RMFの意味はどこにある?…映画『憐れみの3章』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・イギリス(2024年)
日本公開日:2024年9月27日
監督:ヨルゴス・ランティモス
性暴力描写 動物虐待描写(ペット) ゴア描写 性描写
あわれみのさんしょう
『憐れみの3章』物語 簡単紹介
『憐れみの3章』感想(ネタバレなし)
YLのトリプティック
「三連祭壇画(triptych)」というのがあります。
これは芸術作品をの表現のひとつのタイプで、絵画において3つのセクションに分かれたものをワンセットで成り立たせます。“ヒエロニムス・ボス”や”ハンス・メムリンク”といった画家が好んでこの形式を用い、主に初期のキリスト教美術に見られ、教会や大聖堂の祭壇画として人気があったそうです。3枚のパネルからなる蝶番式になっているので、パタンと閉じて持ち運びやすいのも好評だったとか。
3枚の絵は当然無関係ではなく、何かしらのテーマを共有し、連結しています。絵ということで一望して楽しめるのも手軽ですね。
そんな三連祭壇画のスタイルを映画に応用したものもあります。今回紹介する作品はまさしく三連祭映画です。
それが本作『憐れみの3章』。原題は「Kinds of Kindness」。
本作はアンソロジー映画であり、3つのエピソードで成り立っており、ドラマ3話分くらいのボリュームです。それぞれが独立しており、物語に直接的な繋がりはありません。しかし、三連祭壇画を模しているのでテーマは通じています。
そこで問題はテーマです。三連祭壇画ならキリスト教が定番ですが、今作『憐れみの3章』は王道の宗教というよりは…もっとこう何というか…束縛的な支配関係を主題にしています。まあ、宗教にもそういう一面があるものですけど、人と人との関係には常につきものですからね。
そしてこの監督ならそんなスタイルもテーマもお手の物で…。“ヨルゴス・ランティモス”っていう名前ですけど…。
ギリシャの奇才“ヨルゴス・ランティモス”監督作は、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017年)、『女王陛下のお気に入り』(2018年)、『哀れなるものたち』(2023年)と近年はどんどん大作化していっていました(とは言っても作家性は全く揺らいでいないけども)。
今作『憐れみの3章』では久々に小規模作に戻り(ただ、製作費的には前作もそこまで極端に高くないですが)、フィルモグラフィーの初期の頃に戻った感じに。2009年の『籠の中の乙女』を思い出しますね。
もちろん“ヨルゴス・ランティモス”監督おなじみの不条理な喜劇?悲劇?が3連発で繰り出されます。笑えるか笑えないかは知ったことではないといういつもの切れ味。不道徳な暴力も相変わらずグサグサバコバコきめてきます。
脚本は、“ヨルゴス・ランティモス”監督作ではよくタッグを組む”エフティミス・フィリップ”と一緒です。
今回はその不条理さの主役となる俳優たちの大部分が、3つの物語すべてに出演しており、演じる役は異なるという立ち位置になっています。そのため、俳優ファンにとっては1本の映画で俳優の演技が3キャラぶん楽しめるというお得さです。
メインの主役を演じるのは、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の“ジェシー・プレモンス”と、“ヨルゴス・ランティモス”監督作の常連にすっかりなっている”エマ・ストーン”。”エマ・ストーン”は『女王陛下のお気に入り』と『哀れなるものたち』に続いて3連続で、“ヨルゴス・ランティモス”監督から離れそうにないですね。
さらに『ビートルジュース ビートルジュース』の”ウィレム・デフォー”、『ドライブアウェイ・ドールズ』の“マーガレット・クアリー”、『少女バーディ 大人への階段』の“ジョー・アルウィン”といった“ヨルゴス・ランティモス”監督作と付き合いのある俳優も揃っています。
加えて、『ザ・ホエール』の“ホン・チャウ”、『眠りの地』の“ママドゥ・アティエ”の新規参加組もいます。
これらの俳優は今作の3つの物語でそれぞれ異なる役ででているので注目してみてください。
また、短い出番ですが、ドラマ『ユーフォリア/EUPHORIA』や映画『ハンガー・ゲーム0』の“ハンター・シェイファー”も出演しています。
“ヨルゴス・ランティモス”監督作が大好物な人だけにしかオススメできそうにないですが、不条理アートな『憐れみの3章』をぜひ鑑賞してみては?
あ、今作は犬の愛好家には「許せん!」となるシーンがありますよ。
『憐れみの3章』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :監督ファン向け |
友人 | :癖が相当に強いけど |
恋人 | :デート向けではない |
キッズ | :子どもには不向き |
『憐れみの3章』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ある邸宅に車が1台、停車します。降りてきたのはシャツに「R.M.F.」と小さく書かれている男。女性が玄関を開け、電話をしながら今しがた来たばかりのこの人物の特徴を電話相手に説明しています。
その女性、ヴィヴィアンの電話相手は同棲している自分よりもはるかに年配の男性のレイモンド。「R.M.F.」の人物は髭面で仁王立ちのまま何も言いません。ヴィヴィアンは淡々と封筒を渡し、「R.M.F.」の人物はそのまま立ち去ります。
夜の街、ロバート・フレッチャーは車の運転席で何か待機。ある車が来たのを確認し、おもむろに交差点で飛び出して衝突します。ロバートはゆっくりと降り、ぶつけた車の運転手を確認。その人は「R.M.F.」の人物です。
ロバートは駆け付けた救急車の中で手当てを受けます。幸い、ロバート側は軽症でした。「R.M.F.」の人物も無事だったようです。
そんな1日が終わり、ロバートは帰宅し、時計を確認。電気を消し、ベッドにつくと、その隣には妻のサラが寝ています。
朝、起床するとサラの昨夜の事故の話をしますが、「何もなかったので心配しないでほしい」とロバートは平然としています。
その後に出勤。ロバートの職場は、高層ビルのオフィスで角のガラス張りの部屋です。恵まれたキャリアにありました。
実はロバートは上司のレイモンドのあらゆる指示を従順に守って過ごしていました。その指示は紙にメモされており、着るもの、食べるもの、読むもの、行動の一挙手一投足が事細かく書かれており、何時にそれをするかも指定されています。
レイモンドの部屋へ行き、いつもどおりに忠実さを示すロバート。レイモンドも満足そうです。
さらにロバートはレイモンドの家を訪れます。あの「R.M.F.」を殺すために車を衝突させるよう命じたのもレイモンドでした。しかし、さすがに殺人をするのはロバートも躊躇いがあり、その苦悩を口にします。
しかし、それを聞いたレイモンドはロバートを見捨てるかのような言葉をかけ、平然と放置してしまいました。
翌日、家で目が覚めると玄関ドアが開いていました。しかも、レイモンドからプレゼントされたジョン・マッケンローの壊れたテニスラケットが盗まれていました。大切にしていましたが、跡形もなく消えています。
これだけでは終わりません。動揺したロバートは妻のサラに自分が妻に密かにやっていたことを自白します。妻はショックを受け、夫との関係を絶ちます。
こうして家庭は一瞬で崩壊し、ロバートはそれがレイモンドに見限られたせいであると考え始め、レイモンドとの関係を回復しようとしますが…。
優しくコントロールしましょう
ここから『憐れみの3章』のネタバレありの感想本文です。
『憐れみの3章』の原題は「Kinds of Kindness」。「kindness」は「親切」や「優しさ」という意味ですけど、邦題はかなり全然意味の異なる「憐み」となっています。これはもしかしたら“ヨルゴス・ランティモス”監督の前作『哀れなるものたち』に合わせたのか、単なる日本語の語感か…。
正直、「kindness」とあえてタイトルにつけるこの原題のほうが皮肉な味わいが苦々しく舌に残っていい気がします。なにせこの映画の物語、一般に考えられるような「優しさ」なんて欠片もないような人たちばかりです。
本作を構成する3つの物語の共通点はコントロールを描いていること。
最初の物語『The Death of R.M.F.』は、職場の上司レイモンドに私生活さえも行動すべてを管理され、あまつさえ殺人まで指示される男のロバートを描いています。最後は開き直ってターゲットを事務的に轢き殺し、上司に「お前ならできると思っていた」と温かく認められます。上司から部下へという企業組織内で生じる典型的な服従の関係を徹底して露悪的に映し出していました。
次の物語『R.M.F. Is Flying』は、海で行方不明になった妻リズが生還するも、その性格は変貌しており、夫のダニエルとの間に緊張が走ります。夫婦のどちらが支配権を獲得するかというよく起きがちな家庭問題を、まさかのカニバリズムで表現するというエゲつなさ。最後は最初の妻が自身の腹を切り開いて死亡し、その直後に夫の理想の妻が玄関の前に現れます。
3番目の物語『R.M.F. Eats a Sandwich』は、純潔を失ったという理由でカルトを追い出されてしまったエミリーが、自分を部分的に勝手に投影させたルースに死者蘇生の能力があると見い出し、それでカルトへの復帰を狙います。カルトではありますが、コミュニティに認められたいという承認欲求はどの世界にもあること。最後はエミリーの暴走する強欲が事故を起こし…。
“ヨルゴス・ランティモス”監督作らしい語り口なのが、このコントロールを論じるうえで、支配と制御に惹かれるという非倫理と不道徳をまるで嗜むように映画内で弄んでいます。変態的ひねくれさは今作も絶好調でした。“ヨルゴス・ランティモス”監督は私は映画でしか知らないけど、素でもこんなにひねくれてるのだろうか…。
3章構成という今作の独自のアプローチも、“ヨルゴス・ランティモス”監督の作家性をブレさせることは微塵もなく、同じ個所にヘビーパンチを決めてくるので痛みは3倍。この映画自体が“ヨルゴス・ランティモス”監督によって私たちを服従させるマインドコントロールだったのかもしれない…。
「R.M.F.」の正体は…
『憐れみの3章』の俳優陣もキレキレでどのエピソードでも見ごたえがありました。
“ジェシー・プレモンス”は何かと幸薄そうな役どころが他の映画でも多いのですけど、今回も3つの物語ともに魂を抜かれたように流されているだけ。でもこれが“ジェシー・プレモンス”に合っているから…。これを言ったら可哀想だけども、“ジェシー・プレモンス”は“ヨルゴス・ランティモス”監督に虐げられるのにうってつけな俳優だった…。
”エマ・ストーン”は最初の物語では出番は少ないですが、2番目の物語では頭角を現し出し、3番目の物語で一気に全てを持っていく。しっかりラストではダンスもお見せして、”エマ・ストーン”は“ヨルゴス・ランティモス”監督作というステージを思う存分にできる場として愛用してますね。好きなだけ踊ってください。
他にも名演を炸裂させる俳優がたくさんいましたが、気になるのはやはり「R.M.F.」という人物。この人は謎だらけです。「R.M.F.」というのもイニシャルだと当初は言及されていますが、それも確かではありません。あんなシャツに小さい字で名前のイニシャルを書く意味もないですし、何かしらの企業ロゴだとしてもあまりにも地味すぎます。
本作の物語は、全てにおいて多くの登場人物が何かのコントロール下にあります。それは前述したとおりです。しかし、「R.M.F.」の人物だけはそれに当てはまりません。
言うなれば、「R.M.F.」の人物はモブキャラ。本当に通りすがりのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)みたいです。
1番目の物語ではわけもわからず殺される役柄。2番目の物語ではヘリコプターの操縦士。3番目の物語では蘇った死体でサンドイッチを食べる。
3つの物語すべてにおいて「R.M.F.」の人物だけは同一人物に思えますけども、それも確証はないです。
これだけ意味のないキャラクターなのに、各物語のエピソード名になぜか採用されているという意味深さ。
「どういうことなの?」と“ヨルゴス・ランティモス”監督に聞いてみたいですけども、“ヨルゴス・ランティモス”監督の中ではあの「R.M.F.」には何の意味もないそうです。
やっぱり弄ばれているんだ…。
『憐れみの3章』はこれまでの“ヨルゴス・ランティモス”監督のフィルモグラフィーの中では、堂々たる暗黒喜劇悲劇の派手さはないですし、起承転結でガツンと盛り上げるわけでもないので、この無味乾燥を退屈に感じるのも無理はありません。160分オーバーと長いですし…。
三連祭壇画と違って全体を一望できないというのは、映画ならではの欠点かもしれないですね。エンディングまで付き合わせないといけないので…。
ある意味、“ヨルゴス・ランティモス”監督にどこまでついていけるのかというマニアを選りすぐる体験でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024 20th Century Studios. All Rights Reserved. カインズ・オブ・カインドネス あわれみの3章 憐みの3章
以上、『憐れみの3章』の感想でした。
Kinds of Kindness (2024) [Japanese Review] 『憐れみの3章』考察・評価レビュー
#カルト #夫婦