もしもハイテク銃を拾ったら…映画『KIN キン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年11月29日
監督:ジョナサン・ベイカー、ジョシュ・ベイカー
KIN キン
きん
『KIN キン』あらすじ
デトロイトで養父ハルと暮らす少年イーライの家に、刑務所から出所した兄ジミーが帰ってくる。ジミーはギャングのボスであるテイラーに借りた大金の返済に迫られていた。そんな中、イーライは廃墟の中で発見した見慣れない銃のようなアイテムを手にする。そしてジミーが起こしてしまったトラブルが原因でイーライとジミーの逃避行が始まる。彼らを追う存在は複数いた…。
『KIN キン』感想(ネタバレなし)
落とし物を拾ったら…
よく日本人に関して言われがちなことで「日本では落とし物がちゃんと持ち主に届く」という話があります。日本の良心を示すエピソードとして国外からピックアップされることも多い話題ですが、実際、日本の落とし物事情を詳しく調べることはあまりありません。
警視庁の遺失物取扱状況の統計を見ていると、なかなかに驚愕の実態が明らかになります。平成30年のデータですが、受理された拾得届(拾いましたと警察に届けられたモノ)のうち、現金はなんと総額で38億3900万円以上にのぼるらしいのです。警視庁の管轄する東京都内だけでこの数字は凄まじいものがあります。このうちだいたい28億円くらいは失くした持ち主に返還され、4億9000万円くらいは拾った人のものになっているようです。ちなみに遺失届(落としましたと無くした本人から警察に報告されたモノ)のうち、現金は総額84億円以上だとか。こうやって見ると落とし物がちゃんと持ち主に届く以前に、落としすぎなんじゃないかという根本的なツッコミがなくもない…。
笑っちゃうのが傘の落とし物で、遺失者に返還される傘よりも拾得者に引渡される傘の方が圧倒的に他のモノよりもずば抜けて多く、やっぱり傘は使い捨てのように放置されている実態がよくわかります。まあ、傘ですからね…。
私は人生で10円玉くらいしか拾ったことがない…。84億円も転がっているはずなのに10円しか拾えない自分って…。
なんでこんな話から始めたのかといえば、落とし物に関する映画が今回の紹介対象だからです。それが本作『KIN キン』。
この『KIN キン』という映画の物語内で主人公の少年が拾ったものは、多額の札束が入ったアタッシュケースでも、謎めいた秘密を感じる何かの鍵でも、可愛らしいキュートな瞳で見つめる子猫でもなく、銃。それも明らかに現代の地球のモノとは思えない、超ハイテクな近未来風の銃です。普通、こんな銃を拾ったら「おもちゃかな?」と思ってしまいそうですが、ただのプラスチック製のモデルガンでもなく、ガチで攻撃能力を持った銃なのでした。しかもこの銃は何か特別な事情があるらしく…。そんな銃を拾った少年をめぐるSFストーリーが展開されます。
もともとが2014年に発表された『Bag Man』という短編映画を長編映画化したもので、短編はYouTubeで視聴可能ですが、銃を拾うという物語の起点は同じでありつつ、他の大部分はかなり追加で構成された内容になっています。
この短編を作り、『KIN キン』で長編映画監督デビューも果たしたのが“ジョナサン&ジョシュ・ベイカー”というオーストラリア出身の双子の兄弟。もともとCMディレクターを担当して業界で地位を確立していたそうです。CMクリエイターらしく、無駄を削ぎ落した映像センスだけでストーリーテリングしているあたりに、作家性がガンガン出ている感じがします。
主演となる主人公の少年を演じるのは、オーディションを見事に勝ち抜き、長編映画初出演となった“マイルズ・トゥルイット”。ここからさらなる飛躍を魅せるのか。
他にも、『トランスフォーマー ロストエイジ』に出演していた(ただ私はどんな役だったか全然思いだせない…)“ジャック・レイナー”、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『ファンタスティック・ビースト』シリーズでの活躍も印象的な“ゾーイ・クラヴィッツ”、『僕のワンダフル』シリーズでも渋い演技を見せた“デニス・クエイド”、『ディザスター・アーティスト』で強烈な名演を見せたばかりの“ジェームズ・フランコ”と、結構な顔ぶれです。
加えて『KIN キン』は製作総指揮に『クリード』シリーズや『ブラックパンサー』の悪役でおなじみの“マイケル・B・ジョーダン”がクレジットされており、作中でもこっそり出演しています。たぶん顔さえわかっていれば「あぁ、ここで出てくるのかー!」となるはずです。
かなり小規模系のSF作品ですし、そこまで壮大な映像や世界観が展開されていくわけでもないですが、ミニマムなSFがお好みの人はハマると思います。脳内妄想力で余白の多い物語を自らイマジネーションしていく、そんな観客の“拾っていく”精神が求められるかもしれません。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(マニアックなSFを) |
友人 | ◯(SF好き同士で) |
恋人 | ◯(地味なSFではあるが) |
キッズ | ◯(やや退屈かもしれないが) |
『KIN キン』感想(ネタバレあり)
その銃ではなく、あなたに秘密がある
廃墟。壁も床もボロボロなその建物は打ち捨てられてかなり時間が経過しているようです。こんな場所に足を踏み入れる人は普通はいません。しかし、謎の揺れが起こり、その微振動が地面の水を揺らします。そして、閃光、爆発、何かが飛び出し…。
デトロイトの街に住む14歳の少年イーライは父親のハルと二人暮らしをしていました。その生活は決して裕福ではありませんが、住む家があるだけマシと言えます。イーライは母を亡くしている孤児であり、このハルも実は血は繋がっていない養父。養子としての関係であるイーライですが、ここが自分の今の居場所でした。
しかし、どこかそんな家にもしっくりこないのか、外をフラフラと自転車で出歩いては、廃墟で売れるガラクタがないか探しまわる日々。そして、やってきたのが例の冒頭の廃墟です。人などいるはずもない建物に立ち入ると、何かの気配を感じます。その違和感の正体はわからず、あたりを探索。呼びかけるも反応なしで、ますます不安は膨らむばかり。
そして建物内で見つけてしまったのは、首がない死体。そのそばには、見たことがないようなヘルメットをまとった別の死体もあります。その横にはなんだかよくわからないアイテム。触ってみるとそれはどうやら銃らしきもので、ギミック式で起動します。すると、死体だと思っていたヘルメット人間が動き出し、びっくり仰天。急いで自分の自転車で退散します。その銃を持って…。
そんな奇妙な出来事を黙って心にしまいながら、ハルと家で過ごしていると、刑務所を出所した兄のジミーが帰ってきます。もちろん兄と言っても血縁上のつながりはありません。このジミーは強盗で捕まっていましたが、彼だけが逮捕され、一緒に盗みに入ってた犯罪組織グループのリーダーのテイラーに借金がありました。それは多額。当然、簡単には返せませんが、相手のテイラーはかなりのワルらしく、家族の命も危ないのだとか。しかし、払う余裕もありません。
追い込まれたジミーはテイラーに煽られるままにハルの事務所からおカネを強奪する計画に乗ります。いざ事務所に侵入して、部屋を焦っていると、偶然ハルが戻ってきてしまいました。ハルは近くの車にイーライを置いてきています。ばったり遭遇によって、なんとか場をとりなそうとするジミーでしたが一触即発の緊張感は高まり、ついにはテイラーはハルを銃で撃って殺害。ジミーは凶行にでたテイラーと争い、誤ってテイラーの仲間を撃ってしまい、室内は騒然。なんとかおカネだけを持って一目散に逃げだしたジミーは外の車の中で待っていたイーライに理由の説明もなく急いで車を発進させます。
もう平穏ではいられません。その緊迫を理解しているのはジミーだけ。イーライはハルが死亡した事実さえも知らず、まだ呑気。二人で旅をすることにします。おカネはあるので当分は困らないはず。だた、行先のあては本当はどこにもなく…。
道中、ジミーは世間を知らない弟のためを思ったのか、イーライを大人のクラブに連れていきます。すっかりセクシー美女のパフォーマンスに目が釘付けになってしまうイーライを笑いながら、ミーはストリッパーを何人も周囲に集めては束の間の時間を満喫して現実逃避。しかし、そんな有頂天な姿を見ていたオーナーたちがジミーに警告。それを強きに無視したジミーは、殴られ、蹴られ、ボコボコに。
イーライは思わずジミーを助けるべく、あの銃で大人たちを脅します。しかも、音にびっくりした拍子に撃ってしまいました。人には当たりませんでしたが、ビリヤード台が一瞬で消失するくらいの威力を発揮。唖然として動けない大人たちを尻目に、脱兎のごとくまたも逃走。イーライたちと仲良くなっていたストリッパーのミリーも一緒にこの逃避行に加わります。
そしてそんなイーライたちを追いかける2つの集団。ひとつは復讐に燃えるテイラーのグループ。もうひとつは謎めいたヘルメット人間の2人。
この銃は幸か不幸か、どちらへ導くのか…。
拾いたくなるんです
『KIN キン』はイーライが銃を拾って、例の事件が起こるまで、ここのパートは比較的のんびりしています。
こういうなんか変な近未来的アイテムを拾って物語が始まるのはSFの定番。まあ、本作の場合は、イーライは拾ったというよりは「盗った」に近いシチュエーションなのですけど…。
最初は自分が経験した事態にドッキドキでしたが、冷静に落ち着いてみると、拾った銃に惚れ惚れするイーライ。なんだろう、この気持ちわかる。なにかホログラム的なスコープサイトが表示され、いかにも子ども心をくすぐるデザイン。かっこつけて鏡の前でポーズをとってみる、そんな痛々しさも共感できます。
子どもってなんだか知らないですけど道端にある気に入ったものを収集してくるクセがありますよね。私も子ども時代は冬ならば学校の帰り道で拾った「つらら」を家まで持って帰ったりしたなぁ。もちろん室内に持ち込めないので、玄関先に置いておくのですけど、なぜか長くて大きいつららを手にすればそれだけで優越感に浸れた。そんな幼少の記憶が懐かしい…。
いや、もしかしたら大人になった今の私でもあの銃を万が一拾ったら、鏡の前で射撃ポージングをしているかもしれない…。あ、うん、警察に届けます、はい…。
それにしても『グレタ GRETA』の時も思いましたけど、さすがアメリカ。警察に届けるという選択肢は微塵もないですね。
そんな銃がついに火を噴くクラブでのシーン。そして、畜舎の奥にある賭けポーカー場を襲撃しておカネを取り返すシーンでも、車を吹っ飛ばす破壊力。終盤は警察署内での大立ち回り。オリジナルの短編の方では全然銃を射撃する場面がなかったので、このあたりの大盤振る舞いは楽しいものです。横やりを入れるようで悪いですけど、こういう高威力の大型ハイテク銃を使うとき、反動はどうなっているんだとついつい思ってしまう自分。まあ、きっと特別な機能で相殺しているに違いない。
ただ、この『KIN キン』は銃でひたすらにぶっ放し、敵を粉砕していくオーバーキルを満喫するジャンル映画にはなりません。そういうのを期待していた人には申し訳ないですが。確かにあのヘルメット組の正体と言い、イーライの正体と言い、ちょっと『ターミネーター』っぽさがある世界観です。しかし、明らかにそちらとは違う路線に突き進んでいきます。
黒人社会を映すSFの価値
『KIN キン』のテーマはタイトルにハッキリ表れています。「kin」というのは「親類」を意味します。
イーライは親がいないと思っていました。そこで疑似家族としてのハルとジミーの家庭に身を寄せ、そこで繋がりを実感します。とくに物語終盤まではこのジミーとの血縁はないけれども何かを共有している感覚がずっと描かれていきます。
このパートでのやりとりも微笑ましいように表面上は見えます。銃の威力を知ったジミーが、イーライにしか撃てないその謎の銃をテキトーに野外で撃たせてみせて、大はしゃぎするシーンとか。でも冷静に振り返ると、少年を暴力の道にふざけ半分で追いやっているだけ。
それに対するカウンターとしてのラストのシーンです。颯爽と現れたヘルメット組の二人(クレジットでは「Cleaner」)。そのヘルメットに隠れていた顔が明らかになり、真実も判明。どうやらイーライはこのヘルメット組と仲間らしく、だから銃が使えたのであり、イーライは未来では特別な存在でずっと守っていたのだとか。そしてイーライが向ける銃をそっと取り上げます。
この世界観におけるイーライの果たすべきことは何なのか、それは明示されません。でも今のアメリカの社会情勢を知っていれば推測するのは難しくないことです。それはイーライが黒人少年であり、ヘルメット組のひとりが“マイケル・B・ジョーダン”演じる黒人だということからも浮き彫りになります。物語が示唆するのは、黒人社会における暴力の連鎖を断ち切ること。黒人コミュニティという真の血縁が教えてくれる未来の道しるべです。
『ブラックパンサー』と芯のテーマは同じですね(“マイケル・B・ジョーダン”の役割が逆転しているのがユニークですが)。
『KIN キン』はこれ自体がまるでドラマシリーズの第1話のような話であり、いかにも続編ありきに見えますが、そういうストーリーの展開を積み重ねるものではきっとないと思います。なにしろSFなのですから。SFというのは「科学」という武器をつかってこの私たちの世界の在り様をフィクションで表現したものです。今作のラストの後に何が起きるのか、イーライの身に何が待っているのか、その答えはまさしく私たちが生きる今の時代に出されること。差別や偏見に現在進行形で苦しむアフリカ系アメリカ人の未来がどうなるのかという話です。
『KIN キン』がSFでありながらデトロイトを舞台にし、アメリカの代表的な鳥である「アメリカワシミミズク」を出したり(短編にも登場していました)、明らかにアメリカを強調しているのも、これはアメリカのSFなんですよというアピールに他なりません。
私は『KIN キン』は今のアメリカが直面する時代性を強く反映した、もうひとつの『ターミネーター ニュー・フェイト』なんだと思います。未来を変える運命を背負った主人公の物語。
この作品が黒人である“マイケル・B・ジョーダン”の製作総指揮のもと、非アメリカ人である“ジョナサン&ジョシュ・ベイカー”監督の手で生み出されたというのも大きい意味があるのではないでしょうか。アメリカの現実を客観視した鋭さが光ります。
黒人社会の問題をSFのフォーマットで描くと言えば、同類の作品としては『シー・ユー・イエスタデイ』が最近はありましたけど、あちらはかなりストレートで誰でも伝わりやすい間口の広さが好印象でしたが、『KIN キン』のようなコアな作品が生まれてくれたのも嬉しいかぎりです。
今後もっと人種問題を切り込む多様なアプローチのSFが誕生してくれるといいですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 32% Audience 54%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
以上、『KIN キン』の感想でした。
Kin (2018) [Japanese Review] 『KIN キン』考察・評価レビュー