でもユーモアは音ズレしている…アニメシリーズ『ロックは淑女の嗜みでして』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2025年)
シーズン1:2025年に各サービスで放送・配信
監督:綿田慎也
ろっくはれでぃのたしなみでして
『ロックは淑女の嗜みでして』物語 簡単紹介
『ロックは淑女の嗜みでして』感想(ネタバレなし)
もっと私に演奏させろ!
「DownBeat」という歴史あるアメリカの音楽雑誌があるのですが、その1942年の誌面で、「もっと若い女性にバンド演奏をやらせろ!」(意訳)と大胆に威勢よく訴えたひとりの若い女性がいました。
その人とは「ヴィオラ・スミス」という女性です。
このヴィオラ・スミスは女性ドラマーの先駆者のひとりとされ、「最速の女性ドラマー」の異名を持ち、あのドラム史に名を残した同時代の“ジーン・クルーパ”に対しても「男性版ヴィオラ・スミスでしょ?」と評するほどの遠慮ない存在感を放っていたそうです。
前述した雑誌での訴えも、当時は戦時中でベテランの一流の男性バンド演奏者がどんどん兵に駆り出され、その補充で二流・三流の男性が演奏する中、「だったらもっと上手い女性演奏者を採用しろよ!」と主張してのことでした。
ヴィオラ・スミスは一瞬婚約するも結婚はしなかったそうで、107歳まで生き、現代からみても規範を吹っ飛ばす生き方をしてみせた女性ですね。
そのヴィオラ・スミスを始め、音楽史の出発点からしてアグレッシブだった女性演奏者たち。その魂は世界各地に拡散し、今や多くの音楽ジャンルで女性たちが激しく己の音楽を表現しています。
今回紹介するアニメシリーズも、きっとその歴史の上にある…はず。
それが本作『ロックは淑女の嗜みでして』です。
原作は『ヤングアニマル』で2022年から連載中の“福田宏”による漫画で、2025年にアニメ化されました。
いわゆる「ガールズバンド」ものなのですが、昨今、そのサブジャンルに該当するアニメは毎シーズン観察できるくらいに氾濫していますけども、この『ロックは淑女の嗜みでして』はやや毛色が違います。
というのも、普段は上品かつ清楚であれと厳格な教育を受ける「お嬢様学校」に在籍する女子高校生たちが、ハードなインストロック(インストゥルメンタル・ロック)のバンドに取り組む姿を描いているからです。当然、いつもの取り繕ってきた「大人しさ」は完全にかなぐり捨てて、担当楽器を激しく演奏します。
でもこういうキャラクターのギャップを意識するというのはガールズバンド・アニメの基本なのかもしれません。『けいおん!』だって「萌え」と「バンド」を組ませるという当時は新鮮なギャップ変化をもたらした組み合わせが土台になっていますし、最近の『ぼっち・ざ・ろっく!』だと「友達の乏しい孤独なティーンエイジャー」と「バンド」を組ませるギャップを軸にしています。
とにかくバンドをさせることで、その既存のキャラクターの型が大きく揺さぶられる…というのが典型的な作品構成のアプローチになっているんでしょうね。
『ロックは淑女の嗜みでして』もその設定上、味つけは相当に濃いですが、音楽に対する向き合い方は本気ですし、演奏パート含めアニメーションとしても真剣に描き抜いています。
本作では演奏部分は「BAND-MAID」という実際に音楽活動しているガールズロックバンドの人たちがそれぞれのキャラを担当しているみたいですね。インストバンドなのでボーカルはないのですが、キャラがやたらと全力で叫ぶシーンも多いので、声優の喉が心配になる…。
『ロックは淑女の嗜みでして』のアニメーションを手がけるのは「バンダイナムコピクチャーズ(BN Pictures)」。監督は『アイドルマスター ミリオンライブ!』の“綿田慎也”、シリーズ構成は『ワンルーム、日当たり普通、天使つき。』の“ヤスカワショウゴ”。
ゆったりできるアニメではありませんが、ガツンとエネルギーをもらうには、この『ロックは淑女の嗜みでして』はちょうどいいかもしれません。
『ロックは淑女の嗜みでして』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | やや性的なセリフがあります。 セクシュアライゼーション:一部あり |
『ロックは淑女の嗜みでして』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
鈴ノ宮りりさは桜心女学園高等部の1年生。この学校は一流の淑女だけが通えるところであり、在籍する全ての女子生徒はみんなおしとやかに過ごしていました。
転入して1か月しか経っていないので少し出遅れた鈴ノ宮りりさでしたが、その秀才さと優雅な雰囲気であっという間に同級生から尊敬を集めています。
しかし、鈴ノ宮りりさにはひとつ隠していることがありました。
優雅な休憩のひとときに女子生徒たちが好きな音楽の話題をしており、それぞれ「ショパン」や「ハチャトゥリアン」など有名なクラシック作曲家の名を挙げていく中、その場にいた鈴ノ宮りりさも「モーリス・ラヴェル」の『亡き王女のためのパヴァーヌ』をオススメし、完璧に場に溶け込み、かつ賞賛をまた増やします。
けれども実は鈴ノ宮りりさはクラシックをよく知りもせず、さらにはたいして面白いとも思っていませんでした。
母親の再婚で裕福な不動産王の鈴ノ宮家に加わっただけであり、そもそもこうした上流階級の文化には疎いです。今は必死に取り繕って装っているだけ。
ここに通っているのは財閥や伝統芸能の後継者など、出身からして自分とは異なる者ばかり。同年代の女子であろうとも本心では話は合いません。
刺激のない毎日を過ごす鈴ノ宮りりさには退屈ですが、母親のために「お嬢様」に徹し、この学園で最もレディだった生徒に与えられるという「高潔な乙女(ノーブル・メイデン)」の称号を手に入れようと目指していました。この称号を獲得できれば家族は救われるはず…。
その秘めた野心を胸に秘めながら廊下を歩いていると、あるひとりの女子生徒にぶつかってしまいます。
謝りながらその姿を目にしたとき、一瞬で見惚れてしまいます。息が止まるほどに美しい女子でした。その女子は優雅に頭を下げて去っていきます。
周りの生徒からあの女子は黒鉄音羽だと教えてもらいます。容姿端麗・品行方正であり、政界の重鎮のご息女として、別格の存在のようです。
あの生徒が自分の乗り越える相手になるのか…と思っていたとき、ちょうどあの黒鉄音羽とぶつかった場所で、ひとつのギターのピックを拾います。髑髏マークのデザインで、どう考えてもこの学園に似合わないアイテムです。誰も持っているはずのない代物がなぜ…?
鈴ノ宮りりさはこれがギターのピックだとすぐにわかります。それは彼女は昔にギターをしていたことがあるからです。本当に好きな音楽ジャンルはロックでした。
そのギターピックをつい手にしたまま、今日は学園から帰り、豪邸に戻ります。
ところが次の登校で、予想外の出会いをすることになってしまい…。
大和撫子の規範を罵声で吹き飛ばす

ここから『ロックは淑女の嗜みでして』のネタバレありの感想本文です。
『ロックは淑女の嗜みでして』は当然ながらアニメーションになれば「音」をつけることになりますし、演奏する「動き」も描かれます。となると、この作品のもともとのポテンシャルというか、迫力と解放感が表現によってリミッターが外れるように全開になりますので、非常に見ごたえがあるアニメになっていました。
ただでさえ、本作はハードなロックバンドの演奏がメインです。よくあるCGモデリングのキャラクターを動かすワンパターンではなく、ときおり絵を激しく崩す原作らしいコマを加えることで、他のガールズバンド・アニメはマネしないであろうこの作品ならではのオリジナリティがでていました。
さながら肉弾戦のバトル・シーンのように激しい演奏演出で、まさにキャラクターが戦うことになります。
そしてインストバンドであるというあたりも、既存のガールズバンド・アニメにはない攻めたスタイルだと思います。やはり最近はアニメと音楽を連動して売り込んでいくために、ボーカルが当然あるような楽曲を続々と売りたいという企画前提が普通ですから。それが簡単にできないのは商業的にはネックでしょうけども、この作品にとってはそれがアイデンティティです。
ちゃんと作中で「インストバンドの不利なところ」が赤裸々に語られるのもいいですね。
その『ロックは淑女の嗜みでして』は演奏アニメーションありきではありません。何よりも「お嬢様」がハードなロックバンドに熱中するという主軸を、単なる意外性だけに終わらせず、しっかりそれが「若い女性に押し付けられるジェンダー規範」を吹っ飛ばすという構図として機能しているのも見どころです。
学長が言い放つように、あの学園は「一族の繁栄に奉仕する格式ある大和撫子」を育成する場所であり、超保守的です(そのわりには鈴ノ宮りりさのあの髪型はOKなんだな…)。
そんな中、メインの4人の違いも面白く、抑圧や規範に対する対応の異なる者同士が触れ合い、互いの刺激となり、さらに解放に繋がるという好循環が生まれる過程が気持ちがいいです。
ギターの鈴ノ宮りりさは内心では反抗的ですが最も家庭に従順で、それが自分では意図せずともどんどんと崩されていきます。他者を気にしすぎるのは、抑圧に馴化してしまったゆえのよくある振る舞いですし…。
ドラムの黒鉄音羽は完全な自己快楽主義者であり、お嬢様でいることすらも抑圧的に感じている気配はなく、それでも知らない快感に飢えているのはやっぱり抑圧の被害の証ではあります。
キーボードの院瀬見ティナは、ジェンダー表現の規範を常に感じており、他人にどうあるべきかを決められるのではなく、自分でどうありたいかを決めていく…その手探りがバンド初心者の姿に重なっていました。
ベースの白矢環は、自分に意見してくれる人がいないという寂しさを内側に抱えて、やっとその弱さがこぼれ、そこで初めて新しい一歩を踏み出します。ベースの楽器の役割とも上手くシンクロしていました。
そんな4人があのバンドの中だけは自分を隠さずにぶつかり合える。日本の若い女子たちが日本的な規範を破壊していくのは痛快です。
こうやって振り返ると、結構フェミニズムな下地のある作品ですね。
現実のガールズバンドはもっと激しいです
そんな『ロックは淑女の嗜みでして』なのですが、その勢いのある大事なテーマに対し、ユーモアの側面はあまり噛み合っておらず、むしろ音ズレするかのように、テーマ性をノイズで損なわせている部分が散見されるのがちょっと気にはなりました。
本作はメインの女子たちの掛け合い、とくに黒鉄音羽のセリフ選びが明らかに意図的にキンクな感じになっています。鈴ノ宮りりさと音楽対決する姿も、ときどきBDSMのイメージ図を挿入し、ハッキリ狙った演出になっています。
別にこれ自体はとくにいいんです。黒鉄音羽の淫乱さをだす発言も、ギャップをみせる味つけ程度ならたいしたことはありません。
ただ、その淫乱さを醸し出すボキャブラリーと言いますか、アプローチがちょっとワンパターンすぎるのがどうも…。しかも、周りの女子をいくらキャーキャー言わせて誤魔化そうとも、そのスコポフィリックな演出はいちいち男目線な卑猥表現に変換されており、全然テーマとマッチしていません。
これをやるならもっと女性的な目線のセクシャルなユーモアを入れないとダメなんじゃないか、と。
だって現実のガールズバンドなんてそれこそ第3波フェミニズムの時代の1990年代頃から、セクシャルなアプローチで音楽パフォーマンスする人たちがごろごろ現れているんですよ。例えば、「Period Pains」(意味は「生理痛」)なんて名前のガールズロックバンドもあるし…。実写ドラマだと『絶叫パンクス レディパーツ!』はその方向性で見事に現代的なロックをフィクションでも成立させています。
『ロックは淑女の嗜みでして』だと、院瀬見ティナはとくにわかりやすく失敗している事例で、典型的な「ガールプリンス(girlprince)」なのですけども、豊満な胸を隠していてそれを曝け出すことに恥ずかしがりながらも音楽活動をするという、さすがに既存の男性オタクに媚びすぎるキャラ造形で…。これのどこかロックなのか。胸に「このおっぱいを見た男は100万払え! 女はタダだよ!」って書いていたら凄くロックだと思うけども。
終盤に出てくる男バンドのバッカスの女性ファン描写も貧弱で粗雑で、これも結局は「ガールズバンドがいかに女性に支持されているか」という現実をちゃんと調べて投影すれば、もっと説得力はいくらでもある描写に改善できると思います。「女性の音楽ファンはイケメンしか目がいっていない」というのはいささか舐めすぎです。
ということで、私はもっともっと激しいガールズバンドがアニメで観たいです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
日本のアニメシリーズの感想記事です。
・『アポカリプスホテル』

・『前橋ウィッチーズ』
作品ポスター・画像 (C)福田宏・白泉社/「ロックは淑女の嗜みでして」製作委員会 ロックは淑女のたしなみでして
以上、『ロックは淑女の嗜みでして』の感想でした。
Rock Is a Lady’s Modesty (2025) [Japanese Review] 『ロックは淑女の嗜みでして』考察・評価レビュー
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