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アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』感想(ネタバレ)…馬をキャラクター化することの作用を考察する

ウマ娘

馬のキャラクター化についてちょっと考察…アニメシリーズ『ウマ娘 プリティーダービー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Umamusume
製作国:日本(2018年・2021年)
シーズン1:2018年に各サービスで配信
シーズン2:2021年に各サービスで配信
監督:及川啓
セクハラ描写

ウマ娘 プリティーダービー

うまむすめ ぷりてぃだーびー
ウマ娘

『ウマ娘 プリティーダービー』あらすじ

異世界から受け継いだ輝かしい名前と競走能力を持つ「ウマ娘」が遠い昔から人類と共存してきた世界。田舎から都会のトレセン学園に転校してきたウマ娘のスペシャルウィークは、個性豊かなチームメイトたちと切磋琢磨しながら「日本一のウマ娘」の称号をかけて勝利を目指す。また、無敗の三冠ウマ娘を目指すトウカイテイオーと、名家の誇りにかけて天皇賞連覇に挑むメジロマックイーンも自分の道を走り続ける。

『ウマ娘 プリティーダービー』感想(ネタバレなし)

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ウマ娘もアニメの歴史が土台にある

「萌え擬人化」というジャンルは日本の専売特許にように思われていますが、“萌え”はさておき、擬人化というのはアニメーションの歴史では古くから行われてきたことです。そもそもアニメーションとは、私たちがリアルで見ているあれこれをそのまま写実的に表現するばかりではありませんでした。むしろ私たちがリアルで見ているあれこれをいかに改変して新たな表現として面白く見せるか、そこに芸術性があります。

例えば、木や車などの物体をそのまま描くのではつまらない。それをまるで動物や人間のように動かして“命を吹き込む”。これもアニメーションの醍醐味。

また、動物を擬人化してキャラクターにしてしまうというアプローチはアニメーションの歴史の初期から盛んに試されていました。それこそカートゥーン・アニメがそうです。1900年代初めは動物をコミカルにキャラクター化して(たいていは人間同然の表情や動きを見せる)多くの作品が創作され、ディスニーの「ミッキーマウス」はその最も成功したキャラクターでした。

ちょうど同時期、「ベティ・ブープ」という人間の少女のキャラクターが大人気となり、これはセクシーさやキュートさをアイコンにしたキャラクターだったので、私はある意味では“萌え”の先駆けだったのだと思っています。

つまり、この「動物の擬人化」「少女アイコンのキャラクター化」を合体させたのが、今でいう日本で繁栄を極める「萌え擬人化」の一種「ケモノ萌え擬人化」ですかね。

なので日本でヒットを狙って見境なく氾濫する「ケモノ萌え擬人化」も俗物的に捉えられがちですが、ちゃんとアニメーションの歴史の土台があるものです。

そんな中、2021年に話題を集めた「ケモノ萌え擬人化」の日本作品がありました。それが「ウマ娘 プリティーダービー」、通称「ウマ娘」です。本作は競走馬を擬人化したもので、実在の競走馬の名前をそのままに少女風にキャラクター化されています。Cygamesによるメディアミックスコンテンツであり、2016年の発表以降、アニメ・ゲーム・漫画、さらには声優によるライブなど幅広い活動を展開。2021年はその展開も最盛期に突入し、2021年のネット流行語大賞で金賞を受賞したり、楽曲が音楽番組で取り扱われたり、オタク界隈の枠を超えた勢いを見せました。近年の萌え擬人化の中では最大級の大成功ではないでしょうか。

今回はそんな「ウマ娘」のアニメシリーズ『ウマ娘 プリティーダービー』を軸にしつつ、馬をアニメキャラクター化することについてちょっと考察しながら感想を書きたいと思います。

馬をアニメキャラクターにしている作品は国内外問わず他にもいっぱいあります。私の人生ベスト級に大好きな『ボージャック・ホースマン』もそうですし、こちらも私が好きな『マイリトルポニー』もそうです。他にも『スピリット 未知への冒険』や、ディスニーだったら「ホーレス・ホースカラー」など、馬のアニメキャラクターは本当に多くて…。やはり人間社会にとって欠かせない身近な動物だったということもあり、登場頻度が多いんでしょうね。

『ウマ娘 プリティーダービー』の世界では、私たちの知る動物としての「馬」は存在せず、「ウマ娘」という特異な存在が日常でごく普通に人間社会に混じって暮らしています。動物の馬が全部ウマ娘に置き換わっている感じ(この世界の『ゴッドファーザー』は見たくないですね…)。全員の見た目は人間の少女風ですが(年齢には差異がある)、そこはそれ以上ツッコまないルールです。ウマ娘は走ることを本能とし、レース(競馬とほぼ同じ)に挑んでいくという世界観です。

アニメは2018年にシーズン1が始まり、2021年にシーズン2へとバトンタッチしました。

そんな『ウマ娘 プリティーダービー』のストーリー面やキャラクター云々、実際の競走馬との史実リンクなどに関する感想は世間にいくらでもあるでしょうから、そこはあえてメインで触れず、以下の後半の感想では『ウマ娘 プリティーダービー』を土台に馬をアニメキャラクター化することの意味について自分なりに整理しています。

日本語声優
和氣あず未(スペシャルウィーク)/ 高野麻里佳(サイレンススズカ)/ Machico(トウカイテイオー)/ 大西沙織(メジロマックイーン)/ 上田瞳(ゴールドシップ)/ 大橋彩香(ウオッカ)/ 木村千咲(ダイワスカーレット)/ 前田玲奈(グラスワンダー)/ 髙橋ミナミ(エルコンドルパサー)/ 石見舞菜香(ライスシャワー)/ 矢野妃菜喜(キタサンブラック)/ 沖野晃司(トレーナー) ほか
参照:本編クレジット

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:競馬ファンでなくても
友人 3.5:アニメ好き同士で
恋人 3.5:趣味が合うなら
キッズ 3.5:わりと観やすい
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ウマ娘 プリティーダービー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤):私のレースが始まる

ウマ娘。彼女たちは走るために生まれてきた。時に数奇で時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る。それが彼女たちの運命。この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果はまだ誰にもわからない。彼女たちは走り続ける。瞳の先にあるゴールだけを目指して…

東京、府中。電車の窓から外の風景に「わ~っ」と無邪気に感激している、ひとりの女の子。ではなかったウマ娘。北海道の田舎からやってきたスペシャルウィークは初めての都会に興奮していました。

ひとめに気づいて座り直すと「トレセン学園に行かれるんですか?」と聞かれます。「あ、はい。明日から通えることになって」…スペシャルウィークにとっての念願の夢です。

うっかり前の駅で降りてしまい、ついでに駅員に教えてもらったレース会場を見学することに。その人の多さ、熱気、そして広大なレース場に言葉を失います。

するとアナウンスとともにパドックに登場するウマ娘がいました。「8枠12番、サイレンススズカ! ファン投票、1番人気です」…思わず見惚れるスペシャルウィーク。そのとき背後にいた不審な男を蹴り上げます。都会には危険な男も多い…。

気を取り直してレースを見物すると、あの男が話しかけてきます。「私、日本一のウマ娘になるってふるさとのお母ちゃんと約束したんです。だから邪魔しないでください」「日本一のウマ娘ってなんだ?」…その男の言葉に考え込みます。

一方のレースでは、サイレンススズカが独走状態で逃げ切って1位。観衆は大歓声。続いてウイニングライブが始まり、勝利を手にしたウマ娘が観客と喜びを共有。

すっかり満喫し、門限を忘れたと急いで帰るスペシャルウィーク。翌日、トレセン学園の理事長秘書をしている駿川たづなが教室を案内してくれます。しかし、教室に入った瞬間に転んでしまう失態。でもハルウララ、セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダーなどの他のウマ娘たちもフレンドリーで「これからよろしくね、スペちゃん」と声をかけてくれます。

「君たちはデビュー戦、未勝利戦から始まって、いくつものランクを上がって、G3・G2・G1レースでの勝利を目指すわけです」…そう授業で学び、サイレンススズカと同じチーム「リギル」に入りたいと考え、入部テストを受けることにしたスペシャルウィーク。

ゲートに立ち、スタート。いきなり遅れるも、サイレンススズカが見ていることに気づいて速力を上げてゴール直前で加速。しかし、1着はエルコンドルパサー。良い姿を見せられませんでした。

意気消沈していると、怪しい3人に拉致され、そこにいたのはあの男。トレーナーらしく、ゴールドシップ、ダイワスカーレット、ウォッカの3人のウマ娘とともに「ようこそ、チーム・スピカへ」と誘われます。そこにはサイレンススズカもいます。移籍したらしいです。

「日本一のウマ娘ってなんだ?」…あらためてそう聞かれ、サイレンススズカは「夢。見ている人に夢を与えられるようなそんなウマ娘」と答えます。この背中を追いかけたい…。

一方、無敗の三冠ウマ娘を目指すトウカイテイオーと、名家の誇りにかけて天皇賞連覇に挑むメジロマックイーンも自分の道を走り続けていました。

それぞれのウマ娘たちのレースが始まる…。

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ウマ愛を感じる容姿

擬人化について語りだす前に作品自体のストーリー面の感想を簡単に述べると…シーズン1は王道というかワンパターンなところがあったのですが、シーズン2はぐっとドラマ性が増しており、良かったです。とくに個人的には2期の第7話&第8話のライスシャワー回が好きですね。トウテイカイオーのエピソード全体も目標喪失と挫折をどう乗り越えるかという、誰しもが直面する人生の苦境を投影しやすく、アツいシナリオでした。

で、擬人化の話。『ウマ娘 プリティーダービー』のウマ娘たち。馬の擬人化の中でも、かなり人間そのものにキャラクター化しています。ほぼ人間です。容姿に関してかろうじて馬っぽいのは、耳と尻尾。ケモノの最小構成です。ただ、馬ならではの要素もあって、そのひとつが「白斑」。馬には頭部などに白い毛が部分的に見られることがあって個体識別に使われたりするのですが、本作のウマ娘たちの中には、スペシャルウィーク、トウテイカイオー、シンボリルドルフなどはちゃんと頭の前髪の一部に白斑があって、そのあたりにウマ愛を感じます。

ウマ娘が日常に溶け込んでいる世界観描写も細かく丁寧で、靴に蹄鉄をつけていたり、受話器も耳に合わせて長かったり、食べ物も範囲を絞っていたり、SF的な面白さがありますね。

二足歩行になっていることで、馬特有の走行フォームが再現できないのはちょっと寂しい部分。ギャロップとか、リアリングとか、ジャンプとか、実際の馬はかっこいいのだけど…。

その走りのビジュアルの地味さを衣装で補った感じはあります。あのライスシャワーの帽子とか、落っこちないのかなぁってずっと気になるけど…。

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容姿だけでなく現実さえも改変する

擬人化は見た目ばかりに関心が高まりますが、容姿だけではありません。社会的な立ち位置も擬人化されているという点も見逃せません。

そもそも競走馬は家畜です。つまり、そこには畜産動物として、飼育・交配・生殖などの概念は切っても切り離せない要素であるわけです。表向きはどんなに仲間ですと対等風に述べたとしても、あくまで人間に利用されるという前提が下地になっていることは否定しようもない、それが畜産動物としての馬の現実。

しかし、『ウマ娘 プリティーダービー』はウマ娘へと擬人化する過程で、その本来は切り離せなかった現実を魔法のような裏技で切り離してしまっています。ここには飼育という概念はない。交配もない。ましてや騎手さえもおらず、馬を競わせる興行としてのギャンブル的ビジネス要素もない。

例えば、本作で元ネタとなった第118回天皇賞でのサイレンススズカが競走中に故障を発症した出来事。現実ではサイレンススズカは安楽死処分になっています。でもウマ娘ではそうならない。

本作はそうした競走馬の(ときに無惨な)現実をトリミングし、青春スポ根・部活学園モノ・アイドル…これらの要素に置き換えています

つまるところ、観客にとってある種の理想的な空間を構築しているとも言えます。残酷な現実を観なくていい。確かに葛藤や苦悩をウマ娘たちは抱えているけど、それらは人間的な物差しで処理できるレベルに収まっており、純粋に応援していられる。

こういう現実改変もまた多くの動物の擬人化作品には付き物のことですが(例えば『ズートピア』には捕食の関係性が希薄になっている)、とくに『ウマ娘 プリティーダービー』の場合は人間の加害性をほぼ無効化するという点が目立ちます。

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「de-animalization」と「objectification」

ここからちょっと専門用語を使ってしまいますが、『ウマ娘 プリティーダービー』の世界観はいわゆる「animalization」の真逆、「de-animalization」で成り立っています。

「animalization」というのは人間を動物のように残酷化し、人間性を失わせることを指します。なので「de-animalization」はその逆です。今回の場合は、対象が“馬”風の人間なので、馬(競走馬)に付与される残酷な現実を払拭している…ということですね。「humanization」を部分的に実行しているとも言えます。

こういうのは何も「動物の擬人化」だけにある事例ではありません。私たち人間と動物の関わりの中ではよく見られる現象です。例えば、動物について伝えるバラエティ番組や子ども向けの環境教育では野生動物の現実をあまりにストレートに伝えると聴衆がドン引きするだけなので、多少はマイルドに手を加えます。動物園でもそうでしょう。これも残酷性の低減です。

別に一概に悪いことだとは言えません。人間が動物を理解するうえでの工夫でもあります。一方でその現実改変ばかりだと、動物における現実の問題に目を向けることができなくなるという欠点もありますが…。

そして『ウマ娘 プリティーダービー』の場合は「de-animalization」だけではないことも忘れてはいけません。そこには女性(人間)を動物化しているという「objectification」の側面もあるわけで…。

要するに「de-animalization」と「objectification」が同時並行で作用した結果があのウマ娘。動物を人間化することで動物が受けていた残忍な被虐性を緩和して平等を実現できる一方で、女性をモノ化することで人間性をやや減少させて不平等な立ち位置に陥らせる。こういう相反する消費があるんだと思います。

ゆえに特定の居心地の良さを与えている…。その居心地の良さを単純に享受していいものかという論点はありますよね。何かポジティブな効果をもたらすのに、別の何かが犠牲になっているのですから。『ウマ娘 プリティーダービー』は作中でアイドル化もしているので、余計にジェンダー的側面が浮き彫りになります。

これは『ウマ娘 プリティーダービー』だけをとくに非難するものではなく、あくまで動物を擬人化する際にそれが女性だとそのような構造が生じやすい…という私なりの分析です。こういうことを意識してみるといろいろな視野が連鎖的に広がって興味深いかもしれません。

「furry」にまで話を広げると違った見方もできるかもですが、『ウマ娘 プリティーダービー』は(少なくとも制作者は)それをターゲットに明確に入れようとはしていないでしょうし…。

『ウマ娘 プリティーダービー』はただ“うまぴょい”しているだけじゃない、いろいろなことを考えさせ教えてくれる作品でした。

『ウマ娘 プリティーダービー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0

作品ポスター・画像 (C)2018・2021 アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」製作委員会

以上、『ウマ娘 プリティーダービー』の感想でした。

『ウマ娘 プリティーダービー』考察・評価レビュー