クローネンバーグに体を乗っ取られたくない…映画『ポゼッサー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:カナダ・イギリス(2020年)
日本公開日:2022年3月4日
監督:ブランドン・クローネンバーグ
ゴア描写 性描写
ポゼッサー
ぽぜっさー
『ポゼッサー』あらすじ
『ポゼッサー』感想(ネタバレなし)
クローネンバーグの息子
“デヴィッド・クローネンバーグ”と言えば、知る人ぞ知る、マニアックな映画ファンの間でカルト的な支持を集める映画監督の代表格です。この“デヴィッド・クローネンバーグ”監督の作風のひとつが「ボディ・ホラー」。このジャンルは耳慣れない人にはさっぱりかもしれませんが、身体が極端に生々しく変容したり、異様に破壊されたり、はたまた不可解に異常状態になったり、要するに人体を不快感を煽るようにグロテスクに映し出すホラーのことです。
“デヴィッド・クローネンバーグ”監督はこのボディ・ホラーの第一人者であり、これまでいくつもの怪作を世に送り出し、そのたびに映画界をざわつかせてきました。
1981年の『スキャナーズ』では軽快に頭部を破裂させ、1982年の『ヴィデオドローム』では過激な映像に酔う私たち観客の心を見透かし、『ハエ男の恐怖』のリメイク作品である『ザ・フライ』(1986年)ではついにアカデミー賞でメイクアップ賞を受賞。1996年の『クラッシュ』はカンヌ国際映画祭を大荒れにさせました。
2014年の『マップ・トゥ・ザ・スターズ』以降はすっかり監督業はフェードアウト。『スタートレック ディスカバリー』などで俳優としてしれっと出演していたりするくらいです。
やはり映像技術の進歩によってボディ・ホラーの衝撃度は減退しつつあるというのが大きいかもしれません。今は何でもCGに見えてきてしまう時代。観客も過激な映像程度では何も感じなくなりつつあります。
そんな“デヴィッド・クローネンバーグ”監督に代わってなのかはわかりませんけど、その監督の息子である“ブランドン・クローネンバーグ”が実はボディ・ホラーを継承してコツコツと作品を生み出しています。
今回紹介する映画はその“ブランドン・クローネンバーグ”監督作の第2弾。
それが本作『ポゼッサー』です。
2012年に『アンチヴァイラル』という映画で長編監督デビューとなった“ブランドン・クローネンバーグ”監督ですが、本人は鬼才としてその名を今も轟かす父のことを意識していないと言っているのですが、その監督作はなんかやっぱり父親の作風に通じた雰囲気を持っています。
今回の『ポゼッサー』は前作以上に“デヴィッド・クローネンバーグ”監督風味が濃く、“ブランドン・クローネンバーグ”監督の家族観さえも滲み出ているんじゃないかと思える、そんな作品です。
タイトルの「possessor」は「所持者」を意味する単語。
主人公はひとりの人間。普通そうに見えてその職業は普通ではありません。殺人を請け負う企業で働いているのです。もうこの時点でだいぶヤバイのですが、その殺人方法がもっとヤバイ。どこぞの暗殺者のようにスマートにターゲットを射殺するとか、そういうことではないのです。ターゲットに近しい人間の精神を外部からコントロールし、マインドハッキングするようなかたちで操り、ターゲットを殺害するのです。なんでしょうね、なんてまどろっこしく面倒くさい手口なんだ!…と思いたくもなるのですが、そこは“ブランドン・クローネンバーグ”監督のこだわり。この他者を乗っ取るという要素をひたすらにおぞましく、それでいてどこか解放感もあるようなテイストで描き出しています。
主演は『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』や『スターリンの葬送狂騒曲』のようなドラマやコメディから『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』や『ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷』のようなホラー・スリラーまで幅広く活躍する“アンドレア・ライズボロー”。主演・製作を務めた『ナンシー』も良作でした。
そして、意識を乗っ取られてしまう可哀想な男の役を、『ワールド・トゥ・カム 彼女たちの夜明け』の“クリストファー・アボット”が演じています。
他にも『ヘイトフル・エイト』の“ジェニファー・ジェイソン・リー”、『ドローン・オブ・クライム』の“ショーン・ビーン”、『バグダッド・スキャンダル』の“ロッシフ・サザーランド”、『Mank/マンク』の“タペンス・ミドルトン”など。
まあ、これらの俳優陣の大半が作中で死んじゃうんですけどね…。
そう、この『ポゼッサー』は「R18+」にレーティングされています。理由はもちろん残酷な殺害描写があるからです。ほとんど殺しまくっているだけの映画ですからね…。『ハウス・ジャック・ビルト』と同じ感じのバイオレンス度合いだと思ってください。
クローネンバーグの味付けがお好みの方にはオススメの一品です(それ以外の嗜好の人には向かないけど)。
オススメ度のチェック
ひとり | :バイオレンス映画が好きなら |
友人 | :趣味が合う者同士で |
恋人 | :デート向きでは全くない |
キッズ | :R18+です |
『ポゼッサー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ポゼッサーになる
頭に何かを刺すひとりの女性。それはコードのようなものが付いており、目に涙を溜めて泣きながらも実行します。
ホリーと呼ばれた女性はエレベーターで豪華な内装のマンションを上がります。階段を抜けると大勢が立食パーティーの真っ最中。そのテーブルに整然と並べられた食事用のナイフをおもむろに手に取り、女はスタスタと会場のある場所へ。食事もお喋りも興味ありません。そこで普通に楽しんでいるひとりの男性しか眼中にありません。その男の首にナイフを突き立てます。
みんなが突然の凶行に散り散りに逃げる中、女は倒れた男を何度も何度も刺しまくり、男は血塗れで息絶えます。その血を手のひらで感じとり、女はカバンから銃を取り出し、自分の口にあてます。泣いて怯えながら銃を口にあてるのをやめるのですが、駆け付けた警官に撃たれ…。
装置を外されるひとりの人間。息絶え絶えで、すぐさま吐いてしまいます。彼女はタシャ・ヴォス。
タシャは殺人を秘密裏に請け負う企業に勤めていました。特殊なデバイスを標的に近しい人間に埋め込み、外部からその人間を操り、ターゲットを抹殺。殺害後はその操作対象となった人間も葬り去り、任務は完了です。
こうやって多くの殺害をこなしてきたタシャ。実は夫のマイケルと息子のアイラとの関係性に悩んでおり、上司であるガーダーに相談するも、ガーダーは家族は邪魔になるだけと考えているようでした。
家に帰宅する前に事前にどう声をかけるかの練習し、「ハイ、ダーリン」と繰り返すも、家族を前にぎこちなさは消えません。夫とベッドを共にしても、人を殺めるあの感覚を思い出してしまい、喋っている時も夫の首から血がしたたる幻覚が見えます。
それでも仕事は止まりません。次のターゲットはジョン・パースとその娘のエヴァ。相手は裕福な企業家であり、エヴァの婚約者であるコリン・テイトの意識に入り込み、任務を遂行することにします。
コリンの身でベッドから目覚めたタシャ。慣れない肉体。窓に近づくと高層ビルが見えます。コリンの身体でずっといるわけにもいきませんので、手早く仕事を片付けようとします。
タイミングを見計らい、ジョンに接近。相手を殴りまくり、血塗れにします。そして逃げるエヴァを背後から撃ち、床を這う彼女の頭を撃ちぬいてトドメ。
それが終わると自分の口に銃をあてるのですが、やはり引き金を引けません。やむを得ず頭蓋骨に刺すのですが、この行動が問題でした。装置に繋がれたタシャは血を吐くも覚醒せず、インプラントに損傷を与えたのみ。コリンの体を離れられないタシャ。しかも、コリン自身は自分の体のコントロールを取り戻し始めたのです。
と言ってもコリンは状況が掴めません。なぜ自分が血だらけになっているのか、この記憶の漠然とした感じは何なのか。さっぱり理解できずに混乱します。
コリンは友人のもとに身を隠すのですが、そこにタシャの所属する会社の別の従業員であるエディがやってきてタシャがコリンのコントロールをできないでいる状態を修正をしようとします。ところが、コリンは目を覚まして銃を突きつけ、事態は緊迫。状況がわからないコリンに事情を説明するエディでしたが…。
鮮血は芸術
『ポゼッサー』は開始5分で臨界点を突破するインモラルでバイオレンス過多のシーンの連発です。冷静に考えるとツッコミどころだらけですよ。なんであんな人目につく場所で盛大に殺人をするんだよとか、あんな大雑把な殺し方しなくてもいいのにとか…。
ただ、この殺害に関しては完全に“ブランドン・クローネンバーグ”監督の趣味ですからね。もうそこはリアリティとか端から度外視されているのです。「刺殺シーンで刺す回数を1回でも減らしたら、作品が台無しになっていたと思う」と監督は言っているくらいですからね。でも刺す回数までディレクションしていたんだろうか…。
殺人描写は“ダリオ・アルジェント”監督作の『オペラ座/血の喝采』などを参考に、鮮血シーンを中心に見栄え重視で構成されています。
でも殺人以外のシーンの演出もユニークで、CGを使わないで異彩さを表現するこだわりを感じます。とくに本作の肝となる他者の意識を乗っ取るという要素。こういう映画はもう見飽きるほどに観てきたのですが、今作は「支配する側」と「支配される側」の攻防が描かれることになり、その緊迫感を視覚効果だけで表現するという凝ったシーンもありました。あのエディが訪問してきてからのスイッチをカチカチ入れるたびに部屋全体が切り替わって対象が変わるという見せ方とか、ラストのアイラを撃つコリンの姿が一瞬だけタシャになるという切れ味とか、“ブランドン・クローネンバーグ”監督、良い演出力です。
テック企業のおぞましさ
監督デビュー作の『アンチヴァイラル』は製薬会社の怖さを浮き彫りにさせていたのですが(コロナ禍の後だとこれはこれで危ういけど)、『ポゼッサー』はテック企業の怖さを全面に押し出している感じでした。
そもそもタシャの所属する殺人請負企業もどこからどう見ても業務がアウトですが、労働者の環境としてもなかなかにゾっとする場所。タシャを想うような素振りもありつつ、実態は非常に人間性を無視した酷使であり、つまりあの企業にタシャは所有されている。タシャはコントロールされる側の人間なんですね。
そしてコリンもWebカメラに映ったオブジェクトを識別するというアルゴリズムの人力修正作業をしており、おそらく一般利用者の映像をプライバシーも気にすることなく眺め、それを利用しています。そこに倫理観とか正当性とか、そういうものは皆無です。
合理的な利益のためなら人間らしさなどいくらでも犠牲にして構わないという、現在のテック企業が裏で抱えている闇。表向きはオシャレで時代の最先端を行くプロダクト・サービスを提供しているという顔をしていても、中身はここまで地に落ちているという不気味さ。そういうものを『ポゼッサー』は暴露しているんじゃないでしょうか。
ドキュメンタリー『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』なんかと一緒に観たいですね。
性的倒錯者キラーの血が流れる
もともと人を選びまくる映画ですが、個人的にはこの『ポゼッサー』はモヤっとする部分もあって…。
というのは本作は古くからある「性的倒錯者を恐怖の対象とする」前提に成り立っている作品だと思うからです。もっと言えば、『ポゼッサー』はかなりトランスフォビア的な一線を越えている映画であるとも思います。
「性的倒錯者を恐怖の対象とする」というのはホラー映画の王道のひとつでした。『羊たちの沈黙』などが有名ですが、性的に倒錯している者は犯罪者であるという決めつけ(そもそも性的な倒錯というものが今で言う同性愛やトランスジェンダーと同一だったりする)があり、偏見や差別を助長してきた歴史がありました。
そういう視点で見ると『ポゼッサー』は明らかに性別の倒錯を意図的に狙っているとも言えます。監督もインタビューで「男性器を持つタシャのアイデア」を話題にしているのでこれは確信犯的なものなのでしょう。作中では女性と思われるタシャはコリンという男性となり、肉体関係を交えるシーンが映ると、そこにはコリンの身体でタシャの意識を持つ人間が存在しています。顔のマスクを自分で被るシーンも象徴的です。
私としてはいくらジャンルとは言え、もうこういう「性的倒錯者を恐怖の対象とする」前提で成り立つ作品は古いというか、過去の遺物に頼りすぎではないかなとも思います。“ブランドン・クローネンバーグ”監督だって才能があるのですから、こんな題材要素に依存せずに映画を作れますしね。
結局、こういう作品が現代にもしぶとくあって監督や批評家に喜ばれるのは、性的倒錯者(あえてこういう言い方をしますけど)を消費したいというフェチシズムな作り手・観客の欲求があり、それが満たされるからなのでしょう。
『ポゼッサー』は家族からの解放という、予想外にいろいろなものをぶった切るオチで終わります。これは脱規範という視点に立って肯定的に描いているのか、それとも主人公の破滅を意味する絶望の閉幕として描いているのか、そこは解釈に委ねられます。そこはどっちでもいいです。
それでもボディ・ホラーというジャンルが廃れていくのは、単に映像技術の進歩によるショッキングさの停滞だけが理由ではないだろうなと本作を観て私は思いましたし、私の中ではその論点はどっちでもいいでは済まされないかなとも確かに感じました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 59%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved. ポセッサー ポゼッザー ポセッザー
以上、『ポゼッサー』の感想でした。
Possessor (2020) [Japanese Review] 『ポゼッサー』考察・評価レビュー