望んでいなくても…ドラマシリーズ『THE LAST OF US』(シーズン2)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
シーズン2:2025年にU-NEXTで配信(日本)
原案:クレイグ・メイジン、ニール・ドラックマン
児童虐待描写 LGBTQ差別描写 ゴア描写 性描写 恋愛描写
ざらすとおぶあす
『THE LAST OF US』(シーズン2)物語 簡単紹介
『THE LAST OF US』(シーズン2)感想(ネタバレなし)
そのラストの続きを覚悟して見届ける
今度はこのシーズン2か…。2025年は「シーズン2」がアツいな…。
ということで本作『THE LAST OF US』のシーズン2です。
「史上最も高く評価され、成功を収めたゲームのひとつ」と語られるほどの大絶賛を受けた「Naughty Dog」というゲームスタジオが2013年に「PlayStation 3」ソフトとしてリリースしたゲーム。それが2023年に実写ドラマ化し、こちらも傑作ドラマとして高評価を獲得してみせました。
その原作のゲームの続編は2020年に『The Last of Us Part II』として発売されていたので、これはゲームの2作目を土台にシーズン2も作られるだろうと大方予想されていましたが、そのとおりになり、シーズン2が2025年に満を持してやってきました。
私はゲームをプレイ済みなので展開を知っているのですけど、実はゲームの2作目は発売時から結構賛否両論で論争が吹き荒れたんですよね。別にゲーム自体がつまらないからというわけではなく、物語が1作目以上に強烈で…というのが主な理由だったと思います。
ドラマのシーズン1を観た人はわかると思いますが、あのラストです。あのラストの余韻に浸って個人の勝手な解釈で終わらせるのではなく、その行為が意味するところを製作陣は真正面から考え抜き、この2作目を作ったのだろうな、と。私はその誠実さに強く心を打たれたので、2作目のゲームも納得いきましたけどね。
まさに「THE LAST OF US」というタイトルに恥じない姿勢ですよ。
でも主人公のジョエルとエリーというキャラクターが好きになった人ほど、この2作目のゲームは受け入れがたいものになる心情もよく理解できます。とにかく容赦ないですから。けれど、それが製作陣の決断した「続き」なのでしょう。
ということでその2作目のゲームを実写ドラマでも描いていくとなると、当然、シーズン1をはるかに上回る壮絶さになるのは避けられず…。ドラマ『THE LAST OF US』シーズン2も一切の手加減はありません。
ゲーム未プレイの人はシーズン2を観始めたら途中でショックで鑑賞意欲を失うかもですが、頑張ってその先を観る価値はあるとは思います。
主演の“ベラ・ラムジー”と“ペドロ・パスカル”の名演は間違いなく堪能できるし…。
なお、今回のシーズン2だけでは2作目のゲームの内容を全て盛り込んでおらず、シーズン3の制作が決定済みです。かなりゆったりしたペースでの話運びになっていますが、原作ゲームのクリエイターの“ニール・ドラックマン”もしっかり携わりながら、元のゲームを丁寧に補足・強化していく作りになっています。
シーズン2は全7話です。
『THE LAST OF US』(シーズン2)を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 残酷な拷問の描写があります。 |
キッズ | 生々しい殺人の描写があるので、低年齢の子どもには不向きです。 |
『THE LAST OF US』(シーズン2)感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
謎の寄生菌による感染によって文明が壊滅した世界。人間は菌に感染すると狂暴に豹変してしまい、多くの生き残りはその脅威に怯えながら暮らしていました。
その菌に感染しない免疫を作れる治療薬を独自に開発しようと画策していた「ファイアフライ」という組織は、ソルトレイクシティを拠点にしていましたが、今やほんのわずかしか生存していません。その生き残りは多くの墓の前で立ち尽くしていました。
ある男がファイアフライの人たちを皆殺しにしたのです。その男の名は…ジョエル。
ファイアフライのメンバーだったアビーは医師だった父も殺され、ジョエルへの復讐の炎を燃やします。仲間のひとりはまず物資のあるシアトルで立て直そうと説得し、アビーは「奴を殺すときはゆっくり殺す」と呟くのでした。
5年後、ジョエルは弟トミーが仕切るワイオミング州ジャクソンの街で暮らしていました。ここでは生存者がコミュニティを築いています。ジョエルはまた年をとるも、建設の現場監督をしつつ、細かい作業をしたりと街に貢献しています。地中の配管は根でいっぱいで除去に苦労していました。
ディーナという若い女性がやってきて「なぜエリーと仲が悪いの?」と質問します。
ディーナはエリーの友人です。エリーというのは5年前にジョエルが一緒に旅をした女の子でした。今は19歳になりました。当時はある理由でエリーをソルトレイクシティまで運んだのです。
現在、ジョエルとエリーの間には気まずい亀裂があり、こればかりは修復できない状況でした。その理由を根本的に理解しているのは当人の2人だけです。
19歳のエリーは格闘の腕を磨き、たくましくなっていましたが、無鉄砲なところは変わりません。トミーから狙撃も学んでいます。門の見張りという役割に不満を漏らし、駄々をこねて巡回に同行することになります。
街の住民は増える一方ですが、インフラが追い付いていません。トミーの妻マリアは避難してくる人命の救助を行いたいと焦るも、ジョエルは安定した生活基盤の確保を優先。トミーとマリアにはベンジーという子どももいました。
ゲイルからセラピーを受けるジョエル。しかし、あの5年前のソルトレイクシティを出たときの決断の話は明かしません。
ジャクソンの外に出てアルパイン方面の巡回に出たエリーたち。エリーは密かにディーナに恋心を抱いており、ディーナはジェシーと別れたばかりと聞いて、期待をしてしまいます。でも口にはだせません。
血の跡を追ってグリーンプレイス・マーケットに行き、やけに賢い感染者と対峙します。エリーはお腹を噛まれながらもディーナに助けられ、噛み傷は別傷のように偽装して隠します。実はエリーには免疫があり、感染しません。これを知っているのはジョエルとトミーだけです。
2029年の新年の祝いがジャクソンで行われ、エリーは無邪気に身を寄せ合うディーナと踊ります。
そこでもエリーはジョエルを激しく拒絶するのでした。
5年前のあのジョエルの言動がエリーには深く突き刺さっていました…。
心理的虐待だって人を傷つけている

ここから『THE LAST OF US』(シーズン2)のネタバレありの感想本文です。
私はこのドラマ版のシーズン2を観る前の懸念があって、元のゲームがその妥協ない物語ゆえに賛否両論があったので、ドラマ版では万人受けを狙ってマイルドになったらどうしよう…とか思っていたんですね。
結果として全くそんなことはなく、それどころか元のゲーム以上にテーマを容赦なく追及した鋭さを磨いていて、良かったです。
続編では、シーズン1のラストで描かれたジョエルの「あの選択」に徹底的に向き合わせます。
胎児のときから寄生菌と共に育ったエリーは菌への耐性があり、そのエリーに寄生している突然変異の菌を取り出せばワクチンができる可能性がありましたが、その代わりエリーは死んでしまいます。それをファイアフライから知ったジョエルは、一度はエリーをファイアフライに任せるも、土壇場でエリーが麻酔で眠っている間にファイアフライを医者もろとも皆殺しにしてエリーを助け出します。そして目覚めたエリーに「ファイアフライは治療法の開発を諦めた」と嘘をつき、念押しで本当なのかと問うエリーに嘘を重ねたのでした。
本作はこのジョエルの行為を「エリーを想う愛する尊い行動」として安易に流しません。それどころか非常に非難的にその責任を追及するのがこの続編です。
シーズン1の感想でも書きましたが、このジョエルの行動は一種のグルーミングであり、大人の男性が少女を手懐ける心理的な虐待です。本作はそれを言い逃れなしで突き付けます。
とくに第5話の脚色は思い切っていました。このエピソードではジョエルとトミーの過去が描かれ、父から日常的に虐待を受けていたことがわかります。どうやらこの父もまたその父から大怪我を負うほど酷く身体的に暴力を振るわれた過去があるようで、ジョエルとトミーには自分の父ほどの酷い暴力はしていないと自己正当化する言葉を投げかけます。しかし、この言葉こそ心理的な虐待であり、物理的な暴力と言葉のマインドコントロールの暴力には残酷さという点で差はないです。
このシーンでその父親はジョエルに「もしいつか親になったら俺より上手くやれ」と言葉をかけるのですが、まさにこれが呪いの言葉になってジョエルを一生苦しめます。
ジョエルは実の娘のサラには健全に接していたように思えますが、世界崩壊後、エリーについてあの父からの呪いがまた再現されてしまいます。ジョエルはエリーに身体的暴力は振るっていませんけど、明らかに心理的虐待はしてしまっている…形は違えどあの父のようになってしまったのです。
本作では元のゲームにはない「ユージーンとゲイル」に関する独自のサブストーリーを追加し、わざわざジョエルの手癖になっている心理的虐待の振る舞いをもう一度強調させてきます。現実社会では過小評価されがちですが、心理的虐待がいかに人を傷つけるのかということ…。
19歳になったエリーは今度はマインドコントロールはされませんでした。ジョエルは感染したユージーンの最後の願いを無下にして殺したのだと公にします。もうエリーはジョエルの共犯関係にはなりません。
世間では「みんな大好きなパパ」としてとても愛される人柄である“ペドロ・パスカル”を、こういう「表面的に良き父親像に見えて、その内実では有害性を抱える」というキャラクターにキャスティングしたことが、テーマ的なシニカルさとして抜群に効いているなとあらためて思いましたね。
暴力は正当化できるのか?
『THE LAST OF US』のシーズン2において全面に浮き上がるもうひとつのテーマと言えるのが「復讐と暴力」です。前シーズンも残酷な死や暴力が溢れていましたが、感染による犠牲の側面が濃く、人間にはどうしようもない不可抗力だったりしました。しかし、シーズン2は人間の選択の結果としてのものばかりで、そのため、非常に辛い葛藤を生じさせます。
第2話のラストで、元ファイアフライのアビーは父を殺された復讐としてジョエルを残忍にいたぶって殺します。そしてここからエリーの復讐の旅が始まります。
雑な言い方をすれば「復讐の連鎖」というやつですけど、「暴力は正当化できるのか?」という問いに本作は非常に真剣に向き合っていたと思います。
暴力を「報復」とみなせば正当化できると考えるのがアビーやエリーであり、この2人は対立関係にありますが似た者同士です。エリーの場合、その報復はジャクソンの公聴会というコミュニティの合意によって否決されるのですが、エリーは自分本位で突き進みます。
ワシントン解放戦線(WLF;ウルフ)は暴力を「拷問」として正当化し、セラファイト(スカー)は「儀式」として正当化します。それぞれのコミュニティの違いも表れるシーズン2でした。個人に目を向ければ、復讐心を抑え込んでいるゲイルだったり、暴力的な選択をしなかったからと言って健やかになれるわけではない残酷さも描いていました。
結局、エリーはアビーの仲間であるノラを痛めつけ(感染していたので放置)、メルとオーウェンを緊迫の睨み合いからの暴発的な出来事で殺し、妊娠していたメルの「帝王切開して」という頼みにも無力ゆえに何もできず…心に大きな傷を抱えるだけになります。この一連の“ベラ・ラムジー”の演技は本当に素晴らしかったです。
クィアは社会の架け橋になる
続いてクィアな要素についての感想ですが、『THE LAST OF US』のシーズン2は前回よりもさらにクィアネスをより物語に混ぜ込むのが熟達していたと思いました。
エリーがレズビアンなのは前作から提示されていたとおりですけども、今作ではディーナという恋人が現れます。それは元のゲームも同じです。
ただ、シーズン2はこのディーナの描き方が慎重かつ丁寧になっていて、当初はこのディーナは思わせぶりな態度でキスしてきたりするわりには男性のジェシーへの好意も露わにしていて、エリーをヤキモキさせます。同時に視聴者的には「これはクィアネスの抹消なのではないか」と心配になるのも確かにわかります。
しかし、本作はわざわざこれ見よがしに初登場時のディーナにバイセクシャル・フラッグカラーのニット帽を被せていたり、第3話の旅からはその色の上着を着ていたり、見た目で「はい、このキャラはバイセクシュアルですよ~」と伝えていました。
なんか明らかにクィアなアイテムを身に着けているのに自分の秘めていた性的指向の悩みを打ち明けるディーナの姿は見ようによってはシュールでもあるのですけど、設定上、そこを上手く組み込めているのは、この世界観の成り立ちです。
というのも、元ゲームでのパンデミック時期は2013年なのですが、ドラマでは2003年に変更され、10年の文化の消失が起こっていることになっています。当然、LGBTQの権利運動もその期間から起らなかったわけで、だからこそ道中でエリーとディーナがシアトルの街並みの中にあるレインボープライド・フラッグを見つけ(シアトルのLGBTQコミュニティはサンフランシスコに次いで全米で2番目に大きい)、「なぜ虹を掲げるの? 楽観主義者だったのかな?」と不思議に思っているわけで…。
この世界ではパンデミック以降に生まれた若い世代はクィア文化を知らない。今のZ世代とは真逆の立ち位置なんですね。
社会の崩壊と同時に獲得してきた権利もリセットされてしまったので、この若いクィアな世代はもう一度自らでその平等を築かないといけないわけです。
それは前述した「終わりのない暴力の連鎖」に対抗できる人類の目標になりえるものです。本作はシーズン1のときから、クィアは迫害や差別の象徴(被害者)ではなく、世界が崩壊しても人は繋がり直せるという希望の欠片みたいに描いているのがいいなと私は思っていましたが、このシーズン2でも同様です。
第1話で踊ってキスしていたエリーとディーナはジャクソンでセスという保守的な年配男から「dykes(“レズ”と翻訳されていた)」と侮辱されるも、その後にセスは謝罪して助けてくれました。エリーがディーナと関係を結ぶ展開が元のゲームよりも早く訪れますけど、エリーにとってはディーナのお腹の子の「親」になれるのは喜びです。本作のクィアなエピソードの傍には前向きな未来が見えます。
性的マイノリティ当事者は、差別や暴力を受けたとき、復讐するのではなく、正義を求めます。社会正義は「社会」があって成り立つものです。『THE LAST OF US』の世界はその社会を築こうともがいています。
クィアを社会を分断するものと捉える人が一定数いる中、クィアを社会を築く架け橋と描いてくれる本作は、やはり私には嬉しいですね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)HBO ザラストオブアス2
以上、『THE LAST OF US』(シーズン2)の感想でした。
The Last of Us (2025) [Japanese Review] 『THE LAST OF US』(シーズン2)考察・評価レビュー
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