目があったな!勝負だ!…映画『またヴィンセントは襲われる』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:フランス・ベルギー(2023年)
日本公開日:2024年5月10日
監督:ステファン・カスタン
恋愛描写
またびんせんとはおそわれる
『またヴィンセントは襲われる』物語 簡単紹介
『またヴィンセントは襲われる』感想(ネタバレなし)
ヴィンセント・マスト・ダイ!
目と目を合わせる「アイコンタクト」…それはヒトという生き物の世界ではコミュニケーションのひとつとなっています。何でも乳児は生後2~5日以内で視線を区別できるようになり、こうして「誰かに見られているという感覚」を理解できるようになるそうです(Scientific Reports)。
基本的に親密な意味合いをもたらしますが、国が違えば文化も違うもの。欧米と比べると日本はあまりアイコンタクトを他者に積極的にする習慣はないでしょう。
また、野生動物の世界では大きく変わってきて、目と目を合わせる行為は威圧効果を与えることが多々あります。なのでペットの犬や猫に、スキンシップのつもりで良かれと思って目をじっと見つめても、肝心の動物側は「なんか怖い…」って感じているだけかもしれません。
そういう私は人と目を合わせるのが苦手で…。アイコンタクトをベースとするコミュニケーションは無理ですね…。でも最近は「私は野生動物に近いんだな」と思うことにしているので、とくに自分が変だとは思っていません。
そんな目を合わせるシチュエーションがトリガーになってとんでもないことが起きるスリラー映画が今回紹介する作品です。
それが本作『またヴィンセントは襲われる』。
本作は、フランス&ベルギー合作の映画で、あるひとりの男が主人公。その男は職場で何気なく目を合わせた同僚からいきなり暴力を振るわれ、それ以降、次々と目を合わせた人から襲われることになってしまいます。そんな不条理な暴力の嵐から生き残れるのか!?というサスペンス、それと同時にその状況から社会を風刺するダークなコメディ、さまざまな顔を持つジャンル映画です。
英題は「Vincent Must Die」で、原題も似たような意味合いのタイトルになっており、それからしてジャンル映画っぽさが強めですね。邦題はなんかネット記事の見出しタイトルみたいだな…。
正直、私はこの『またヴィンセントは襲われる』の設定を知ったとき、最初に思った感想は「ポケモンなの!?」でした。初期からゲーム「ポケットモンスター」は道行く人の視界に入ってしまうとポケモンバトルを挑まれるんですよね(最近のゲームは違っている)。それこそヤンキーが「ああ!?なにガンつけてるんじゃ!!」と喧嘩を売ってくるみたいな流れで…。
目を合わせないことが習慣化している私なら、この映画の設定でも誰にも襲われないのでは…!? いや、もしかしたら目を合わせたら襲われるという仕組みにさえ気づかないのでは…!? そう思ってしまったのも一応ここに記しておこう…。
『またヴィンセントは襲われる』は、”ステファン・カスタン”監督による長編映画監督デビュー作。以前は短編やドラマシリーズのエピソード監督の経験ならあるようです。俳優としても活動していて、最近だと『群がり』に出演していました。
また、本作の脚本としてクレジットされていて、企画の原点となっている“マチュー・ナールト”もこれが長編映画の脚本としては初仕事のようです。
”ステファン・カスタン”監督も普段は自分で考えたシナリオを撮るのが好きと言っているので、よほどこの“マチュー・ナールト”の脚本が自分にハマったのでしょうか。
主演は、『バック・ノール』の”カリム・ルクルー”。今作のひたすら可哀想なポジションに収まり続ける人物です。こう言ったら失礼ですけど、”カリム・ルクルー”、なんだか酷い目に遭う姿がずっと見ていられる佇まいがありますよね。こう絶妙に強すぎもせず、弱すぎもしないくらいの中間の存在感を放っているんだと思う…。確かに起きていることは可哀想なんだけども、ふと冷静になると「ん?おかしくないか?」と主人公への同情心が一瞬消えるユーモアが混ざったりして、”カリム・ルクルー”の扱い方が上手い映画です。
ジャンル映画としてひたすらに理不尽の詰め合わせで、後半からはふんわりとラブストーリーも混じりつつ、ご都合主義な社会を非説明的に風刺しきる作品。ということで癖は強めですが、気になる人はどうぞ。
見終わった後は、誰かと目を合わせる際はご注意を。
『またヴィンセントは襲われる』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ジャンル好きなら |
友人 | :癖のあるエンタメだけど |
恋人 | :異性ロマンス要素あり |
キッズ | :やや暴力描写あり |
『またヴィンセントは襲われる』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
フランスのリヨン。ヴィンセントはグラフィックデザイナーとして働いていました。ある日、机で何気なく作業をしていると、若いインターンの同僚のひとりとふと目があいます。
するとその同僚はいつの間にか自分の前に立っており、けれども黙っていました。ヴィンセントはわけもわからず見つめ返しますが、急にその同僚は手に抱えていたノートパソコンでヴィンセントの頭を殴打。激しいです。全く無言で何度も攻撃を加えてきて、ヴィンセントは打撃を受けた個所を手で押さえ、痛みに耐えながらも混乱します。
同僚はその場にいた他の人たちに取り押さえられ、少し時間が経つと落ち着きを取り戻しました。不思議なことにその同僚はさっきまで自分が何をやってしまったのか記憶にないようです。
とりあえず職場はまた何事もなく元に戻ります。些細な確執がふと暴力に発展したのだろうと片付けられて…。
しかし、こんなことがあった以上、ヴィンセントは他の人たちの視線を感じていました。被害に遭っただけなのに自分が居心地を悪くしてしまいます。
翌日、まだ怪我が顔に残るヴィンセントは自転車で出勤。今日も制作途中のグラフィックを同僚と確認し合います。そのとき、別の同僚がいきなりヴィンセントの腕をペンでめった刺しにしてきました。悲鳴をあげながら出血する腕を押さえて逃げるヴィンセント。やはりその同僚も自分が何をしたのかよく覚えていないようです。
2人揃って上司の前で説明します。動画も撮られており、証拠はあります。しかし、結局よくわかりません。
夜、店で女性と食事をし始めたとき、窓を見るとホームレスがひとり立っています。目があうとその男はゆっくりこちらに向かってきます。まるで引き寄せられるように…。しかし、車に轢かれてしまいました。
夜道、多くの人がすれ違う中、ヴィンセントの頭の中には不安がよぎります。もしかして目があうと襲ってくるのか…?
急いでタクシーに乗り込み、なんとか帰宅できました。
明るくなってもヴィンセントは落ち着きません。とにかく不安を抑え込み、また出勤します。
自転車に乗って信号を待っていると、隣の車の運転手と目があってしまいました。その人は明らかにこちらを見つめてきます。必死に逃げるとその車が猛然と向かってくるのが背後に見え、ヴィンセントは間一髪で転んで、その場を逃げることができました。
ネットで調べるとあちこちで突然襲われるという事件が起きているようです。何の脈絡もなく暴力が起きており、これは偶然なのか何か裏があるのか、ますます混乱が自分の中に広がります。考えすぎでしょうか。
そこで自分で試してみることにします。家の窓から通りの向こうの建物にいる人とわざと目をあわせます。じっと見つめると、その相手もこちらを見つめます。しかし、一瞬ドキっとするも何も起きず…。
やはり気のせいだったのか。ヴィンセントはまだまだ自分が襲われることを知りません…。
社会は視線を気にしすぎている
ここから『またヴィンセントは襲われる』のネタバレありの感想本文です。
『またヴィンセントは襲われる』は男性主人公のヴィンセントがひたすらに酷い目に遭い続けるので、「こんなシチュエーションの映画、どこかで最近も見たな…」と思ったら、『ボーはおそれている』ですね。
あちらの映画はもっと極端に荒唐無稽で、ある種の不安症の心理を具現化した映像が繰り広げられ、最後には思いっきりリアルをぶん投げる開き直りがあるのですが、対する本作『またヴィンセントは襲われる』は社会風刺要素が濃く、作中に常にリアルを意識している感じがありました。これは作り手側の関心の方向性の違いでしょうかね。
まず冒頭で最初の暴力が起きるのですが、これが絶妙な「起きそうで起きなさそうなライン」ギリギリの事件なんですね。職場内の軋轢がカっとなって暴力に発展したのかもしれない。そういうことなら確かにあり得ます。
でもノートパソコンで普通殴るか?っていうやりすぎ感もあって、しかも加害者側に記憶がないという、嘘をつくにしても無理がある押し通しです。理性を失うにしてはちょっと失いすぎです。しかも、事件は二度目も発生して、今度はペンで突き刺しまくりですよ。ヴィンセント側の「え?え!えぇぇ!!!」みたいな自分も理解できない事態に茫然とする反応がこの異様さを物語っています。
このときの職場の反応もまた嫌なくらいにリアルで、要するに「不祥事」として扱うと会社の評判に傷がつくので、それとなく場を取り繕うだけにして、事件化しないでおこうと計らうんですね。たぶん多くの人が見たことがある風景なんじゃないでしょうか。企業は世間の視線を気にしているのです。
そしてなぜか「事件の原因は被害者の方にあるのでは」と疑われていくという始末…。これもよくありすぎる…。
さらに本作の象徴的なトリガーである「目と目が合う」という些細な行為。これもまた私たちには実体験として理解しやすいものになっています。目を合わせるのが苦ではない人も、苦手な人も、やはり誰であっても「あの人は私を変な目で見ていたような…」とか、逆に「私はあの人のことを見つめすぎだったかな…」とか、どうしても視線を気にしてしまいますよね。
この視線を最大限に設定として取り込んで、社会風刺のシチュエーション・スリラーにアレンジするというアイディア自体で、この映画は一定の保証された面白さを確保したようなものです。
被害者には収まらない主人公
目が合うと理不尽な暴力が襲いかかってくる…この設定だけをみれば、『またヴィンセントは襲われる』は間違いなく恐怖ノンストップなスリラーなのですが、本作がもうひとつ特徴として併せ持っているのがユーモアで、このスリラーの中に混ぜ込む笑いのセンスが隠し味になっていました。
その要となる主人公であるヴィンセント。彼はこの設定なら普通に「可哀想な被害者」のポジションに収まりそうなのですけども、そうならないんですね。
例えば、最初に暴力を受けた後、ヴィンセントは自分の傷のある顔をマッチングアプリの写真に登録して自己アピールに使うほどの余裕をみせます。そして、護身用の催涙スプレーとスタンガン、手錠を購入し、さらには犬(ちゃんと強そうな犬)まで言われるがままに飼い始め、武器と一緒にこれまたセルフィで写真投稿。
つまり、このヴィンセント、なんだかんだでこのシチュエーションに置かれている自分に自己陶酔している部分もあって、「襲われるオレってかっこいい」みたいな感じで、利用している一面もあるんですね。
『タクシードライバー』(1976年)をやや露骨にダサくした感じ。
その姿は本作ではときおりものすっごくマヌケに描かれ、男らしさをまとうことに自惚れだすあたりのみならず、その後のあれやこれやの言動はちょっと陰謀論的な思考にのめり込む男性に近いものがありました。
実際、ヴィンセントはネットで日常で起きる暴力を撮らえた動画を見漁りながら、自分なりに「これは目を合わせたら起こる”何か”に違いない」と確信します。でも作中では結局の一連の現象の原因が何なのか、その真実を明らかにしません。あくまでヴィンセントの解釈があるだけです。匿名のオンラインコミュニティが確信を後押しするところも陰謀論者っぽいです。
こんなふうにヴィンセントというキャラクターはわざとらしく不審者っぽくなっており、被害者や加害者という類型を逸脱した、予測不可能でそれでいて「こういう奴いるな」というどうしようもない親近感もある存在になっていました。
自分事なのにどこか他人事で、現実問題として認識していない人間。そういう人はいっぱいいます。
そのヴィンセントはマルゴーという「自分を襲わない女性」と出会い(自分が襲われるという状況をわかってもらうためにわざとスーパーマーケットに単身で突っ込む場面もアホらしい)、恋愛関係を築いていきますが、当初は彼女に手錠をさせたままで、その関係は明らかに対等ではありません。このラブストーリーのパートは、”マーティン・スコセッシ”監督の『アフター・アワーズ』を参照にしているみたいですけど、普通に捉えるとこのマルゴーは都合のいいヒロインに思えてしまいます。
一方で、ヴィンセントが父の危機に焦り、我を失ったかのように、今度はマルゴーに自分が暴力を振るってしまう終盤のシーン。ここで本作の設定の大前提がひっくり返るのですが、それでもマルゴーはヴィンセントに目隠しをして関係を続けます。暴力を受けたのに関係が続くなんて有害なリレーションシップです。
このラストをどう受け止めるかは観客に委ねられますが、私は「視線を避ける」という適応行為自体の限界と言いますか、それは賢い手段というよりはどこか現実逃避的であり(見て見ぬふり)、でも実際に多くの社会で行われているこれもまた現実なのだという風刺を感じ取りました。
こうして私たちは今日もいろいろな視線と適度に付き合っているのです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 – Capricci Production – Bobi Lux – GapBusters – ARTE France Cinema – Auvergne-Rhone-Alpes Cinema – RTBF またビンセントに襲われる ヴァンサン・ドワ・ムリール
以上、『またヴィンセントは襲われる』の感想でした。
Vincent Must Die (2023) [Japanese Review] 『またヴィンセントは襲われる』考察・評価レビュー
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