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『RUN ラン』感想(ネタバレ)…私にあなたは必要ない

RUN

実際に車椅子を利用する俳優でもアクションスリラーは演じられる!…映画『RUN ラン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Run
製作国:アメリカ(2020年)
日本公開日:2021年6月18日
監督:アニーシュ・チャガンティ
児童虐待描写

RUN ラン

らん
RUN

『RUN ラン』あらすじ

郊外の一軒家で暮らすクロエは、生まれつきの慢性の病気によって下半身を動かせず、車椅子生活を余儀なくされていた。しかし、前向きで好奇心旺盛な彼女は地元の大学への進学を望み、できる限りの努力を重ねて自立しようとしていた。クロエの傍には体調や食事を管理し、進学の夢も後押ししてくれている母親であるダイアンという頼もしい存在もいる。しかし、そんなクロエに予想外の恐怖が襲いかかる。

『RUN ラン』感想(ネタバレなし)

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車椅子俳優の歴史的快挙

現在、映画などの業界は人種、性別、セクシュアリティなどの視点からマイノリティをインクルージョンしていくのが当たり前になっています。

しかし、他にもカバーすべき存在がありました。それは世間的には「障がい者」と呼ばれる、ハンディキャップを抱えた人たち。とくに「車椅子ユーザー」はどうなっているのでしょうか。

実は最近になって車椅子ユーザー俳優の輝かしい活躍の話題が目立っています。例えば、2017年にマディソン・フェリスは、ブロードウェイにて車椅子ユーザーとして最初の主演俳優として登場し、歴史を築きました。それから2年後、車椅子利用者である俳優のアリ・ストローカーは舞台劇『Oklahoma!』での名演を評価され、2019年に車椅子ユーザーとしては初となるトニー賞で主演女優賞を受賞しました。たった2年ですがこの飛躍的な出来事は当事者コミュニティに刺激を与えたのは言うまでもありません。

最近は「National Disability Theatre」のような団体も創設され、業界全体を変えようという動きが活発化しています。もちろんまだまだとてもたくさんのハードルが並んでいるのですが…。

そんな中、映画業界でもひとつの大きな嬉しい話題が2020年にありました。それを与えてくれたのが本作『RUN ラン』です。

本作は生まれたときから身体的不自由を抱えて車椅子とともに生活してきた若い女性が主人公です。その主人公を演じるのが“キーラ・アレン”という俳優。“キーラ・アレン”は2015年に原因不明の麻痺に襲われ、以来は車椅子を利用しています。今作は車椅子ユーザー当事者が映画で同じ境遇の役を演じる作品となったわけです。

しかも、『RUN ラン』はアクションスリラー映画であるということが特筆されます。車椅子利用者がヒューマンドラマ作品に登場するのはなんとなくありがちなのですが、今作は思いっきりジャンル映画。アクション要素すらもあるような作品です。そんなジャンルに車椅子ユーザーの俳優を起用するのは異例中の異例でした。なんでも1948年に“スーザン・ピーターズ”『The Sign of the Ram』というスリラー映画に車椅子で出演して以来、72年ぶりの快挙なんだそうです。70年以上も車椅子ユーザーがこのジャンルで役を手に入れることがなかったのかと思うと衝撃なのですが…。かつての“スーザン・ピーターズ”は車椅子生活となってから仕事が得づらくなり、キャリアの道は絶たれ、わずか31歳でこの世を去りました。その無念を考えると今回の『RUN ラン』はとても重大な歴史の再始動なのだということがわかります。

その『RUN ラン』を生み出した監督が“アニーシュ・チャガンティ”。全編がパソコンのように何らかのデジタル画面だけで構成されているという異色のスリラー映画『search サーチ』を手がけたあの人です。

次なる作品は普通のスリラー映画じゃないかと最初は思ったのですが、まさか車椅子ユーザー当事者の起用でスリルを届けてくるとは…。やはり常に何かしらの新しい挑戦をぶつけてきますね。

共演は、ドラマ『ラチェッド』でも怪演を披露していた“サラ・ポールソン”であり、今作でも不気味な演技全開。“サラ・ポールソン”が今回演じるのは主人公の母親役。ほぼこの2人がメインで展開されます。

なお、『RUN ラン』はポスターや公式サイトを見ると、基本的なストーリーの仕掛けがやや丸わかりの状態になっています。正直、いいのかな?と思うのですけど、ネタバレを避けて映画を初心で楽しみたいなら宣伝関連の情報は一切目に入れないことを強くオススメします。予告動画も観ないほうがいいです。

あと、ゴア要素ありの残酷な描写は本作にはありませんが、妊娠・出産絡みのトラウマを呼び起こしかねない描写、虐待描写などは含まれますので、その点は注意をしてください。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:スリルをひとりでも
友人 4.0:緊迫感を共有して
恋人 4.0:恐怖を味わいたいなら
キッズ 3.5:大人が怖くなるかも
↓ここからネタバレが含まれます↓

『RUN ラン』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):母には私が必要だった

病院。車いすを押される女性は出産を終えたばかり。その女性は新生児のもとへ向かいます。保育器を覗くと、それはとてもとても小さい未熟児…。早産でした。生きているのもやっとのようなそんな状態。「この子は大丈夫か」と医者たちに聞きますが、返事はなく…。

17歳のクロエはベッドから起き上がります。彼女の部屋。ベッドの傍には誰の家にでもあるような小物、そして健康状態をモニターするディスプレイ、それに車椅子。クロエは車椅子に乗ったまま昇降機で階段をゆっくり降り、1階に着けばインスリン注射を打ちます。母のダイアンに厳格に健康を管理され、大量の種類の薬を服用。嘔吐の症状も定期的に身体を苦しめます。

これがクロエの毎日でした。クロエは低体重児だったゆえに、今も下半身は不自由で、糖尿病、不整脈、鉄過剰症など複数の病気を併発。日常生活には大きな困難が伴っています。

母は健気にサポートしてくれます。過ごしやすい家を用意してくれ、住宅地から少し離れた落ち着ける場所にある家で、庭でとれた野菜中心の食事を提供し、できる限りのことをしてくれていました。

クロエは手紙が来たので急いで玄関へ直行。実は憧れの大学への進学を目指すようになり、現在はその合格通知を毎日待つのがいつもの光景に。待てど待てどなかなかその日は来ません。いつになるのかクロエはドキドキです。

ある日、母が買い物袋を持って帰宅。クロエは母が少し部屋を離れた隙に、食べるのを禁止されていたチョコレートを拝借。すると緑のカプセル型の薬を発見。その瓶にはラベルにダイアンと名前があります。なぜ母の名が?

夜、ダイアンはその薬をクロエに与えます。クロエはおもむろにその薬について尋ねますが、ダイアンは話をはぐらかすばかりでした。翌日、高い位置にある薬の瓶をお手製アームでゲットし、じっくり見ます。ラベルにはクロエとあります。あれは勘違いだったのか。まさかと思いつつ、ラベルを慎重に剥がしてみるとダイアンと書かれたものが下にあるのを発見。

不信感が増すクロエはその薬を飲んだふりをしてやり過ごすことに。夜、こっそり1階に降り、パソコンを起動。ラベルに書かれていた「trigoxin」という薬の名を検索するもなぜかネットに接続できません。いつもは普通に使えるのに…。

母が庭で仕事している間に母の部屋の固定電話で手当たり次第に通話をかけ、でてきた男に薬を検索してもらうことにします。しかし、その男は調べたかぎり、その薬は赤い錠剤だと言うのでした。

ますます不安が募っていくクロエは映画を観に行こうと持ちかけます。上映途中でトイレに行きたいと言い、そのまま映画館を出て薬局へ全力で向かい、薬局の薬剤師に例の緑の薬について教えてもらいます。

なんでもこれは主に筋肉の震えや強張りを改善するために用いられる筋弛緩作用を持つ薬だとのこと。少なくとも下肢に問題を抱えるクロエが飲むようなものではありません。

しかもそれは犬用でした。

あり得ない。ショックで茫然自失となるクロエの背後に母がやってきて…。

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車椅子ユーザーにしかわからない恐怖

『RUN ラン』はシチュエーション・スリラーであり、それは車椅子という身体不自由があるからこそ成立しているスリルになっています。「run」という原題のとおり、逃げるためには走りたいところですが、それはできない。車椅子を利用していない人にはわからない恐怖です。

例えば、クロエが映画館から薬局までの道のりを進むシーン。普通であればとても近い距離なのでたいしたことのないように思うかもしれません。しかし、車椅子ユーザーにはこれがかなりの苦労です。横断歩道を渡り、歩道を全力疾走するなんて、余計に大変。車椅子ユーザーが些細な日常の街中の移動でも、普段からどれだけ苦労をしているかがここで伝わってきます。

また、家から脱出して外へ逃げ出せたと思っても、普通であれば森の中に逃げ込んだりするものですが、車椅子なので森の中は移動できません。やむを得ず舗装された道路しか移動できないために、母親の車と鉢合わせするリスクが発生する。ここも車椅子ユーザーならではの不便さによるサスペンスです。

面白いのが家の中でのスリル。あの家は冒頭ではとてもクロエにとって生活しやすい快適な空間にアレンジされていました。しかし、ひとたびダイアンがその快適さをオフにしてしまえば、一瞬にしてそこはとんでもなく不便で突破困難なダンジョンと化します。この視点の変化はまさに車椅子ユーザーしか経験できないものです。

何よりも本作の主人公を演じているのが前述のとおり、実際の車椅子ユーザーである“キーラ・アレン”だというのは忘れてはいけません。私たち(少なくとも車椅子利用経験のない人)は、車椅子を用いるキャラクターが映画内に登場すると、その“車椅子を利用している”という部分も含めて演技だと思ってしまいます。しょせんはそれは役として与えられた属性であり、設定にすぎないと勝手に納得して…。でもこの『RUN ラン』は違います。“車椅子を利用している”のは本当です。

そう考えるとよくあんなアクションができるなと映画の見方が変わってきます。窓の外から身を投げ出して斜めの屋根を上半身の力だけで這って進むとか(口に含んだ水と半田ごての熱と合わせ技によるギミックもいい)、階段を転げ落ちるという豪快かつそれしかない手段とか。

車椅子ユーザーにはアクションは無理だろうという世間の決めつけを見事に“キーラ・アレン”は打ち破っていますし、間違いなく説得力をもたらしていました。この正真正銘の存在感。俳優としても最強の武器です。

それは物語としっかりシンクロします。終盤でクロエが地下室で母に追い詰められ、毒薬を飲んで危機的状況に自分を追い込み、病院に運ばれる作戦。あれも健常者であればあそこまでの手は使わないはずです。車椅子ユーザーだからあれほどの打つ手なしの追い込まれ方になってしまう。それは車椅子ユーザーが普段から嫌というほど打ちのめされていることでもあって…。

とにかく“キーラ・アレン”は映画史に残る偉業を成し遂げたのではないでしょうか。

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私は“私を不自由にする者”と戦う

『RUN ラン』の悪役として登場する母親・ダイアン。演じる“サラ・ポールソン”の見事な熱演もあって、恐怖はバッチリでした。

ただ、彼女の存在は娘を唐突に失ったシングルマザーという立場であり、ある意味では妊娠出産という多くの女性に強制的に課せられてしまう圧力のせいでもあります。ダイアンもまた犠牲者です。

こんなことはあるわけないと思うかもしれませんが、実は現実にもあるのです。ある事例では、難病の子とその母親としてニュースでも話題だった親子が、実際は母親が子に毒を与えて難病のように見せかけていたということも。これは「代理ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれており、日本でもまれに確認されています。

なので日本の宣伝で本作を「毒親」と表現しているのはちょっと浅はかだと思うのです。そういう世間的に嫌な親の圧力みたいなイメージしか抱かれない言葉で装飾していいタイプの映画ではないだろう、と。

本作ではダイアンはもうひとつ大きな役割を持っていると私は思います。それは社会における「車椅子ユーザーへの圧力」の象徴。車椅子ユーザーは自ら欠点を抱えているのか。いや、そうではなく、車椅子ユーザーを不利にさせる社会的環境があることが問題なのではないか。

終盤でクロエを車椅子生活にして苦しめたダイアンが、クロエの車椅子を押して逃げる際にまさに車椅子ゆえのハードルにぶちあたり、逃げ場を失うというのも皮肉です。

最後にはクロエはダイアンに決別を告げます。それは車椅子ユーザーからの「もうこんな社会に付き合ってられませんよ」という宣告でもあり、「私を不自由にする者」への宣戦布告でもあって…。

だから何度も言いますが本作は「母と娘」だけの狭い構図で捉えていい物語でもないのかなと。弱い立場に追い込まれた者が、さらに弱い立場の者を追い込んでしまう…そういう社会で続発する負の連鎖の物悲しさでもあるのですし。

続編も順調に成功をおさめている『クワイエット・プレイス』では聴覚障がい者を主演に起用してこちらも大きな注目を集めましたが、こういうホラー系のジャンルは「予算規模が小さい」「俳優のネームバリューを気にしない」という前提があるので、ハンディキャップを抱えた無名の俳優でもキャスティングしやすいのでしょうね。

ホラーやスリラーのジャンルはハリウッドでは大人気ですが、単なるエンターテインメントとしてだけではなく、しっかりマイノリティへのインクルージョンの先進地として機能しているのが羨ましいなと思いました。

日本もそろそろ「障がい者=感動を与える者」という消費から卒業しないとダメなのでは?

『RUN ラン』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 74%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)2020 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

以上、『RUN ラン』の感想でした。

Run (2020) [Japanese Review] 『RUN ラン』考察・評価レビュー