ディズニーが描く男女の役割の変化に注目…映画『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェルのウェディング』『ラプンツェル あたらしい冒険』『ラプンツェル ザ・シリーズ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2010年)
日本公開日:2011年3月12日
監督:バイロン・ハワード、ネイサン・グレノ
恋愛描写
製作国:アメリカ(2017~2020年)
シーズン1:2017年に配信
シーズン2:2018年に配信
シーズン3:2019年に配信
監督:トム・カーフィールド、ステファン・サンドオーヴァル
塔の上のラプンツェル / ラプンツェル ザ・シリーズ
とうのうえのらぷんつぇる
『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェル ザ・シリーズ』あらすじ
ある王国の森の奥深くにそびえる高い塔に、ラプンツェルという少女が暮らしていた。特別な魔法の髪をもつラプンツェルは18年間、育ての親であるマザー・ゴーテルから、危険であるという理由で塔の外に出ることを禁じられていた。それでも彼女は、自分の誕生日の夜に遠くの空に現れる無数の灯りを不思議に思い、外の世界への憧れを膨らませていく。
『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェル ザ・シリーズ』感想(ネタバレなし)
『塔の上のラプンツェル』は序章に過ぎない
ディズニープリンセスの話題はどこまでも長く長く伸びていく…そう、ラプンツェルの髪のように…。
『プリンセスと魔法のキス』の感想にて、2009年のこの作品以降、ディズニーはまたもプリンセス・ストーリーを量産するようになり、『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』『モアナと伝説の海』と活気に溢れていった…いわば「新世代プリンセス」である…という話をしました。
そもそもディズニー初期の、それこそ『白雪姫』(1937年)に始まって『シンデレラ』『眠れる森の美女』と続く「クラシック・プリンセス」は今振り返ればかなり画一的な存在でした。プリンセスである以外にキャラクター性がほぼなく、与えられた物語の役割を果たすだけです。
それが1989年の『リトル・マーメイド』から始まるディズニーの第2の黄金期を象徴する「第2世代プリンセス」は実に個性的となります。ただ、依然として男性主人公のロマンス相手としての役割を基本的には担っており、受け身であることが目立ちます。しかし、「第2世代プリンセス」最後を飾る『ムーラン』はその固定観念を抜け出す一歩を踏み出した…ように見えました(ムーランは厳密には物語上ではなんらプリンセスではないのだけど)。
そして「新世代プリンセス」の初陣となる『プリンセスと魔法のキス』のティアナはこれまでのプリンセス・ストーリーのお約束をあえて風刺し、もうその同じ道は辿りませんよ…と宣言した一作だったと思います。
ではその意気揚々とした船出はどうなったのか。その「新世代プリンセス」の真骨頂が見えるのが本作『塔の上のラプンツェル』とその関連作品です。
本作は映画が2010年に公開され、ディズニープリンセス初のフルCG映画としても話題を集めました(ちなみに日本の公開日は2011年3月12日で前日に東日本大震災が起こるというなんとも不運な境遇に…)。
ただ、『塔の上のラプンツェル』単体だけで「新世代プリンセス」としてどうなのかを語るわけにはいきません。なぜなら、『塔の上のラプンツェル』の物語はこの映画で終わりではないのです。実はその後も劇場公開映画ではないかたちで物語の続きが続編として描かれています。
まず2012年に『ラプンツェルのウェディング』というCGの短編アニメが作られています。そしてその後の2017年に『ラプンツェル あたらしい冒険』というタイトルで今度はディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーとして作品が生まれました。その『ラプンツェル あたらしい冒険』が始まりの第1章になり、すぐに『ラプンツェル ザ・シリーズ』というアニメシリーズが開始されます。
これらをスピンオフとしてのオマケみたいに思っている人も多いかもしれません。でもそれは大間違いです。『ラプンツェル あたらしい冒険』と『ラプンツェル ザ・シリーズ』の一連のニュー・ストーリーは『塔の上のラプンツェル』と『ラプンツェルのウェディング』の間を描くものであり、あのラプンツェルたちが大きな成長を遂げていきます。そういう意味ではむしろこっちがメインであり、『塔の上のラプンツェル』は序章に過ぎないと言ってもいいでしょう。
作りも本格的で、『ラプンツェル あたらしい冒険』と『ラプンツェル ザ・シリーズ』で描かれる新章はCGではなくデフォルメされた2Dのアニメーションなのですが、そこはさすがのディズニー、とても高品質です。ちゃんと“アラン・メンケン”など大物も関わっていることもあり、ミュージカル・アニメとしても映画と遜色なく魅力的に映し出されています。
昔、ディズニーはクラシック作品の続編をビデオで連発していた評価の低い時代がありましたが、あれとは全然違って真正面で向き合ってこの『塔の上のラプンツェル』の世界観を拡張させようという本気が伝わってきます。
そしてこの全体のシリーズを観ることで、『塔の上のラプンツェル』は「新世代プリンセス」を定義づけるのにとてもわかりやすいベースになる作品だと認識できる気がします。具体的にはそれまでの女性キャラクター(プリンセス)と男性キャラクター(プリンス)の役割、もっと言えばジェンダーロールをハッキリと見直していっているのがわかります。
ということで後半の感想ではそのポイントに絞って私なりに語っています。
『塔の上のラプンツェル』関連作品群は「Disney+(ディズニープラス)」で扱われています。大人でも気分転換にはちょうど良いアニメーション作品なのでぜひどうぞ。
オススメ度のチェック
ひとり | :その後の物語が気になるなら |
友人 | :ディズニーが好きなら |
恋人 | :ディズニー好き同士で |
キッズ | :子どもは大満足のエンタメ |
『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェル ザ・シリーズ』予告動画
↓『ラプンツェル ザ・シリーズ』の第1話(公式配信)
『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェル ザ・シリーズ』感想(ネタバレあり)
ラプンツェルはさらなる外へ
「これは俺の人生が終わった日の物語…」
フリン・ライダーという自称で華麗な泥棒生活を送っていたユージーン・フィッツハーバートは、コロナ王国の城からティアラを盗みだし、上機嫌でした。仲間を気楽に裏切り、追っ手の王国警備隊に所属する馬・マキシマスをかわし、たどり着いたのは森の奥深くの秘密の場所にひっそり立つ高い塔です。
そこに興味本位で侵入してみると、頭にフライパンの一撃をお見舞いされ…。
ラプンツェルは物心ついた頃からゴーテルという母に育てられていましたが、母は外は危険だからと高い塔にずっと居るように教え、かれこれずっと室内で暮らしてきました。友人は偶然であったカメレオンのパスカルだけ。ラプンツェルは魔法の髪を持っており、それはとても長く、丈夫で、歌を歌うと光って癒しの力を発揮できます。それを狙ってくる凶悪な男が現れる…そう母は言い続けます。
そしてこの塔に立ち入ってきた初めて見た男にフライパンの一撃を食らわし…。
ラプンツェルとユージーンは運命的で出会いを果たし、2人はラプンツェルがずっと近くで見てみたいと思っていた毎年のある日だけに空に浮かぶ灯りを目当てに外へと踏み出します。その中で、ラプンツェルは自分がコロナ王国のプリンセスであると理解し、実はゴーテルが魔法の髪の力で若返りたいという狙いで自分を拉致・監禁していたと知ります。その歪みきったゴーテルを倒し、ラプンツェルはユージーンとともに本当に両親の待つ王国へと帰りました。髪は切ってしまい、力は全て失って…。
…けれどもこれでめでたしめでたしではありません。
王国での暮らしとなったラプンツェルは刺激でいっぱいの人生に胸を躍らせる日々。また、ラプンツェルの侍女であるカサンドラという親友も増えました。カサンドラはラプンツェルより少し年上で、警護隊長の養女ということもあり、戦闘のスキルが高く、頼もしい存在です。
ユージーンは相変わらずの気取り屋ですが、仲は良好。でも「残りの人生をここで過ごしたい」というユージーンからのプロポーズには、結婚したいと思っているけど躊躇をしてOKを言えません。
そんなある日、カサンドラに連れられてこっそり城を飛び出し、ある場所に行きます。そこは自分の魔法の髪の源になった魔法の花があった場所。なぜか今は不思議な黒い岩がそこに存在し、それに触れた瞬間、魔法の金髪が復活してしまいます。
混乱するラプンツェルですが、謎の黒い岩はどんどん拡散し、やがて王国にまで迫ってきます。カサンドラやユージーン、さらにはユージーンの友人であるランスなどたくさんの仲間に支えられながら、その危機と向き合うラプンツェル。父・フレデリック国王と母・アリアナ王妃に見守られ、謎の黒い岩と関係があるらしい自分の力の秘密への興味が沸き上がってきます。
そしてラプンツェルは知ります。自分には太陽の力が備わっているらしく、その秘密を解き明かす鍵は外の世界にあるということを。
ラプンツェルは親の保護、そして王国という狭い空間から踏み出し、さらなる広い世界へと突き進みます。長い髪をたなびかせながら…。
ネガティブな感情も大事
ラプンツェルを見ていると従来のプリンセスとの大きな違いに気づきます。それは人間関係の豊かさです。
これまでのプリンセスは孤独なことが多いものでした。少なくとも人間の友達はほとんどおらず、ゆえに動物とかと親友であることが目立ちます(シンデレラだったらネズミ、ジャスミンはトラ…など)。
ラプンツェルも当初はまさにその古きプリンセスの境遇そのものだったのですが、そこから脱出した結果、持ち前の明るさで瞬く間に友人が増大。どんな相手とも分け隔てなく接するので、プリンセスの中でもトップレベルで人間関係が充実しているキャラクターになりました。たぶんSNSをやっていたら自然にフォロワーが集まってくるタイプの人気者ですよ…。
印象的なのはカサンドラとの関係です。従者ではあるのですが、カサンドラはラプンツェルのことを「ラプ」と愛称で呼ぶくらいに親しく(日本語吹き替え版ではなぜか「ラプンツェル」と翻訳されるので若干よそよそしく見える)、下手したらユージーンより仲がいいです。あれじゃないかな、仲良し順に並べると、パスカル>カサンドラ>ユージーン…になるのではないかな。
こういう同年代同性の親友がいるディズニープリンセスは実は新鮮です(過去にもそういうプリンセスはいるにはいるけど)。逆になんで今までいなかったのかという話ですけど。実写版『アラジン』でもこの従者親友を追加登場させていますし、これからのデフォルトになるでしょうね。
じゃあ、みんなの人気者で心優しいフレンドリーな存在という別の新しいステレオタイプになってしまうのではないか…それこそ女性に押し付けられる固定観念な役割そのものでは? そう心配にもなりますが、『ラプンツェル ザ・シリーズ』を見ているとそうなっていきません。
ラプンツェルは確かに当初はお人良し全開です。ただ世間を知っていくことで、感情を素直に表に出すようになります。それはネガティブな感情もです。作中では嫌いな人間には嫌いと言えるようになっていきますし、それこそ汚い言葉をぶつけることもコミュニケーションとして覚えていきます(まあ、子ども向け作品として許せる範囲ですが)。このマイナス感情を率直に表に出すというのは『モアナと伝説の海』にも引き継がれていますね。
これによってラプンツェルは「ディズニープリンセスは与えられた役割を果たすのではなく、素直に喜怒哀楽などの自己表現をしていい」と示したわけです。
そういう意味ではラプンツェルはディズニープリンセスの中でも最も親近感のあるキャラクターと言えるかもしれません。
政治を担うプリンセスとして
「新世代プリンセス」の特徴としてエンパワーメントを担う象徴になっているということがあります。それを視覚的にわかりやすく表現するためなのか、この新世代のディズニープリンセスたちはみんな何かの特殊能力の使い手です。ラプンツェルは太陽の力、エルサは氷の力、モアナは海の力。『プリンセスと魔法のキス』のティアナは何もないですけど(カエルに変える力が備わったりとかしていないかぎり)。
この超人的な能力を使いこなすことが、すなわち女性のエンパワーメントを表すことになっていくというのは、何も昨今では珍しくなく、『キャプテン・マーベル』とかもそうです。
ラプンツェルの場合は月の力も吸収したことで、これまで以上に複雑なパワーの持ち主になっていきました。闇っぽい力すらも使いこなしていくというのも新しいと言えばそうですが…。
ただ、プリンセスは単にパワーを自由気ままに発揮しているだけにはいかない事情があります。それは『アナと雪の女王2』の感想でも書きましたけど、プリンセスというのは統治者でもあるんですね。なのでただ我が物顔で力を振りかざしているわけではダメで、それを正しいことに使う政治能力が求められるのです。
従来のプリンセスは政治とは全く無縁でした。正直、城で優雅に暮らしているだけで、政治とかしているのだろうかと思うほど。あれは国民目線からしてみれば、ずいぶん嫌な王族に映るでしょうね。『アラジン』とか、民衆の反乱が起きてもしょうがないと思うのだけど…。
『ラプンツェル ザ・シリーズ』ではラプンツェルが政治というスキルを磨いていくさまを眺めることができます。お人好しでいるだけでは通用しない。国民に耳を傾け、不安を和らげ、需要を調べ、国策を打ち出す。まさに政治です。シーズン2では王国の外へと冒険しますが、あれなんかは外交でもありますね。法律を持ち出して議論をまとめることもあります。
その中で現代的な問題である「分断」にも直面します。ヴァリアンやカサンドラとの対立はその最たる象徴です。その難しい経験をする中で、ラプンツェルは「全員に無理して好かれなくてもいいんだ」と学んでいくのは印象的です。
つまり、新世代プリンセスの作品は政治を描く役割としても機能するようになり始めたと言えます。
こういう子ども向けの作品の中で政治を描くって大事だと思うのです。なぜなら今のティーンたちは(日本はやや違うけど)政治に関心を持っており、ハッシュタグ・ジェネレーションことZ世代の特徴にもなっているからです。そんな子たちにとってラプンツェルはロールモデルになりますよね。要するに新世代プリンセスはZ世代を強く反映した存在なんですね。
男性版プリンセスと新しい男性像
一方の男性キャラクターであるプリンス(王子)。こちらも昔からかなり粗雑で形式的な存在感しかなかった歴史があります。『白雪姫』では「王子」とだけしかわからず、名前も不明。『シンデレラ』では「プリンス・チャーミング」というなんとも雑過ぎるネーミングですからね(実写版では普通の名前がつきました)。
それが「第2世代プリンセス」になると王子キャラの深掘りがされて、多彩な存在になりました。とくにアラジンが一番描写に恵まれたプリンス・キャラクターでしょう。
そのアラジンと同じ盗賊という立場でスタートする『塔の上のラプンツェル』のユージーン(本当の名前はホーレス)。かなりお調子者でコメディリリーフになっているのですが、彼にも彼の物語があります。
そもそもユージーンはフリナガン・ライダーという小さい頃に読んだ本の主人公に憧れており、いわば御伽噺を夢見る男の子というポジションなんですね。両親を知らずに家なしで孤独に育ったユージーンは、空想の物語に自分を投影して生きようとします。
つまり、ユージーンは昔のプリンセスっぽいです。そのユージーンが現実の愛する人に出会い、夢を手に入れていく。しかも、『ラプンツェル ザ・シリーズ』では自分が王子だとも判明する(でも王子だからと言って偉ぶらないのがいい)。完全にユージーンは従来のプリンセス・ストーリーをなぞっていますよね。そう考えると男性版プリンセスと言えるのではないでしょうか。
そんなユージーンの女性との付き合い方にも注目です。ラプンツェルとはあっけなく結ばれてハッピーエンド…とはいかず、かといって仲が悪いわけでもなく、微妙な距離感があります。ここにユージーンの女性関係の成長が描かれます。
印象的なのはユージーンが「女性の話を最後まで聞く」男になっていくことです。ラプンツェルは何かと自分の主張をしようとすると途中で遮られることが目立つのですが、物語が進むとユージーンは耳を傾けてくれる一番の存在になります。
カサンドラとの関係も特徴的で、いかにも犬猿の仲という感じだったのが、しだいに嫌ってはいるけど相手を内心では認める関係になり、素直に敬意を口に出すようにもなります。
つまるところ、ユージーンは良い意味で受け身の男性キャラに成長します。これは『アナと雪の女王』のクリストフにも通じるのですが、古い男らしさに縛られない「新しい男性像」としてやはり今の時代は欠かせないものでしょう。『スティーブン・ユニバース』などもそうですけど、子ども向け作品ではこういう子どもの手本になる男性像を見せるのもスタンダードになっています。
プリンセス・ストーリーというと、どうしても女性のための物語という捉え方が多いですが、そんなことはない。未来を担う男性のモデルも提示してくれているんですね。
無論、『塔の上のラプンツェル』作品群のジェンダー描写が先駆的…とは言い切れません。まだまだ古い部分はあります。でも少しずつ前に進んでいるのも事実です。『塔の上のラプンツェル』を土台に今後はどんな進化が待っているのか。髪を長くして塔の中で待っている人はたくさんいるはずですから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 87%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Disney
以上、『塔の上のラプンツェル』『ラプンツェル ザ・シリーズ』の感想でした。
Tangled (2010) [Japanese Review] 『塔の上のラプンツェル』考察・評価レビュー