いつからダメになったのだろう…Netflix映画『いつか笑いあえるなら』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スウェーデン(2024年)
日本では劇場未公開:2024年にNetflixで配信
監督:ヨセフィーヌ・ボルネブーシェ
性描写 恋愛描写
いつかわらいあえるなら
『いつか笑いあえるなら』物語 簡単紹介
『いつか笑いあえるなら』感想(ネタバレなし)
今日もどこかで家族は破綻していく
11月には「家族の日」なるものが日本では設定されているのを知っていたでしょうか。私は気にしたこともないのですけども、そういう日があるそうです。
2007年から11月の第3日曜日を「家族の日」、その前後各1週間を「家族の週間」と定めているとのこと。この目的は政府の広報の文章をそのまま借りるなら、「子どもと子育てを応援する社会の実現のためには、個人の希望がかなえられるバランスの取れた総合的な子育て支援を推進していくことが大切」「家族や地域の大切さ、こどもを社会全体で温かく包み込む大切さなどについて理解を深めてもらうため」…と説明されています。
正直、日本で暮らしていて、この国が家族や子育てを大切にし、社会が温かく包み込んでいるなんて微塵も感じたことはない気がしますが、私だけではないですよね…。
「家族の日」なんてものはさておき、私たちの大半にとって「家族」というものは最も身近にある最小のコミュニティです。それが自身に居心地の良さを与えているかどうかは別問題ですけど…。
というか、「私にとって家族は完璧な空間です」と言いきれる人のほうがきっと珍しいはず。多くの人は家族にどこか不満があったり、すれ違いを感じているのではないでしょうか。
今回紹介する映画はそんなゆっくりと壊れ始めた家族の行く末を静かに描いた作品です。
それが本作『いつか笑いあえるなら』。
本作はいわゆる夫婦倦怠モノであり、機能不全に陥った家族モノでもあります。主人公となっている一家は、妻(母)・夫(父)・娘・息子の4人家族で、特段の異色さはありません。作中では最初から家族の関係が相当にギクシャクしているところから始まりますが、それもどの一般家庭でも起きうるありふれた日常になっています。
だからこそ他人事ではいられないリアルさがあるでしょうし、本作のストーリーテリングもいかにも大袈裟な展開もなく、淡々と進んでいくのがまた心が苦しくなっていきます。
観ている間は「こういうことってあるなぁ…」という既視感と、「でもどうすればいいんだろうね…」といういたたまれなさの板挟みになります。
一応、本作はそんな奈落に突き落とすような憂鬱な結末とかではありませんし、破綻する家族関係に思い悩む人の心の重みをわずかでも減らせたら…という想いが製作は込められているのだろうなということは察せますが…。
『いつか笑いあえるなら』はスウェーデン映画でもあり、北欧らしい空気感の中で「家族」への批評性がグサっと刺さる一作でもありますね。
この『いつか笑いあえるなら』を監督するのは、“ヨセフィーヌ・ボルネブーシェ”というスウェーデン出身の俳優で、本作においても主演の女性(妻&母)の役を熱演しています。
監督としてのキャリアは2010年代後半から本格化し、2019年には『Älska mig』というドラマシリーズで監督&主演を兼任し、2020年には映画『Orca』でコロナ禍の人々を活写しました。最近だと2024年の話題作であるドラマ『私のトナカイちゃん』でもエピソード監督を務めていました。
『いつか笑いあえるなら』では“ヨセフィーヌ・ボルネブーシェ”は脚本も手がけていますが、これまでのフィルモグラフィーを観れば家族ドラマを扱うのはお手の物なのでしょう。私も“ヨセフィーヌ・ボルネブーシェ”監督作の映画を観るのはこれが初でしたが、才能の練度を感じました。
『いつか笑いあえるなら』は「Netflix」で独占配信されています。
『いつか笑いあえるなら』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2024年11月1日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :静かに味わう |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :素直に会話できる相手と |
キッズ | :大人のドラマです |
『いつか笑いあえるなら』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
グスタフはカップル・セラピストとして悩める相談者に優しくアドバイスするのが仕事です。どんなペアでもいずれ関係が冷めきってしまうこともある。でもコミュニケーションの中で昔に出会った頃を思い出し、また関係を再構築できる…と。
しかし、当のグスタフの家族にもその関係性の冷えは訪れていました。グスタフの妻であり、2人の子の母であるステラは、幼い息子のマンネを迎えに行き、疲れ切って家に帰宅。
そこにいるのは思春期を迎えて親を信用しなくなった10代の娘のアンナ。ポールダンスをしているのですが、大会の参加には親の同意が要るのにもかかわらず、書類の親のサインを勝手に自分で書いていたのが発覚。ステラは偽造はダメだと叱ります。アンナは口汚く母を罵り、「自分のやりかたを押し付けないで」と不満をぶちまけます。
「親が大会に応援に来ても楽しくなんかない」と大声を張り上げ、もはや夕食どころではありません。覆面を被るのが癖になっているマンネは自分のパスタだけ周りと違うことが気になるようでモタモタしています。食物アレルギーなのですが、まだ自分の健康をよく理解できていません。
ステラは2人の子どもに同時に対応するのに精一杯です。
その光景をグスタフは黙って席に座って見つめているだけでした。母と子の喧嘩に介入もしません。無表情です。
ついにはアンナはブチ切れてテーブルから立ち去り、マンネも真似をして去ってしまいます。
残ったのは夫婦のみ。唐突にグスタフは「離婚したい」と切り出します。「もう無理なんだ」と険しい顔でじっと見つめるグスタフ。さすがに動揺をみせるステラでしたが、「今は離婚できない」と答えるだけでした。
その場をひとまず離れたステラはバスルームで感情を抑えられずに涙します。
その後はマンネのためにベッドで隣り合って読み聞かせをし、あることを決めます。それはアンナのポールダンス大会に家族で行くこと。
そのいきなりの提案に「僕への罰なのか?」「僕らは幸せか?」…とグスタフは困惑。そんな問いかけもステラは無視します。とにかく行く。それだけです。それが終わった後に離婚するかどうかを考えると告げます。
翌日の職場ではグスタフは混乱しながら文句が止まりません。密かに恋愛関係にある同僚に慰めてもらいます。グスタフにとってはさっさと別れ、この新しいパートナーと一緒に平穏に過ごしたい気持ちだけが募ります。
いよいよ出発の日。大会開催地のスコーネには空路で向かいます。空港の手荷物チェックで多少の混乱もありつつ、飛行機に乗り込みます。マンネは全く落ち着かず座席でもじっとしません。ステラは面倒をみることに追われます。一方のグスタフは我関せずひとりでワインを飲んでいました。
そしてやっと飛行機から出ることができましたが、まだトラブルは何度も連発し…。
夫(父)のぎこちない一歩一歩の成長
ここから『いつか笑いあえるなら』のネタバレありの感想本文です。
『いつか笑いあえるなら』は冒頭から気まずすぎる家族の現場を見せつけられることになります。
そして開幕10分もしないうちに「これ、ステラに一方的に負担をかけすぎでは?」と、とくに専門家でなくても、この家族の問題の第一原因を観客はすぐに突き止めることができます。要するにグスタフです。
グスタフはよりにもよってカップル・セラピストらしく、職場では饒舌かつ的確にカップルの関係修復のアドバイスをしているのですが、自身ではまるで実行できていません。セラピスト本人が自分の問題に対応できない…という設定は、ドラマ『シュリンキング 悩めるセラピスト』でもありましたが、最近のセラピスト主役作品では定番ですね。
このグスタフは育児に参加していません。飛行機内でステラが他の乗客には「ひとり親は大変ですね」なんて声をかけられる、笑うにも笑えないシーンがありますが、本当に前半は何もしません。
典型的な「子育てのやりかたがわからずに佇む男」というやつです。グスタフ自身はこの状況を「男と女の役割がそれぞれあって、ステラが子どものことをやらせてくれないし、ステラのやり方しか許されないから自分は疎外されている」と自己正当化しています。まあ、これもよくある言い訳のパターンですが…。
そしてこの家庭内の自己役割の喪失に耐えきれず、新しいパートナーとの関係でリセットしてしまおうと冒頭では考えるに至っています。夫の仕事も父の仕事も上手くできないからといって、そんなリセマラ(スマホゲームなどでよく行われるテクニック。欲しいキャラなどがガチャで入手できるまでゲームを最初からやり直し続ける行為のこと)みたいな手口にでても意味ないだろうに…。
愛人の存在がステラにバレても「君は意地悪だ」と開き直り、やけくそで開き直って父らしい行動に出始めるのですが、直後にアンナの荷物を空港で忘れるという致命的な失態をしでかしたことが発覚し…。
ここのグスタフはとにかく観てるこっちが恥ずかしくなるレベルの墓穴を掘っていました。傍から見るとコメディでもあるけれど、当の家族たちはそれどころじゃないですね…。
これだけの醜態のグスタフがここから挽回できるのかと心配になりますが、そんな男でもちょっとずつ成長します。成長できるんです。役に立たないとか卑屈になることはない、成長できると自分を信じろ!ってことです…。
セリアック病(タンパク質のグルテンに対する遺伝性の不耐症)を抱えるマンネという、子育て(食事編)の分野ではかなりデリケートで難易度の高いミッションを、「なんとかなるだろ!」の気合いでピザ屋に突っ込むグスタフ。失敗はしましたけど、その過程で息子とも親しくなれて…。
ポールダンスという自分には魅力はさっぱりわからない(散々ストリップと言われるのがまた…)趣味に熱中する娘のアンナとも、グスタフなりの不器用な寄り添いを重ねます。そう言えば、あの大会準備の場で出会った別の子の父の家族対処方法がなんかあれはあれでリアルでしたね…。
このポールダンスが意外に終盤で男女のコラボレーションとしての理想を提示する演出としても活かされているのも良かったです。
グスタフを演じた”ポール・スヴェーレ・ハーゲン”のあのいかにもダメそうな佇まいひとつとっても存在感が抜群でした。2024年に観た映画の中でも「不甲斐ない夫(父)」のナンバーワンだよ、お前は…。
そしてひとりになっても…
『いつか笑いあえるなら』における、一方の妻(母)であるステラですが、こちらは冒頭から育児過負荷で心も体もボロボロな雰囲気がありましたが、それでも「娘のポールダンス大会に家族で行く」という、この状態で決行するにはいささか無謀なチャレンジにでます。
序盤ではなぜこんなことをしたがるのかはわかりません。しかし、作中で説明されます。実はステフは癌を患っており、しかも末期で、自分の死期を自覚しているのでした。
本作は「グスタフが家族から離れるかどうか」の岐路に立たされているのではなく、「ステラが家族から離れないといけない」という宿命に直面している物語だったんですね。
印象的なのは、このステラが癌であるという事実が、グスタフとの関係修復の切り札的に使われるわけではないということ。グスタフはそれを知る前からもう家族の中での自分の居場所を再発見することができ、すでに自身で「今は家族を捨てたくない」と愛人に告げるほどになっていました。
ステラの病状がなければ穏やかなハッピーエンドだったはず。しかし、そうはいきません。
この癌であると公にしてからのパートは本作は非常にドライで、あまりドラマチックに描くこともしません。淡々とその後に何があったのかということが部分的に映像で流されていくだけです。このあえて突き放した演出もまた、一種のお涙頂戴で盛り上げることはしないという本作の姿勢として印象に残ります。
そしてラストは母親のいない家庭でひとりで2人の子を世話する父親の姿が日常的に映し出される。この感傷も抜きで何も語らずとも成長をみせる演出。序盤で何気なくユーモア的に登場した「ひとり親は大変ですね」というセリフがまさにこのエンディングの伏線になっていたわけですが(そうやって考えるとあのときのステラはこの言葉が別の重みとして刺さっていたのでしょうね)、どうしようもない現実がさらにダメ押しとなって成長した父親の姿がそこにありました。
本人の望むかたちではなかったでしょうけど、人はそうやって半ば強制的に成長する。それもまた家族の空間ではよく起きること…。
『いつか笑いあえるなら』は『クレイマー、クレイマー』をより突き詰めたような父親の男の成長譚として、スウェーデンからのひとつの良作の回答のような映画でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『いつか笑いあえるなら』の感想でした。
Let Go (2024) [Japanese Review] 『いつか笑いあえるなら』考察・評価レビュー
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