人間も動物も…アニメシリーズ『雨と君と』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2025年)
シーズン1:2025年に各サービスで放送・配信
監督:月見里智弘
あめときみと

『雨と君と』物語 簡単紹介
『雨と君と』感想(ネタバレなし)
タヌキ、いや犬です
野生動物の中には都市環境に適応するものもいます。日本だと「タヌキ」がその代表です。
タヌキは本来は夜行性で半自然林と農地が混在する里山を生息地としているのですが、日本ではタヌキが都市化に応じて日中の活動を増加させ、人工的な食物資源を利用する傾向へと自らの行動を適応させていることが研究で判明しています(Ecology and Evolution)。
のんびりしてそうなタヌキですけど、案外としたたかでたくましい生き物なんですね。
そんなタヌキなら今回の紹介するアニメのような姿もありえなくは…ない?
ということで、本作『雨と君と』です。
本作は、2020年から『週刊ヤングマガジン』で連載が始まった“二階堂幸”の漫画が原作。ひとりの成人女性が主人公なのですが、そんな彼女が1匹の動物を道端で拾ってくることから物語は始まります。その動物はみるからに「タヌキ」なのですが、なぜかスケッチブックを使って自筆で「自分は犬である」と主張し、とくに違和感もなく、その女性も納得して飼い始める…結構ツッコミ不在のシュールな設定です。
スローペースなコメディであり、このせわしない社会の中であえてゆったりした空気を漂わせ、このひとりと1匹が社会に適応して支え生き抜いていく姿を、ときにハートフルに、ときにユーモラスに映し出しています。大事件もとくに起きず、アンチクライマックス的に、淡々と日常が描かれる作品です。
2025年にアニメ化され、これもまたチルなアニメと言えるのでしょうか…荒んだ社会に疲れた人へのヒーリングになっていました。
そもそもが大きな動きのない絵なので、アニメーションになっても、漫画っぽいペースを維持していますが、気楽に観やすいままなのはありがたいところ。作画の物量が多いアニメも良いですけど、こういう目の疲れないアニメも交互に摂取しておかないと…。
『雨と君と』を監督するのは“月見里智弘”で、シリーズ構成は“待田堂子”。アニメーション制作のスタジオは、『コウペンちゃん』など動物モノを手がけることが多い「レスプリ」です。
なお、本当に野生のタヌキを拾ってくると日本の法律では基本的に違法になるのでやらないでくださいね。現実では犬だと主張しても通用しません! タヌキを都会や住宅地で見かけても餌をあげたり、触れたりせず、静かに見守ってあげましょう。
『雨と君と』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 子どもでも観れます。 セクシュアライゼーション:なし |
『雨と君と』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
降りしきる雨がコンクリートのビルやアスファルトの道路を濡らし、行きかう人々は傘をさして、それぞれの目的で真っすぐ歩いています。
あるバス停では高齢女性とその孫らしき2人が傘がないので動けなくなっていました。たまたまその場にいたひとりの大人の女性は自分の傘を「よければ使ってください」と差し出します。
「私にはもう必要ないので」
その女性は濡れながら気にすることもなく静かに帰っていきます。
そのとき、ふと道端に「拾ってください」と書かれた小さな段ボール箱が置いてあり、その中に1匹の動物がいました。茶色の毛並みで黒い耳、手足や尻尾の先も黒、頭に木の葉…。女性はその動物を見て「犬…かな?」と呟きます。
じっと見つめているとその「犬」は自身の入っている段ボール箱に張り付いた紙をめくり、さらに「飼いやすい!」と書かれた文字をみせてきます。女性はかがみこみ、「ごめんなさい」と言いかけますが、その動物は折りたたみ傘まで差しだしてきます。
その姿をみて、女性は心変わりしてしまったのか、「うちにくる…?」と呟きます。
女性はその「犬」を段ボール箱ごとマンションの家に持っていき、玄関に置きます。タオルで拭いてあげ、指を伸ばして触れても大人しいです。弟のテルに電話し、「たぶん捨て犬を拾ったのだけど」とアドバイスを聞きます。
そうこうしているうちに「犬」は段ボール箱を自分で畳み、満足げにしています。水を与えるとペロペロと舐め始め、その様子を眺めながらくつろぎます。
「犬」はペンを奪い、ノートを差し出すと「ありがとう」と書いてきます。「ほんと、芸達者なわんちゃん」と女性も感心。コンビニで店員がオススメのドッグフードを買ってきて、それをあげるとその「犬」は「おいC」と今度も紙に文字を書いて気持ちを伝えてくれます。
弟は動物病院に行ったほうがいいと言っていたので、翌日に連れていくことに。獣医は「犬」をひとめ見て、動揺を隠しつつ接してきます。「犬」は「犬です。やさしくして」とアピール。診察は終わり、受付に「藤さん」と名前を呼ばれ、獣医は言葉を飲み込んで「健康です」と太鼓判を押すだけでした。
何事もなく帰り、道中、公園では猫をあやしている人のもとに「犬」は駆け寄っていき、「ネコです」と紙と文字でアピールするなど、自由気まま。
その「犬」は家で受け入れてくれた女性に「お仕事なにしているの?」と文字で質問。答えを言わず、逆に女性は「君のお仕事は?」と聞きますが、「葉っぱでお面」との回答でした。女性は「小説家だよ」とゆっくり答えます。
風呂へ入れてあげ、乾かすと、女性も風呂へ。「犬」は桶に自ら浸かり、ひとりと1匹はバスルームを共有します。雨が今日の夜も降っていました。
「君は捨てられていたの? どこから来たの?」「そういう私はどこから来たんだろうね」「これからよろしくね」
手を合わせる両者。暗いのも雨もスキな者同士で…。

ここから『雨と君と』のネタバレありの感想本文です。
平凡と平凡のコミュニケーション
ひとりの人間が特殊な動物に支えられる(もしくはパートナーとする)ことで人生が成り立っていく…というサブジャンルがあると思います。この「ひとりの人間」は本当に平凡ですが、「動物」のほうはかなり特殊な存在として描かれることが多いです。そのアンバランスな組み合わせが肝なのかもしれません。補完し合えますから。
例えば、『ヒックとドラゴン』は相棒を形成するタイプですし、『となりのトトロ』は気まぐれな介入が軸になります。関わり方は個々の作品で違ってきます。
『雨と君と』は同じ日本のアニメシリーズだと『デキる猫は今日も憂鬱』と同質的な、典型的な日本の都市部を風景とする現実社会でその組み合わせが形作られる作品です。人間側が「独り暮らしの社会人女性」という点でも共通しています。
しかし、『雨と君と』における動物であるあの「犬」を自称するタヌキは、特殊といってもかなり抑え気味です。
とてつもないスーパーパワーがあるわけでもなく、レアな生物というわけでもない。本当にただのタヌキ。ただ、その風貌から妙に「化け狸」っぽい感じを匂わせていますが、『平成狸合戦ぽんぽこ』のようにガンガン変身しまくれるわけでもない…。
頭の葉っぱがたまに嬉しいときに花に変化していますが、あれは漫画的な演出ということなんでしょうね。探偵っぽい格好になるシーンもあるけど、あれは着せてましたが…(それにしてもみんなあれを探偵の服だと思っているけど、それは「シャーロック・ホームズ」のイメージがあるからで、よくよく冷静になるとタヌキが狩猟者の帽子である鹿撃ち帽を被っているのは自虐的すぎますね…)。
話を戻すと、本作のアイツはあまりにひ弱なタヌキです。都市部にタヌキが出没しても、熊とは違ってすぐさま駆除の対象とかにはならないでしょうが、生存するのは決して楽ではありません。
唯一、あのタヌキに特技があるとすれば、それは紙に文字を書いてコミュニケーションができるということ。このフリップによる筆談は、作中では大雑把にギャグに活用されてもいますが、あのタヌキにとっての生命線となる適応戦術です。
当然、タヌキは飼ってもらえない…でも犬だと認識してもらえれば飼ってもらえる可能性がある…。そのワンチャンスに賭けています。
逆に言えば、あの筆談道具を取り上げられると本当にただの無力なタヌキなので、どうしようもないですね。
つまり、今作のタヌキは前述したサブジャンルのレンズを通して分析すると、「特殊な動物」と言い切るにはかなり平凡すぎます。平凡な人間と平凡な動物が組み合わさっても、これでは余計に平凡さが増してしまうのではないかと心配になりもします。
でもそうはなりません。そこがこの『雨と君と』の最大の意外な面白さなのだと思います。
異なる二者が支え合うことに特殊な能力は必要なく、平凡なコミュニケーションが成り立てばそれでいい。高度な会話スキルは必要なく、この言葉少なげな(片方は一切喋りませんが)二者は、社会の圧力にがんじがらめとなっている私たちがつい自分自身で背負いすぎてしまっている他者関係の複雑さから解放してくれます。
実際のタヌキを飼育する困難さは都合よく消去してしまっているので、「飼育入門」にはなりませんし、むしろ誤解を与えているだけの作品です。それでもそれを差し置いてもメリットのある、リレーションシップのストーリーを提供できているのではないでしょうか。
ささやかな変化でも安心する
『雨と君と』は全体的に「社会の複雑さから距離を置き、素朴なコミュニケーションに舞い戻ることの心地よさ」をずっと映し出してくれています。
人間側の主人公であるあの女性。藤という苗字であることもかなり背景化しているほどに、パーソナルなアイデンティティが見えてきません。
子どもの頃から独りでいるのが好きだったようで、自分のペースを維持し、自分を語りません(「何を考えているのかわからない」と印象を与えている様子)。高校時代の友人であるミミやレンなど交友は今もありますが、人間関係が豊富というほどではなく、非社交的というよりは自流を貫くタイプです。
孤立しているわけではないですし、助けを緊急で必要としているほどでもないです。しかし、何か「あるといいもの」があるのかもしれない…。
そんな漠然としたライフスタイルの中に、1匹の動物が加わります。仲間から離れて船でどこか遠くから来たらしいこちらも独りの動物が…。それがささやかにもたらす変化が垣間見えます。
小学生の頃から本を読んでいるくらいに文学が好きで、小説家になるも、そのクリエイティブな仕事における重圧をひしひしと感じている苦悩。親切の行動をみせるわりには、「私は優しくない」と自己評価する肯定感の厳しさ。
そんな主人公に対して、親や友人たちが「困ったときに連絡くれるようになったのは嬉しい」などと助けを求めるコミュニケーションをしてくれるようになった「変化」を指摘します。
空気を読んで見守ってくれる周囲の中で、あの動物も影響してくれたのか、ちょっとしたコミュニケーションの変化が人生をほんの少し良い感じにさせてくれる。劇的な変化はさすがに疲れすぎるけど、そういう小さな変化なら適応できる。そんなストレスの少なさが本作の味わいでした。
これは主人公だけでなく、例えば、主人公の双子の弟テルの妻であるワコは妊娠しており、漫画家を一時休業していて、訪ねたときに「ちゃんと仕事に戻れるのかなぁ」と呟いていたり、他の登場人物にもそういう漠然とした不安感が滲むことがあります。
そういうところを拾ってくれるのがこの作品らしさですね。
どのキャラクターも嫌味がなく、それでいて人間らしさが漂う感じで、こちらも低ストレスです。
個人的には、あの「きいちゃん」と呼ばれる母はドイツにルーツがあるらしい金髪の礼儀正しく好奇心旺盛な女の子の描写については、消費的なステレオタイプな外国人表象というほどではないにせよ、やや日本のマジョリティ側に好都合な表象に傾きすぎかなという雰囲気は若干感じ取りましたが…。
それはさておき、今の世の中、社会から距離をとるのって本当に難しく、自分のペースを守ることが困難です。ヒトという生き物である私は一般的な「都市に適応できる動物」の範疇ではないのではないかと思ってしまうこともあります。
そんなとき、こんな『雨と君と』のように自分らしさのままに環境に適応する静かな作品に触れることは癒し以上の効果を与えるかもしれませんね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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・『光が死んだ夏』
以上、『雨と君と』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)二階堂幸・講談社/雨と君と製作委員会
With You and the Rain (2025) [Japanese Review] 『雨と君と』考察・評価レビュー
#動物アニメ #タヌキ


