続編でもアナ雪はありのままで…映画『アナと雪の女王2』(アナ雪2)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2019年11月22日
監督:クリス・バック、ジェニファー・リー
恋愛描写
アナと雪の女王2
あなとゆきのじょうおうつー
『アナと雪の女王2』あらすじ
雪と氷に覆われたアレンデール王国に陽光を取り戻し、深い絆で結ばれた姉エルサと妹アナ。氷や雪を操る魔法の力を持つ“ありのままの自分”を受け入れたエルサと、明るいキャラクターが持ち前のアナは、仲間たちに囲まれて幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、エルサにしか聞こえない不思議な歌声により、姉妹は未知の世界へと導かれる。
『アナと雪の女王2』感想(ネタバレなし)
アナ雪を今こそ語ろう
2013年にディズニーが贈りだしたアニメーション映画『アナと雪の女王』。通称「アナ雪」。
その作品が与えたインパクトは凄まじく、なんかあまりにも言い尽くせないのでタイトルだけが独り歩きしている感じもありますが、本当にとんでもないマジカルでした。アニメーション映画史上歴代1位の興行収入(超実写版『ライオン・キング』を含めると2位になるのですが)は、2000年から2010年にかけて失速していたディズニー・アニメーションの完全復活を示すにふさわしい記録でしたし、楽曲の大ヒットは日本でもご存知のとおり。ただ、それ以上にその当時は革新的とも言えるストーリーの大胆さ、何よりも力強さが新しいレガシーになったのが大きかったのかもしれません。
そんな『アナと雪の女王』が5年越しに続編が公開されました。それが本作『アナと雪の女王2』です。
プリンセス系の作品の続編が劇場公開されるのはディズニー史上初の試みであり、でもこの作品ならその大役を先陣するのも当然な気がしてきます。
その来る第2作の感想に入る前に、やっぱり1作目の私なりの評価を整理しておこうかな、と。『アナと雪の女王』に関してはあらゆる立場の人からの多角的な論評が世間には溢れていますから、そちらの方がはるかに含蓄のある分析を期待できると思います。ここから先はあくまで私個人の勝手気ままな感想です。あ、多少のネタバレありですよ。
1作目『アナと雪の女王』はエルサという雪の能力を得た女王を中心に、大きく2つのレイヤーが物語に内在していたと私は考えています。
ひとつは「マイノリティ」の側面。
もともと企画段階では悪役として設定されていたエルサが、その溢れ出る「ありのままの生き方」を歌い示すことで、クリエイターさえもそのキャラクターの認識を変えるに至る。現実さえも浸透するそのパワー。「これは同性愛を誇る作品だ」とか、観客がそれぞれの自身のマイノリティ性を鼓舞されて思わずアイコン化するのも頷ける。実はマイノリティ性を持つヒロインが解放されていく話なら、前作の『塔の上のラプンツェル』も同じだったのですが、『アナと雪の女王』は「歌」の力が偉大でしたね。
ただこの側面だけを注目していれば、前半山場である、エルサが長く籠っていた城を出て「Let It Go」の曲を歌いあげながら氷の城を自らの力で築き上げる名シーン。あそこで物語が終わっても良かったはずです。自分らしさを取り戻しました、めでたしめでたし…で。
でもそうはいかないのが、2つ目のレイヤーの存在。「権力者」の側面です。
これまでディズニーのプリンセス系作品では、王族を散々描いておきながら、その権力者としての在り方の描写は実にいい加減でした。それこそ舞踏会を開いたり、パレードしたり、庶民の暮らしなんて知ってか知らずかなんとも豪華絢爛な振る舞い。そのへんの社会的リアルは不問だったんですね。『アナと雪の女王』のエルサは女王なので当然国を統治する責任を持った権力者です。氷の城を作ってそこで“氷を見る会”でも開催して毎晩自己満足の宴会でもやってもいいのですが、それは権力者として失格。ましてや民が凍え死んで全滅する可能性すらあるわけです。そこでエルサは、自分の能力への劣等感を克服し、かつ統治者としての責任にも目覚めるというのがこの作品の大団円でした。
またこの2つのレイヤーに対する解答を提示するべく引っ張ってくれる存在が、従来のディズニープリンセスならば「男(主に王子)」の役割でした。それをエルサの妹のアナ、つまり「シスターフッド」(文字どおり姉妹愛であり、女性同士の連帯でもある)に任せるというのは、ディズニー映画史の常識を根底から変えました。女性の自立の物語なら過去作の『プリンセスと魔法のキス』も攻めていたのですが、『アナと雪の女王』は完全に突破。以後に公開された『モアナと伝説の海』なんてヒロインが男性をリードするようになりましたから。その功績は計り知れないでしょう。
そんなこんなで当時はあまりに限界突破な一作だった『アナと雪の女王』なのですが、5年経って振り返るともう古さも見えてくる…。まあ、それだけこの5年で世界の認識がバージョンアップしたということなんですけどね(してない人も頑なにいるけど…)。
だからこそ『アナと雪の女王2』を作る価値がある…ということなのでしょう。
監督も前作と同じ“クリス・バック”と“ジェニファー・リー”が続投。1作目の製作陣が「今」の時代に何を物語で語るのか。そういう視点で楽しんでみるのもいかがでしょうか。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(ディズニー好きなら必見) |
友人 | ◯(好きそうな友達と一緒に) |
恋人 | ◎(大切な思い出に) |
キッズ | ◎(いつもどおり楽しい) |
『アナと雪の女王2』感想(ネタバレあり)
王国を飛び出し、探求の旅へ
『アナと雪の女王2』の物語は、まだエルサとアナの姉妹が子どもだった頃、健在の両親の愛情を受けながら平穏な日々を過ごしていたある日の夜、父アグナルが語ってくれた過去の話から始まります。
昔、ノースルドラ族という精霊の力を使いこなす種族がいました。火、水、風、土…この4つの力を駆使することで、森の中でも独自の文化を持ちながら暮らしていました。アグナルがまだ少年だった頃、アグナルの父(エルサとアナの祖父)が統治するアレンデール王国は、このノースルドラ族と友好を築き、その証としてダムを建造します。
しかし、その両者の融和を祝ってみんなが集まって楽しんでいた晩。問題が起きました。突如、ノースルドラ族が襲いかかり、あたりは騒然。アグナル少年だけが誰かに助けてもらい、なんとか国に逃げかえり、国王になったのでした。あの森は霧に覆われ、人を寄せ付けなくなったのだとか。アグナルの妻にして、母イドゥナの子守歌で眠りにつくエルサとアナ。
それから幾年も経ち、困難を乗り越え、氷結した姉妹愛を復活させて見事に女王としてアレンデール王国をまとめていたエルサは不思議な声を聞きます。それは自分にしか聞こえない歌声のようなもの。アナや、そのアナにプロポーズしようと必死になるクリストフ、クリストフの良き友人であるトナカイのスヴェン、動く雪だるまオラフ。みんなと一緒に他愛もなく遊ぶ間にも歌声は聞こえ、しかし、それを相談はできません。
そうこうしているうちにアレンデール王国の街に異変が発生。火が消え、水が無くなり、強風が吹き荒れ、大地がうねり、住人たちは高台となる山へ避難せざるを得ないことに。
そして、エルサはこの謎の歌声の正体を突き止めなくてはいけないという使命感を抱き、アナ、クリストフ、スヴェン、オラフとともに旅に出るのでした。
かつてノースルドラ族がいたと父に聞かされた森にたどりついた一同。霧に誘われるように入ると、戻れなくなり、しかも精霊の力が襲いかかってきます。加えてノースルドラ族とアレンデール王国の警備隊に板挟みになるようなかたちに。なんと両者はあの一件以来、ずっとこの森から出られず、対立し続けていたようです。
火の精霊と風の精霊と仲良くなり、いがみあう人間両者に事情を説明し、両親が水難事故で帰らぬ人となった船を発見。そこで自分たちが知らない両親の秘密を知ります。昔、少年だった父を助けたのはノースルドラ族の母だったのです。つまり、自分たちは睨み合う両陣営をつなぐ子どもでもありました。
エルサはさらなる秘密を求めて、ダーク・シーの向こうにある全ての過去を知ることのできる場所へ単独で向かいます。そのためには荒れ狂う海を乗り越えなくてはいけません。一方、アナは危険だからとエルサに氷の力で追いやられてしまい、オラフと一緒に土の精霊アースジャイアントが蠢く一帯に迷い込んでしまいます。
馬の形をした水の精霊を乗りこなすことで大波を突破して、海を駆け抜けることに成功したエルサは、ついに自分が能力を授かった意味を知ります。そして、アナもまた自分の祖父が無防備なノースルドラ族の長を先に攻撃し、騒乱を引き起こした原因だと知り、森を阻害するあのダムを破壊しようと決断。
それぞれの運命が動き出し…。
二人でひとつのエルサとアナ
『アナと雪の女王2』は非常に続編らしい続編で、各キャラクターをさらに掘り下げ、物語を1作目のゴールのさらにその先へと向かわせて、新しいゴールに到達させる…そういう果たすべき役割を果たした映画でした。いわゆる最近だと『トイ・ストーリー4』のような、既存の積み重ねをひっくり返すようなカウンターは用意しておらず、多くのファンが求めているオーソドックスな発展形を見せてくれたと思います。
各登場人物ごとに見ていくと、まずはエルサ。
前作で自分の能力への劣等感を克服し、かつ統治者としての責任にも目覚めたエルサ。続編となる本作では、そんな彼女の能力に焦点をあてて「なぜエルサは能力を手にしたのか」という疑問に答える物語になっています(なんでも監督がよく聞かれることの多い質問だったとか)。結論から言えばエルサは第5の精霊であり、人と精霊を繋ぐ架け橋を担う存在として、アレンデール王国の女王の座をアナに譲り、自らはその架け橋としての役目を全うすることになります。
これは前作以上に「自分らしさ」を強化した物語であり、既存の権力者の枠にハマることもない、より自由で自分にふさわしいエルサの運命の当然の帰着。「Into The Unknown」という曲を高らかに歌い上げるエルサは1作目の「Let It Go」を超える解放感があったのではないでしょうか。というか、前作の「Let It Go」を歌っている自分が若干の黒歴史扱いになっているのはちょっと笑いましたけど。まあ、確かに自分で自分のアレを見るのは嫌だよね…。
本作はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「雪の女王」が原作です(大幅に改変していますけど)。作中でアグナル少年がデンマークの作家の本を読んでいるという描写もありましたね。この童話はソ連が1957年に長編アニメーション映画化もしており、日本のアニメにも多大な影響を与えました。この童話や過去のアニメでは雪の女王は冷酷というのは言い過ぎですけど、いかにも女王様的な感情軽薄なキャラクターでした。しかし、『アナと雪の女王』の革新はその雪の女王(エルサ)に非常に人間的な感情を与えたことです。2作目である本作はその感情表現が映像技術の進化も合わさってさらにパワーアップしており、CGキャラは感情が…なんてことはもう言えない次元の高さを感じました。
対するエルサの妹であるアナ。
アナはずっと言うなれば「エルサLOVE」な状態であり、何をするにもエルサ、エルサ、エルサの、完全な傾倒を見せているキャラクターでした。しかし、2作目である本作では、アナはエルサなしでの自立性を示す物語になっています。その結果が、ダム破壊の勇断(プラス家臣たちへの決断力の強さを見せるシーン)、そしてアナ自身が女王となるエンディングへと結びつきます。確かに政治家としての手腕はアナの方が上だと思う…。
もちろん脱エルサと言っても姉妹愛が消えたわけではなく、むしろ一層強まりました。それは距離を超えても変わりません(ちょっと『シュガー・ラッシュ オンライン』のオチに似た感じもありますね)。
別に特殊な能力があるから女王になれるわけではなく、その心の力を示すことで女王になれることを身をもって証明したアナ。
こうやって振り返ると別にひとりのキャラクターが全ての象徴になる必要なんてないんだなと思います。エルサとアナの二人でひとつが完成する。こういう姿の方がむしろ現実的で自然というか。あらためてシスターフッドの尊さを感じる一作です。
男性だってエンパワーメント
前作は「女性のエンパワーメント」が全面に出ていたわけですが、『アナと雪の女王2』はその要素は薄い方だと思います。その理由はわかります。今さらですから。もうそんなことはわかっているよね?という常識を再確認するまでもなく。
では本作で光っていたのは何か? 私は案外と「男性のエンパワーメント」なんじゃないかと思います。
それを象徴するのがクリストフの存在です。
前回は女性陣の強さ全開だったゆえにイマイチ出番も少なめだったクリストフ。今作もそうなのかなと思っていたら、確かにストーリー展開における活躍は少ないですけど、存在感は前作とは比べ物にならないほど輝いていました。
クリストフはまさに今の時代に男性が問われている「男らしさにとらわれない男性」を示すような存在感で、今作でも「旅に出たアナを待つという受け身」の姿を見せ、もはや従来のディズニーヒロインなんじゃないかと思うほど。それでいてアナが最大のピンチに陥った時は颯爽と現れて助ける。その時のセリフ「どうしたらいい?」の一言がいいですね。上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーンです。
そして本作随一の迷シーン。クリストフの歌唱パート。前作にはなかったもので、一部で待望されていましたが、まさかの1980年代パワーバラード演出。クイーンの「ボヘミアンラプソディ」のミュージックビデオ風な表現も堂々とぶっこみ、もうフリーダム。ディズニーさん、最近の音楽センスが凄い。なんか会社のイメージを気にしていない感じがとくに。
何度もプロポーズが妨害されるシーンは『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』を彷彿とさせますね。
本作のクリストフを見ていると、今のディズニーアニメーション作品は男性キャラクターも従来と比べてはるかに開放的になったなと思います。やっぱり女性だけでなく、男性も「王子様」という鎖に縛られていましたから。そうである必要はないという解放によって、男性の描写も多様性が増す。世の中にはいまだに「男vs女」の軸でしか見られない人もしつこくいますが、ジェンダーダイバーシティは女も男も解き放つものだと実感させられる一作でもありました。
これはひょっとすると将来、男性のプリンセスを描く作品もディズニーは作ってくれるんじゃないか。そんな気にさせられます。
手描きアニメを受け継ぐ映像表現
キャラクター絡みのストーリーの話ばかりをしてしまいましたけど、映像技術も素晴らしく、とくにエフェクトの描き方が印象的です。『アナと雪の女王2』には、エルサの雪や氷の他に、風・火・水など自然的な流体表現が多用されています。
これらは精巧な物理演算ができるCGソフトウェアを使えば、私たちの見ている現実とそっくりそのままな動きを作れます。でも本作ではそれをしていません。あくまで手描きアニメーションの独自な動きをCGで表現しています。
ディズニーはCG映画にアニメーション・スタジオの主眼を置いてから、かつての手描きアニメーターは用済みになったと思われがちですが、実は結構現役でいまだに働いている人もいるそうです。何をしているかというと、CGクリエイターに手描きアニメーションのテクニックを教えているのだとか。
つまり、ディズニー誕生の頃から脈々と続く、手描きアニメーションの真髄がこの2019年の最新作にも詰まっているのです。
流体表現だけでなく、エルサの覚醒時のホワイトな衣装もさりげなく凄い技術の塊ですよね。薄い布を何重にも重ねているし、加えて水の馬に乗っているので、透明な処理も追加される。ほんと、どうやって作っているんだろう…。
時代を反映した新しいストーリー&キャラクターと、古くから続く確かなアニメーション・テクニック。それらを融合させることができる歴史ある最大級のアニメーション・スタジオが、誰であろうこのディズニーなんだと思いださせてくれますね。
時代、技術、歴史…あらゆる結晶の集合体である『アナと雪の女王2』。原題は「Frozen」ですけど、ディズニーの真価の氷結ですね。まさしくディズニーにしか作れない映画でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 77% Audience 95%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
関連作品紹介
ディズニープリンセス作品の感想記事の一覧です。
・『プリンセスと魔法のキス』
・『塔の上のラプンツェル / ラプンツェル ザ・シリーズ』
・『モアナと伝説の海』
・『ラーヤと龍の王国』
作品ポスター・画像 (C)2019 Disney. All Rights Reserved.
以上、『アナと雪の女王2』の感想でした。
Frozen 2 (2019) [Japanese Review] 『アナと雪の女王2』考察・評価レビュー