本人はこれまでどおりのアプローチでいけると涼しい顔かもしれませんが、自分が異性愛の偏った世界にしかいなかったのは結構なハンデです。問題は自覚しづらいことであり、これ見よがしに劇中で今ヶ瀬が観るジャン・コクトーの名画『オルフェ』を挿入してゲイ映画史アピールしてもあんまり意味はなく…。

最近のハリウッドはこの問題を「連帯」でクリアするのが定番です。なるべく多様なクリエイターに映画製作に参加してもらい、多様な意見を反映し、ひとつのかたちに凝縮する。これで無自覚に偏った作品になるのを回避する。

ただ、日本映画業界特有の問題なのですが、日本ではいまだに同じ監督に同じジャンルの作品を作らせ続けるのが業界の日常であり、全然世代交代も新規監督の育成も進まないんですよね。年功序列も激しく、予算の少なさから多くのクリエイターを関与させたがりません。もちろん業界の差別意識も強いです。

だから監督のワンマンプレーに終始しがち…。

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こうなってほしいという提案

じゃあ、どうすればいいのか。私の意見としてはとりあえず学ぶしかないと思います。

監督含む製作陣、そして俳優も合わせて、しっかり勉強会をすべきです。ゲイならゲイ、その歴史・誤解・現状の差別…それらを網羅的に知ることがスタート地点です。

間違っても「ゲイの友人がいるので」なんてもので済ましてはいけません。役者にとって人間観察が大事なのはわかるけれども、友人は友人です。そもそも当事者でもLGBTQの映像表象の問題なんて素人でさっぱりな人がほとんどですから。観察してマネても良い演技はできるでしょうけど、倫理的にアウトな言動はとってしまうでしょう。実際、本作の俳優も「う~ん、ちょっとこれは…」な発言をしていますからね。

理想は専門家によるアドバイスを脚本&撮影などの製作段階で受けること。こういうのはハリウッドでも普通に行われています。

そんなことをしたら表現の自由が…とか言い出す人もいるのですが、科学考証や歴史考証は一般的でしょう。それと同じ。LGBTQ表象の専門家のアドバイスは作品にケチをつけるものではなく、作品をより面白くさせる材料になります。誤解を与えないように補助線をひいたり、不要な別の差別を煽らないように緩衝材を設置したり、さらには驚きを与えるトリックを考えたり…ときには作品の宣伝方法も案を出せるでしょう。

私も前から思っているのですが、たぶん日本の映画業界も昨今の世界的なLGBTQの高まりについていけておらず、現場も内心は探り探りなんじゃないか、と。だったら素直に専門家に頼ってほしいですよね。

『セルロイド・クローゼット』(1995年)というハリウッドにおけるLGBTQの描写の歴史をまとめたドキュメンタリーがあります。今の日本のLGBTQ映画の立ち位置はアメリカの1990年代くらいに相当するんじゃないかなというのが私の考えです。つまり、問題点を整理する時期に到達したのです。だからあれこれと当事者が声を上げるのはいいことですし、作り手もそれを吸収しないと…。

私は同性愛者ではありません。ではなぜこうも気にするのか。それは私は「アセクシュアル/アロマンティック」であり、その点でも無視できないからです。同性愛当事者にとって100点満点の同性愛映画があったとしても、他のセクシュアル・マイノリティを踏みにじってしまうこともあります。だからやっぱり専門家が要るのです。

そして、ゲイを題材にした映画でキャリアという利益を得た監督や俳優の皆さんは、現実社会で同性愛結婚の実現のために必死に活動しているような人たちに対して、支持の表明と支援をしてあげてください。勝手に他人の夢を貪るんじゃなく、一緒に夢を叶えましょう。

映画は現実と共鳴しないと、ほんと、ただの緩い奴になりますから。

『窮鼠はチーズの夢を見る』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
4.0

作品ポスター・画像 (C)水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会

以上、『窮鼠はチーズの夢を見る』の感想でした。