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『プリンセスと魔法のキス』感想(ネタバレ)…ここから始まる新世代プリンセスを考察

プリンセスと魔法のキス

ここから始まる新世代プリンセスを考察…映画『プリンセスと魔法のキス』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Princess and the Frog
製作国:アメリカ(2009年)
日本公開日:2010年3月6日
監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ
恋愛描写

プリンセスと魔法のキス

ぷりんせすとまほうのきす
プリンセスと魔法のキス

『プリンセスと魔法のキス』あらすじ

ニューオーリンズに暮らすティアナは、亡き父の夢であった自分のお店のレストランを開くことを実現させるために、日夜アルバイトをしてお金を貯めて頑張っていた。ある日、ナヴィーン王子が来航し、幼い頃からプリンセスになることを夢見るティアナの幼馴染・シャーロットは意気込む。しかし、その王子はカエルの姿に変身させられており、キスを迫ってくる。

『プリンセスと魔法のキス』感想(ネタバレなし)

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黒人プリンセスだけではない転換点

世界のアニメーション業界で先頭に立ってきたディズニーは黒人を差別してきた歴史があります。

そもそもディズニー帝国を築いたウォルト・ディズニーは白人であり、当人は何も悪気はないつもりなのでしょうけど、価値観からして人種差別的な思考が染み込んでしまっています(もちろん当時の白人社会はみんなこの自身に根付いた人種差別思想を疑わなかったのですが)。

ウォルト・ディズニーが構想したテーマパークは典型的な白人の考える理想郷を体現していました。それにキャリアアップするアニメーターはほぼ白人男性ばかり。黒人のアニメーターの扱いはとてもじゃないですが平等と言えるものではありませんでした(このあたりはドキュメンタリー『伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン』に詳しいです)。

そのウォルト・ディズニーに定着するアフリカ系アメリカ人に対する人種観が最も露骨に出てしまったのがかの有名な『南部の唄』(1946年)。人種差別?そんなものありませんよ?と言わんばかりに明るくハッピーに白人社会の下で笑顔で働く作中の黒人たちの、リアルと真逆の姿はここまでくるとちょっと狂気じみています。公開当時からこの映画は黒人コミュニティに批判されていましたが、ウォルト・ディズニーはその批判にも「え?何が悪いの?」という反応でますます当事者の反感を買っていたのだとか。しかし、今では『南部の唄』は事実上“なかったこと”になっています。

けれども、ディズニーのテーマパークのアトラクション「スプラッシュ・マウンテン」はそんな『南部の唄』を題材にしたものなのですが、こちらは平然と存在してきました。なんかずいぶんダブルスタンダードだな…と思う話ですが、しかし、2020年、黒人への差別暴力がまたも社会を震撼させ、かつてないほどのBLM(ブラック・ライブズ・マター)が叫ばれたことで、ついにディズニーも重い腰をあげました。

そこでかねてからファンが提案していたように「スプラッシュ・マウンテン」をあの作品を題材にリニューアルすることに決定しました。その作品が本作『プリンセスと魔法のキス』です。

『プリンセスと魔法のキス』はディズニーと黒人の関係を語るうえで欠かせない革新的な一作です。なぜならアメリカ南部のルイジアナ州ニューオーリンズを舞台に、初の黒人ディズニープリンセスを登場させたのですから。『プリンセスと魔法のキス』の公開は2009年。『南部の唄』から実に63年越しの快挙です。それまではアフリカ系の人がプリンセスどころか主役になることすらなかったのですから(アフリカのライオンは主役になれるのに)、本当にやっとこの扉が開いたということが窺えます。

また『プリンセスと魔法のキス』は「黒人」という要素だけが語りがいのあるポイントではありません。実に1998年の『ムーラン』以来の久しぶりのディズニープリンセス物語であり、そしてディズニーがピクサーの主導で経営が転換して改革が行われて初のゼロスタートな一作でもあったわけです。当時、ピクサーのアニメーションを中心で引っ張っていた“ジョン・ラセター”はこの『プリンセスと魔法のキス』の企画を「CGじゃなくて(2次元の)アニメにしよう」と呼びかけ、これまでディズニーもピクサーの後をおってCGアニメ路線だったゆえに解雇されてしまったアニメーターたちをわざわざ呼び寄せたくらいです。

『プリンセスと魔法のキス』以降、ディズニーはまたもプリンセス・ストーリーを量産するようになり、『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』『モアナと伝説の海』と活気に満ち溢れて絶好調になっていきます。いわば「新世代プリンセス」ですね。

この『プリンセスと魔法のキス』以降のプリンセスたちは明らかに従来のプリンセスとは異なる存在感を放っており、ディズニーの変化を語る意味でも重要だと私は思います。

ディズニーにとってプリンセスは単なるお姫様ではありません。夢と魔法を子どもたちに届けるうえでの導き役であり、常に時代を反映しています。一方でそれはそう簡単なことではなく、重荷でもあり、責任重大です。ミッキーマウスみたいに好き勝手にコミカルにふざけるだけのキャラではないのです。考えてもみてください。子どもに夢を与えつつ、あらゆる期待に応える存在になれと言われたら誰だってプレッシャーで怖気づくでしょう。だからその難易度の高さに尻込みして、しばらくプリンセス作品を作ることからディズニーは離れてしまったのではないか…。

『プリンセスと魔法のキス』は、『リトル・マーメイド』や『アラジン』の監督で知られる“ジョン・マスカー”“ロン・クレメンツ”の2人に監督を任せ、原点回帰の地盤を固めつつ、全く新しいことに挑戦しています。

『プリンセスと魔法のキス』でプリンセスはどう変化し出したのか、そしてその変化は時代の求める需要に本当に答えられたのか。後半の感想ではこのあたりに関して私なりに考察していっています。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(ディズニー史を知るうえでも)
友人 ◯(ディズニー好き同士で)
恋人 ◯(ディズニーが好きなら)
キッズ ◎(王道の物語として見やすい)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『プリンセスと魔法のキス』感想(ネタバレあり)

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夢が叶う街、ニューオーリンズ

腕に定評のある仕立て屋として街一番の大富豪ラボフの豪邸で働く黒人女性ユードラ。彼女は今、仕事をしつつも2人の女の子に物語を読み聞かせています。ひとりはこの豪邸の持ち主であるラボフの寵愛を受ける娘・シャーロット。もうひとりはユードラの娘であるティアナです。

グリム童話『かえるの王さま』の物語を夢中で聞くシャーロット。小さな醜いカエルがいて、魔女の呪いを解くにはあなたのキスだけと語り、美しいプリンセスはヌメヌメしたカエルに口づけしました…。カエルはハンサムな王子の姿になり…。

シャーロットはウットリ聞き惚れますが、ティアナは「うぇっ」と気持ち悪そうに顔を歪めます。ティアナは「私は絶対にカエルになんかキスしない!」と頑なです。

ティアナとユードラは家に帰宅。父・ジェームズと料理を語り合いながら、「ガンボ・スープは最高だ、この子は料理の才能があるぞ」と父はティアナを絶賛してくれます。「おいしいものは人の心を幸せにする」「パパはレストランをいつか開く」…それはティアナにとっての夢でもありました。

窓から星が見えます。父は「星は夢をかなえる手伝いをするだけで、自分で努力しないとダメなんだ」と教えてくれます。両親が部屋からいなくなったあと、ティアナは理想のレストランを描いた紙を胸に祈ります。窓際にいたカエルにびっくりしつつ…。

年月が経過。くたびれて部屋に入ってきたのは成長したティアナ。チップを引き出しにしまい、レストランの資金を溜め込みます。父は戦争で亡くなり、あの夢の実現は全て自分の手にかかっていました。すぐに次の出勤に向かいます。ウェイトレスとして一心不乱に働きっぱなし。夜勤もあるからと友達のダンスの誘いを断るくらいです。

そのティアナが働く店にシャーロットがハイテンションで来店。マルドニア国のナヴィーン王子が来るとウキウキで、しかも王子が家に滞在するらしいのです。王子と結婚することしか頭にないシャーロットは、今晩のパーティーでティアナの得意料理を作ってほしいと大金をあっさり渡し頼んできます。これでレストランが買えるとティアナも大喜び。

さっそく念願のレストランの建物を購入しました。建物は天井に穴があき、ボロボロですが、ティアナは嬉しそうです。そんな娘に母は「働きすぎじゃない?」「あなたの王子様を探してみたら」と心配しますが、「そんな暇はない」とティアナは受け止めもしません。

一方、街にやってきたナヴィーン王子。実は親に見放され、カネがない状態で、金持ちの女と結婚することを召使いのローレンスと狙っていました。そこへ謎の男・ファシリエがやってきて、願い事を叶えられると誘ってきます。その誘惑に乗ってしまう2人。

夜、仮装パーティーではシャーロットはプリンセスの格好で、ついにやってきたナヴィーン王子とノリノリで踊ります。料理を出していたティアナは、あの買ったはずのレストランは他に買い手が出てきたと聞かされショックを受けます。「あなたのような人はビジネスに手を出さない方がいいですよ」とまで言われてしまい、失望。服を汚してしまい、ドレスを貸してくれるシャーロット。

ひとり部屋で青いドレスに身を包まれつつ、星に祈るティアナ。窓際にはカエルがいます。しかし、このカエル、喋りました。なんでもナヴィーン王子なのだそうで、キスをすれば戻ると言い張り、せがんできます。じゃあ1回だけと意を決してカエルにキスをするティアナ。

ところがティアナまでもがカエルの姿になってしまい…。

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ディズニーがプリンセスを風刺する

『プリンセスと魔法のキス』がこれまでのディズニープリンセス作品とは何が違うかと言えば、そもそも「プリンセス」というディズニーがずっと築き上げたものを風刺していることです。

その象徴が主人公ティアナの友人であるシャーロット。彼女は「王子と恋をするプリンセス」に憧れる、言ってしまえば従来のディズニープリンセス作品を見て育ってきたような女の子です。そんな女の子を当事者であるはずのディズニーがかなり滑稽に、いやもはや露悪的といっていいくらいに風刺して描いています。

この時点で「王子と恋をして幸せが手に入るなんて発想はどうなの?」と本作は投げかけているわけです。お前が言うなよ…っていう感じでもありますが…。

プリンセス幻想を風刺するという作品はすでにあって、例えば『シュレック』(2001年)や『魔法にかけられて』(2007年)なんかはそうでした。それがいよいよ本拠であるディズニープリンセス作品でやってしまったのですから、これはパンドラの箱です。つまり、もう従来のプリンセス幻想には戻れません。ここからずっと新しいプリンセス像を模索し続けることになるのです。

そして肝心のティアナですが、プリンセスへの憧れは全くありません。これは舞台を考えれば当然の話であって、アメリカには王族はいませんし、プリンセスになりようもないです。ティアナは父の夢を引き継ぎ、レストランを開店することを夢見て、ひたすらに働いています。

このティアナの人生は『ムーラン』に似ています。ムーランも父の代わりに自分が前に立とうとしますし、そこにプリンセスになろうという意図はありません。

言うなれば、王子になんとかしてもらうのではなくて、献身的な自己犠牲で自分の目標を叶えようとする女性像ですね。

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人種差別を最後まで描き切ったか?

しかし、『プリンセスと魔法のキス』はその女性像を安易に肯定しません。

ティアナの姿勢は、日本人ライクに表現するならば“社畜”思考であり、正直、それで夢が叶うなら世の中は苦労しないです。でもそういう思考になってしまう女性は少なくないと思います。とりあえず会社や家庭でがむしゃらに働いていれば、なんか苦労が報われるのではないか、と。そういう意味では本作は耳の痛い話です。

ただ、ティアナの場合は、彼女は黒人ですからそこに別のレイヤーがあります。それは無論、人種差別です。

本作は人種差別を描いていないとの声もありますけど、描かれているものは多数あります。

映画の冒頭からそうです。望んだものはなんでも手に入るシャーロットと、手に入れるにもやっとなティアナの対比。シャーロットの白人特権の無自覚さがあちこちに無邪気に散らばっています。

そんな状況に対してティアナは常に受け身で“しょうがないものだ”と認めてしまっています。被害者なのに差別を受け入れてしまうことで差別を“なかったこと”にしてしまう。『私はあなたのニグロではない』などでも指摘されるような、無力な妥協です。

では本作はそこに対して明確に物語としての答えを出したのかというと、私はそうではないと思います。

本作は前半では人種差別を背景として描いていたのに、最終的にはそれはどこかへ忘れ去られ、いつのまにやら結局のところ、ロマンティック規範や男女規範を土台になんとなく丸く収まっている感じになっています。ティアナとナヴィーンがキスしてカエルから人間に戻り、2人仲良くレストランを経営するのは良いオチですし、そのエンディングでいいのですが、その過程はこれで良かったのか。

カエルなんて恋愛規範はたいしてない生き物なのに…という不満はさておき、やっぱりそこは最後こそ人種差別に向き合うべきだったのではないか、と。

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真のヴィランはファシリエではなく…

子ども向けの作品では人種差別のような凄惨なものは描けない。それは確かに一理あります。同様の批判は最近も実写版『わんわん物語』でもありました(あれは人種差別がメインではないけど)。

ただ、『スパイダーマン スパイダーバース』のような子どもでも見られて、かつ人種差別へ真正面に向き合った一作も生まれている後の時代の到来を考えれば、『プリンセスと魔法のキス』は今一歩アクセルの踏み込みが足りずに終盤で失速したのは否めません。

私だったらこんな話にしたかもしれません。例えば、蛍のレイ。あのキャラクターは作中では「ケイジャン」(アカディア地方に入植したフランス人の直系移民のこと)なのですが、あのレイを黒人キャラにしたうえで、そのレイがシャーロットにいとも容易く、罪悪感もなしで踏みつぶされる展開を入れる…とか。

要するにティアナにとっての真のヴィランは、あのファシリエではなく、シャーロットたち白人富裕層であるべきで、その存在に対してティアナは言ってやるべきでしたよね。自分の立場からの主張を。少なくとも作中のようにシャーロットたちを道化のままで終わらせるのは甘すぎます。あの白人層のプリンセス幻想を粉々にしないといけないです(それこそシャーロット家族がカエルになるというオチでも良かったですね)。悪い意味で中立的なエンドロールだったと思います。

ブードゥー教の尼僧であるママ・オーディが「望むものと必要なものは違う」と語りますけど、『プリンセスと魔法のキス』は物語に必要なものを最後は見つけられなかった気がします。

じゃあ、『プリンセスと魔法のキス』は失敗だったのかと言うと、そうは思いません。先ほども書いたように「黒人初のディズニープリンセス」の価値は日本人が考える以上に大きいです。子どもが自分と同じ肌の色のプリンセスを見つけられるのは本当に大切なこと。

そして何より『プリンセスと魔法のキス』がプリンセスの在り方に疑問を投げかけたことはディズニー史の転換点です。

『プリンセスと魔法のキス』は時代の求める需要に本当に答えられたのかという問い。それはYESでもあり、NOでもあるでしょう。これまで宿題をしなかったぶんの挽回はしたけど、新しい宿題にはまだ解答保留中…という感じですかね。

実際、有色人種プリンセスの物語としては後に『モアナと伝説の海』が恋愛規範にとらわれないひとつの解答を見せています(監督も同じ“ジョン・マスカー”と“ロン・クレメンツ”)。映画ではなくアニメシリーズですが『アバローのプリンセス エレナ』はディズニー初のラテン系プリンセスとしてまた新しい一歩が生まれています。さらに『塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』はプリンセス、そして男性キャラクターにおいても、これまでにない側面で深掘りしようという挑戦でもありました。

この『プリンセスと魔法のキス』で始まった新世代プリンセス。その答えはおそらくしばらくは手探り状態が続くでしょう。人種差別を直視できるか、それはひとつの試金石になりそうです。個人的にはもう1回、アフリカ系のプリンセスを描いてほしいのですけど…(さすがにひとりだけはね)。

ディズニープリンセスの理想の「エヴァンジェリーン」はどこにあるのでしょうね。

『プリンセスと魔法のキス』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience 74%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.

以上、『プリンセスと魔法のキス』の感想でした。

The Princess and the Frog (2009) [Japanese Review] 『プリンセスと魔法のキス』考察・評価レビュー