ディズニー実写版は大人になれたのか…映画『ピーターパン&ウェンディ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年にDisney+で配信
監督:デヴィッド・ロウリー
ピーター・パン&ウェンディ
ぴーたーぱんあんどうぇんでぃ
『ピーター・パン&ウェンディ』あらすじ
『ピーター・パン&ウェンディ』感想(ネタバレなし)
今度は「ピーター・パン」
大人にならないとダメなのかなぁ…(もう大人になってしまった大人の唐突な呟き)。
それにしても、「大人になる」という言葉は何とも多用されやすく、そしてその意味も多義的だったりします。単純に年齢が一定を超えるという意味で使われることもあります。
しかし、それにとどまらず、何かしらの責任を持つとか、主体性を獲得するとか、自立するとか、幅広い意味合いも持たせることがあります。やはり「子ども」は基本は社会の保護の対象であり、制限を受けるのも致し方ない存在であるという認識がまず前提にあって、「大人」になればそれが解除される…という価値観がありますね。
もちろん「大人」にだって人権はあるし、常に一定の保護は与えられるのですが、「子ども」とは全然違うものであるということ。
逆に「子ども」は「大人」とは社会での扱われ方が違うので、年齢を重ねて自立心が芽生えれば、「こんな子ども扱いは嫌だ」「早く大人になりたい」と考える子もいますし、「大人になんてなりたくない」と憂鬱になる子もいるでしょう。
あらためて考えるとヒトという生き物が運用している「大人」と「子ども」という概念はなかなかに独特で不思議なものです。これ、もし宇宙人が地球にやってきて「地球人の皆さん、あなたがたの言う“大人”と“子ども”ってどういう意味なんですか?」って聞かれても、回答に困るやつだな…。
そんな宇宙人に説明するのに使えるかはわかりませんが、今回紹介する映画は「大人」と「子ども」の違いを浮き立たせる定番の作品でしょう。
それが本作『ピーター・パン&ウェンディ』です。
本作はあのディズニーのクラシック・アニメーション映画の名作『ピーター・パン』(1953年)を実写映画化した作品です。今のディズニーは過去のアニメーション映画を続々と実写化するというIP(知的財産)更新事務作業にかかりっきりですが、ディズニーの動画配信サービス「Disney+(ディズニープラス)」の独占配信映画として劇場公開せずに配信をする作品も続いています。
最初は『わんわん物語』(2019年)、お次は『ピノキオ』(2022年)…。『ムーラン』(2020年)は劇場公開を予定していたけどコロナ禍でできなくなってやむを得ずの「Disney+」移動なのでちょっと例外的です。
そして今度は『ピーター・パン&ウェンディ』の出番になりました。ちなみにこの実写映画のタイトル、「&ウェンディ」が追加されていますけど、これはそもそもの原作である“ジェームス・マシュー・バリー”の戯曲「Peter and Wendy」を意識してのことなのかな。とくに物語が大幅に変わったわけではありません。
この“ジェームス・マシュー・バリー”の「Peter and Wendy」はディズニーのアニメだけでなく、これまで何度も実写映画化されています。1924年のサイレント映画『ピーター・パン』に始まり、“スティーヴン・スピルバーグ”監督の後日譚的な『フック』(1991年)、“P・J・ホーガン”監督の『ピーター・パン』(2003年)、“ジョー・ライト”監督の前日譚的な『PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜』(2015年)など。
もういろいろやり尽くされている中、今回の『ピーター・パン&ウェンディ』はディズニーアニメの正統実写化ということで、その立ち位置はシンプルです。実写化でどこが変わってどこが変わっていないのか、それを気にしながら観るのも良いでしょう(詳細は後半の感想で)。
『ピーター・パン&ウェンディ』を監督したのは、すでに2016年に『ピートと秘密の友達』でディズニーと仕事している“デヴィッド・ロウリー”。
ピーター・パンに連れられて大冒険するウェンディを演じるのは、“ミラ・ジョヴォヴィッチ”の娘である“エヴァー・アンダーソン”。『ブラック・ウィドウ』にも冒頭で印象的にでていましたね。
立ちはだかるフック船長を演じるのは、『ファンタスティック・ビースト』シリーズや『キャプテン・マーベル』など、何かと含みのある大人を醸し出すことに定評のある“ジュード・ロウ”。
『ピーター・パン&ウェンディ』はダイナミックな映像も多いので、「Disney+」で観れますけど、なるべく大画面で鑑賞するといいと思います。
『ピーター・パン&ウェンディ』を観る前のQ&A
A:Disney+でオリジナル映画として2023年4月28日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :ディズニー好きなら |
友人 | :関心ある者同士で |
恋人 | :気軽に見やすい |
キッズ | :子どももワクワク |
『ピーター・パン&ウェンディ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):大人になりたくない
ロンドンで暮らすウェンディ・ダーリングは荷造りをしていました。寄宿学校に移る予定だったのです。夜、弟のジョンとマイケルがおもちゃの剣でチャンバラをしており、退屈していたウェンディも弟たちと遊べるのもこれが最後かもしれないと思いつつ、無邪気に混ざります。
しかし、剣が吹き飛び、鏡を割ってしまい、父に「家での最後の夜を台無しにするな」と怒られてしまいました。ウェンディは思わず弟のせいにします。
それぞれベッドにつき、母は「弟のお手本にならなくちゃ。お姉さんなのだから」と娘に言い聞かせますが、ウェンディは母と同じような人生は嫌なようで、不機嫌な態度をとるばかり。
「何を恐れているの?」と聞かれ、「今のままがいい。大人になりたくない」とウェンディは答えます。母は優しく子守歌を歌ってくれました。
みんなが眠りについた夜中。小さな妖精が部屋に入ってきます。煌めく粉を吹きかけ、ウェンディの体が宙に浮きます。しかし、起きたジョンがその妖精を捕まえて、ウェンディは床に落下。目を覚ましたウェンディは「これは虫じゃない」と信じられない存在に目を丸くします。
そこに剣を持った緑の衣装の少年がどこからともなく現れます。
「ピーター・パン?」「本当にいたの? おとぎ話だと思ってた」
彼は自分の影を捕まえに来たらしく、引き出しに入っていた影を追いかけ始めました。妖精はティンカー・ベルといい、ティンクという愛称のようです。声は聞こえませんが、ウェンディたちには聞こえないだけ。
ピーター・パンは自分らしくいられる場所に連れて行ってくれると誘います。ウェンディと弟2人は窓から身を乗り出して、妖精の粉をかけてもらい、「楽しいことを思い浮かべればいい」と言われます。
そして3人はフワっと宙に浮かべました。夜の街を滑空し、気が付けば大海原。島が見えます。あれがネバーランドです。
そんな空を自由に飛び回るウェンディたちを望遠鏡で視認したのは海賊の一員。すぐに親分に知らせ、船室から登場したのは、右手が鉤爪になっているフック船長。ピーター・パンを名前も聞くのも憎たらしい宿敵と考えています。子分のスミーを従え、威勢よく攻撃を指示。
大興奮のウェンディたちは大砲攻撃を受けます。衝撃で吹き飛ばされて海岸に流れ着くウェンディ。海水で妖精の粉も流れ落ちてしまい、みんなとはぐれました。
そこに謎の一団と遭遇。仕切っているのはタイガーリリー。たくさんの子どもたち、ロストボーイズもいます。
どうやらジョンとマイケルは海賊船に連れ去られたようで、ドクロ岩に向かっています。急いでウェンディたちも駆け付けますが、弟2人は岩壁に鎖で繋がれ、このままでは潮が満ちれば溺れてしまいます。
しかし、海賊の一員の中にピーター・パンが変装で混ざっていました。海賊たちは瞬く間に蹴散らされますが、フック船長はこれを好機と捉えて剣を宿敵と交えます。ところが思わぬ存在に邪魔されることに…。
大人のためのピーター・パン
ここから『ピーター・パン&ウェンディ』のネタバレありの感想本文です。
『ピーター・パン&ウェンディ』はおおまかには1953年のアニメ映画『ピーター・パン』と同じ。
私にとって、今作で最も魅力的な変化が起きたのは、フック船長だったかなと思います。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のクッパといい、昨今の新装映画は悪役が輝くことが多い気がする…。
ディズニーのアニメ映画『ピーター・パン』ではフック船長は非常にコミカルなヴィランとして描かれており、言ってしまえばマヌケです。子ども以上に子どもっぽいバカバカしい大人として描写され、子どもが笑い飛ばせる大人という存在でした。
子どもから笑われるだけの役回りだったかつてのフック船長と違って、今回の実写映画ではキャラクターの深みが“ジュード・ロウ”の名演も加わって増しました。
今回のフック船長はピーター・パンを敵であると同時に「いないと困る宿敵」としてある種の友情以上に深い関係として見つめており、ちょっと『レゴバットマン ザ・ムービー』的な関係性を匂わせます。
そして最後のエンディングで、ウェンディに別れを告げたピーター・パンが海を漂うフックのもとに戻ってきます。あの嬉しそうなフックの顔が印象的です。つまり、本作はネバーランドを「大人になりたくない子ども」よりも「子どもの時に楽しい思い出を築けなかった大人」のためにある地として解釈する趣があり、とても大人の寓話という後味を最後に見せてきます。
さすが“デヴィッド・ロウリー”監督、『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』や『グリーン・ナイト』など、大人の寓話を作り続けてきただけはある…。
それにしても、今作のワニ、めちゃくちゃ普通に怖い化け物だったな…。愛嬌あるチクタクワニの面影ゼロ。あそこだけ完全にアニマルパニック映画だし、普通に殺しにきている…。あれはもう“ドウェイン・ジョンソン”とかが戦わないといけないやつでしょ…。
ウェンディの物語をもっと深めてほしかった
そんな大人の寓話を最後の最後で漂わせていましたが、『ピーター・パン&ウェンディ』は全体的にはキッズ向けの映画であり、子どもたちの無邪気さが全面にでていました。たぶんこれまでの「ピーター・パン」関連の実写映画の中でも一番子どもっぽさのある雰囲気だったんじゃないかな。
なにせ演じている子も若いですからね。1924年のサイレント映画『ピーター・パン』よりもさらに若いです。“エヴァー・アンダーソン”がかなり大人っぽい顔つきなので、そうは見えない感じもあるのですけど…。ちなみに実はピーター・パンを演じた“アレクサンダー・モロニー”の方が“エヴァー・アンダーソン”よりも1歳年上で、でも“アレクサンダー・モロニー”の方が子どもっぽい顔なのでしっかりピーター・パンに見えるという…。今作はキャスティングがとても上手いです。
アニメ映画『ピーター・パン』はとくにタイガーリリーとロストボーイズまわりでインディアン差別的なステレオタイプが濃く、以前から問題視される有名な表象のひとつでした。今回はその穴はしっかりカバーしており、ロストボーイズは女の子も加わり(もともとは“看護師がよそ見をしているときにベビーカーから落ちてしまい、7日以内に引き取ってもらえずにネバーランドに送られた男の子で、女の子は賢いのでベビーカーから落ちない”という設定だった)、さらに人種的な多様性も充実しています。しかも今回はダウン症の子も参加しており、ニューロ・ダイバーシティの視点ですらも、かなりそのへんは徹底してます。
今のディズニーが誰のために映画を作っているのか、よくわかりますね。
ピーター・パンを演じた“アレクサンダー・モロニー”もおそらくミックスの子で、ティンカーベルも今回は“ヤラ・シャヒディ”というアフリカ系・イラン系・インディアンのミックスの俳優が起用されていました。
なお、ティンカーベルのような妖精が多人種で描かれるのは、すでに『ティンカー・ベルとネバーランドの海賊船』などでやっているので、これが初というわけではないです。ただ、『アラジン』のジーニーや『ピノキオ』のブルーフェアリーといい、ここ最近のディズニー実写での有色人種の魔法キャラ起用はマジカルニグロっぽいのでどうなのかなとは思いますが…(だから今度の実写『リトル・マーメイド』は意義が大きいのですが)。
個人的には最もアレンジを期待できるポテンシャルのあったウェンディの描写がやや不満。確かに今回の“エヴァー・アンダーソン”は利発的でズル賢さも垣間見えて、これはこれで良いのですけど、深みまでだせていなかったかな、と。
原作ではウェンディの役目は古典的な女性像、つまり「母親」であり、これはピーター・パンがウェンディを母親としてみるというエディプス・コンプレックスを感じさせる部分です。今回の映画はそれをきっぱり払拭して、ウェンディ主体の立ちどころを与えているのですが、結局ウェンディはどうしたいのか…そのへんはあまり見えてこなかったかも。
もう少しウェンディがなぜ「大人になりたくない」のか、ウェンディは「大人」を社会の中でどう捉えているのか、物語の中で描き出してほしかったなと思いました。そうすれば、もっといくらでもウェンディを前進的なキャラクターに変えられただろうし…。
『ピーター・パン&ウェンディ』という映画自体がやや中途半端に空に浮かんでいるだけの作品になってしまったかもしれませんね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 69% Audience 22%
IMDb
4.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ムーラン』
・『ライオン・キング』
作品ポスター・画像 (C)Disney ピーターパン・アンド・ウェンディ
以上、『ピーター・パン&ウェンディ』の感想でした。
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