みんなに支えられて…「Netflix」映画『愛しのセニョリータ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スペイン(2026年)
日本では劇場未公開:2026年にNetflixで配信
監督:フェルナンド・ゴンサレス・モリナ
LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
いとしのせにょりーた

『愛しのセニョリータ』物語 簡単紹介
『愛しのセニョリータ』感想(ネタバレなし)
スペインから新時代のインターセックス映画を
ヨーロッパのLGBTQの権利は2026年の春にまた大きな前進をみせました。4月29日、欧州議会はいわゆる「転向療法(コンバージョン・セラピー)」を欧州連合全域で禁止する法案を可決したのです(Washington Blade)。
転向療法は性的マイノリティの性的指向やジェンダー・アイデンティティを強制的に変える試みのことで、極めて有害であると専門家は問題視してきました(ドキュメンタリー映画『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』も参照)。これまでEU加盟国のうち転向療法を全面的に禁止している国は、ベルギー、キプロス、フランス、マルタ、ノルウェー、ポルトガル、スペインの7カ国だけ。今後さらなる保護が拡充されることが期待されています。
しかし、転向療法の禁止以外にも、まだまだ求められている平等のための施策はたくさんあります。
そのひとつが「インターセックスの乳児の性的特徴を変えるための不必要な医療介入の禁止」。それを先んじて禁止にしてインターセックスの権利の保護の先進国となっているのがスペインです。
そんな中、インターセックスの主人公を描くスペイン映画が2026年に「Netflix(ネットフリックス)」で独占配信されたので、今回はそれを紹介します。
それが本作『愛しのセニョリータ』。
実はこの映画はリメイク…というか、過去の映画の大幅な翻案で、元になっているのは1972年の“ハイメ・デ・アルミニャン”監督の『Mi querida señorita』という作品。こちらの映画は、当時の米アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされるなど、国際的にも注目されたスペイン映画でした。
物語は、「女性」として生きてきたものの、ある年齢で自分がインターセックスだと気づいたことで人生を見直していく主人公を描いています。
1972年の『Mi querida señorita』は、当時は性的マイノリティの迫害を政治的に行っていたフランコ政権の真っ只中ということもあり、そのテーマに向き合っただけでも大きな意義は確かにありました。
ただ、主人公を演じるのが“ホセ・ルイス・ロペス・バスケス”というシスジェンダー男優というキャスティングもあり、なおかつ物語の展開的にも、どうしても「“性規範から外れる存在”を難役として消費している」感じも否めませんでした。決して寄り添っていないわけではないにせよ、現代の感覚から観ると古すぎる表象なのは間違いないでしょう。
その映画を2026年に翻案して復活させた本作『愛しのセニョリータ』。どう変わったかと言えば、「visualization(可視化)」「acceptance(受容)」「solidarity(連帯)」の3点を満たした紛れもないエンパワーメントな一作に仕上がっています。
何よりも主人公をインターセックス当事者の“エリザベス・マルティネス”が演じており、製作陣もそこにこだわったそうで、一番の革新と言えるでしょう。もはや「マジョリティの観客や批評家を満足させる難役」ではなく「役者とキャラクターの感情的な繋がり」を引き出せるのですから。
2026年の『愛しのセニョリータ』を監督したのは、1920年代のフェミニズムの目覚めを映したドラマ『La otra mirada』を手がけた“フェルナンド・ゴンサレス・モリナ”。脚本は、トランスジェンダー女性の作家である“アラナ・ポルテロ”です。
また、製作には、スペインのトランスジェンダーの文化と歴史を映し出して高評価を得たドラマ『Veneno』を企画した“ハビエル・アンブロッシ”と“ハビエル・カルボ”が名を連ねています。
要するに非常にクィアを語るのに手慣れた座組であり、安定感がありますね。
インターセックスの権利の保護の先進国とスペインを紹介しましたけど、製作陣いわくそんなスペインでもインターセックスの認知度は低く、だからこそ『愛しのセニョリータ』を2026年に制作したとのこと。
正真正銘のクィア映画として自身を誇るようになった本作は新しい輝きを放っています。
「そもそもインターセックスって何?」という人は、「生物学的性別」について解説した以下の記事か、そこでも触れられているドキュメンタリー映画『エブリボディ』を、『愛しのセニョリータ』を観る前でも観た後でもいいので、ぜひチェックしてください。


『愛しのセニョリータ』を観る前のQ&A
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Q『愛しのセニョリータ』は日本ではいつどこで配信されていますか?
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A
「Netflix」でオリジナル映画として2026年5月1日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 性的マイノリティの感情的な苦悩が描かれます。 |
| キッズ | 一部に性的なシーンがあります。 |
『愛しのセニョリータ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ひとりの女性が赤ん坊に母乳を与えています。「この女の子は美しいでしょ」とその女性は自信たっぷりに嬉しそうですが、傍にいる男は複雑な顔を浮かべ、同調しようとしません。
月日は流れ、1999年、スペインのパンプローナ。26歳のアデラは父の骨董品を手伝いながら、子どもたちに優しく教えつつ、生計を立てていました。
ある日、祖母のアデリーナを助手席に乗せ、雨の中で車を走らせていました。背の高さなど女らしくない容姿にアデラは内心では劣等感を感じていたのですが、つい祖母の言葉に感情的になってしまいます。そして、よそ見運転で交通事故を起こしてしまいました。慌てて救急車を呼び、祖母を搬送。幸いなことに祖母は無事で、しばらく経過観察が必要な程度のようです。
疲れ切って家に帰ってきますが、両親はアデラに厳しい態度を崩しません。シャワーで疲れを癒し、洗面所で「Estradiol Meriestra」と書かれたエストロゲン製剤を服用するのはいつもの日課。母に言われるがままに15歳から服用しています。
そんなとき、イサベルという心理セラピストがやってきます。家で安静にしている祖母のサポートのために尽くしてくれ、慣れた手つきでさっそく仕事にとりかかります。
イサベルはアデラも事故に遭っていたので、気を利かせて彼女の身体も診てくれます。イサベルの手で肌に触れられ、なんだかドキドキするアデラ。妙な気分になり、動揺して部屋を飛び出してしまいます。
教会に足を運ぶと、モニカ・ナランホのパワフルな曲をガンガン鳴らしまくりながら熱唱する司祭の男に出会います。ホセ・マリアという名で、新しく赴任してきたようです。司祭は気さくな人で、アデラにも好意的でした。
また、幼馴染だったサンティアゴにも久しぶりに再会します。
そして産婦人科に言って、自分の身体を診てもらいたいと思うようになりますが、母は妙に消極的で…。

ここから『愛しのセニョリータ』のネタバレありの感想本文です。
孤独な不安と自己決定
2026年の映画『愛しのセニョリータ』は間違いなくインターセックスを主題とする映画です。それは「インターセックス」と作中で言葉が登場するからではありません。物語のあらゆる語り口がインターセックスの当事者の苦悩を投影しているからです。
本作はインターセックスの物語をクィア映画のアプローチで表現しているのが特徴でしょう。
インターセックスとトランスジェンダーの経験は似通っているところもあります。一方で、明確に異なるところもあります。それが浮き上がってくるストーリーでした。
例えば、主人公のアデラは自身の性別に対する違和感をずっと抱えて生きてきました。両親はその違和感に向き合ってくれず、妙に規範的なジェンダーの在り方を押し付けもします。それがまた苦しさを増長します。
しかし、その違和感の正体はインターセックスの場合は、医者の検査でハッキリと提示されてしまいます。
これに関して「検査で白黒つけられるならそれでいいじゃないか」と思うかもですけど、実際のところ、当事者にとって一番ツラいのはこの瞬間です。本作で最も残酷なのはアデラが医師に自分の性的特徴について診断結果を説明される場面だと思います。
この診断を伝えるシーンは、鑑賞した人によっては「インターセックスを説明する」役割があると捉えているかもしれません。確かにそれはそうなのですが、単なる説明的なシーンというだけでなく、こここそ当事者の苦痛を直視させるシーンです。その苦痛を大半のマジョリティは理解してくれないゆえに、この映画はそれを描いています。
もちろんあの医師は何も悪気はないです。「あなたは女性器もあるけど、内部に精巣もあります」と淡々と事実を述べているだけ。しかし、医者と両親との間だけで手術が実行され、本人は蚊帳の外で医療的行為が実行された過去も触れられ、それは本人にしてみれば「今さらどうしろと?」という話です。
これはまさしく「身体の自己決定権」が脅かされた事実を示しているわけですから。
その苦悩を象徴するさりげない要素も上手く散りばめられていました。
わかりやすいのは、アデラが描いている天使の絵画で、歴史的に天使は両性具有的に描かれる存在ですが、あの診察以降、アデラにとっては「自分でも理解できない自分」の鏡映しにしかなりません。孤独な居場所だった骨董品店からすらも出ていくアデラの姿は、本人の不安がありありと伝わってきます。「家を出る」ということがアデラがようやくできた唯一の「自己決定」なのが寂しい…。
この前半から“エリザベス・マルティネス”の演技が随所に染みわたっていました。
異なる者同士の連帯、そして2026年
インターセックスというのはどうしてもその特性ゆえにセンセーショナルな存在に陥れる感じで描かれがちなのですけども、『愛しのセニョリータ』はそうはしません。
しかし、同じ当事者と出会うことは簡単にできません。ここは本作の舞台設定を元の映画からさらに変更して1999年にしたのが絶妙でしたね。
つまり、スペインでゲイ・プライドの抗議パレードが本格化した時期であり、一方でインターセックスの認知は性的マイノリティの間ですら乏しく、「LGBTQI」の連帯の輪がまだ確立できてもいない…。
現在のスペインだったら「インターセックス」とネット検索すれば、当事者の支援グループに行きつきますが、それが無理だった時代。そこに生きるアデラはどうすればいいのか…。
本作は、何かを他者化して疎外感を一層深めるのではなく、複雑さの中に身をゆだねる中での、誰かに手伝ってもらいながらの自己愛の探究を丁寧に描いてくれます。「インターセックスとLGBTは違うよね」と線引きするのはあまりに簡単だけど、完全な同一を求めるのではなくとも、部分的な共感が積み重なって、異なる者同士でも手を取りあえる未来があるのではないか、と。
彷徨うアデラの前にはたくさんのクィアなアライ(支援者)が現れます。
エイズでパートナーを亡くしたゲイのホセ・マリアは信仰とともに悲しみを乗り越える方法へと導いてくれます。レズビアンのイサベルは家の外での楽しみを教えてくれます。他にも、マドリードでのルームメイトも、コミュニティの中核にいるパトリシアも…。トランスジェンダー、ドラァグクイーン、はたまたキンクまで…。互いに異なるからこそ支え合う…。
2000年のマドリードでは「A.D.」と名乗るアデラがどんなジェンダー・アイデンティティを見出すかはわかりません。それよりも本作はもっと大前提となる自己肯定としての愛を見つける旅路です。
『愛しのセニョリータ』のラストはこの2000年代から新しい時代が始まるという希望が映されており、それは現在地のスペインの誇らしさでもあるのでしょう。
2023年、スペインは「Trans法」によって、転向療法の禁止、性別自己申告の合法化、インターセックスの乳児の性的特徴を変える不必要な医療介入の禁止を実現しました。でもマドリードでは保守的な政党の増大によって、この一部の権利が撤廃される動きもあります。
1972年の元の映画と同じように、この2026年の『愛しのセニョリータ』も政治的な圧力の中で闘っている映画なのです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
◎(充実/独創的)
以上、『愛しのセニョリータ』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Netflix
My Dearest Señorita (2026) [Japanese Review] 『愛しのセニョリータ』考察・評価レビュー
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