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『さよなら、私のロンリー(Kajillionaire)』感想(ネタバレ)…カジリオネアになりたい?

さよなら、私のロンリー

カジリオネアって何ですか?…映画『さよなら、私のロンリー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Kajillionaire
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2021年に配信スルー
監督:ミランダ・ジュライ

さよなら、私のロンリー

さよなら、私のロンリー

『さよなら、私のロンリー』あらすじ

詐欺師のテレサとロバートは一人娘オールド・ドリオを普通の親のように愛することはなかった。隙あらば詐欺、スリ、盗みをするよう26年かけて英才教育を徹底してきたのである。その生活に疑いを持っていなかったオールド・ドリオ。しかし、必要に迫られて急遽考えた詐欺の最中に、両親が見ず知らずの女性の虜になり仲間に引き入れたことで、家族の人生は一変する。私はこのままでいいのだろうか…。

『さよなら、私のロンリー』感想(ネタバレなし)

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希少なミランダ・ジュライ監督作

新型コロナウイルスは私たちを肺炎や後遺症で苦しめるだけではありませんでした。こんな問題も勃発しました。それは「家族」の厄介な…。

例えば、あなたは子どもです。そして親がこう言います。

「ワクチン? そんなものは危険だ。接種は絶対にするな」「マスク? 要らないだろう」「コロナ? ただの風邪だ。気にするな」

そうです、陰謀論、反科学・医療、アンチ…。もしこういう両親のもとで生まれてしまった子どもだったら…。それはもう大変なんてものではありません。ワクチンを接種できない。マスクも買ってもらえない。病気の存在自体を信じてくれない。こんな状況下で子どもだけがどんなに頑張っても限界があります。インターネットなどから正しい情報を選別できる能力が子にあっても親がダメだったら元も子もないのです。

子どもにとって親は全ての環境をコントロールできる頂点であり、影響力は甚大です。ときにそれはマイナスに働くこともあり、子どもの健康や権利を脅かすかもしれません。そうなってはほしくはないのですが、実際にそういう事態が起きている話を聞いてしまうと…可哀想というのは他人事なのだけども…。

そんな病気よりも禍災だと言いたいくらいの親に支配されてしまった子どもを描く映画が、今回の紹介する作品です。それが本作『さよなら、私のロンリー』

変なタイトルですよね。でも原題の方がヘンテコなんです。原題は「Kajillionaire」。カジ…? カジオネア? いや、カジリオネアか? なんだそれ?という感じですが、映画を観ればわかる。じゃあなぜ邦題は「さよなら、私のロンリー」なのか。これも映画を観ればわかる。さっきから説明を全くしていない気もしますが、ネタバレをしたくもないし…。なお、ロンリーという名前のキャラクターは登場しません。

本作はひとりの10代が主人公で、その子はなんとも言い難い奇妙な親に育てられ、独自のルールや世界観を教えられて、それに従って生きています。そこから逸脱することは許されない、そう妄信して…。

こういう両親の独特の束縛の中で生きる子どもを描いた映画は過去にもいくつもあります。例えば、『籠の中の乙女』『はじまりへの旅』『ブリグズビー・ベア』などなど。どれも非常にクセが強いのが特徴です。

『さよなら、私のロンリー』もご多分に漏れず、クセは相当に目立っているのですが、まあ、そこも映画を観ればわかる。ほんと、ずっと「映画を観ればわかる」しか言ってない…。でも今作に関しては個人的な趣味にマッチするかなと思った人は前情報無しで鑑賞してほしいのですよね。そういう出会いで映画への印象も変わるものですから。良い掘り出し物を見つけられたな…みたいな満足感に包まれたりね…。

私が本作を意識して観ようと思った理由は、LGBTQに関するメディア表象をモニタリングしているGLAADが贈る賞で、2021年に限定リリース部門で作品賞に、この『さよなら、私のロンリー』がノミネートされていたからです。そう、つまり察しがつくとおり、本作はLGBTQ表象が描かれています。これも詳しくは観てのお楽しみ。でもステキな表象でしたよ。

この一風変わった『さよなら、私のロンリー』を監督したのは“ミランダ・ジュライ”という人で、2005年の長編映画デビュー作『君とボクの虹色の世界』でカンヌ国際映画祭にてカメラ・ドールを受賞し、脚光を浴びました。ただそんなに映画を連発して作ってはおらず、もともと作家やミュージシャンとしてマルチに活躍しているタイプの人なんですね。『さよなら、私のロンリー』は久々の監督作です。

なお、“ミランダ・ジュライ”はあの『20センチュリー・ウーマン』などでおなじみの監督である“マイク・ミルズ”とパートナー関係にあります。“ミランダ・ジュライ”は1990年代のフェミニズム運動(ライオット・ガール)にかなり影響を受けているクリエイターで、そんな彼女がこの第4波フェミニズム真っ盛りの時代に何を描くのか、そこも注目ですね。

主演は、ドラマ『ウエストワールド』でも異彩を放つ演技を見せた“エヴァン・レイチェル・ウッド”。この『さよなら、私のロンリー』はキャリアの中でも格別に異色なんじゃないだろうか。

共演は、『サムワン・グレート 輝く人に』『AWAKE/アウェイク』の“ジーナ・ロドリゲス”、『シェイプ・オブ・ウォーター』の“リチャード・ジェンキンス”、『愛と青春の旅立ち』の“デブラ・ウィンガー”など。

残念ながら日本では劇場公開されずに配信スルーになってしまったのですが、この一筋縄ではいかないフェミニズムでクィアな映画は、ハマる人にしっかり届いてほしいと思います。

オススメ度のチェック

ひとり4.0:変わった映画が好きなら
友人3.0:趣味の合う者同士で
恋人3.0:ロマンスは意外にも…
キッズ3.0:親の愛はない物語だけど
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『さよなら、私のロンリー』予告動画

KAJILLIONAIRE – Official Trailer [HD] – In Theaters September 25
↓ここからネタバレが含まれます↓

『さよなら、私のロンリー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):なんだアイツ…

とある街。バス停にローカルバスが停まり、また発車します。しかし、バスが立ち去った後でも依然としてそこに立ち続けている、明らかに雰囲気が変な3人。高齢な男女と、少し離れた距離にいるのは、娘なのか…長髪で地味な感じです。

老齢男女の合図とともに若い女性が謎のモーションとともにすぐ近くの建物へ入っていきます。そして手を伸ばし、小包みを盗み取るのでした。路地裏で両親のロバートテレサに見せるその若い女性。

彼女の名前は「オールド・ドリオ」。これが名前です。この家族はこの街で“あること”をしてずっと生き抜いてきました。それは世間的にはよろしくない行為…犯罪です。街中を転々と歩いては小さな犯罪を重ねていく3人。気が付けば通りすがりになんでも盗みますし、美味しい話を持ちかけてカネを騙し取ることもあります。家にお邪魔すればそのへんからモノを盗むのも日常茶飯事。手癖が悪い? これがこの家族の普通です。

オールド・ドリオ含む家族3人はとあるアパートのオフィスだった部屋に住んでいます。モノはそのまま残っています。このオフィス、問題をひとつ抱えており、他所の別部屋で排水に流したはずの洗剤の泡が壁から大量に漏れ出してくるのです。そのたびに3人で必死に泡を拭かないと、オフィスが泡で埋もれてしまいます。

ある日、いつもの場所で盗めないことに気づきました。監視カメラもあります。しかし、家族は今すぐにでもおカネが要ります。

そこで空港でロストパッケージ(荷物の紛失)をしたふりをして、旅行保険からカネを騙し取る作戦を考えつきました。飛行機に乗らないといけないですが、これでまとまったカネが手に入ります。

さっそく飛行機へ。揺れにやたらパニックを起こす3人。慣れません。ところが両親が別の若い女性と親しく話すようになり、後ろの離れた席でオールド・ドリオはその光景を気にしていました。その女性は随分とお喋りで自分とは雰囲気が全然違います。

手荷物受取所に立ちながら反対側にいる両親を見つめるオールド・ドリオ。両親はあの女性と仲良く立ち去ります。とりあえず計画どおりロストパッケージでおカネをゲットしようとしますが、小切手が届くのはしばらく後のようです。

それよりもあの女性です。なんと両親はそのメラニーという女性を日頃の犯罪家業に加えるようです。これがオールド・ドリオは気に入りません。でも逆らえないのでしぶしぶ一緒に行動。

何も疑わずに命令に従ってきたオールド・ドリオにとって初めて自分の居場所が揺らぐ瞬間。そして自分の在り方を悩みだすことになり…。

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なんだこの家族…

『さよなら、私のロンリー』、最初から最後まで奇妙なストーリーでした。

本作におけるオールド・ドリオの両親。やっていることは看過も擁護もできない迷惑千万です。詐欺師といっても華麗な大犯罪を実行するわけではない。要はコソ泥であり、悪徳商法のペテン師であり、本当にただその場しのぎで自堕落に淡々と犯罪をするだけ。

しかも、曲がりなりにも娘であるオールド・ドリオを“利用できる人員”くらいにしか見ていません。あの家族にとっては「家族」という概念自体も犯罪のための設定にすぎないのでしょう。

あとなんだか陰謀論者的な言動もあり、世間のルールや一般通念を邪道だと思っているのが会話を聞いているとわかります。定職に就いたり、健全に人間関係を構築したり、そんなものはダメな人間の生き方なんだという…そういう根拠不明の自論を標榜するわかりやすいフレーズが「カジリオネア」。でも実際の陰謀論者も本当にこんな思考だからなぁ…。

さらにはこの家族にメラニーが加わってからわかるあの行為とかも…。あれで完全に“変わった人たち”では済まない許容ライン超えを見せてきます。ああ、ヤバイなこいつら…っていう。

つまり、モラルもなければ、常識もないし、法令順守(コンプライアンス)もないし、家族愛もない。いや、そもそも「家族」というものを根本から何か私利私欲で勘違いしている。観客から観れば「これはアウトだな」と一発で判定される存在です。

ところが本作はそこをシリアスに描くことはせず、謎のコミカルさでやけに軽快に描いていきます

とくにあの家族を象徴するものとして映し出されるのが、あのオフィスルームの漏れ出る泡です。ブクブクブクと壁から異様な色で溢れてくる泡泡の塊。あんな部屋、そもそもアパート全体の物件の価値がゼロだと思うのですが(外で寝泊まりするほうがマシではないか)、まさしくこの家族そのもの。客観的に分析なんてしなくても崩壊しているのは一目瞭然なのです。

また、地震をやたらと恐れたり。飛行機内でのパニックっぷりはシュールでしたね。喋り続けようと必死になっているけど無意味さが漂っている、あの感じ。この家族、日本には絶対に住めないな…。

最新バスタブを見物して勢いで買っちゃうあたりもね、あのオフィスにどうやって持ち込んだんだろう…。

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独りぼっち…ではない

そんな家族に従ってきたのがオールド・ドリオです。彼女の存在感が最高ですね。

全くケアはしてないだろう伸び切った長髪、サイズの合っていないダボっとした服、低い声でボソボソと喋るテンション、生気のない表情…。

どれをとっても世間のウケが良くないだろうと思える存在。でもそこに愛嬌がある。意味不明なモーションも加わってこの珍妙さが不思議と楽しくなってくる。珍生物を眺めている気分というか、ペットみたいな…。メラニーの部屋に初めてきたときに落ち着かなさそうにキョロキョロしている姿とか、初めて人間の家に飼われることになった子犬や子猫っぽいです。

本作は雑にまとめると、このオールド・ドリオが「こんなにも世界は広くて可能性があるんだ」と気づく話であり、同時に自分の生き方を見い出す物語でもあります。家族に捨てられるかもしれないじゃない、私が家族を捨てていいんだ…という。

それをアシストするのがメラニーです。彼女はムードメーカーな存在ですぐにあのオールド・ドリオの両親に馴染みます。実際はメラニーはしたたかで、オールド・ドリオの両親を利用するくらいのつもりでいたのかもしれません。オールド・ドリオもメラニーのことを最初は「なんだアイツ」という目でしか見ていない。犬とか猫ってこういうふうによそ者を睨むよね…。

しかし、メラニーはオールド・ドリオとの生活に思わぬ共存を見い出し、オールド・ドリオもまたメラニーというこれまでの人生を塗り替える存在に価値観の大転換をもたらすことになる。

当初は4人で疑似家族ごっこみたいなこともしていましたけど、あれこそ偽りそのものであり、むしろオールド・ドリオとメラニーの2人生活の方が微笑ましく、私はずっと見ていたい気持ちでした。

結局、オールド・ドリオとメラニーの2人生活空間はあらゆるモノをあの下劣な両親に奪われてしまいます。でも一番大事なものは奪われなかった。部屋のものが跡形も無くなっても、無くなっていないものがある。

そうしてオールド・ドリオとメラニーがキスして同性愛なエンディングを迎えるのですが、ここでクレジットでも流れていくのが“ボビー・ヴィントン”の「Mr. Lonely」という名曲のカバー。独りぼっち、でも独りぼっちではない、最後のオールド・ドリオにぴったりです。ちなみにオールド・ドリオを演じた“エヴァン・レイチェル・ウッド”はバイセクシュアルです。

既存の家族規範なんて実はそんな大したものじゃない。その場しのぎの利益しか考えていないだけかもしれない。それよりも自分の大事なものを見つけよう。そういうメッセージをとてつもなくヘンテコな迂回をしながら私たちに届ける、なんとも泡立つ一作でした。

『さよなら、私のロンリー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 47%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

作品ポスター・画像 (C)2020 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

以上、『さよなら、私のロンリー』の感想でした。

Kajillionaire (2020) [Japanese Review]