どちらの言い分もわかるでは話にならない…映画『バティモン5 望まれざる者』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス・ベルギー(2023年)
日本公開日:2024年5月24日
監督:ラジ・リ
ばてぃもんふぁいぶ のぞまれざるもの
『バティモン5 望まれざる者』物語 簡単紹介
『バティモン5 望まれざる者』感想(ネタバレなし)
映画は告発のためにある
2023年6月27日にパリ郊外のナンテールで、パリ警察署の警官2人がバス専用レーンを猛スピードで走っている1台の車を発見。道路交通のルール違反の場合、一般的に車両を停車させ、運転手の免許証を確認し、違反手続きをするのが通常だと思うのですが、この事件ではそうなりませんでした。警官は発砲したのです。
実はフランスでは2017年の法改正で、警官の自己防衛目的だけでなく、交通停止への服従拒否でも車に発砲していいことになったのでした。
しかし、今回の事件では、その銃弾は車ではなく、運転手だった17歳のアルジェリア出身の少年である”ナヘル・メルズーク”に命中し、死亡しました。
この銃撃の動画はその日のうちにネットで拡散。当初、警察は運転手が警官に向かって車を走らせて危害を及ぼそうとしていたと示唆しましたが、その動画には射殺された運転手側がそうした行動をとっていた様子はなく、至近距離の窓越しに発砲される映像となっていました(BBC)。
被害者に共感する市民の怒りに火をつけ、街は感情が爆発した群衆で溢れかえり、破壊行動も起きました。この一連の連鎖した群衆行動に対処するために、2000人の警察官と憲兵が配備され、30人以上が逮捕されました。
この一件は、今回だけの事件ではありません。フランスでは似たようなことがずっとここ近年は起きています。そして同じ批判が繰り返されています。
差別に基づく人種プロファイリングの危険性、移民へのスティグマ、行政側の庶民への強硬な取り締まり(自己組織に甘いダブルスタンダード)…。そしてこれらへの怒りに端を発する群衆の「抗議」を安易に「暴動」と呼ぶことの問題も…。
「動画」が告発のツールになっているのが象徴的なのですが、こうしたフランス社会の現実を「映画」というツールを使って告発している最前線に立つ監督がいます。それが“ラジ・リ”監督です。
“ラジ・リ”監督は、アーティスト集団クルトラジュメのメンバーとしてキャリアを始め、「2005年パリ郊外暴動事件」に刺激を受け、ドキュメンタリーを撮り続けてきました。そして、2017年に『レ・ミゼラブル』で長編映画監督デビューを果たし、賞を席巻します。
“ラジ・リ”監督の作家性は明確で、移民が歴史的に多く暮らしてきたパリの団地(パリ郊外は「banlieue / バンリュー」と呼ばれる)を舞台にした一触即発の現状を映すこと。ドキュメンタリーチックなヤクザ抗争ものみたいな感じで、今のパリらしい新しいサブジャンルを確立したのではないでしょうか。
初期監督作『レ・ミゼラブル』は住民と警察の衝突を真っ只中で迫真に描き、脚本・製作を務めた『アテナ』はその闘いをより戦争風にダイナミックな映像で映し出しました。
その流れで3部作のように(物語上は繋がりはありませんが)連なるのが、2023年の最新作である『バティモン5 望まれざる者』です。
本作もパリの移民居住区となっている団地を舞台にしているのは同じ。しかし、今回はより俯瞰した視点を用意しており、行政側も同時並行で描く群像劇となっています。これによって過去作にあった、渦中にカメラが密着する現場感はやや減退しましたが、そのぶん問題構造を映し出すという広角のジャーナリズムな視野を獲得しています。
「バティモン5」という不思議な名称ですが、「5作目」とかそういう意味ではなく、作中で舞台となる団地の名前です。
『バティモン5 望まれざる者』製作中に、上記の「ナヘル・メルズーク事件」が起きるなど、例によって例のごとく現実とシンクロしてみせている本作は、この社会問題を「中立的に描きましょう」みたいな浅ましいポジション・トークをする気は毛頭ありません。
“ラジ・リ”監督はインタビューでも「私がバンリューに育ち、生きてきたということは大きな理由となっています。そこに生きてきた私がそしらぬふりをしてその後も生きていくことはできない。これは私の人生のミッションなのです。どのような環境で人が生きているのか、それを告発し、証言する。その使命感で映画をつくっています」と答えています(Esquire)。
覚悟を持っている“ラジ・リ”監督の告発を受け止めたい人は、鑑賞してみてください。
『バティモン5 望まれざる者』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :告発を受け取って |
友人 | :題材に関心ある同士で |
恋人 | :デート気分ではない |
キッズ | :大人のドラマです |
『バティモン5 望まれざる者』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
パリ郊外の公営住宅地の一画、通称「バティモン5」。かなり古い団地の建物が立ち並び、19世紀は労働者の暮らす場として象徴的な存在でした。しかし、住宅難の解消目的でいくつも建設されたこれら団地は、すっかり最先端ではなく古い象徴に変わってしまい、かつてのようなパリ市民は避けるようになりました。そして1960年代末より移民労働者の住まう場所として役割を変え、現在に至っています。
この団地のとある一室は悲しみに包まれていました。女性たちがすすり泣き、棺を取り囲んでいます。棺は男たちによって運ばれ、薄暗く狭い共用階段を慎重に降りていきます。スマホの光だけが頼りです。塗装の剥がれた壁に密着しながらなんとか棺は外へ。建物の前に停められている車の中へゆっくり納まりました。最期の別れを惜しみ、一同に見送られながら、車は出発していきます。
一方、老朽化した団地を取り壊して新しい街へと作り替えるべく、団地建物の爆破解体が行われていました。盛大に崩れ、見学者に土煙が押し寄せます。
しかし、セレモニーとして爆破スイッチを押した市長は急に倒れて意識を失ってしまいました。慌てて応急処置が行われ、救急車内では蘇生が試みられますが、帰らぬ人となってしまいます。
前任者の急逝は悲しい出来事ですが落ち込んでばかりはいられません。政治的な空白は許されません。政府関係者は速やかに臨時市長を決定しようと動き出します。
こうして白羽の矢が立ったのがピエール・フォルジュでした。喫緊の課題は当然のようにあの団地です。プロジェクトを中断するわけにはいきません。パリの都市計画の最重要事項です。ピエールの手腕が真っ先に問われます。無能と評されたくないピエールは、徹底してこの計画を強行することにします。
ところかわってケアスタッフとして団地居住の移民たちに寄り添ってきたアビー。葬儀にも参加したり、常にこのコミュニティの中で献身的に頑張ってきました。それでも、強引な団地再開発に住民の怒りは爆発寸前であり、現場側で反発を抑えるのは限界でした。
アビーはピエール市長に直談判しに行きますが、ピエールの方針は変わらず、ほぼ相手にされません。
団地住民の行政への不信感はピークに達しており、夜に市長の運転する車の前にタイヤを転がして妨害したり、車に落書きしたり、嫌がらせも日常茶飯事です。
日中には行政側と一触即発となり、比較的穏健だった住民側のブラズはなんとかなだめようとしますが、盾と警棒で武装した警察隊が遠慮なしに暴力を振るっていき、現場は騒然。もうそこには理性も法順守もありません。
その場にいたアビーはショックで立ち尽くします。今までの自分の努力は一体何だったのか、アビーの中でも失望は怒りに変わります。
さらに事態は悪化していくことに…。
最悪なブラック・サンタ
ここから『バティモン5 望まれざる者』のネタバレありの感想本文です。
もはや『バティモン5 望まれざる者』まで作品を重ねてくると“ラジ・リ”監督も団地撮影が手慣れているもので、大量のエキストラやクレーンカメラを駆使した撮影がベテランの域に達していました。団地でドラマが展開するというとこじんまりした作品が多い印象ですが、“ラジ・リ”監督作は違います。とにかくダイナミック。城を撮るようにときに雄大に、ときに悲壮感たっぷりに、さまざまな団地の顔を見せてくれます。
“ラジ・リ”監督自身が経験豊かなことも本作のリアリティの底上げになっています。ディテールが細かいです。移民居住者と近しい当事者であり、今作では選挙キャンペーンもでてきますが、そんな仕事もしたことがあるそうですから。
主題は簡単に言えば「ジェントリフィケーション」。都市再開発の過程で、そこに以前から住んでいた貧しいマイノリティの人々が追い出されていく…その現代の植民地主義的な乗っ取りが映し出されます。
日本でもジェントリフィケーションは起きていますが、『バティモン5 望まれざる者』はフランスのパリの政治背景も合わせて活写されるのが特徴です。
今作で新市長として団地再開発を推し進める先頭に立つピエール。この人物の政治的立ち位置は、典型的な極右であり、実際にフランスのみならずヨーロッパ各地で勢力を強める極右政党の現状を反映しています。
ピエールは一見すると穏便そうに見えます。汚職まみれの古いタイプの権力者だった政治家が退場し、「今度は自分がクリーンな政治を実現します!」と自信たっぷりに登板。たぶん世間は「なんだ、健気に頑張っている良い政治家じゃないか」と思ってしまうでしょう。
でもこれこそ右派ポピュリストがよくやる振る舞いなんですね。古い政治を変えると息巻きながら、根っこの部分では差別主義が巣くっている。支持力の基盤を敵対心扇動で得ていく手法が自然に身についている。こういう政党は…日本にもいますね…。
特筆されるのがピエールの移民への姿勢で、露骨に「移民が消えろ!」なんては言いません。むしろ「移民にもちゃんと優しくしてるよ?ほらね?」みたいな態度です。しかし、その実態は移民に対等な権利を与える気はなく、無自覚に見下しています。
それが最も突きつけられるのが本作の終盤です。
ピエール宅でクリスマス・パーティをしているのですが、市長の犬となっている黒人の議員のロジェはサンタの格好になっています。本来、ブラック・サンタはレプリゼンテーションとしては多様性の象徴になる良いイメージがあるものですが(『SANTA CAMP サンタの学校』が良い例)、本作はそれを皮肉たっぷりに反転しているわけです。「I have black friends」論法の派生形ですよ。
これは当事者にとっては本当にキツイ展開です(『殺戮の星に生まれて / Exterminate All the BRUTES』で映される歴史を踏まえれば当然)。冒頭の団地が爆破解体される場面よりも、心の底からゾっとするキツイ場面と言えるでしょう。ここだけ切り取るとホラーです。ネオリベラリズム時代の新しい「召使い」を見せられるようなもの…。
だからブラズはロジェを殴ります。あれはもう自己嫌悪みたいなものなのかなとも思います。こうなったらおしまいだという最悪の未来像を見せられたのですから。
今作は過去作のようなわかりやすいジャンル的なインパクトに頼らない演出で、こちらを揺さぶってくるようになってました。
どっちの言い分もわかる?
『バティモン5 望まれざる者』を観て、「(住民と行政の)どっちの言い分もわかるな」という感想が浮かんできたのなら、それは実際のところ、作中の住民側の言い分を何ひとつわかっていないことを露呈しているだけで…。
まさにそういう無頓着な発言をしてしまうような人が政治の場に立ち、もしくはそんな政治家を支持してしまう…それが本作で起きていること。そして現実で起きていること。
極右を支持するのは極右だけじゃないです。中立風の言説に惹かれる自称「どちらにも共感できる感性の持ち主」が、結局は偏った政治を支えていきます。
“ラジ・リ”監督はそれをこの社会で身をもって味わっているからこそ、作中でずっと移民居住者に寄り添っています。群像劇ですが、行政側にまで親身になっているわけではありません。
それを見えている世界が違うことで示すシーンの対比が印象的でした。わかりやすいのが、冒頭の「狭苦しい葬儀シーンと階段を降りる構図」と「火事現場を見に来る市長のシーンの階段を登る構図」。市長側はこれを壊すべき破壊対象の建造物としか見ていないです。でも住民にとってはどんなに生活に不便でも居場所そのもの。根本的に認識が違うのです。
ただ、この移民居住者も一枚岩にはなれません。理不尽に尊厳を奪われる中で、互いに互いを癒すことも追いつかなくなり、傷つき合ってしまいます。抗議運動はお気楽なものじゃなく、心を削る行為なのです。
群衆の抗議は「黒人による白人への破壊行為」と世間は認識するかもしれないし、そう認識するのは誰でもできるけど、黒人間で起きているこの傷だらけの惨状を理解してくれよという本作の告発。
こんなことを続けていたら、社会は破滅します。政治家のその場しのぎの人気取りであろうと、行く着く先は崩壊です。そうならないために政治はあるはずで、そうならないために何よりも社会で最も弱い立場にいる人の声に耳を傾けないといけないはずで…。フランスはそれを歴史で学んできたのではないのか…。
この映画は何度も訴え続けます。映画でメッセージ性なんて聞き飽きたと言われようとも、目の前に全然わかっていない人がいる限り…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)SRAB FILMS – LYLY FILMS – FRANCE 2 CINEMA – PANACHE PRODUCTIONS – LA COMPAGNIE CINEMATOGRAPHIQUE – 2023
以上、『バティモン5 望まれざる者』の感想でした。
Batiment 5 (2023) [Japanese Review] 『バティモン5 望まれざる者』考察・評価レビュー
#フランス映画 #移民難民 #政治