ヘイト問題に関わりたくない?そんな選択肢はそもそもない…映画『ヘイト・ユー・ギブ』(ヘイトユーギブ)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本では劇場未公開:2019年にDVDスルー
監督:ジョージ・ティルマン・ジュニア
人種差別描写
ヘイト・ユー・ギブ
へいとゆーぎぶ
『ヘイト・ユー・ギブ』あらすじ
白人社会と共存していく方法を小さい時から父に教えられてきた16歳の黒人高校生のスター。白人が通う学校に通い、ボーイフレンドも白人。黒人であることを殺すように押さえ込んで毎日を送っていた。しかし、彼女の目の前で悲劇が起こり、自分の生き方を大きく揺さぶられる。
『ヘイト・ユー・ギブ』感想(ネタバレなし)
ヘイトとか関係ないと思ってない?
いかなる感染症よりも感染力が高くて急拡大することで世界中で猛威を振るっているもの…それは「ヘイト」です。世界の平和を脅かすものはひと昔前なら「大国間の戦争」で、911以降は「テロ」でしたが、今は「ヘイト」がその役割を担うようになりました。
そのヘイト・パンデミックは日本でも起こっていて、その発生地はあらゆる場所に及びます。学校や家庭から会社や公共の場、そして行政職や政治家の人がヘイト発言をすることで問題視されるニュースも珍しくありません。2019年の統一地方選挙でも「ヘイト選挙」と呼ばれるヘイトスピーチで政治主張を堂々と繰り返す候補者及び支援者と、それに反対する抗議団体との間で激しい剣幕でのぶつかり合いが起こっていました。
もちろんヘイトを野放しにしないための対策も講じられています。最近も法務省人権擁護局が各地方法務局に対してヘイトとみなす対象を拡大する通知を出したとの報道もありました。ヘイトを扇動するようなサイトも規制する動きも始まっています(なのでブログやサイトを運営する人は他人事ではないですね)。しかし、全くと言っていいほど増殖するヘイトには追い付いていないのが現状です。
一方、ヘイトする人、ヘイトに抗議する人もいれば、別の人もいます。例えば、こうした問題を横目で見ながら、「そういう政治的なアレ、なんかよくわかんないし、関わりたくないので…」と極力知らんぷりをしようとしている人。また、「ヘイトする人も抗議する人もどっちも過激なだけでしょ」と自分こそは理性的に物事を俯瞰していると信じて第三者な気分になっている人。こういう人たちの方が数は多いかもしれません。
そして、実はヘイトをめぐるこれらの“自分は場外にいる”と考えている人たちこそ、このヘイト問題の行く末を左右する大きな影響力を持っている…そう訴えるような映画が本作『ヘイト・ユー・ギブ』です。
本作はアフリカ系アメリカ人への差別や暴力をテーマにした一作。
最近であれば、人種融和を軽やかに描いて日本でもヒットした『グリーンブック』や、人種対立の深刻さを衝撃的なインパクトで描いた『ブラック・クランズマン』など、このテーマの作品はアカデミー賞でも大きな存在感を発揮しています。
しかし、『ヘイト・ユー・ギブ』はそれらとはちょっと立ち位置が違います。
まず現代を舞台にした学園青春ドラマであるという点がひとつ。原作はアルジー・トーマスが2017年に発表した「ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ」という小説で、いわゆるヤングアダルト小説。ヤングアダルト小説というと、小説業界に疎い私はてっきり「恋愛もの」か「ファンタジー系SFもの」が主流なんだとばかり思っていましたが、こういう社会問題を内包した小説も最近は登場しているんですね。これはつまり、それだけ今のアメリカの若い層が、人種などの社会問題を身近に感じるようになっているという状況の証左であり、SNS時代らしい変化を窺わせます。
なので学園青春ドラマという大枠は同じということで、そこまで暗いわけでもありません。もちろん深刻な事件が起こったりしますが、でも同時に友情や恋愛、親との関係に悩むといったティーンらしいトピックで物語は進みます。そのため日本人にも見やすいのではないでしょうか。
加えて本作の主人公となる少女は黒人でありながら、前述した“自分は場外にいる”と考えている人という立ち位置にいるのも重要なポイント。ゆえに同じくそうした人にこそグサリと刺さる物語になっています。
監督は『ソウル・フード』『ノトーリアス・B.I.G.』『ファースター 怒りの銃弾』『ロンゲスト・ライド』の“ジョージ・ティルマン・ジュニア”です。
本作は非常に評価の高いインディーズ系映画だったのですが、日本では劇場未公開でビデオスルー作品となりました(配給が20世紀FOXなので、もしかしたらディズニー買収の件で劇場公開にかける予算規模が縮小したのかもしれないですけど)。
そうは言っても観ないのはもったいないくらいの良作です。人種問題に関心がある人はもちろん、『スウィート17モンスター』や『レディ・バード』など少女を主人公にした青春映画大好きな人に強く推奨できる一作ですのでぜひ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(青春映画好きには激推し) |
友人 | ◯(興味関心のある者同士で) |
恋人 | ◯(恋愛要素もしっかりあります) |
キッズ | ◯(どちらかといえばティーン向け) |
『ヘイト・ユー・ギブ』感想(ネタバレあり)
アマンドラ・ステンバーグの魅力
まずはともあれ、難しい社会的なテーマは置いておいて、本作の何が素晴らしいかって、主人公であるスター・カーターを演じる“アマンドラ・ステンバーグ”の魅力でしょう。
この俳優、日本ではまだ知名度は全然ないと思いますが、アメリカではかなり若い世代の間で有名なティーンでした。
1998年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。母親がアフリカ系アメリカ人、父親がデンマーク人という家系(さらに片方の祖母はイヌイットの血を継いでいるそうです)。そのためか顔立ちからしてマルチな雰囲気を持っています。
4歳の頃からカタログのモデルとして活動し、CM出演や歌手でも精力的に活躍。Timeの「最も影響力のあるティーン」の2015年と2016年のリストに選ばれました。また、ノンバイナリーであり(最近はゲイとしてカミングアウト)、自分らしさを全面に出して表舞台で生きる若者たちの憧れのトップランナーでもあります。
映画での俳優経験も多くないものの、着実にこなしています。クレジットされたデビュー作はリュック・ベッソン製作の『コロンビアーナ』(2011年)でゾーイ・サルダナ演じる主人公の幼少期役。つづくのは2012年に公開された若者に人気の大ヒット作『ハンガー・ゲーム』シリーズの第1作。ジェニファー・ローレンス主演の主人公と印象的なペアを組む女の子の役でした(これで日本の映画ファンも知った人が多いかな?)。その後は少し目立つ映画の出演がなくなるのですが、2017年の『エブリシング』でヒロイン役に抜擢。外に出られない難病に苦しむ18歳を演じ、繊細な演技を披露。その才能を輝かせていました。
そして本作『ヘイト・ユー・ギブ』です。
本作でこれでもかと見せつけられる、“アマンドラ・ステンバーグ”の圧倒的な画面を支配する“ヒロイン・パワー”。“レジーナ・ホール”、“ラッセル・ホーンズビー”、“アンソニー・マッキー”など渋い演技で場を持っていく実力派な大人の俳優も多数登場する本作ですが、全然負けていない。それどころか完全に物語の中心に立てる存在感を煌々と光放つことができるカリスマ性があります。
だからといって近寄りがたい特殊な人とかではなく、ちゃんと等身大のティーンとしての隙のある感じも醸しだせていて絶妙なバランス。今作の場合は「優等生」という絵に描いたような理想的な生徒でありながら、実は人種的な葛藤を膨らましていく…という複雑な役柄ですが、“アマンドラ・ステンバーグ”という俳優のバックボーンともしっかりハマっており、ピッタリすぎるマッチング。
日本でも注目さえされれば人気が広まることは間違いない魅力を持つ人なので、ぜひとも“アマンドラ・ステンバーグ”の名を広めていきたいものです(なんだその使命感)。
自分の一部が殺された
物語自体は王道というか、とくに現代のアフリカ系アメリカ人の若者、その中でもリベラルな環境下にいる若い黒人を主軸にしたストーリーのテンプレートみたいな感じです。
多様性を重視したリベラルな空間で人種差別をあまり意識しない生活をしている…でも本当にそれでいいのか、自分のルーツと向き合うべきではないのか、それでこそ自分の真の力が解放されるのではないか。最近でいうと『スパイダーマン スパイダーバース』と全く同じタイプの物語ですね、『ヘイト・ユー・ギブ』も。
この「自分のルーツと向き合うべきではないのか」という葛藤は人種を意識しない日本人には共感しづらいかもですけど、でも「周りに合わせるだけでいいのか」と置き換えると誰しも青春時代に考えたことがあるのではないでしょうか。どうしても学校という世界にいると、みんな同じ趣味・思考で横並びにしている方が仲間外れにならなくていいものですよね。その無意識の同調圧力で“自分らしさ”を押し殺すことになっても。だから好きでもないアーティストを友達に合わせて私も好きと言ってみたり、本当は好きな趣味があるのにオタクと思われたらどうしようと隠してみたり…。みんな同じ。世界中どこでも。ティーンは自分自身の素をどこまで見せるべきか、そこに悩んでいます。
本作のスターの場合は人種的背景です。彼女は俗に「フッド」と呼ばれるような黒人が集まる低所得者地域に家族で暮らす、典型的な黒人ファミリー。でも母親のリサの強い勧めもあって、少し離れたリベラルなウィリアムソン校という進学校に転校します。そこでは彼女いわく「スターver2」として別人のように振る舞って過ごす日々。白人の友人も恋人もいて、別に孤独ではない。でもなにか、なにかひっかかるものがあるような…。
一方、典型的な黒人風土の強い世界とも縁を切っているわけではなく。このどっちつかずな中途半端さでアイデンティティを見失っているのがスターの状況です。
そんなスターが幼馴染として今も特別な感情を抱いていたのがカリルという黒人青年。彼は2PACを愛するようなコテコテの黒人らしさ全開の人物。まさにスターにしてみれば自分が離れてしまった世界の“恋人だったかもしれない人”。今の白人の恋人であるクリスとは別世界線の“愛する人”みたいなものです。
そのカリルが、言葉どおりこの世から強制的に無慈悲な暴力で消される事件を目の前で目撃。あの警察による射殺事件は今のアメリカで日常的に起こっている社会問題ですが、本作の物語上ではスターの“距離を置いていたアイデンティティだった要素”の消去というメタファーとしての意味合いもあります。スターを構成する2つのパーツのうち、大きな1つを引き剥がされたようなもの。
大切な他者の死であり、自分の一部の死でもある。スターがショックを受けるのも当然。そしてここからスターの自分を構築する苦難が始まります。
リベラルは善ではない
“自分は場外にいる”なんて言ってられないことになったスター。ここでスターが立ち向かうべきものが3つ存在します。
ひとつはもちろん「人種差別」。とくに警官や司法という権力による理不尽な横暴と人命の軽視です。しかし、この問題は現在進行形で継続中なとおり、そう簡単に打破できません。本作の物語でもカリルの死をもたらしたものが断罪される結果には至りません。
その大いなる問題解決のためには、伏線となる2つの問題に立ち向かう必要があります。
まずは「リベラルな世界の闇」。スターにとっての学校という世界です。安易に考えてしまうと、リベラルな学校なら人種差別はないと思いがちですが、そんなことは全くなく。本作では一見すると“正しさ”のお手本として描かれがちなリベラルのダークサイドをしっかり描きだしていました。
警官の黒人射殺事件で生徒たちが抗議活動をするために学校授業が中止になって「サボれた」と無邪気に喜ぶ白人の友人。「BLACK LIVES MATTER」を掲げ、“仲間”だと屈託もなく公言する声に、心の奥底に強烈な疑問と怒りを抱くスター。
それ以前にもスターはこのリベラルな世界にシニカルな思いをずっと抱えてきました。「(黒人のスラングを)白人が使ってもクールだが私が使うとギャングだ」「(黒人も白人も同じだという言葉に対して)黒人をまねても白人の特権は変わらない」…結局、リベラルな若者たちが主張する“平等”という考えはあまりにもお気楽すぎる…そういう視点。
この強烈な目線はふだんリベラルな思想や活動をしている人にほど突き刺さるはず。自分が優位な立場にいるということに鈍感なまま、ただ弱者に寄り添ったポーズだけとっていてもそれは“便乗”にすぎない。
私にも無関係なことではないのでドキリとしますね。日本人だって黒人差別問題に関して言えば、どちらかというなら“差別している側”にいるのですから、偉そうに他人事感覚ではいられません。当事者へのリスペクトと自己批判を忘れてはいけませんよね。
新しい黒人リーダーの輝き
そしてもうひとつの問題が「保守的な黒人の世界の闇」。
黒人社会に根深く広がるドラッグや銃といった犯罪の魔の手。それに染まって生きる道を選んだギャングは他の黒人たちをどんどん堕落させてしまいます。
また自分の父マーベリックがそうであったように、白人など他人種を受け入れたがらない黒人の排他主義もまた大きな障害です。
この「黒人vs白人」とかポリコレとかでは容易に解決できない諸問題に対して、スターは父から幼い頃に学んでいた「ブラック・パンサー党の十項目綱領」によって自分を見つめ直していきます。
「ブラック・パンサー党の十項目綱領」は以下のとおり(順番はテキトーです)。
1. 我々は、我々黒人および抑圧されたコミュニティーの運命を決定する自由を欲する。2. 我々は、我々人民の完全な雇用を欲する。3. 我々は、資本家による、我々コミュニティーに対する搾取の終わりを欲する。4. 我々は、人間が居住するに値する最低限の住宅を欲する。5. 我々は、人民のための、アメリカ社会の真実を暴露する教育を求める。6. 我々は、全ての戦争と攻略の即時終局を望む。7. 我々はすべての黒人と、抑圧された人民の完全な健康を欲する。8. 我々は警察官による、アメリカ合衆国国内における黒人および抑圧されたほかの人種の人々に対する暴力行為の即時停止を欲する。9. 我々は、刑務所に収監されている黒人の解放を欲する。我々は、この国の法律のもとでいわゆる犯罪のために告訴された囚人のために、同じ階層出身の陪審員による裁判を欲する。10. 我々は、土地、パン、教育、住宅、衣服、正義、平和および現代技術によるコミュニティーの統治を欲する。
父からの“子に授けた名前の意味”を思い出させる言葉(セブンは“完璧”、スターは“輝き”、セカニは“喜び”;黒人の人はアフリカの言葉から名前をとることが多いです)、「声をあげろ」という叱咤激励によって目覚めるスター。
そして、スターは、リベラルな世界の同級生たちに、抗議デモに参加する黒人たちと相対する権力に、さらに黒人の命を脅かす同じ黒人に、ハッキリと思いのたけをぶつけます。
本作のタイトル「The Hate U Give」ですが「you」ではなく「U」なのは頭文字をとると「THUG」になるからです。「thug」という単語は大雑把に言うと「悪い奴」っていう意味なのですが、「thug life(サグライフ)」というフレーズとともヒップホップ界ではよく使う言葉です。自虐的なニュアンスも込めながら「自分は悪い奴だとしても自分らしく生きる」という風に使い、作中でも出てくる有名ラッパーの2PACも愛用していました。
本作ではこの「thug」という言葉の意味を新しく塗り替えるような物語です。まさしくスターのような新時代を担う若い黒人が踏み出す第一歩。白人も黒人もヘイトに囚われない、暗闇を照らす光になる次世代の黒人リーダー像。その誕生が黒人コミュニティの日常とつながる本作のラストショット。
こういう若者がたくさん世界に飛び立てば、このヘイト感染の酷い世の中も治療できるのはないか、そんな希望を感じさせる映画でした。
声をあげることはダサくないです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 82%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved. © Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.
以上、『ヘイト・ユー・ギブ』の感想でした。
The Hate U Give (2018) [Japanese Review] 『ヘイト・ユー・ギブ』考察・評価レビュー