被害が被害を書き直す…Netflix映画『私は世界一幸運よ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にNetflixで配信
監督:マイク・バーカー
性暴力描写 性描写 恋愛描写
私は世界一幸運よ
わたしはせかいいちこううんよ
『私は世界一幸運よ』あらすじ
『私は世界一幸運よ』感想(ネタバレなし)
「Made Up Stories」の名を覚えよう
日本でも人気の小説が映画化されることはよくあります。日本の場合は、映画業界とテレビ業界と出版業界が今ではすっかり親密ということもあり、わりと平然と映像化に移行していき、メディアミックスも盛んです。同時展開するような光景もすっかり見慣れました。
一方のアメリカでは、映画化権をめぐる獲得競争の話題をよく目にします。やはり権利・契約を重視する業界の慣習のせいなのか、それとも市場規模のデカさゆえなのか、まずは権利獲得のための激しい競争が行われ、そこだけでもニュースになったりします。
小説を映像化する権利においても、出版されてベストセラーになってから権利獲得に動き出すだけでなく、中には出版前にすでに映像化の権利が買われている作品もあったりして、その手際の早さに驚きます。出版前の話題になりそうな小説を映像業界の関係者にこっそりお披露目して、商談を進めるような場が設けられているのかな。なかなかに目利きの力が問われそうですけど…。
今回紹介する映画も、原作は小説であり、その出版前にすでに映画化の権利がいち早く買われていた作品だそうです。
それが本作『私は世界一幸運よ』。
なんだかヘンテコな邦題ですが、その意味は実際に作品を観るとわかります。原題は「Luckiest Girl Alive」です。
本作の原作は2015年に“ジェシカ・ノール”という作家が執筆した小説です。デビュー作であり、一人称で書かれたこの小説は、出版後に好評となり、とくに『ゴーン・ガール』でおなじみの“ギリアン・フリン”とよく比較されています。
そしてこの小説の映画化権を我先にと獲得したのは、プロデューサーの“ブルーナ・パパンドレア”と俳優の“リース・ウィザースプーン”が設立した「Pacific Standard」。このスタジオは『ゴーン・ガール』の製作で有名であり、たぶん次の『ゴーン・ガール』枠になると見込んだのでしょうね。この両者はドラマ『ビッグ・リトル・ライズ』を手がけるなど、意欲的に作品を生み出してきました。
その後、“ブルーナ・パパンドレア”と“リース・ウィザースプーン”は関係性が解消し、“ブルーナ・パパンドレア”が独自に「Made Up Stories」というプロダクションを2017年に設立します。このプロダクションは、女性が生み出した物語を映像化し、多面的な女性の姿を描くことを使命にしているそうで、かなりスタンスが明確です。
「Made Up Stories」がこれまで送りだしてきた映画は、2018年の『ナイチンゲール』、2020年の『渇きと偽り』と『ペンギンが教えてくれたこと』など。ドラマだと『ナイン・パーフェクト・ストレンジャー』(2021年)や『ある告発の解剖』(2022年)など、多彩です。
これ以外にも続々と開発中の作品があるので、きっと今後も「Made Up Stories」の名は覚えておいて損はないでしょう。
で、その「Made Up Stories」最新作であるこの『私は世界一幸運よ』も言わずもがな、女性の主体性を描く物語です。一見するとキャリア的にも交際的にも順風満帆に見える若い女性の主人公。でもその裏には人に語れない過去があって…という、表面からは見えない女性の苦悩がこぼれ出る話。
これに関しては事前に伏せておく意味もないでしょうし、警告のためにも書いてしまいますが、本作は性暴力を主題にしています。直接的な性暴力の描写もあり、それ以外にも凄惨なシーンがあるので、鑑賞の際はフラッシュバック等には気を付けてください。
『私は世界一幸運よ』は社会問題としての女性への性暴力が軽視される構造、その残酷性というものを、ハッキリ突きつける作品です。
監督は、ドラマ『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』のエピソード監督をいくつも手がけてきた“マイク・バーカー”。脚本は、原作者である“ジェシカ・ノール”が手がけています。
『私は世界一幸運よ』の主人公を演じるのは、『ブラック・スワン』『ジュピター』『バッド・スパイ』などの多くの映画にでている“ミラ・クニス”。ウクライナ出身ということもあり、最近はロシアによるウクライナ侵攻の被害を受けた難民支援の活動もしています。
共演は、ドラマ『ラチェッド』の“フィン・ウィットロック”、『フランシス・ハ』の“ジャスティン・ルーペ”、ドラマ『Lの世界 ジェネレーションQ』の“ジェニファー・ビールス”、ドラマ『Cruel Summer』の“キアラ・オーレリア”など。
キツイ内容なので少し見るのに覚悟がいりますが、『私は世界一幸運よ』はNetflixで独占配信中です。
『私は世界一幸運よ』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2022年10月7日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :内容を踏まえて鑑賞の判断を |
友人 | :重苦しい面が多い |
恋人 | :恋愛気分ではない |
キッズ | :残酷な暴力描写が多め |
『私は世界一幸運よ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):名前を変えても…
2015年になっても結婚は女の成功だと思われていますが、アーニーは6週間後にこのイケメンのシェフであるルーク・ハリソンと結婚するので誇らしく思っていました。良家の娘ではありませんが、賢く恐ろしい秘密も持っている自分を、このボーイフレンドは受け止めて愛してくれています。
2人で食事中、ナイフを手にしたアーニーは嫌なフラッシュバックに襲われます。さっき料理用の包丁を選んでいるときも同じでした。不安になったアーニーは、彼が席を外した隙にピザを丸ごと口に放り込み、彼が帰って来たときに、店員がソーダをピザにこぼしたと誤魔化します。
アーニーの大学からの友達のネルは親身にサポートしてくれます。ネルは結婚するつもりはないそうです。ネルと電車にいるとき、向かいにいる男が気になり、またアーニーは息苦しくなり、ネルにもたれます。
アーニーはウィメンズ・バイブルのライターであり、お堅い社会派の記事を書いているエレノアとは違い、男をイカせるテクの記事を書きあげ、編集長のロロからは好感を持たれています。ニューヨークタイムズに昇進できる話もあり、副編集長の座も夢ではありません。
そんな中、会社に訪問者が来ます。ドキュメンタリーに出演する意志はないかと確認しに来た監督のアーロンでした。「何年もたったのに君はまだ疑いの目で見られている。銃乱射事件の唯一の被害者だ。君がヒーローか、共犯者か知りたがっている。ディーンの主張は? 釈明したいだろう」
そう言われるも、アーニーは断ります。ティファニーという名を出され、かつての自分の名の響きが心を乱します。
ディーン・バートンをネットで調べると、確かにティファニーが関与したと主張しており、1999年の事件が呼び覚まされます。
なんとか忘れようとソファでくつろいでいるとルークが来て、アーニーはディーンが犯罪ドキュメンタリーに出演する話をします。「出たければ出ればいい。弁明する必要はない」と語るルークは、話題を変え、自分のロンドン転勤の話を持ち出します。つまり、アーニーは専業主婦になってしまうということです。ロロがニューヨークタイムズとの契約を進めているので、アーニーはキャリアに手が届きそうなのですが、ルークは呑気です。
その不安がまた己の過去に引き戻してしまい、アーニーは昔を思い出します。
あれはまだ自分が何も知らなかった、ティファニー・ファネーリという名前の高校生のとき。ブレントリー校に通い始め、すぐに同年代の子に囲まれた生活を送ることになったわけですが、その10代の時間は楽しさばかりではありませんでした。
恐怖と屈辱の体験が頭から消えない…。
2人のサバイバーの違い
『私は世界一幸運よ』の主人公であるアーニーは冒頭からわかるとおり、明らかにフラッシュバックに苦しんでいます。刃物を手にしただけで激しい不安に襲われ、電車内でも男性相手に恐怖で動悸が激しくなる…。日常生活さえも乱される状況です。
一方で、ライター業ではどぎついほどに性的なネタを題材にして豪快にキャリアを突っ走っており、この表面だけを見ると、この女性がまさか性的暴力のサバイバーだとは想像つきません。しかし、この真逆の言動もまた自身の中にある体験の裏返しであり、ある種の自衛行動とも言えます。
作中で直接的に描写されますが、アーニーは10代の頃にパーティで酔いつぶれてしまい、3人の男子から集団性暴力を受けました。その後の対応も酷く、学校側も母親側も完全に被害者であるアーニーに対して二次加害をしてしまっています。
本作がユニークなのはそのサバイバーの過去との向き合いの話で終わるわけではなく、そこに学校内での銃乱射事件が重ねってくることです。アーニーは別に犯人ではなく、イジメを受けていた同級生のアーサーとベンが引き起こしたものなのですが、アーニーはそこでもサバイバーとなってしまいます。
そしてアーニーに性暴力をしたディーンも下半身不随の負傷をするも生存しており、この2人のサバイバーが対比的に描かれます。
確かに銃乱射事件においては同じ体験を共有するサバイバーであるも、このアーニーとディーンには決定的に違う部分もある。それは言うまでもないのですが、しかし社会はその違いに気づいていない。そしてディーン本人もいまだに無自覚だということが、終盤の大人になった車椅子のディーンの対面シーンでも浮き彫りになります。
また、婚約者であるルークとの対比も終盤は痛烈に突きつけられ、「君は前は楽しい子だった」という言葉の残酷さが印象的です。被害女性の気持ちをくんでくれるように思えた男であっても、その被害者になってしまった苦しみがどれほど深い沼地なのかはわかってくれていない…。虚しい別れです。
それにドキュメンタリーを作ろうとするアーロンの無神経さも象徴的で、ただでさえ昨今は犯罪ドキュメンタリーや史実の犯罪事件を題材にしたフィクション映画が乱発して作られる時代ですから、こういう被害者の心の整理をおざなりにしてドキュメンタリーが作られてしまうことの問題について考えたくなる物語でもありました。
銃規制反対派の主張を肯定しているみたいに思える
『私は世界一幸運よ』はそういう性暴力を単発の事件として捉えず、人生をずっと生きることになる被害者の苦悩として、またはその事件を矮小化する社会構造として、問題性を明示する作品であり、その点においては非常に丁寧です。
ただ、主題へのアプローチとして本作はかなり捻ったことをしており、そのやり方についてはこれで良かったのか?とモヤモヤする部分もあります。
『ゴーン・ガール』的な男女差の炙り出しと、『プロミシング・ヤング・ウーマン』的な復讐のストーリーなのですが、まずその前に銃乱射事件を組み込んでいく件についてが引っかかります。
狙いとしてはわかりますし、前述したように2人の男女のサバイバーの立ち位置の違いが浮き出るので、これはこれで意図としては成功はしています。
でもなんというか、性暴力という被害者を救うために、半ば別の暴力の被害者を踏みにじっているような気がしてくるのが問題で…。性暴力問題は重要ですが、銃乱射事件を利用する意味はあるのか…そうしなくても訴えることはできるのではないかとも思います。
これだと銃乱射事件の被害者側に落ち度があるように思えますし、本作で描かれる銃乱射事件は架空のものですが、やはりアメリカはこの手の事件が多発していることを踏まえても、これでは本作を観れば銃乱射事件の被害者の遺族は怒るんじゃないか、と。
そもそも銃乱射事件の加害者の抱える苦しさとアーニーの苦しさが重なりかける展開もありましたけど、この両者は全然別物ですよね。いくつかの銃乱射事件の加害者はミソジニーな存在であることが実際は観察されているわけですし…。
なんかエンディングの後味(ディーンは銃規制の救世主だったと通行人の女に言われる)からして銃規制反対派の「身を守るにはやっぱり銃だ」という主張を肯定している映画にも思えてくる…。
最終的にはディーンのレイプしたと認めた発言を録音し、世間に公表することで、多くの無名の被害女性たちの共感を得ていくというシーンで終わりますが、このジャーナリズム的な復讐のしかたも描写としては精密ではなく、わりと緩いのも気になります(ドキュメンタリー『キャッチ&キル / #MeToo告発の記録』を観てもわかるとおり、録音程度で世間を納得させられるほどに簡単な問題ではないだろうし…)。
アーニーのライターらしいリベンジを描いてこの物語を終わらせるなら、もっとこの部分の描写をたっぷり描いてもよかったのではないかな。性犯罪の専門家と共同で作業し、その過程で自分のケアもしながら、ひとつの告発記事として実力を見せるとか…。
そんなこんなで主題に対しての捻ったアプローチが余計な問題点の発生源になっている感じのする映画でもありましたが、犯罪ドキュメンタリーをやみくもに称賛する安易さに陥らないように自戒するには意義のある作品でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 43% Audience 76%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『私は世界一幸運よ』の感想でした。
Luckiest Girl Alive (2022) [Japanese Review] 『私は世界一幸運よ』考察・評価レビュー