マッチョになっても家族は幸せにならない…映画『アイアンクロー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2024年4月5日
監督:ショーン・ダーキン
自死・自傷描写 性描写 恋愛描写
あいあんくろー
『アイアンクロー』物語 簡単紹介
『アイアンクロー』感想(ネタバレなし)
筋肉ばっかり見てないでこの映画を…
水泳、陸上、バドミントン、自転車競技、ボート、釣り、チェス、ダーツ、さらにはソーセージ早食い競争まで…。あらゆるスポーツ業界にて、トランスジェンダー女性のアスリートを女性部門から排除する動きが活発化しています(PinkNews; PinkNews)。中にはシスジェンダー女性なのにトランス女性扱いされる人もいるのですけど…。
その口実として「トランス女性は有利だから」と公然と語られていますが、実際、科学的根拠はなく、最新の研究ではトランス女性のアスリートとしての優位性は示されていません(LGBTQ Nation)。
これらの現実を無視した主張の根本的な原動力になっているのは結局のところ「男は女よりも強い」という、言い換えれば「男とはマッチョなのである」というマッチョイズムの掲揚です。
2024年になってもまだそんな考え方がまかり通っているのかと辟易しますが、残念ながら現実です。私は他人の筋肉になんて1ミリも興味ない人間なのですが、世間はそんなに筋肉で他者を評価したいのか…。筋肉フェチとかならまだいいですけど、筋肉断定思考は本当に自他ともに害しかないと思います。
今回紹介する映画はそんな「筋肉が全て!男の本質は筋肉だ!」という思考を家庭から植え付けられ、その価値観に支配され、ボロボロになっていく虚しいマッチョな男たちの物語です。
それが本作『アイアンクロー』。
本作は実在のプロレスラーである「フォン・エリック・ファミリー」を主題にした伝記映画です。この家族は、アメリカのプロレスラーであった”フリッツ・フォン・エリック”を家長とし、その息子たちもレスラーでした。その家族の実人生を基にしています。
ただし、伝記映画といっても、かなり脚色しており、中には家族のひとりがまるごと削除されていたりする大胆なアレンジにもなっているので、あくまで「フォン・エリック・ファミリー」から着想を得たひとつの家族ストーリー…みたいな感覚で接するといいんじゃないかな。
私は男性レスラー映画というと、どうしても“ダーレン・アロノフスキー”監督の『レスラー』(2008年)を思い出してしまうのですが、あれは相当に精神的にキツイ鑑賞体験の作品だったし、今回の『アイアンクロー』もそうなのかなと身構えてました。
確かに本作『アイアンクロー』もそれなりに暗いです。先ほども書いたように、「男とはマッチョなのである」というマッチョイズムに憑りつかれて自滅していく男たちの話ですから。しかも、今回はそれが家族物語の中で展開されるので、「家族」という血の呪いとして受け継がれていくようにもなっています。大袈裟ではなく本当に「呪い」みたいな描写です。
実際、この題材になっている「フォン・エリック・ファミリー」はその不幸な出来事が連発したことから「呪われた家族」と世間から呼ばれるようになっていくわけで…。「スポーツ界のケネディ家」なんて批評すらあるくらいに…。
でも映画内では最後は救いもあるオチになっているので、観終わった後の気分は意外に晴れやかでしたよ。そこまでメンタルケアに備える覚悟を決めなくてもいいかなという感じ。
『アイアンクロー』を監督し、脚本も手がけるのは、2011年のカルト・コミュニティから抜け出てきた女性を描いた『マーサ、あるいはマーシー・メイ』で長編デビューし、『不都合な理想の夫婦』(2019年)、ドラマ『戦慄の絆』と、男女のジェンダー圧力が歪に人生を壊していく過程を描くことに長けている“ショーン・ダーキン”。カナダ出身ですが、子どもの頃からこの「フォン・エリック・ファミリー」に関心があったそうです。
俳優陣は、『テッド・バンディ』『史上最高のカンパイ! 戦地にビールを届けた男』の“ザック・エフロン”が筋肉ムキムキで先陣を切り、それに『ザリガニの鳴くところ』の“ハリス・ディキンソン”、ドラマ『一流シェフのファミリーレストラン』の”ジェレミー・アレン・ホワイト”、『エンゼルフィッシュ』の“スタンリー・シモンズ”が続いています。
他には、ドラマ『マインドハンター』の“ホルト・マッキャラニー”、『きっと、それは愛じゃない』の“リリー・ジェームズ”、『ザ・レポート』の“モーラ・ティアニー”など。
『アイアンクロー』を観て、筋肉よりも大切な部分に気づける人が増えるといいのですが…。
『アイアンクロー』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :静かに余韻を |
友人 | :ゆっくりしながら |
恋人 | :恋愛要素は多少あり |
キッズ | :大人のドラマです |
『アイアンクロー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1980年代初頭、フリッツ・フォン・エリックというネームで活躍するジャック・アドキッソンは、相手を容赦なくぶちのめし、大きな手のひらを掲げ、その手で相手に押さえつける必殺技「アイアンクロー」をトレードマークとしていました。会場は熱狂です。こうしてフリッツはAWA世界ヘビー級王者としてプロレス界で名を轟かせました。
試合後、外で待っていた妻のドリスと幼い息子の2人と合流します。最近買った高級車を目にしてドリスは金遣いに困惑。しかし、フリッツは気にするなと妻の不安を抑え、家族に最高のものを与えるのだと自信たっぷりに口にするだけ。後部座席でそんな父の言葉を子どもたちは黙って聞いていました。
数年後、フリッツの息子で年上のケビンは父の跡を追うようにプロレスの世界に飛び込んでいました。父のフリッツはプロレスの興行主として立場を変えています。ケビンは鍛錬を惜しまず、朝からランニングし、その後もリフトアップなど、筋力トレーニングに余念がありません。ケビンのレスリング・スタイルは父親譲り。喝采と栄光を欲していました。
ケビンの下のデビッドもレスリングをしていますが、あまり調子はよくありません。そのさらに下のケリーは円盤投げのオリンピック選手候補になり、すでに実績を上げています。最年少のマイクは音楽に関心があり、プロレスには興味なさそうです。
母のドリスは息子たちの扱いは父に任せています。兄弟は仲良く、有名人の息子たちということで地元でも知られています。
ケビンとデビッドは、ブルーザー・ブロディ&ジノ・ヘルナンデスとのタッグマッチに参戦。そこで兄弟2人の連携の中、デビッドがアイアンクローを披露し、大盛り上がり。
試合後、ケビンのファンだというパムが声をかけてきます。そのパムと食事をすることになり、他愛もなく将来や家族の話をしていると、長男の人に特有で見られる「オールド・ブラザー・シンドローム」の話題に。しかし、ケビンは自分は本当は長男ではないとあっけなく説明します。自分が6歳のときに死んでしまった本当の長男である兄ジャックの存在を淡々と語り、思わぬ告白に驚いたパムは抱きしめてくれます。
父はケビンにビッグ・ニュースがあると饒舌に語り、NWAチャンピオンのハーレイ・レースとの対戦を用意しました。いざ試合にて、ケビンは床に叩きつけられながら、ギリギリ勝ちます。デビッドはマイクで威勢よく言葉をぶつけ、父はデビッドを評価し、ぶざまだったケビンは勝っても屈辱でした。
ある日、ケリーは政治的な理由でのアメリカのオリンピック参加中止でアスリートとしてのチャンスを失います。結果、ケリーもプロレスに参加することになり、ケビンとデビッドの3人で、ファビュラス・フリーバーズを破り、人気絶頂となりました。
しかし、この家族が栄光に照らされる瞬間はそう長くなく…。
長男ではないけど「長男」だから
ここから『アイアンクロー』のネタバレありの感想本文です。
『アイアンクロー』の冒頭は、フリッツの試合シーンから始まるのですが、モノクロでまるで古典的な恐怖映画のように撮られています。古きユニバーサル映画・ホラーシリーズにでてきそう…。当時のフリッツはギミック(プロレスをやるうえでのキャラクター設定)としてナチスを背景に持つことになっていたらしいので、余計に怪物感が発揮されてもいます。
そのフリッツがリングから降りると普通の人間に戻るのかな…と思ったら、家族と合流するとここで自分の家族観を露わにします。この場面では妻のドリスが異を唱えはしますが、フリッツは梃子でも動かぬ構えです。もうこの時点からドリスは諦めてしまったようにもみえ、映画の最終盤で家事すらも放棄して愛想をつかすあたりでゲーム終了を迎えます。
問題は子どもたちです。子は親を見て育っています。とくに最年長のケビンはこの父の生き方を内面化していきます。
ケビンがパムに語るシーンが象徴的です。自分は長男ではないという家族の、他人からみればかなり重い歴史を、やけにあっさり語るケビン。彼の中ではもう普通になっているので感覚は麻痺しているのかもしれません。しかし、これは要するに出生時の順番に紐づく長男ではなく、「長男」という役割を請け負っている…家族のジェンダー・ロールに縛られているということです。ケビンはこれを当たり前だと思っていて、疑いや拒絶すらしようとしていません。
なので序盤からケビンは結構痛々しいです。トレーニングする場面も、自分で自分を追い込む自傷的な行為にすら見えてきます。
一方で、他の兄弟たちは次々と脱落していってしまいます。映画が半分を過ぎたくらいで、急激に下り坂が強まり、試合も全然映さなくなり、文字どおり呪いが襲ってきます。その呪いは当然のように筋力では打ち倒せない相手です。
虚勢のような口八丁手八丁で存在感を示していたデビッドは日本でツアー中に病気で亡くなり、プロレスにさほど関心がなかったのに半ば強引に引き込んだマイクは薬の過剰摂取で自殺し、アスリートの夢が破れたケリーは夜のバイク走行中に事故で右足の一部を失いながら最後は自らを銃で撃ち抜く…。
おそらくケビンは気づいていたのでしょう。これはもちろん心霊的な呪いなんかではなく、家族の…父という発生源から生まれた抑圧の結果なのだ、と。
けれども誰よりも内面化してしまったゆえに、その呪縛を振り捨てることはなかなかできません。なんとも嫌な「長男」映画でした。
男性アスリートを描くなら男らしさのテーマも
なお、本作『アイアンクロー』では作中で最初に存命なのは4兄弟(5人目で本当の長男ジャックは6歳で死亡している)という描かれ方ですが、実際の「フォン・エリック・ファミリー」には「クリス」という六男がいました。映画ではこの人物は丸ごとカットされています。
実際のクリスもピストルで自殺しており、ケリーと似たような最期を迎えます。映画に入れなかったのはこうした展開が繰り返し同じになってしまうのを避けるためだったのかな。作中ではクリスの人生はケリーとマイクの描写に分散するかたちで表現されています。
まあ、クリスが描かれていたとしても、ケビンの苦しさがなおさら増していくばかりだったと思いますが…。
そのケビン、映画のラストではやっと解放された感じに見えます。ある日、幼い息子たち2人とボール遊びをしていると、座り込む「父」ケビンはふと涙を流して泣いてしまっており、その様子を目にした子どもが心配してくれます。「男は泣かない」とここでも強気に言葉で防御するケビンに対して、子どもが「みんな泣くんだよ。兄弟になってあげるよ」とそのファイティングポーズを降ろしてあげる。
それ以外にも、死を迎えたケリーが死後の世界に到達し、その穏やかな日常で、デビッドとマイク、そしてジャックと再会。ここでのハグはプロレスのような力で制圧するものとは全然違います。温かい包容です。あのフリッツという父からは受け取らなかったであろう優しさ…。
『アイアンクロー』はこのように映画の尺95%はマスキュリニティの重圧をとことん描き抜いてきますが、しっかりエンディングで救ってくれます。男らしさの脱会…解脱の物語ですね。
“ショーン・ダーキン”監督いわく『レイジング・ブル』や『ディア・ハンター』などの名作映画を参考にしながら作ったそうですが、男らしさの向き合い方はより現代的なケアに寄り添ったものになっていました。
『クリード』シリーズでもそうなのですが、男性格闘技モノは最近はこの「泣く」という行動に代表されるように、きっちりこのテーマにけじめをつける傾向があり、もうそこは義務通過点のようになってますね。
アメリカンドリームとスポーツを重ねて終わりにはしません。そこはジェンダーのテーマとして格好の舞台になります。
日本もちょうど現在メディアでしょっちゅう話題になっている某大リーグ選手といい、どうしてもこういう男性アスリートはヒーローとして祭られ、その中でジェンダー規範が増長されてしまいがちです。
映画はそうした世間に対して自己批判的な視点を投げかける大事な役割がありますね。
男は女より身体的にも精神的にも強いわけではないですし、強くなる必要もないです。ただ人間としての尊厳がある。それだけです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 94%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
プロレスを主題にした映画の感想記事です。
・『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』
・『ファイティング・ファミリー』
作品ポスター・画像 (C)2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved. アイアン・クロー
以上、『アイアンクロー』の感想でした。
The Iron Claw (2023) [Japanese Review] 『アイアンクロー』考察・評価レビュー
#プロレス #家族