そこには根源的恐怖がある…映画『スパイダー 増殖』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス(2023年)
日本公開日:2024年11月1日
監督:セバスチャン・バニセック
人種差別描写
すぱいだー ぞうしょく
『スパイダー 増殖』物語 簡単紹介
『スパイダー 増殖』感想(ネタバレなし)
フランスからクモ・パニック映画が出現
蜘蛛(クモ)はお好きですか?
「なんてこと聞くんだ。好きなわけないだろ! あんなおぞましい生き物!!」
それくらいの拒絶反応があってもおかしくない。それが蜘蛛という虫(昆虫ではない。広義の虫です)。
蜘蛛を極度に嫌ってパニックになるような人は「クモ恐怖症(arachnophobia)」と呼んだりしますが、なぜそこまで蜘蛛は嫌われやすいのか。その理由は諸説あるようで、よくわかっていません(西欧の研究ばかりなので、蜘蛛への独自の文化がある別の地域の研究も参照したいところですが…)。
でもよく考えると蜘蛛には理不尽な話です。一部の猛毒な蜘蛛を除けば、蜘蛛が人間に危害を加えることはまずありません。むしろ害虫を食べるので有益です。逆に蜘蛛のほうがよっぽど人間が怖いでしょう。
そんな蜘蛛、やっぱりというか、映画でもモンスターみたいな扱いが多いです。
クラシックな『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』(1955年)や『巨大クモ軍団の襲撃』(1977年)から、“スティーヴン・スピルバーグ”製作総指揮の『アラクノフォビア』(1990年)、炎属性の大ボスとなった『ラバランチュラ 全員出動!』(2015年)など、選り取り見取りですが、基本はパニック映画のジャンルがほとんど。2024年は『Sting』という巨大化した蜘蛛が部屋で襲ってくるクモ恐怖症の人の恐怖を具現化したようなホラー映画もアメリカで公開されました。
私は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)の「クモンガ」が好きです!
それらクモ映画に加わる新たな一作が2023年にフランスから出現しました。
それが本作『スパイダー 増殖』です。
本作はフランス映画なのですが、実にフランスらしいお国柄の世界観になっています。ハリウッドではまず作らないでしょうね。
具体的には、パリの団地(パリ郊外は「banlieue / バンリュー」と呼ばれる)が舞台になっています。2020年代、このバンリューがフランス映画界で最も勢いのあるサブジャンルになっているという話は『バティモン5 望まれざる者』の感想でもしました。
パリ郊外の低所得者層向けの団地(バンリュー)は、移民が多く暮らしてきた歴史があり、華やかなイメージで語られがちな都心部と違って、もうひとつのフランスの実態です。そこでは格差社会の歪みの悪影響をもろに受けた住民たちが怒りと不満を溜め込んでおり、それにもかかわらずエリート層の権力はバンリューの人たちへの偏見を煽り、暴力的な統制で対処しようとしてきました。このバンリューは現在のフランスの社会問題のグラウンドゼロです。
『スパイダー 増殖』はそのバンリューの団地建造物内で凶暴な蜘蛛が繁殖して住人たちを襲う…というパニック・スリラーになっています。もちろんわざわざこの場所を舞台にしていることもからも察せられるように、本作はフランスの社会問題を投影する存在として蜘蛛を配置しています。
『スパイダー 増殖』の監督を手がけるのは、新進気鋭の“セバスチャン・バニセック”(セヴァスチャン・ヴァニセック)。この人もバンリュー出身であり、この地の者たちの経験をよく熟知しています。それをエンタメに落とし込む上手さを本作で見事に発揮しました。
第49回セザール賞では新人監督賞と視覚効果賞にノミネートされ、第56回シッチェス・カタロニア国際ファンタスティック映画祭では審査員賞を受賞。ジャンル映画のクリエイターとしては素晴らしい存在感をみせつけ、“セバスチャン・バニセック”監督はハリウッドからも声がかかり、何でも今は『死霊のはらわた』最新作に関わっているらしいです。
フランス映画は2024年は『セーヌ川の水面の下に』というサメ・パニックがあったり、フランス社会情勢を映し出したアニマルパニックが目立ちますが、流行ってきているのかな。
当然、この『スパイダー 増殖』、遠慮なく蜘蛛がわんさかでてきますので、蜘蛛が大の苦手という人には直視できないかもしれませんが、内心に潜む恐怖を乗り越えた先にあるものまで到達しようとするこの映画のメッセージをぜひ受け取ってみてください。
撮影では本物の蜘蛛も出演しています(蜘蛛はイメージに反してジっとしていて大人しいので、撮影には意外に向いているのかな)。出演者である蜘蛛にもどうかエールを送ってあげてね。
『スパイダー 増殖』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :社会風刺もたっぷり |
友人 | :クモ嫌いでなければ |
恋人 | :クモが比較的平気なら |
キッズ | :多少は残酷描写あり |
『スパイダー 増殖』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
中東の砂漠。1台のトラックから男たちが続々と降りていき、刃物を片手に荒れた地を探索し、石をひっくり返しています。ひとりが大きめの石を持ち上げて下を確認すると、そこには穴が開いていました。すぐに仲間を呼びます。そして手早くボンベをセットし、チューブで穴の奥に毒ガスを流し込みます。
その後、ひとりが穴をのぞき込みますが、その瞬間、蜘蛛が顔に飛び掛かってきます。もだえ苦しむ男。他の仲間はうじゃうじゃと出現した雲をプラスチックのケースで捕獲します。それが終わるとまだ激痛に苦しんでいる仲間の男に刃物を振り下ろすのでした。
捕まえられた蜘蛛は売られて密輸されます。はるか遠くの異国へ…。
フランスのパリ郊外のアパートで暮らすカレブという青年は、エキゾチックアニマル愛好家でした。今日はコンビニで荷物を受け取ります。そのコンビニの奥では珍しい生き物を多く揃えて密かに飼育していました。フランスではまず見られない異国の生物たちです。
カレブはある珍しい毒蜘蛛に興味をひかれます。この蜘蛛も買うことにします。
アパートに戻ると、若者が年配の女性清掃員に花火でイタズラをしているところを目撃し、安直な行動を叱ります。ここでは仕事もほとんどなく、こうしてどうしようもないことで時間を潰すかしない若者が大勢います。
また、友人のマティスにも遭遇。彼は自転車を盗む癖があります。そういうカレブもスニーカーを販売して稼いでいますが、おカネは足りません。狭い倉庫は自転車とスニーカーの箱でいっぱいです。こんなやり方でも稼ぐしかないのです。
家に帰りますが、妹のマノンとは険悪です。彼女は部屋の改装をしていました。母は亡くなり、この部屋を売るしかないのかという選択を迫られていましたが、カレブはその問題に向き合えません。
とにかく今は生き物で現実逃避です。カレブの部屋はレアな生物の飼育ケージがいくつも並んでいます。買ってきた蜘蛛はとりあえずスニーカーの箱に入れます。
その日の夜、隣人のパーティーがあり、そこに顔をだします。このアパートにはいろいろなルーツの人たちが住んでいますが、あからさまに毛嫌いしてくる人もいます。
その間、例の蜘蛛はスニーカーの箱の隙間から外に逃げ出していました。
部屋に戻ったカレブは蜘蛛が脱走したことに気づき、慌てます。部屋中を探しても見つかりません。とりあえず今日はこの部屋で寝れないので、部屋を閉じて、別の場所で睡眠をとり、明日に考えるしかない…。
しかし、そう悠長なことを考えている場合ではありませんでした。あの蜘蛛は想像を超える繫殖力と凶暴さを持っていて…。
アラクノフォビアか、ゼノフォビアか
ここから『スパイダー 増殖』のネタバレありの感想本文です。
『スパイダー 増殖』は前述したとおり、フランスの社会問題を投影する存在として蜘蛛を用いており、具体的にはパリ郊外の低所得者層向けの団地(バンリュー)に暮らす人々を蜘蛛に重ね、社会に忌み嫌われる存在同士として描いていました。
ゼノフォビア(外国人嫌悪)とアラクノフォビア(クモ嫌悪)のどこに違いがあるのか…という視点ですね。
これは“セバスチャン・バニセック”監督もインタビューで明白に語っていますけど、このコンセプトで本作が創造されています。
その2者の比較は一見すれば強引かもしれませんけど(さすがに外国人と蜘蛛は別物だろうという冷静な意見もあると思います。ただでさえ今作の蜘蛛は凶暴性のある危険な有毒蜘蛛ですし…)、根源的には嫌悪感や恐怖というのは理屈抜きで生じるものなのではないか…。その捉え方も無視できない視点かなとも感じます。
冒頭の中東のどこかと思われる砂漠で野生の蜘蛛が密売人に捕獲されて強制輸送されるくだりも、難民の実情とシンクロしますし、そう考えると、それがフランスで「エキゾチックアニマル」として消費されるだけなのもなんとも苦々しいです。
当然、バンリューの人たちにとっては蜘蛛なんて知ったことではなく、当初はただの気持ち悪い生き物として毛嫌いしています。
しかし、後半、蜘蛛地獄と化したバンリュー建物から脱出するべく蜘蛛通路を決死の覚悟で通り抜けたのに、警察は出入り口を頑なに封鎖し、あげくには催涙ガスを投げ込んでバンリューの人たちを撃退しようとしてきます。
ずっとバンリューの人たちは神出鬼没の蜘蛛に対してわりと物理で倒そうとしていて、フランスにはバルサンみたいな燻蒸・燻煙式の殺虫剤は一般的ではないのかなとか思ってましたけど、この後半のシーンで、バンリューの人たちが化学武器で撃退される側になるという展開を描くことで、パリの一定の世間にとって「バンリューの人たち=蜘蛛」同然なのだという現実が突きつけられる。しかも、冒頭でも蜘蛛が穴からガスを入れられていましたから、構図としては全く同じなんですね。
本作はグロテスクやバイオレンスなシーンはさほどないですけども、終盤で提示されるこの残酷さこそこの映画の真骨頂であり、まさに観客に問いかける最大のテーマなんだろうな、と。
アニマルパニックのジャンルで、恐怖対象の動物が「人間社会で迫害されている存在」と一致するというのはよくある仕掛けで、アニマルパニックではないですが、ゾンビ映画のパイオニアである『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だってゾンビへの恐怖と黒人差別を重ねていました。
警察にバンリュー建物を封鎖されてしまうのは、ちょっとコロナ禍のロックダウンも彷彿とさせるし…。
『スパイダー 増殖』は監督がこのバンリューを知り尽くしている当事者というだけあって、その構図をみせるまでの過程や演出がスマートに打ち出されていて、変に抽象的すぎるわけでもない、かといってエンタメに寄りすぎて上書きされているわけでもない、良い加減の衝撃があったと思いました。
ストーリーテリングのある空間の移行
『スパイダー 増殖』はバンリューという建造物の空間使いも抜群でした。これはこの手のジャンルでは大事なこと。空間を効果的に使って撮れるというだけで、ジャンルとしてグっと面白くなります。
これも“セバスチャン・バニセック”監督が言及していましたが、1作目の『エイリアン』をリスペクトしたような全体図がありますね。
『エイリアン』は労働者階級の人たちを主役にしていて、狭い空間で得体のしれない存在に襲われて、疑心暗鬼になりながらパニックだけが拡大していきます。
『スパイダー 増殖』もバンリューの人たちは貧困層で、ある程度のコミュニティの仲間意識はありますが、さまざまな人種や民族の人が密集し、連帯できるほどではありません。
例えば、序盤から疎外的に描かれるアジア系の年配女性清掃員は、蜘蛛の繁殖にいち早く気づきながらも人知れずに殺されてしまいます。どこで誰が死んでいるのか、全容を把握できない煩雑さとネットワーク不足。一方で蜘蛛たちはコミュニケーションをとっているのかはわかりませんが、どんどん勢力を広げ(まさに蜘蛛の巣を広げている)、連携がとれているように見えます。
空間としては、最初のカレブの部屋、バスルーム、魔の廊下と、どんどんステージ移行しつつ、明暗の演出も組み合わせたスリルをしっかり増幅していました。
そして最後の空間では、警察に暴行を受けた後、バンに閉じ込められる。完全に捕獲された蜘蛛と同様の扱いになり、あの主人公のカレブだけが「自分たちは蜘蛛と同じ害虫扱いなのだ」と痛感し、恐怖する。さらに最後は自然に解き放たれたかのように森に佇む生き残りのメンバー。空間演出が終わりまで意味を失わない、良い構成でした。
個人的にはアニマルパニック映画でありながら、“セバスチャン・バニセック”監督自身が蜘蛛に対する愛情をしっかり持ち合わせていると感じられるのが良かったなと思います。
エンディングでカレブが肩についていた蜘蛛(凶暴なやつではない)をソっと手に乗せて、地面に降ろし、息を吹きかける…というシーン。あの本作で唯一浮き出る優しさはとても大切なこと。そんなに怖がらなくてもいいんじゃないですか、と。
『スパイダー 増殖』を観た後、バンリューを舞台にするこういう映画は無理ですけど、日本でもコンセプトをマネた作品はいくらでも作れそうだなと思いましたね。日本社会で迫害されるクルド人や在日朝鮮人を主役にして、差別感情を浮き彫りにしたアニマルパニックを作る…。誰かやってくれないかな…(当事者が作るのがベストですけどね)。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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以上、『スパイダー 増殖』の感想でした。
Vermines (2023) [Japanese Review] 『スパイダー 増殖』考察・評価レビュー
#フランス映画 #アニマルパニック #蜘蛛