なぜならそれがバービーだから…実写映画『バービー』(2023)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2023年8月11日
監督:グレタ・ガーウィグ
セクハラ描写
バービー
ばーびー
『バービー』あらすじ
『バービー』感想(ネタバレなし)
バービーをフェミニズムSFに
1959年、アメリカの「マテル社」から、ある着せ替え人形が発売されます。
「バービー(Barbie)」です。
着せ替え人形(ファッションドール)という代物自体は16世紀から存在していたようですが、アメリカであれば“ベアトリス・アレクサンダー”が創業した人形会社がその開拓をしました。
そんな中、忽然と生み出された「バービー」。数ある人形の山に埋もれるだけだと思いきや、そのファッショナブルなスタイルと極端にスレンダーなボディ・プロポーションが当時は新鮮で、爆発的に大ヒットしていきます。
日本ではタカラトミー(旧:タカラ)製の着せ替え人形「リカちゃん」が後発で人気となったので、あまり「バービー」が席捲した印象は薄いですが、世界的にはその影響力は強烈でした。着せ替え人形と言えば「バービー」…それくらいの方程式を築き上げます。
「バービー」はオモチャの枠にとどまらず、CGアニメーション作品も作られていき、子どもたちを夢中にさせます。
その「バービー」がついに実写映画化となりました。
それが本作『バービー』です。
「一体どんな映画になるんだ!?」とその企画を聞いたときは思ったものですけど、最終的に監督が“グレタ・ガーウィグ”に決まったと耳にしたときはもっと驚きました。
“グレタ・ガーウィグ”監督と言えば、単独監督デビューを果たした『レディ・バード』(2017年)、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)といい、今やアカデミー賞で最もノミネートされやすい女性監督であり、男性社会の映画業界に食い込んだ先陣です。
そのどちらかと言えばアート系な監督が、「バービー」の実写映画なんていう、フランチャイズ直球なコンテンツを手がけるとは…。
しかし、そんな心配も見事に覆してみせた“グレタ・ガーウィグ”監督。やはりちゃんと考えていました。この実写映画は単なる「オモチャを売るための宣伝映画」におさまらない、極めて社会批評性の高い作品へとアレンジしています。ジャンルとしては「フェミニズムSF」ですね。
「バービー」とフェミニズムは腐れ縁です。なぜなら「バービー」はその人形のデザイン性ゆえに以前から「女性のステレオタイプな美を子どもに植え付けている」として批判のマトだったからです。「バービー」を送り出すマテル社もその問題点を近年は理解しており、ステレオタイプに固定化しない多種多様なバービーを作ることに取り組んできましたが、その過去は消えません。バービーは女性差別の象徴でもあったわけです。
その実写映画『バービー』が「フェミニズムSF」となる。どういう内容かはネタバレになるので言えませんが、実に「バービー」にしかできないアプローチです。
「フェミニズムSF」というのは、これまでも『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』、『Y:ザ・ラストマン』、『パワー』などとありましたが、この実写映画『バービー』の良さはとにかくその見やすさですね。「バービー」だからこその敷居の低さで、「フェミニズムSF」の入門編みたいになっています。
それが功を奏したのか、この実写映画『バービー』はアメリカ本国で2023年最大のヒットを記録し、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を追い抜く勢いを見せました。女性監督作品としても歴史に残る興行収入であり、映画史に堂々と刻まれる快挙です。
フェミニズムと強調してしまうとどうしても「女性向け」とカテゴライズされがちですが、本作はマスキュリニティ(男らしさ)のテーマも対等に内包していますし、クィアな分析ができる余地もたくさんあります。非常にSFらしく、批評性に富んでいます。
ちなみに脚本には“グレタ・ガーウィグ”のパートナーである“ノア・バームバック”も参加しています。
もちろん、この実写映画『バービー』の「ここが良くない」とか「ここが不十分」みたいな批評も全然OKで、そういう不完全さもまたこの映画は欠点というよりは次の「変化」の足場になるような、そんな前向きな将来性を感じる作品です。
難しいことを考えず、俳優陣のアンサンブルとユーモラスなパフォーマンスを観るだけでも楽しい映画でもあります。
製作&主演となった“マーゴット・ロビー”も彼女の得意技が炸裂しまくる悲喜こもごもな演技を披露し、また“ライアン・ゴズリング”も…。この“ライアン・ゴズリング”も最高なんですよ。賞にノミネートされるタイプじゃないけど、何か“ライアン・ゴズリング”に「頑張ったで賞」をあげたくなる…。
他にも多彩なキャストが勢揃いで、終始笑わせてくれます。
実写映画『バービー』は老若男女問わず幅広い人にオススメです。
なお、本作に関連して熱狂と批判を巻き起こした「Barbenheimer(バーベンハイマー)」現象については、語りだすと長いので、以下の別記事にまとめています。
『バービー』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :俳優ファンも |
友人 | :気軽に楽しく |
恋人 | :恋愛要素はないけど |
キッズ | :子どもも笑える |
『バービー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ハイ、バービー!
ここは「バービーランド」。多種多様なバービーがドリームハウスで暮らして、伸び伸びとバービー・ライフを謳歌しています。
気持ちよく目を覚ましたひとりのバービー。シャワーをして、一瞬で着替え、髪もセットアップ。食事(ふりをしているだけ)を済ませ、2階からフワっとピンクの車に乗り込み、発進。そして愛想よく近所の人たちに手を振ります。その近所の人はみんなバービーです。
「バービーランド」なので、どんなバービーもいるのです。大統領も、飛行機パイロットも、宇宙飛行士も、人魚も…。
ビーチに到着すると、数多くのケンがいます。「ハイ、バービー」「ハイ、ケン」とひたすらに同じセリフを連発するバービー。バービーとケンではないのは、アランだけです。
ひとりの自己顕示欲の強いケンはサーフボードを持って固い波に激突して吹っ飛ばされます。お医者さんセットに運ばれるも、このケンは他のケンをライバル視するのをやめられません。
夜はダンスパーティーが開かれ、それを複雑そうに見つめるあのケン。バービーは他のケンと仲良さそうで、自分も踊りながら近づいていきますが、距離を詰められません。
陽気に踊っている最中、バービーはふと「誰か死ぬことを考えたことはある?」と呟きます。すると音楽は停止。みんなも停止。バービーは誤魔化してまた音楽が再開します。
家に戻って眠りにつくバービー。これもいつもどおり。
翌朝、BGMにうるさそうに飛び起きます。眠いです。みんなからの挨拶を面倒そうに返し、シャワーはでていないのに驚き、存在しない牛乳にむせ、フワっとはできず…。何かいつもと違う…。
しかも、ビーチでつま先立ちで歩き続けることもできないと発覚し、自分の足が平らになることに衝撃を受けます。
不安が消えないバービーは町の外れに住む「変わり者のバービー」に話を聞くことに。
その「変わり者のバービー」は「リアル・ワールド」を説明し、「あなたと遊んでいる子どもに何か起きたのだろう」と言います。
こうなっては確かめるしかありません。バービーは意を決してみんなに見送られながら車で出発します。
ノリノリで歌って運転していると、後部座席にケンもついてきたことがわかり、驚いて車は1回転。しかし、引き返せないのでこのまま続行。船、ロケット、自転車、スノーモービルと移動を重ね、ついに「リアル・ワールド」に到着します。
勝手がわからない中、バービーはサーシャという持ち主の子どもに近づくことに…。
一方、別行動のケンは、この世界で「男らしさ」という概念にすっかり惹かれていき…。
そもそもバービーは女性なのか?
ここから『バービー』のネタバレありの感想本文です。
オモチャをメタ的に扱った作品は『トイ・ストーリー』を始め、これまでも作られ、常に何か新しい批評性を提供してきました。この実写映画『バービー』は『2001年宇宙の旅』のパロディが終わると、バービーの目覚めと日常のルーティンが描かれ、この導入は非常に『LEGO ムービー』に近いです。
そして主人公が自分の実存性を疑い始め、アイデンティティ・クライシスに陥るという展開、そして現実世界と触れ合うという構図も、とても『LEGO ムービー』とそっくりです。
違うのは『バービー』は明確にフェミニズムに根差しているということ。
キャラクターが自分の世界におけるジェンダー構造的立ち位置をメタ的な視点で自覚するという描き方は、フェミニズムSFにおいて定番で、『シー・ハルク:ザ・アトーニー』なんかもまさにそういうテイストでしたが、『バービー』もそのスタンダードです。
私が面白いなと思うのは、この“マーゴット・ロビー”演じるバービーは、スリムな金髪白人というステレオタイプな女性像なのですが、実は最も肝心な女性らしさとされる特徴を持っていないこと。つまり「ヴァギナ」です。作中でも自虐的なセリフがありますが、このバービーランドのバービーやケンには生まれながらに生殖器がありません。
近頃は、「身体的男性/女性」「生物学的男性/女性」なんて言葉を多用して、性別の定義は身体の特徴(生殖器など)にある!と豪語する人たちが出現しています。
もしその一部の人が主張する定義とやらに素直に従うなら、この本作のバービーは女性ではないことになります。
本作のバービーのアイデンティティ・クライシスは「自分はステレオタイプを助長しているの?」という疑問と同時に、「自分は本当に女なの?」という自問自答にも繋がっている。そう考えるとこの物語は二重で興味深いです。
言ってみれば、とてもジェンダーバリアントな物語性を有していますよね。
そんな迷えるバービーを導くのが、“ケイト・マッキノン”演じる「変てこバービー」であり、“マイケル・セラ”演じるアランであり…要するにバービーランドの規範から外れたクィアな存在というのもまた意味深で…。
そしてラストでバービーは変化を恐れることなく、現実世界に足を踏み出し、「バーバラ・ハンドラー」という自分の名を新たに名乗り、婦人科に降り立つ。「どんな身体であろうと私は女性なんだ」という、すごく真っ直ぐなアイデンティティ・カミングアウトだったのではないでしょうか。
なお、作中では医者バービーとしてトランスジェンダー俳優の”ハリ・ネフ”も出演していますが…。
全体を振り返ると『マトリックス』っぽい話だったなと思います。2023年は『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』といい、明示的ではないけどトランスジェンダー・ナラティブな作品が目立つ気がしますね。
ケンはケンというだけでいい
一方、“ライアン・ゴズリング”演じるケンは、“シム・リウ”や“チュティ・ガトゥ”などが演じる他のバリエーションのケンと張り合いながら、マスキュリニティのテーマを軸として物語に突き進みます。
バービーワールドは一見すると現実の男女を逆転させたような世界に思えますが、別に女尊男卑なわけではありません。そもそもあのバービーたちもいろいろな職業のバービーがいますが、実際は「ごっこ遊び」の範疇であり、権力を持ち合わせていません。
そのため、あのバービーワールドにおけるケンたちは、「ごっこ遊び」における「ケン」という担当にすぎません。「ケン」しか知らなかったケンたちがそれ以外の在り方を知るのは大事ですが、残念ながら最初に目にしたお手本がマズかったことに…。
現実世界で男社会の魅力に取りつかれていく無垢なケンの姿は、まさに「男性の権利」主義に心酔していく男たちそのもの。
しかし、本作『バービー』はそこにトラウマを煽るような嫌なショッキングさを用いることはせず、あくまでスカっとアホらしくコミカルに風刺してくれるので、どういう立場であれ見やすいです。
何よりもあの愛すべきバカを好演する“ライアン・ゴズリング”が悔しいほどに魅力的で…。『ラ・ラ・ランド』自虐とも言えるミュージカル・パロディ「I’m Just Ken」も爆笑もので、あのままずっとミュージカルしてくれていても個人的には全然構わないですよ。
最終的にはケンは「ただのケンは嫌だ」という劣等感を脱却し、「ケンであること」がそもそもアイデンティティとしてそれでじゅうぶんなのだという本質に気づきます。まあ、実際にケンってだけであんなに面白いんですからね。他に何がいるんだって話です。
もちろんこの批評性は観客のジェンダーに関するリテラシーにすごく左右されると思います。とくに男性観客の中には「自分は女性差別はしない。こんなテーマ今さらすぎる。とくに新しくもない」と安直に言い切る人は絶対にでてくると思うのです。でもそれこそあなたが「無知なケン」である、何よりの動かぬ証拠であって、本当はその浅い認識からどう飛び出して、ジェンダー構造の中で自分を再定義しますか?…という自己発見への誘いに乗れるかだと思うんですけどね。「俺にはわかっている」という姿勢はトキシックなマスキュリニティの最たる定番なのです。そうじゃなくて「わかっていない」自分を素直に受け入れられるか、そこがスタートラインで、作中のケンでラストでようやくその位置に立ちます。
また、この本作『バービー』は、ベタに作ればバービーとケンのラブコメで片付けられそうなところ、“グレタ・ガーウィグ”監督はそういうロマンスを一切挟ませなかったのはさすがですね。
イヴとアダムに恋はなくとも、世界は作れるのです。
ホワイト・フェミニズムと資本主義
そんな本作『バービー』ですが、よく指摘されるであろう問題点はこの2つです。
それは「ホワイト・フェミニズム」(The Mary Sue)と「バービーは反資本主義になりうるのか」(The Mary Sue)ということ。
まず「ホワイト・フェミニズム」についてですが、“グレタ・ガーウィグ”監督の過去2作と比べてこの『バービー』は多少は白人中心から脱したほうではありますし、バービーの多人種な構成を全面にだして、そのダイバーシティを下敷きにしているのもひと目でわかります。
しかし、ビジュアル的に人種を多様に配置しているとは言え、人種差別の構造を風刺するまでは大きく踏み込んでいないので甘く見える部分も否めません。
作中の「先住民に関するジョーク」で一部から非難の声があがりましたが(The Mary Sue)、植民地主義批評を包括した世界観とまでは到達していません(『デッドロック 女刑事の事件簿』みたいな風刺があるといいのですけどね)。
また「バービーは反資本主義になりうるのか」という点ですが、これも根源的難問です。映画というのはそれだけで資本主義の上に成り立っていますから。
本作では“ウィル・フェレル”演じるマテル社のCEOが登場して、男だらけの重役といい、その組織も風刺の対象になります。それでもボケはかましますが、存在否定はされないので風刺の威力は弱風です。
それにバービーの生みの親であるルース・ハンドラーを登場させて、最後は丸く収めていますけど、あの女性をアイコンとして讃える着地でいいのかという批判もあるでしょう。なにせ開発初期のバービーは日本で製造されていて、昔から日本の繊維産業は若い女性労働者(工女)たちの労働力で成り立っていました。要するに白人女性のビジネスのためにアジアの貧しい女性たちが働かされていたわけで、これは「国際的な資本主義」と「ホワイト・フェミニズム」の複合的な問題性が引き起こす搾取と格差の構造ですよね(現代もこの問題はある)。アジアの女性たちを働かせて名声を得た白人女性はどこまで讃えられるべきなのでしょうか…。
もちろんその問題点をもってして『バービー』は失敗作だと言いたいわけではないのです。根本的な話、完璧な映画はありませんし、だから次の映画が作られます。そうやってアップデートしていくなら、この『バービー』はきっと出発点にふさわしいでしょう。
『バービー』は完成形として傑作なのではなく、未来の作品を考える足がかりの起点として傑作になりうる映画なのかなと私は思います。フェミニズムSF自体、業界でなかなか大作を作らせてもらえなかったのですし、これから視点を増して豊富に作品を送り出していくべきです。
だからこそ私はこの『バービー』すらもガバっと鋭く風刺する、さらなるフェミニズムSF映画を待ち遠しくしていますよ。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 84%
IMDb
7.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
以上、『バービー』の感想でした。
Barbie (2023) [Japanese Review] 『バービー』考察・評価レビュー