何度も繰り返される…Netflix映画『西部戦線異状なし(2022)』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ドイツ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にNetflixで配信
監督:エドワード・ベルガー
ゴア描写
西部戦線異状なし
せいぶせんせんいじょうなし
『西部戦線異状なし』あらすじ
『西部戦線異状なし』感想(ネタバレなし)
今、この映画が再び…これはフラグか
ウクライナ侵攻を国際社会の批判も無視して押し進めるロシアのプーチン大統領は、当初の想定と違って侵攻が上手くいかず、2022年9月に30万人の「部分動員」を発表しました。10月には、新兵8万2000人が紛争地域に派遣され、21万8000人は訓練中だと公表しています。
想像してみてください。兵士としての経験も無い人間を、たったの数カ月で訓練して、戦場に放り込むということの意味を…。まるで補充される弾薬などの備品と同じ。その場しのぎになればいい…。
でもこれこそ戦争の不条理であり、戦争の本質かもしれません。戦争に勝ち負けなんてない。ただ消耗し、疲弊し、虐殺されていく…。
今回紹介する映画もそんな戦争の残酷さを徹底的に突きつける凄まじい2022年の作品です。
それが本作『西部戦線異状なし』。
あれ…西部戦線異状なし? どこかで聞いたことがあるような…。そうです。これは過去に映画になっています。
本作は原作からして特筆されます。なにしろ原作である“エーリヒ・マリア・レマルク”の長編戦争小説が出版されたのは、1929年1月なのです。この小説は第一次世界大戦に駆り出されたひとりの一般兵士を描いたもので、第一次世界大戦は1914年から1918年にかけて繰り広げられたわけですから、戦争の10年後に描かれたことになります。しかも、ドイツの小説です。
さらにこの小説は1930年にアメリカで“ルイス・マイルストン”監督の手で映画化され、アカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞しました。
小説も映画も戦争というものの残酷さを容赦なく描いています。実際にドイツ兵として塹壕戦を経験した“エーリヒ・マリア・レマルク”の体験を元にしているだけあって、そのリアリティは圧倒的な生々しさだと評されており、戦争なんて絶対に嫌だと体に刻み込まれることは間違いないです。
でも…歴史をわかっている人なら承知のとおり、この出版からたったの10年後の1939年には第二次世界大戦が勃発するんですよ。
人は悲惨な歴史から反省と教訓を学ぶと言いますけど、そんなの嘘っぱちなのか…。ほんと、絶望的な脱力感に襲われます。
そして原作の出版から約93年が経過し、またもこの作品は映画化されました。今や戦後において最も世界大戦の危機が近いと言われている状況で…。これは不吉なフラグなのでしょうか…それは勘弁してほしいのですが…。
ちなみに『西部戦線異状なし』は1979年にもアメリカでテレビ映画としてリメイクされたのですが、今回の2022年の『西部戦線異状なし』はリメイクではなく再映画化です。さらにここが重要ですけど、制作しているのはアメリカではなくドイツ。つまり、原作の本国による初の映像化となります。
2022年のドイツ映画として再誕した『西部戦線異状なし』は戦争映画として一級品です。戦争への没入感は言うまでもなくとてつもない仕上がりで、同じく第一次世界大戦の兵士(こちらはイギリス兵ですが)を描いた『1917 命をかけた伝令』と重なる点が多いです。対称として並び合う兄弟映画のように捉えてもいいかもしれません。
監督は、ドラマ『ザ・テラー』を手がけた“エドワード・ベルガー”。
2022年のドイツ映画『西部戦線異状なし』は米アカデミー賞の国際映画賞のドイツ代表映画に選ばれたほどに、この2022年のドイツ映画を象徴する一作です。当然だと思います。クオリティの高さはもちろんですが、時勢的にも2022年はこの映画が一番共鳴していますからね。
日本ではNetflixでの独占配信となったのですが、残念ながら劇場で観るチャンスは無し。これはかなりもったいないです。なにせこの2022年のドイツ映画『西部戦線異状なし』は、非常にスクリーン映えするシーンの連続で、「これを劇場で上映しないでどうする?!」と思ってしまうほどに映画館体験とセットにしたくなる品質を持ち合わせています。
なるべく大画面での視聴環境を用意して臨んでください。
『西部戦線異状なし』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2022年10月28日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :見逃せない一本 |
友人 | :映像体験を一緒に |
恋人 | :恋愛気分ではない |
キッズ | :残酷描写が多数 |
『西部戦線異状なし』予告動画
『西部戦線異状なし』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):そして兵士はまたやってくる
静かな森。その開けた地面に兵士たちの亡骸が無数に横たわっていました。そこにどこからか銃弾が飛んできます。塹壕では兵士たちが死に物狂いで戦っていました。全員でそこを飛び出して一斉に突撃。
ハインリヒと呼ばれた兵は必死に走ります。そばにはさっきまで生きていたはずの兵士の死体。銃も使えなくなり、斧を振り下ろすハインリヒでしたが…。
戦闘が一旦止み、戦死した兵士の後片付けに追われる生存した兵士たち。大量の棺が並び、靴は取り除かれ、衣類は洗濯され、運ばれます。そして軍服は女性たちが縫って直します。その中にはハインリヒ・ガーバーと書かれた服もありました。
1917年、ドイツ北部の小さな町。パウル・ボイマーは仲間に親の代筆をしてもらい、これで戦線に行けると張り切っていました。志願した若者は集められ、説明を受けます。
「弱い心は不要。躊躇いは祖国への裏切りだ。軍服に恥じない戦いをしろ。我がドイツの未来は偉大な世代に委ねられる。君たちだ」
愛国心溢れるスピーチに盛り上がって気勢をあげる若い男たち。パウル・ボイマーは軍服を意気揚々と受け取ります。そこに自分の名とは違う札がついており、「これは別の人では?」と指摘しますが、配布者はハインリヒ・ガーバーと書かれた名札をその場で取って「ミスだ」と答えるだけでした。
みんなで着替え、元気に行進。戦場に向かうトラック内で少尉から「第78予備歩兵連隊へようこそ」と説明を受け、これから西部戦線に向かうことを知ります。
途中で負傷者がいるからトラックが要るので降りろと言われ、歩いて戦場へ。そのとき、何かが空から降ってきて爆発。急いでガスマスクをつける一同。もたつくパウルは「貴様は明け方までには死ぬだろう」と上官に言われてしまいます。
塹壕に到着。激しい戦闘がもう起きていました。塹壕にたまった水をかきだす作業に追われます。
パウルたち新兵が慣れない戦地で懸命に従事していると、いきなり砲撃を受けます。防空壕へ逃げ込み、耳を塞ぎ怯える仲間たち。耐えられない、帰りたい…誰もがそう思う中、ひとりが耐えきれなく外に出て、入り口で爆発四散します。防空壕が崩れ、みんな退避しようとしますが…。
パウルは瓦礫の下敷きで目覚め、仲間に助けられます。顔が真っ黒なまま、差し出された渇いたパンに食らいつくしかできません。死体のタグを次々と回収する仕事を任され、友人の死体を見つけて涙します。
18か月後、占領地フランスのシャンパーニュで、パウルはもうひとりの仲間であるカットと民家に侵入していました。ガチョウを奪い、ライフルで撃たれながらもジグザクに走って逃走。そのガチョウをみんなで食べます。
ここのところはずっと待機ばかりでした。休んでいると、遠くで女たちを見かけて手を振る男たち。フランツは女のもとへ向かい、陽気に振舞って一緒に行ってしまいます。
手紙が届き、カットは妻からの手紙を手にし、パウルが読み上げます。家族は心配しているようです。でも帰れる見込みはありません。
パウルはまた前線に派遣されます。淡々と前進命令が告げられ、またもパウルはあの狂乱の戦場に飛び込んでいきます。
1分後、10秒後、1秒後…そこで自分が生きているかはわからない。今はとにかく走って殺してまた走って…それしかない…。
最近の戦争大作映画は没入感重視
2022年ドイツ版『西部戦線異状なし』は、1930年アメリカ版と比べると、やはりカラーになっていることの影響がデカく、それはドキュメンタリー『彼らは生きていた』でも実感しましたが、色がつくことで、観客の刺激される五感が一段と増します。
戦場の主な舞台は塹壕になりますが、塹壕戦はわりと変わり映えしない映像になりがちです。でもカラフルに描かれるとまた雰囲気が変わります。火薬の匂いだけでない、汚物と死臭の入り混じった匂いが充満していそうなのがわかりますし、あの地面だって相当な血を吸いこんでいるはずで、なんというかあの塹壕そのものが遺体の壁にすら思えてくる。
そんな環境で見るからに美味しくなさそうな食べ物を食べる。でも敵の塹壕に突入したときにおそらく位の高い上官の食事中だったのか、それなりの食べ物が机に並んでいて、それを目にして思わず貪り食う。あれだって決して美味しいレベルのものではないだろうに、ここで食べれるものとして考えるなら、相当にマシに思えてしまう。その些細な違いもカラーゆえに伝わるものがあります。
モノクロで描く映画ももちろん芸術的な良さがあるのですが、どうしても白黒で歴史的出来事を鑑賞すると資料映像みたいなイメージが先行してしまい、没入感的なものは減退します(1930年アメリカ版もすっごく迫力はありますけどね)。
たぶんベトナム戦争の現地の映像がお茶の間にテレビで流れだしたときから、私たちの中では戦争をカラー映像で認識することが一般化しだしたのではないかと思うのですけど、カラーの映画が主流になってから、戦争を描くという意味も大きく変わり、単にカラーというだけではそれこそ報道映像と変わらないので、ドラマ性を添付することで映画の持ち味として活かしてきました。『プライベート・ライアン』などはまさにそうですね。
一方でドラマチックな物語を軸にしてしまうのはデメリットもあって、特定の国の視点に偏ったりすることもあります。そこで最近の戦争映画は物語性をあえて排除して、徹底的に没入感だけに特化していくというアプローチをとる戦争映画も現れ、『ダンケルク』や『1917 命をかけた伝令』と並んで、この2022年ドイツ版『西部戦線異状なし』もまさにそのタイプといった感じでしょうか。
兵士はヒーローではなく消耗品です
物語性が最小限に抑えられた2022年ドイツ版『西部戦線異状なし』は、主人公があえて非常にモブっぽく描かれています。今作はとくにその立ち位置が強調される、アイロニカルなキャラクターです。
冒頭で主人公視点になっているのはハインリヒという兵士です。彼が戦死し(どう死んだのかさえも描かれない)、その軍服はパウルという新米の兵士に渡されます。
この軍服も靴も全てがリサイクルされていく工程を淡々と映し出す序盤の構成。戦争がいかにシステマティックに動いているのかわかりますし、それこそ戦争そのものが兵士生産工場にすぎない。志願兵の募集も実際のところはこの軍服を着て銃を持ってとりあえず突撃する人員が欲しいだけのこと。兵士は国を救う戦士じゃない、ただのモノです。
でもあのパウルたちはそんなの最初は全く考えてすらいません。本当に子どものように無邪気で、遠足みたい行進して、無知のままに戦場へ送られる。愛国心という飴玉にまんまと釣られる男子たち。これはロバに変えられるのもしらずについていってしまう子どもたちを描いた『ピノキオ』そのものだったな…。
そしてそのパウルも戦死します。ここでパウルを銃剣で突き殺す兵士が顔も映らずにサクっと画面外に消えてしまうという、あまりにドラマチックな展開ゼロで片付いてしまうあたりも無慈悲で…。英雄にさえもならない。ただの死体のひとつに変わるだけ。
その後にまた次の新兵が続いて…とエンドレスで最悪のループを繰り返す。
戦争映画におけるヒーロー性を完全に排除し、兵士の消耗品としての価値だけが描かれるこの2022年ドイツ版『西部戦線異状なし』。
2022年はNetflixでは『アテナ』というフランス映画も独占配信されており、こちらは現代を舞台にしたある種の戦争映画です。フランスがこの映画を作る意味がよくわかるという話をその作品の感想記事でも書いたのですが、この『西部戦線異状なし』を今のドイツが作るのもやっぱりドイツらしいですよね。
ドイツは後にナチスとして最悪の戦争犯罪に手を染めたという加害性の歴史を背負っており、しかも今、その戦争犯罪の元凶になった差別思想がまたも復活する勢いがかつてないほどに増しています。だからこそドイツにとって必要な戦争映画は『西部戦線異状なし』なのでしょう。そんな愛国思想に染まっても消耗品として捨てられるだけですよ…という…。
もちろんそれはどこの国も例外ないわけで…。
戦争に素人を送るわけないと思ってはいけません。スマホでSNSを眺めているだけの日々を過ごすあなた、明日は何の映画を観ようかな?とウキウキで計画を立てているあなた。そんな人たちが数年後にはわけもわからず戦場に行くということが普通にありうる。
私たちの日常に異状なし。それは戦争が起きていないことを意味しないのですから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 92%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix 西部戦線異常なし
以上、『西部戦線異状なし』の感想でした。
Im Westen nichts Neues (2022) [Japanese Review] 『西部戦線異状なし』考察・評価レビュー