10歳の誰にも言えない思春期を繊細に映し出す…映画『揺れるとき』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2021年)
日本では劇場未公開:2023年にネット配信
監督:サミュエル・タイス
児童虐待描写 性描写
揺れるとき
ゆれるとき
『揺れるとき』あらすじ
『揺れるとき』感想(ネタバレなし)
2023年の「MyFFF」から…
国際的な大きな映画祭は何かと常に話題になりますが、日本では小さな映画祭たちも毎年定期的に行われており、映画ファンにとって大切な「映画と出会う場」です。とくに「国」にフィーチャーした小さな映画祭はその国の日本劇場未公開の映画が観れるチャンスとなります。
こういう小さな映画祭はマイナーなのであまり知らない人もいると思いますが、その中でも「マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(MyFFF)」は親しみやすいのではないでしょうか。
このMyFFFはオンラインのフランス映画祭であり、約200の国と地域で展開しているもの。フランスの小規模な映画をいくつかピックアップしてくれており、しっかり字幕つきで鑑賞できます。
2023年は第13回目を数え、すっかり映画祭として手慣れてきた感じです。2023年のMyFFFは、1月13日より開幕し、2月13日まで実施。コンペティション部門の長編映画と短編映画、さらに短編アニメーションやクラシック作品など全29作品のうち、日本国内では28作品が日本語字幕付きで配信されています。
このMyFFFが親しみやすい理由のひとつはオンライン開催であるという点。しかも登録などをする必要が一切ないということです。以前は専用のサイトでしか作品を視聴できなかったのですが、最近は利便性が向上。U-NEXT、VideoMarket、FOD、Rakuten TV、Apple TV、Google play、Amazonプライムビデオなど日本でも普及している各種動画配信サービス内で観れるようになっています。つまり、いつものようにデジタル動画を視聴する感覚で、映画祭に参加したも同然になる。お手軽ですね。
と言ってもその各種動画配信サービス内でもMyFFFをあまり取り上げてなかったりして、目立ってないこともあるのですが…。
私も過去には『ウィリー ナンバー1』や『アヴァ/Ava』などのMyFFFで扱われた映画の感想をこのサイトでも書いたりもしました。
2023年のMyFFFも作品は個性的なものばかりで充実しています。演技の仕事を夢見る若い女性2人のシスターフッドが試練に立たされる姿を描いた『波の間に』、不条理な人生に翻弄されながらも飛び続けようとする客室乗務員を描いた『そんなの気にしない』、ラジオの海賊版放送を送りながら時代の変化の中で自己を失うまいと抗う人間を描いた『マグネティック・ビート』、表裏のある人生を見つめ直していく女性をドラマチックに描いた『ジョーンについて』、先住民コミュニティの自治の必要性を訴える『ブートレッガー 密売人』など…。
さすがに全ての映画の感想は書けませんが、どれか一作くらいは感想として紹介しておこうと思い、今回はこの映画をセレクトしました。
それが本作『揺れるとき』です。
『揺れるとき』を私が選んだ理由は単純で、本作がクィアな作品だったからです。まあ、理由なんてそんなものでいいでしょう。
2021年のフランス映画である本作『揺れるとき』は、フランスのドイツ国境の平凡な街で暮らす、低所得労働者層の家庭で生まれた10歳の子どもが主人公です。事実上、シングルマザーの状態にあり、母親は男を転々とするような日々を送っています。そんな10歳の子の思春期の成長を切り抜いて映し出すような物語です。
雰囲気としては“セリーヌ・シアマ”監督の『トムボーイ』に近いものがありますが、内容はもちろん違ってきます。
『揺れるとき』では10歳の主人公が、とある男性の教師と親しくなりながら、自分の在り方を模索していく様子が丁寧に描かれていきます。セクシュアリティにまつわるエピソードも窺え、とても10歳の子らしいあやふやさです。
なんでもこの『揺れるとき』は監督の“サミュエル・タイス”の自伝的な要素が濃いそうで、外野の者にはわかりませんが、おそらく監督の個人的体験を反映しているのでしょう。
“サミュエル・タイス”監督は、2014年に『Party Girl』という映画を共同監督のひとりとして手がけており、高い評価を受けました。こちらの映画はバーのホステスとして働き続けてきた60歳の女性を主人公にしており、『揺れるとき』はまたガラっと主役の年齢を変えてきましたね。
思春期にひとり揺れる子どもの物語に関心があるという人、もしくはフランスの社会下層で生きる子どもたちの生活というテーマに興味がある人…。もちろんクィアな視点で映画を観たい人も…。そんな人にオススメの映画が『揺れるとき』です。
MyFFFが終わるとまた鑑賞の機会が減ってしまうかもしれないので、早めの視聴を推奨します。
『揺れるとき』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :思春期映画が観たいなら |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :エンタメ要素は薄い |
キッズ | :児童虐待描写ややあり |
『揺れるとき』予告動画
『揺れるとき』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):そんな時、先生と出会った
フランスのフォルバック。ひとりの子どもが男と同じ机にいます。明るい会話は無く、子どもは煙草を巻いて渡してあげます。「ジョニー、荷物を運べよ」と近くの男に言われ、机の男を抱きしめて作業に加わる子ども。男は窓からモノを放り投げて周囲に押さえつけられます。
小さい魚の入った水袋を両手に持ちながら、体に不釣り合いな大きなバックを肩にかけてのしのしと歩いていくジョニー。後ろには同じように荷物を抱えた家族がぞろぞろと続いています。母、兄、妹…。
引っ越し先のアパートに到着。いち早くアパートの新しい部屋に駆け上がり、ジョニーは魚を水槽に入れてあげます。
みんなで集まって談笑している最中、母ソニアはいかに以前付き合っていた男に耐えられなかったか、そして愛しているもののそうせざるを得なかった事情を語っています。
「愛してるのに別れるの?」とジョニーは口にし、母は「愛してても喧嘩は起こる。複雑なの。大人になればわかるわ」と述べます。
ある夜、母とはぐれ、お祭り会場のような場所でウロウロするジョニー。とぼとぼ歩いていると大人の男女が車の中で交わっている現場に遭遇 そっと立ち去ります。
母は部屋から出てこなく、ジョニーは幼い妹メリッサを着替えさせ、母の部屋のドア越しに声をかけて学校へ。
教室ではリヨンから来たアダムスキーという先生が「20年後の自分を語ってくれ」と30歳の理想について子どもたちに考えるように授業。子どもたちはそれぞれ自由に語りだすも、ジョニーも当てられますが「わからない」と答えます。ジョニーは逆に先生に質問し、アダムスキーも理知的に答えてみせます。
学校が終わり、妹を校門前で待ち、一緒に帰り、家では風呂に入れてあげます。
母の足をマッサージし、「ママにとって神様は?」と質問。「神様は私にとっては愛、運命…」そう言って母はジョニーを愛おしく抱きしめるのでした。
犬の散歩をしていた帰り、年上の少年が犬にレッドブルを強引に飲ませようとしてジョニーは困惑します。そこへ母が割り込んでベルトで少年たちを叩き、その気迫に少年たちは盛りあがり、卑猥な言葉をぶつけてきます。
母はイラつきながら「あんたも抵抗しろ」と叱りますが、ジョニーは母に顔を押さえつけられても抵抗はしません。
運動の授業の帰りのバス。アダムスキー先生は「ここが家だ」と運転手に話しているのを耳にし、ジョニーもその位置を確認します。
授業で詩を上手く暗唱できず、授業後にアダムスキー先生と2人きりで詩を手ぶりを交えて暗唱してみせ、褒められます。
学校の帰り、ジョニーは妹を連れながら、先生の家に寄り道。さらに夜まで待機し、先生が車で帰ってくる光景を物陰に隠れて少し離れた位置から見つめます。女性と一緒です。
家に帰ると、母はどこにいたのかと問い詰め、激昂した母に殴られたジョニーは家を飛び出し、アダムスキー先生の家に避難します。
世の中の何もかもが自分に合わないと感じていたジョニーにとって、今の一番の関心事はこのアダムスキー先生でした。自分なりに先生に接近しようと、あれこれと考え、先生の家にもよく足を運ぶようになり…。
ジョニーという子の見えない心情
『揺れるとき』の主人公、10歳のジョニーにとって、今の生活は決して豊かとは言い難いです。
詳細は述べられませんが、母親は男を転々とするタイプの女性のようで、冒頭ではとある男の家から家族総出で離れる引っ越しから始まります。ジョニーの態度からこの引っ越しに不満があるのが推察でき、そもそもジョニーはこういう生活自体が恥だと考えているようです。
世間的には、少なくとも近しい人たちの間では、ジョニーは年齢のわりには利口で大人っぽいとみなされています。実際、ジョニーは幼い妹の面倒を見ており、仕事で疲れた母親すらもマッサージしてケアしています。冒頭の魚の生命を最優先に行動している姿とかも随分と子どもらしくない態度です。逆にジョニーが子どもらしく甘えている様子は微塵も見られません。
これは母親がネグレクト気味ゆえに、ジョニーは防衛的に、または生きるためにこうやって大人っぽく振舞わないといけなくなったのだと分析することもできます。あの母もほとんど子育てをしている感じはないです。
一方で本作のジョニーは少しギフテッドみたいにも思える描き方にもなっています。学校でも同年代の子との一緒の授業をつまらなさそうにしており、どこか加減するのにうんざりしている様子が見て取れます。このレベルの授業は退屈なのか、屈辱的なのか…。
母親に「宗教の授業を望みません」という書類を書いてもらう際も、事前に文章はジョニーが考えています。母はあまり教育を受けてこなかったのか文章を書けないのでしょう。ジョニーは学校に行っているので読み書きができますが、それでも書類の文章まで書ける10歳の子はなかなかいません。
ジョニーにとって、家庭も学校も、周囲の子どもも大人も自分に全然合っていない。この不適合な環境に内心ではストレスを溜めながら、ジョニーはそれでも拒絶することなく、順応しようと静かに生きている。そんな感じです。
とにかく感情を表にだしませんよね。怒らないようにしているし、それと同等に喜んだりもしない。
たぶんジョニーにとって唯一気楽に振舞えるのはあの妹くらいなんでしょうね。当然、あの幼い妹と対等な会話はできませんが、でも気遣うことなく、テキトーに過ごしたりもできる。妹と奥様ごっこで犬の散歩しているくだりとか、本作でも珍しいジョニーの緩い姿が見れます。
周りにもう合わせてやらないぞ!
『揺れるとき』ではこの10歳のジョニーがアダムスキーという学校の先生に出会うことで転機が訪れるという話です。
最初の授業でジョニーは先生をわざと試すような質問を仕掛け、それでもアダムスキーは冷静に理路整然と答えくれます。ここでちょっとジョニーはアダムスキーを見直します。面白い大人がいるぞ…と。
そしてここぞとばかりに子どもという立場を利用して、何かとアダムスキーに接近を図ろうとします。いきなり子どもらしく教えてもらったり、2人きりの教室のシチュエーションを確保したり、ジョニーの策士っぷりが発揮されます。
それだけでなく、ジョニーはアダムスキーに明らかに好意…ここでいう好意とは、恋愛的もしくは性愛的なセクシュアリティを向ける対象としてみるということ…を持っています。
この題材は非常にバランスを間違えると危ういものであり、「大人と子どもの禁断の恋!」なんて無邪気に扱っていいものではありません。ましてや10歳ですからね。
しかし、『揺れるとき』はそんな安易な過ちはしておらず、しっかり倫理観を持った描き方をしているので、そこは安心します。過度にロマンチックにならず、センセーショナルで煽り立てることもせず、繊細な描写を維持しています。
ジョニーの想いを映す描写も、心拍数を計るためにアダムスキーがジョニーの首の頸動脈にも触れて計測してくれて目を閉じてじっとするジョニーの姿だったり、バイクの2人乗りでアダムスキーの背中を感じるジョニーの顔だったり、ひとつひとつのシーンが控えめでありながら、最低限のエモーションを秘めていました。
アダムスキーもとてもお手本的な行動をとる、教育者の鏡みたいな人物です。さすがに今回の物語ではちょっと可哀想な感じですが…(犯罪になっちゃうわけでアダムスキーとノラが急にジョニーと距離をとるのも無理はない)。
とは言え、一番に傷ついているのはジョニーのはず。なぜ周りの大人や兄は好きな相手と普通に一緒にいていいのに、自分はダメなのか。それを理解することができず、キス&上裸の一件でアダムスキーに激しく拒絶されて、ショックを受けるジョニー。あのジョニーの光景は心苦しい…。
学校で問題行動を起こし、校長と母の同席での面談の中、「悩み事があるの?」と聞かれても、やはり黙るしかできないジョニーです。
しかし、この映画はそこで終わらない。いや、展開としてはもうこれ以上はないのですが、ジョニーはここで終わってなるものかと自己主張を発露する。酔いつぶれた母に寄宿学校に行くと宣言し、鏡の前で体を揺らして激しく踊るジョニーのカットでエンディング。
悲壮感を漂わせて終わるのではなく、最後までジョニーの想いに寄り添いながら、ラストではジョニーが自我というものを全開にさせて、周囲に順応するのをやめたかに思えるシーンで閉幕します。
周りに合わせなくていいんだ! 家族の責任とか知ったことか!…というあのパワフルな着地は、抑圧的な映画の大部分を吹っ切るような痛快さで良かったです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Avenue_B ペティート・ネイチャー ソフティー
以上、『揺れるとき』の感想でした。
Petite nature (2021) [Japanese Review] 『揺れるとき』考察・評価レビュー