窓から見える光景は信じられないものだった…Netflix映画『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:ジョー・ライト
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ
うーまんいんざうぃんどう
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』あらすじ
アナは精神的な問題でアパートの外に出られない状態が継続していた。外の世界は窓のこちら側から覗く範囲だけ。通りの向かいにとある家族が引っ越してくるのを今日も観察できた。それはごく平凡な一家に見える。その家族の何人かと話しているうちにそれぞれが心に何かを抱えていると、セラピストでもあったアナは勘づく。しかし、彼女は想像だにしなかったものを目撃し、自分さえも理解できなくなっていく。
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』感想(ネタバレなし)
家から出られない今とシンクロ?
窓の外から何が見えるかを簡単に公開すべきではないというのは防犯における大事な鉄則。写真でも撮ってネットにアップしようものなら、容易く住所を特定されてしまいます。
しかし、コロナ禍が日常化してしまい、家にいる時間が圧倒的に増えてしまった時代。窓の向こう側に広がる外の世界は今まで感じなかったほどに価値あるものにも見えてきました。写真を撮りたいとは思わないですけど、出れなくなってから初めてわかる大切さってやつでしょうか。
不要不急の外出を控えてくださいとあんな再三に渡って要求されてしまう状態になるとは想像もしていませんでしたからね。2021年5月時点の日本は緊急事態宣言絶賛発令中。14日には北海道、岡山県、広島県に緊急事態宣言が急遽拡大。もう関係者も大慌ての大混乱です。
そんな今このタイミングでこんな映画が配信されるのは皮肉なのか。それが本作『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』です。
物語は精神的な理由でアパートの建物外に出られないひとりの女性が主人公で、向かいの隣人と交流していくうちに、とんでもない騒動に巻き込まれていく…というのが大雑把な概要。
この設定を聞いただけでなんとなく察しがついた人もいると思いますが、アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(1954年)を彷彿とさせますし、実際にそういうクラシックなスリラー映画をかなり意識して作られた一作です。他にも随所にヒッチコック的な絵が散りばめられているので映画ファンは見どころも多いのではないでしょうか。
その『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』を手がけたのは、『プライドと偏見』『つぐない』で高い評価を受け、2017年の『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』では賞レースでも賑わせた、あの“ジョー・ライト”監督。イギリス出身の人ですが、今回の『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』はアメリカが舞台です。
主演は、『メッセージ』『バイス』『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』など最近もさまざまな映画に引っ張りだこな“エイミー・アダムス”。
その脇を固めるのは『サバービコン 仮面を被った街』の“ジュリアン・ムーア”、『Mank マンク』の“ゲイリー・オールドマン”、『ヘイトフル・エイト』の“ジェニファー・ジェイソン・リー”など、わりと豪華。さらに『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』の印象的な役で一気に知られた“ワイアット・ラッセル”も登場します。ちなみに“アンソニー・マッキー”も出ているのですが、すごく出番は少ないのであまりそこは期待せずに…。
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』はもともと20世紀フォックスが製作しており、2019年に公開予定だったのですが、再撮影やら買収やらでドタバタしているうちに延期になり、さらにパンデミックが直撃してしまい、結局、ディズニーはNetflixに売却したようです(自社でもHuluがあるのでそっちで配信すれば良かったのになぜかそれはしなかった様子。でもHuluだったら日本で観られないので不幸中の幸いか)。
とりあえずネタバレ厳禁な作品なので注意。Wikipediaでもガッツリとネタバレが書いていますからね。
ちょっと陰気な作品で、みんなでワイワイと盛り上がるタイプでは全くないのですが、家でじっくり鑑賞するにはいいと思います。出られない状況がややシンクロするし…(理由は全然違うけど)。
なお、多少の残酷描写はあります。猫が出てきますが、猫は死にません!
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2021年5月14日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :俳優ファンは見逃せない |
友人 | :スリラー映画好き同士で |
恋人 | :ロマンス気分ではない |
キッズ | :やや地味で退屈か |
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):窓から覗く物語
アナ・フォックスは101番地の向かいの家に引っ越ししてきた家族を窓から眺めています。それは典型的な白人一家であり、ラッセルという名前らしく、ボストンから来たようです。
しかし、彼女からあっちの家の玄関まで行って挨拶するなどはしません。アナはこのアパートから一歩も外に出ないのです。配達も直接はやりとりせず、人との交流は最小限。別居中の夫・エドや娘・オリヴィアと電話するくらいです。
セラピストのカールは毎週来てくれます。彼は向かいの家が気になるアナに対して、「好奇心は鬱が回復してきた証拠だ」と語ります。それでも10カ月も家を出ていないアナの現状は楽観視できず、薬を服用するように指示します。
ある日。向かいの住人が訪ねてきました。渡したいモノがあるらしく、迷いましたが入ってと招きます。その人物はイーサン・ラッセルという少年。
彼は室内を眺め、アナの家族の写真に目をとめます。「あの子は何歳?」「8歳よ」
イーサンは16歳だそうです。質問は続きます。「お仕事は?」「児童専門の心理セラピスト」…そう聞いて「面白そう」と好奇心を持ったらしいイーサン。
「この家は僕の部屋からちょうど見えるんです。今はお父さんが見える…」と、やや様子がおかしいイーサン。「大丈夫?」と心配しますが「何でもありません」と答えるのみ。
肩に触れると驚いたように振り向くイーサンに「話してみて」とアナは優しく接します。「友達になれる?」とイーサン。「もちろん」と答えたアナは毎晩ひとりで観ている映画を貸します。
火曜日。アナはこの広い家を持て余していたので、デヴィッドという男に地下室を貸していました。今日も荷物をとってまた出ていきます。ハロウィンでしたが、アナは興味ないという態度。
夜。物音で目覚めるアナ。ハロウィン仮装の子どもたちが卵を建物に投げつけていました。「ここは私の家よ!」と怒鳴り、意を決してドアを開けるアナ。しかし、たちまち体調は悪くなり、意識は朦朧とし…。
「大丈夫?」と目の前に女性がひとり。アナは向かいの家のイーサンの母であるジェーン・ラッセルだろうと察します。自分は広場恐怖症で外に出るとパニック発作が起きると彼女に説明。
そのままジェーンと会話。「仕事は?」「カウンセリング」「結婚は?」「別居中」「お子さんは?」「娘のオリヴィアは父親と一緒にいる」
同情してくれるジェーン。2人は長話でしだいに関係を深めます。「こんなに薬を飲んでいるの?」「お酒と飲んでいるけど大丈夫なの?」と気軽に話を合わせてくれますし、絵を描いてくれたり、親切でフレンドリー。その場にいた猫のパンチの写真も撮りました。
「イーサンはいい息子ね?」とアナ。ジェーンの耳にはイヤリングが光り、それは昔の恋人に貰ったものらしいです。また、ジェーンの夫は厳しくて支配的な人らしいとか。そんな話を終えてジェーンは帰っていきます。
また来客。それはアリステア・ラッセルです。「今日の夕方、うちのものがこちらにお邪魔しませんでしたか」と聞かれ、咄嗟に「いいえ」と答えるアナ。「そうですか、お邪魔しました」
しかし、次の日。アナは向かいの家から悲鳴を聞きます。窓からその家を監視し始めたアナがついに目撃したのは、ナイフで刺されるジェーンの姿で…。
精神状態は見た目ではわからない
『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』は全体としてはかなり古風なスリラーです。少なくともサスペンスの原点であるヒッチコックをかなり意識したつくりであり、窓から覗く主人公という『裏窓』的な設定の他にも、天窓を駆使した最終的なオチとカメラワークや、精神錯乱状態な女性を主軸にするあたりなど、あらゆる点でクラシックなスタイルを感じさせます。
“ジョー・ライト”監督は『プライドと偏見』や『つぐない』など名作文学をいくつも映画化してきましたが、ヒッチコックの世界を自己流に表現しているチャレンジを今回はしたということでしょうか。
映像の見せ方もあえて最近のセンスではなく、ひと昔前の古びた感じのあるスタイルにしているのかな。オマージュが濃すぎて映画ファンにしてみれば既視感ありすぎるかもしれないです。
脚本は『8月の家族たち』(2013年)の“トレイシー・レッツ”であり、何かしらの問題を抱えた女性たちの人生がクロスオーバーしていくあたりは確かに『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』も共通しています。
私としては“エイミー・アダムス”の演技よりも“ジュリアン・ムーア”の佇まいが良かったです。最初の登場時点では観客にさえも彼女の正体は明らかにされていません。真実としては彼女はジェーンではなくケイティというイーサンの実の母でした。少なくとも最初の登場場面では存在感はあふやふ。
アナも相当に精神的に滅入っているのですが、たぶんこのケイティはさらに追い詰められているのでしょう。それでも見た目の雰囲気としてはやけに明るい感じで、接しやすさすらもある。あの精神を追い詰められすぎると逆に明るくなるというような不安定さを見事に演じ切っているあたりが“ジュリアン・ムーア”の凄さでした。
また、“ワイアット・ラッセル”演じるデヴィッドの妙に信用できなさそうな存在感も良かったです。彼はこういう本人的には頑張ってそうだけど結局は実を結んでいないのでどう転ぶかわからないポジションが上手いですね。
最も豹変が激しいのが“フレッド・ヘッキンジャー”演じるイーサン。初登場のいかにも精神的に辛そうですという空気感は実のところはフェイク。正体は人間の死ぬところが見たいだけのサイコパスでした。
こんなふうに本作は「なんでもなさそうな人ほど精神的には苦しんでいる」「いかにも苦しんでいそうな人ほど実はそうじゃない」というかなりシンプルな構図になっているため、人によってはすぐに顛末は読めたかなとも思います。『裏窓』とか観たことがなくても推測は容易です。
アナの父と娘が亡くなっていることももう少し巧妙に隠しても良かったのかなとも思うのですが…。
その予定調和も込みで、役者の演技と作品の物々しさを堪能するのがこの映画の醍醐味なのかな。
広場恐怖症ってそういうこと?
クラシックなサスペンスにリスペクトを捧げている『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』ですが、個人的には不満点も少なくはありません。
まず伝統を意識するのはいいのですが、やはり新規性がほぼないのは残念です。ましてや今は新進気鋭のホラー/スリラー映画があちらこちらで窓を突き破ってくるような時代ですよ。往年の名作を土台に大胆にアレンジしているジャンル・ムービーもいっぱいあります。
とくに主人公の描き方はその成長も含めて古臭い定番に収まりすぎなような気も…。終盤についに真実を知り、逆転していく展開は怒涛の勢いで始まるのですが、そこでサイコパス・イーサンと対峙する中でも、どうしてもアナはありきたりなスクリームガールにとどまっている。ここはもっと強烈な反撃を見せてほしかったです。
それに関連してこのアナは結局は何を乗り越えたいのかイマイチわかりません。
そもそも彼女は「広場恐怖症」という設定なのですが、本作における広場恐怖症は正確な描写ではありません。本来の広場恐怖症は「逃げることができない状況や場所で強く不安や恐怖が生じてしまう」という症状であり、主な該当場所は電車とか映画館とかエレベーターとかトンネルとかです。作中のような一歩も外に出れないものではありません。
つまり、本作の病気設定はあくまで単に主人公を外に出したくないという口実に過ぎないんですね。
私はなるべく実在の病気を出す場合は正確に描写すべきだと思うので(偏見にもなるし)、さすがに本作の場合は丸っきり違うのはマズかったかもと思ったり。
それにラストでアナが回復しているのも納得はいきづらいなとも。だって家族の死でトラウマを抱えていたわけで、そこにさらに目の前で人が殺されたんですよ。普通だったらトラウマがさらに悪化するでしょう。なのにケロっと朗らかに吹っ切れた表情を最後に見せていたら、アナはいよいよヤバさが臨界点に達したのではと思ってしまうし…(あのエンディングが空想だったら別ですけど)。
私の理想としては病室の窓から外を見ている姿を映して終わりで良かったのではないかなと思います。その窓に見舞いに来た夫と娘が映っているとなお良かった…。
あと、独り暮らしの女性(しかも精神的に弱っている)が得体の知れない男性を間借り人として受け入れるのかとか、スマホで誰でも簡単に画像加工ができる時代に写真が決め手になるサスペンス要素は説得力があるのかとか、本作のオチはスティグマを背負いがちな精神的な症状を抱える女性を救えるまでには全然至っていないのではないかとか、いろいろと設定上の強引さで不自然な部分が多いのもノイズになったり…。
とりあえず猫は元気そうだから良しとするか…(ほぼほぼ役に立ってない)。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 31% Audience 51%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
エイミー・アダムス出演の映画の感想記事です。
・『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』
・『バイス』
・『メッセージ』
作品ポスター・画像 (C)20th Century Studios ウーマンインザウィンドウ
以上、『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』の感想でした。
The Woman in the Window (2021) [Japanese Review] 『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』考察・評価レビュー