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『セイント・モード 狂信』感想(ネタバレ)…極めれば聖女、極めすぎれば狂信者

セイント・モード 狂信

極めれば聖女に、極めすぎれば狂信者に…映画『セイント・モード 狂信』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Saint Maud
製作国:イギリス(2019年)
日本では劇場未公開:2021年に配信スルー
監督:ローズ・グラス
性暴力描写

セイント・モード 狂信

せいんともーど きょうしん
セイント・モード 狂信

『セイント・モード 狂信』あらすじ

在宅看護師のモードは、末期の病に侵されて独り豪邸に暮らす元有名ダンサーのアマンダをケアすることになる。アマンダは病状の悪化を紛らわせてくれる信心深いモードに興味を惹かれ、モードもまたアマンダの魂の救済にのめり込んでいく。しかし、モードは神のお告げを信じすぎるあまりに凄惨な結末を招いた過去があった。やがてモードは自分がアマンダの元に派遣されたのは神の意志を全うするためだと確信するが…。

『セイント・モード 狂信』感想(ネタバレなし)

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アートハウス・ホラーにまたも新鋭監督が…

ひとくちに「ホラー映画」と言ってもいろいろあります。

お化け屋敷に気分で楽しめるエンタメ満載のもの、グロテスクで残酷なショッキング映像で戦慄させるもの、映像の派手さはないけど人間の心理的な恐怖を煽っていくもの…。

恐怖の対象もさまざま。殺人鬼、ゾンビ、幽霊、悪魔、呪い、動物、権力、差別主義者、親、友人、自分…。世の中には怖いものなんて数えきれないくらいにありますからね。

そんな多彩なホラー映画の中でもおそらく最も人を選ぶクセの強さがあるのが、いわゆる「アートハウス・ホラー」と呼ばれるジャンルです。ホラー映画とアート映画のサブジャンルが融合したこのアートハウス・ホラーはアプローチが独創的で、観客によっては「おお!これは新鮮だ!」「深いね!」と大満足する人もいる一方で、別の観客は「なんだこれ?なにが面白いの?」と困惑するという…非常に二極化したリアクションを受けることがしばしばです。芸術なんてそういうものなのでそれでいいんですけどね。

ちなみに私はアートハウス・ホラー、大・大・大好きです。

最近の話題になったアートハウス・ホラーと言えば、『ミッドサマー』『ライトハウス』ですかね。昔ならば、“アルフレッド・ヒッチコック”、“イングマール・ベルイマン”、“ロマン・ポランスキー”、“ブライアン・デ・パルマ”、“デイヴィッド・リンチ”、“大林宣彦”、“黒沢清”など名だたる監督の面々がいます。

しかし、そんなどこよりも独創性が許されるこのアートハウス・ホラーの世界でも女性の監督の居場所はほとんどなく…。結局のところ、ずっと「男のアートの感覚」がそこに居座り続けていました。

でもそんな時代もそろそろ塗り替えるときが来ました。最近はアートハウス・ホラーの分野で女性監督の躍進が目立ってきているからです。最近も『レリック 遺物』“ナタリー・エリカ・ジェームズ”監督が登場したり、新鋭の才能がどんどん現れています。

そしてまたも古い時代を燃やし尽くす新しいクリエイターによる映画が降臨。それが本作『セイント・モード 狂信』です。

本作で長編監督デビューを遂げたのは、“ローズ・グラス”というイギリス人で、『セイント・モード 狂信』によって英国インディペンデント映画賞で新人監督賞を受賞。しかも最多の17ノミネートを達成。文句なしのスタートでしょう。

映画の内容はと言うと…アートハウス・ホラー系の作品は説明がいつも大変なんですけど…この『セイント・モード 狂信』の主人公はひとりのホスピス看護師の女性。日本では介護士ですね。その女性は実は熱心なカトリック教徒であり、ケアをしている高齢者に対しても信仰に基づく献身で接するのですが…。まあ、大変なことになるのです。ほんと、「そういうラストか!」というオチに…。

ジャンルとしてはサイコロジカル・スリラーですが、『セイント・モード 狂信』はじゅうぶんに期待に応えるクセの強烈さだと思います。序盤は地味なのですが、どんどんエンジンがかかっていきますからね。好きな人は大好きになるし、わからない人はひたすらに放置プレイになる…。

主人公を演じるのは、『どん底作家の人生に幸あれ!』やドラマ『ダーク・マテリアルズ』で活躍する“モーフィッド・クラーク”。スウェーデン生まれで、ウェールズ国籍。2014年から活動しているようですが、『セイント・モード 狂信』はキャリアの記念碑になったでしょう。

共演は、『オスカー・ワイルド』(1997年)、『英国王のスピーチ』(2010年)、『バーバラと心の巨人』(2017年)などの幅広い作品に出ているベテランの“ジェニファー・イーリー”。今回は末期患者の役ということもあって老いた姿が、“ジェニファー・イーリー”の実の母である大女優“ローズマリー・ハリス”に似ている気がする。

『セイント・モード 狂信』はアートハウス・ホラー系が好きなマニアには必見の映画なのですが、残念ながら日本劇場未公開で配信スルー。昨今のデジタル配信の山に埋もれていますが、探し出してください。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:マニアは要注目
友人 3.5:趣味が合う者同士で
恋人 3.0:ロマンス気分はゼロ
キッズ 2.5:過激な暴力描写あり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『セイント・モード 狂信』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):患者の魂を救える?

祈りを捧げるひとりの女性。敬虔なカトリック教徒であり、この信仰は彼女にとって人生の要です。彼女は「モード」と自身を名乗っています。

モードは邸宅を訊ねます。かなり豪華で、住み着いている人はそれなりの成功をおさめたことが推察できます。その持ち主であるアマンダはここにひとりで住んでいました。

モードにとっては今日は大事な日。実はこの邸宅でアマンダの住み込みのホスピス看護師として働くのです。古臭い狭いアパートの部屋とはお別れし、ゆったりとした自分の部屋を与えられ、さっそくモードはその壁にイエスの十字架をかけます。

仕事に取り掛かります。アマンダの身体を丁寧に診ていき、体調のチェック。身体をほぐすこともします。アマンダは末期患者であり、人生の終わりを感じているはずですが、当のアマンダは余裕そうに煙草を吸っています。緩和ケアを担当している以上は身体的な世話だけでなく、アマンダの心のサポートもしないといけませんが、アマンダ自身はなかなかに貫禄があります。

外に出ていると電話があり、急いで向かうと男と口論しているアマンダの姿が。本当に自由気ままで、アマンダは吐いてしまい、高価そうな絨毯の汚れを懸命にとるモード。

それでもモードは徐々に感じとります。このアマンダも内心では不安なのだろうと。ベッドで大人しく横たわるアマンダと会話していくとその心の苦痛が伝わり、 「私の可愛い救世主」と言われ、信仰心の深いアマンダはやる気が灯ります。

ある夜、階段の壁にすり寄って何かを感じるモード。そのまま倒れ込み、全身で感じるのは信仰的エクスタシーなのか…。

いつもの仕事の最中、玄関のドアをノックする音。ハッとすると、入り口に立っていたのは女性。キャロルと名乗り、「寝ていますけど」とこちらが説明しても、平然とあがりこんできます。知り合いなのか。

モードは食事前に一緒に手を合わせて祈ってくれるアマンダを見て、なんだか少しこちらの信仰をわかってくれたような気がして嬉しくなります。そんな必死に祈るモードを見つめるアマンダ。その後に2人で何かを感じ…。

一方でモードはくつろぐキャロルの存在が気になり、部屋を覗きます。音楽をかけて楽しそうな雰囲気で、アマンダにとってキャロルはそういう快楽の関係のようです。それが不道徳な気がして気に入らないモードはそのことをアマンダに忠告します。

夜の街を歩いていると、「ケイティ!」と呼びかけながら駆け寄ってくるひとりの女性。実はモードの昔の名前はケイティで、看護師として施設で働いていたのです。そこでのある出来事をきっかけにモードはその職場を辞め、今のアマンダのもとに来ました。

そのアマンダの誕生日パーティー。いつもの静かな邸宅とはガラっと変わって、人で賑やか。モードはみんなの前でアマンダに予想外の揶揄われ方をします。アマンダは私の信仰心に共感していたのではなく、嘲っているだけだったのか…。思わず怒りの感情が湧いたモードはアマンダにビンタし…。

そしてクビになってしまったモード。またもあのみすぼらしい狭いアパートに逆戻り。壁の十字架だけが虚しくこちらを見下ろします。

しかし、モードの心はそれで静まることはなく…。

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他人の信仰を安易に嘲笑っては…

『セイント・モード 狂信』は冒頭から「なにごと!?」というほどの異様な空気なのですが、その冒頭のシーンはこの時点では説明もなくよくわかりません。

しだいにフラッシュバックとともに判明してくるのは、どうやら主人公もモードはもともとはケイティという名前で、看護師として働いていたものの、患者の命の危機に懸命に心肺蘇生をしたものの救えず、そのことがトラウマになっているという事情。

それだけなら「可哀想な人」という感じなのですが、さらにモードの行動がエスカレートしていくにつれ、なんとなく頭をよぎるのは、「本当にただ患者の命を救えなかっただけなのか」という疑問。もしかしたら以前の職場でも信仰心の過剰な暴走によって大きなヘマをしてしまい、それが他者の命への破滅に繋がったのではないのか。そんな嫌な勘繰りまでしたくなってくるほどにあの冒頭の映像は禍々しいです。

そしてアマンダの家では、モードはやはり信仰心を胸に仕事にあたっているのですが、当初はアマンダもそれを好意的に受け止めている気がします。そんなアマンダとの時間でモードの心もセラピーされていくような…。しかし、現実は違った…。あの嘲笑い。見下し。

さらにベッドでの終盤の再会シーンで、アマンダによって起きる突然の豹変と吹っ飛び。モードにとってはアマンダは救える対象ではない、自分を破滅させる存在だったのか。まさしく悪魔のように…。アマンダ(悪)を演じる“ジェニファー・イーリー”の迫真の闇が目に焼き付く…。

ざっくり言ってしまえば本作『セイント・モード 狂信』は「他人の信仰を安易に嘲笑ってはいけません」という内容だったと思います。『ロッジ 白い惨劇』と同じですね。どんなに軽い気持ちでもその人の信仰を勝手に値踏みして弄んではいけない。それは考えている以上にその人の心に影響を与え、いずれ自分に跳ね返ってくる。信仰は個人の最も大事なアイデンティティのひとつですからね。

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女性は何になれるのか

また、『セイント・モード 狂信』は信仰以外の側面で主人公のモードを分析することもできます。それは「女性」だということ。

まず若い女性、しかも決して裕福ではない貧困層の独り身の女性。これは社会で最も下に見られる存在です。それに加えて介護職というのも大きいでしょう。そもそも女性のキャリアというだけで重視されないわけです。アマンダさえも自分の住み込みで介護職というモードを下に見るのも当然で、ましてやアマンダは元はメディアにも載る有名ダンサー。キャリアに対するエリート志向は強いでしょう。

このあたりの階級構造は、ドラマ『サーヴァント ターナー家の子守』のあの家主女性と信仰深いベビーシッターの関係にも通じますね。

モードは独り身で信仰に依存しているせいか、変な人だと思われるかもしれませんが、作中で普段の生活が映るようにそこまで異質というわけではありません。ああいう生活を送る女性がいても全然問題ないでしょう。でも社会はそうは思わない。

さらに作中でモードの女性としての立場をハッキリさせるのが、パブで男と出会ってそのままセックスをし、その最中にフラッシュバックを感じてモードは躊躇するも、結局は体勢を変えられて今度は男にレイプされてしまうという描写。モードは強い存在ではない。そこには絶対的な男女の力の構造があって覆せない。この現実を叩きつける演出は『プロミシング・ヤング・ウーマン』にもありました。

で、この『セイント・モード 狂信』が強烈に風刺するのはその社会的に最弱な女性の追い詰められたゆえに生まれる狂気が向かうのは、高齢の余命がいくつなのかも知らない女性だということ。それが介護の現場で起きるというのも印象的です。社会に搾取された弱者同士がそれぞれで命を奪い合うしかないのですから。

ここで重要なのはモードは「神の声」を聴いたと思っているわけですが、その声も見方を変えれば「悪魔の声」に思えること。ちなみにあの声はモードを演じている“モーフィッド・クラーク”の声を加工しているようです。そう考えるともうひとりの悪魔性に染まった自分の声なのかな。

そして『セイント・モード 狂信』の最終インパクトを与えるエンディング。砂浜での焼身自殺。燃え盛る彼女は全員がひれ伏す光の翼の聖女に上り詰めたのか、それとも聖なる炎に焼き殺されて絶叫する悪魔の姿なのか、はたまた精神的に憔悴して追い詰められたただの凡人なのか…。

本作は「宗教って怖いよね」みたいな冷笑で終わらない、誰しもが内に持つものを恐怖の対象として描いている気がします。オカルト・ホラーの皮を被り、ジェンダー批評もこなす。人間の内なる心のいくつもの側面を同時に描き出す、今年の映画の中でも最高のラストでした。

“ローズ・グラス”監督の次回作も楽しみです。

『セイント・モード 狂信』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 64%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)2020 Saint Maud Limited, The British Film Institute and Channel Four Television Corporation. All Rights Reserved. セイントモード

以上、『セイント・モード 狂信』の感想でした。

Saint Maud (2019) [Japanese Review] 『セイント・モード 狂信』考察・評価レビュー