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アニメ『先輩はおとこのこ』感想(ネタバレ)…日本のトムガールは迷っている

先輩はおとこのこ

フィクションと現実の狭間で迷っている…アニメシリーズ『先輩はおとこのこ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Senpai Is an Otokonoko
製作国:日本(2024年)
シーズン1:2024年に各サービスで放送・配信
監督:柳伸亮
LGBTQ差別描写 恋愛描写
先輩はおとこのこ

せんぱいはおとこのこ
『先輩はおとこのこ』のポスター。3人が仰向けで寝そべっているデザイン。

『先輩はおとこのこ』物語 簡単紹介

高校生の花岡まことは、放課後の教室で後輩の女子である蒼井咲に呼び出され、そわそわしながら待っていた。そこに現れた蒼井咲は少し照れながら花岡まことへの「好きな気持ち」を告白するのであった。その真っ直ぐな言葉を受け止め、花岡まことは自身のスカートとロングヘアを揺らしながら、自分についても打ち明ける。実は学校では女の子の服装をしているということを…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『先輩はおとこのこ』の感想です。

『先輩はおとこのこ』感想(ネタバレなし)

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「男の娘」をフィクションから現実社会へ

「男の娘」(“おとこのこ”と読む)という言葉があります。これは女性らしい格好をした男の子を指します。

2000年代の日本にて2次元の漫画などのインターネット文化の中で登場した概念とされており、今やすっかりサブカルのジャンルと化し、3次元(現実)でもコスプレで親しまれたり、はたまたセックスワーカーでも「男の娘」を売りにしている事例もあります。かなり広範な浸透をみせているニッチなコンテンツです。

日本だけの概念なのかと言えば、別にそういうわけでもなく、女性らしい格好をした男の子を英語では「トムガール」「フェムボーイ」と呼んだりもします。ちょっと学術的な言い回しですが、男性の女らしさを「エフェミナシー(effeminacy)」と言ったりし、歴史的に人類の文化の中で世界あちこちで観察できるものなので、多方面で研究されてきたりもしました。

とは言え、日本の「男の娘」文化もこれはこれで独自に発達してきました。今後はどんな変容を遂げるのか、気になります。

ただ、現状、この「男の娘」はコンテンツとして消費されることを前提にしている概念であり、それが差し障りとなることも…。

例えば、「トランスジェンダー」の抹消です。作品でじゅうぶんトランスジェンダーと言えるキャラクターであっても、安易に「男の娘だね」と受け手が解釈して消費してしまうこともたびたび見受けられます。「男の娘」はジェンダー表現の多様さのひとつで、それは無論、トランスジェンダー文化と大きく重複するのですが、それを否定することで「男の娘」という言葉が特定へのアイデンティティへの武器に様変わりしてしまいかねません。

「男の娘」を自分が都合よく楽しめるコンテンツとして消費するだけでなく、現実社会で「世間が女性らしいとみなす服装や振る舞いをアイデンティティとして生きる男の子」についてどう向き合うか…。そういうことも考えてみると世界は広がるはず。

今回紹介するアニメは、間違いなく「男の娘」のジャンルですが、フィクションとして片付けず、「世間が女性らしいとみなす服装や振る舞いをアイデンティティとして生きる男の子」がどうやって自分の在り方を見い出していくか…それを丁寧に描き出した青春学園モノとなっています。

それが『先輩はおとこのこ』です。

本作は2019年から“ぽむ”によって『LINEマンガ』で連載され、2021年12月に完結した漫画が原作。2023年12月から前日譚も連載され始めました。

普段の学校では自分から望んでセーラー服と長髪のウィッグを着用して女子のように振舞う高校生の少年の主人公と、その幼馴染の男子高校生、そして後輩の女子高校生…この3人が織りなす三角関係の恋愛を含む感情の交流が描かれる物語です。

表向きはプラトニックな青春模様が主題になっていますが、その芯にあるテーマには、セクシュアリティのアイデンティティに葛藤する思春期の物語がじゅうぶん読み解けるほどに内包されています。「性的指向」「性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)」というワードは登場しませんが、それらに加えて、ジェンダー表現やジェンダー・ロールも合わせ、生まれたときからそこにあったシス規範異性愛規範に苦しむ10代の子たち。本作はそんなティーンに寄り添います。

「シス規範」とは、誰もがシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別とジェンダー・アイデンティティが一致していること)であるという決めつけを前提とする社会の暗黙の了解のことです。

当事者には共感できるエピソードがいくつも散りばめられた作品だと思いますし、本作を観た無自覚にマジョリティな立場にいる人が自分と社会を見つめ直すきっかけになるかもしれません。偏見を乗り越えるにしても、社会を変えるほどの大きなことはできなくとも、まずは身近な人から理解者を増やしていく…そんな小さな(でも大切な)一歩一歩にエンパワーメントをもらえるでしょう。

2024年にアニメシリーズ化した本作『先輩はおとこのこ』は全12話。2025年に続編となる『映画 先輩はおとこのこ あめのち晴れ』が公開されますが、アニメシリーズだけでもしっかり物語は綺麗に着地しているので安心です。

なお、作中にトランスフォビアやホモフォビアな差別描写が一部で描かれますので留意してください。ただ、最終的にはハッピーエンドなのでそこは気持ちをラクにしてください。

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『先輩はおとこのこ』を観る前のQ&A

✔『先輩はおとこのこ』の見どころ
★ジェンダーの規範に戸惑う10代の子の繊細な葛藤を映し出す。
★アライ(支援者)の大切さが描かれている。
✔『先輩はおとこのこ』の欠点
☆生々しい差別や偏見の描写があるので注意。
日本語声優
梅田修一朗(花岡まこと)/ 関根明良(蒼井咲)/ 内田雄馬(大我竜二) ほか
参照:本編クレジット

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:最後までぜひ
友人 3.5:信頼できる友達と
恋人 3.5:恋愛模様もあり
キッズ 3.5:偏見に囚われない子に
セクシュアライゼーション:なし
↓ここからネタバレが含まれます↓

『先輩はおとこのこ』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

2年B組の教室で窓から雨降る外を見ているひとりの生徒。ロングヘアでスカートのセーラー服をまとった、学校ではどこにでもいそうな生徒です。しかし、その花岡まことは自分は人よりも変なのかもとぼんやり考えています。

その手には「まこと先輩へ。伝えたいことがあります。放課後、教室に残っていてください」と書かれた紙。その手紙に視線を落とします。こうした手紙には嫌な思い出しかありません。普通の女の子ならラブレターかもと思ったりするのだろうか…。

時計が5時を回り、誰も来ないので帰ろうと出入り口に近づくと、急にドアが開きます。大急ぎで入って来たのは後輩の蒼井咲。同じ委員会の子です。

恥ずかしそうにもじもじし、意を決したのか大声で「好きです!付き合ってください!」と蒼井咲は告白しました。さらに「ずっと憧れていました。優しい目も。高い背も。少し低い声も」と続けます。

「蒼井さんは女の人が好きなの?」と花岡まことは質問します。「私、こんなに誰かを好きになったのは初めてなんです。先輩は私にとって特別なんです。だから気持ちを伝えたくて」と蒼井咲は真っ直ぐ伝えます。

「私、あなたが思っているような女の子じゃないよ」…そう言って花岡まことはウィッグを取り、下腹部をはだけます。

「私、本当は男の子…なんだ」

その告白を聞いた蒼井咲は…「最高じゃないですか!男バージョンの先輩と女バージョンの先輩を楽しめるってことですか!」と大興奮。「これからよろしくお願いします」と蒼井咲は何も気にせずに手を差し出してきます。

花岡まことは「ごめんなさい。まさかそんな反応をされるとは…」と驚きます。そして「私、好きな人はできたことがないんだ。もし付き合っても蒼井さんのこと好きになれないかもしれないし。だから、ごめんね」とその場で断ります。

しかし、蒼井咲は屈託もなく「でも諦めませんから。私が先輩の初恋の人になってみせますから」と明るく宣言するのでした。

次の日、蒼井咲は学校でひとめも気にせずに何度も会いに来ます。体育の授業にやってきた蒼井咲に「女装している自分と一緒にいると周りから変だと思われるよ」と忠告すると蒼井咲は「2人だけしか知らないと思っていた」となんだか微妙にズレたとことで凹んでいます。そんな蒼井咲に少し気持ちが軽くなる花岡まことでした。

蒼井咲は可愛いハンカチをくれ、可愛いもの好きな花岡まことは大喜び。

そんな2人を木の陰から見ているもうひとりの高校生がいました。大我竜二です。彼は花岡まことの幼馴染で、性別の件も含め、よく知っています。

大我竜二は「遊びや罰ゲームでまことに近づいてくる奴がいる。お前も何か隠しているんじゃないか」と蒼井咲と疑いますが、いざ蒼井咲と話してみると素直な子だとわかります。

実は大我竜二は自分の生徒手帳に女の子姿の花岡まことの写真を隠し持っていました。まるで好きな子への想いを秘めるように…。

この『先輩はおとこのこ』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/10/21に更新されています。
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ジェンダー規範へのリアルな苦悩

ここから『先輩はおとこのこ』のネタバレありの感想本文です。

『先輩はおとこのこ』はタイトルに「男の娘」と入っていますし、作品紹介などで「男の娘」という言葉が使われたりしていますが、主人公の花岡まことは自分自身を安易に「男の娘」なんて表現していません。むしろ、どうありたいのか悩んでいます。その悩みは個人的な問いかけ以前に、ジェンダー二元論な社会規範ゆえに無用に悩まされているものであることも軽視できません。

作中で回想されるとおり、花岡まことは「(世間的に女性が好きとされる)可愛いもの」が好きで、女性の格好をすることにも興味がありましたが、母はそれを許しません。しかし、父は当初からかなり理想的なアライであり、「まことは女の子になりたいのか?」「安心して答えを出しなさい。男の子として生きたいのか。女の子として生きたいのか」と焦らず支えてくれ、好きな性別で過ごせる学校をわざわざ行かせてくれます。

結果、花岡まことは高校入学時は完全に「女子」の扱いで学校生活を送っていたようですが、男子の同級生に告白されたことをきっかけに、出生時の性別が男性だと説明すると、その男子がおそらくアウティングしたのか、校内に知れ渡ってしまいます。要するに典型的な「パッシングの失敗」を経験しているわけです。

「パッシング(パス)」とは、自分のジェンダー・アイデンティティのとおりに社会や周囲に認識されることです。

以降は、「女装をしている男子」として校内では認識され、花岡まことも流れのままにそう生活しています。一時は女装をすることさえ辞めるほどに、社会規範に迎合しようと自分を追い込んでしまいます。

作中の花岡まことが経験する嫌な経験は、非常によくあるトランスフォビアの類型です。母親の嫌悪感は、“男性の女らしさ”への恐怖である「エフェミフォビア(フェムフォビア)」な雰囲気がありました(我が子をみてパニックになるくらいならメンタルケアを受けてほしいところではあるけど…)。

花岡まことが母、または蒼井咲や大我竜二に対して「困らせたくない」と距離をとってしまうのも、当事者にはあるあるな心情でしょう。

でも花岡まことには確かにジェンダー・ユーフォリア(自身のジェンダー・アイデンティティどおりに存在できることへの肯定感)があります。女性の格好で初めて外出した際に男にナンパされて嬉しくなったり、女らしい服の試着で幸せになったり、言動のあれこれは当事者には既視感があります。

『先輩はおとこのこ』はかなり当事者のリサーチがされている作品だなと細部のリアルさから感じましたし、アニメ化でそれを損なっていないのも良かったですね。

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支えてくれる人がいればいるほど…

『先輩はおとこのこ』にて花岡まことを取り巻く2人の同年代の生徒。蒼井咲大我竜二は、ジェンダー・アイデンティティを知ったうえでも花岡まことに好意を向けて支えてくれます。この2人については性的指向への迷いが投影されたエピソードが展開されていたように思います。

1年下の蒼井咲は当初は花岡まことを「女子」と認識したうえで告白しており、同性への恋愛感情を示します。しかし、花岡まことのカミングアウト後でも「男の先輩と女の先輩を楽しめる」とやけに肯定的で、嫌な顔ひとつしません。

これらの言動から蒼井咲はバイセクシュアルパンセクシュアルのようなセクシュアリティを察することができます。

蒼井咲は自身の「何でも好き」な屈託のなさの裏には「夢中になれるものがない」という現実があるのではと内心では悩んでいるのですが、それも「Bi+」な当事者が抱えやすい葛藤ではあります(異性愛者や同性愛者は異性や同性に限定すれば特別な感情を見い出しやすいですが、Bi+はそうはいかないので)。

ただ、作中では花岡まことは蒼井咲の母に似ているという設定になっているので、ちょっと関係性の理由付けとして範囲を意図的に広げて曖昧にしているところがですぎな気もしますが…。

一方、大我竜二は花岡まことへの恋愛感情をかなり明白に意識しています。すごく初心な恋です。

ただ、「男同士で好きだったら変だ」と自身で自分を否定し、中学時代には周りのホモフォビアに合わせたり、作中で性的マイノリティの情報をネットで検索する姿も一瞬映りますけど、自分の性的指向になかなか向き合えません。意中の相手である花岡まことのジェンダー表現が揺らいでいるせいで、余計に大我竜二も混乱しています。

これら蒼井咲と大我竜二の物語は異性愛規範を逆なでしないように絶妙にブレーキがまだかかっていますし、「性別を超えた愛」とか「男や女とか関係なく人として好き」などの便利な言い回しで同性愛や両性愛の抹消に繋がりやすいので、もう少し踏み込んでほしかったところもあります。

それでも、蒼井咲と大我竜二以外にも花岡まことを肯定してくれる同級生が増える姿が修学旅行のパートでは描かれ、母も支える側に改心し、花岡まことのキャラクターのメインエピソードとしてはこれ以上ないくらいに多幸感に満ちた着地だったと思います。

『お兄ちゃんはおしまい!』のような「TS」ジャンルのノリで「男の娘」を性的消費対象にしないのも当然ですが、『先輩はおとこのこ』は「男の娘」のジャンルを現実社会の物語に近づける拡張のワンステップとして堅実な一歩だったのではないでしょうか。

祖父の今を知ったことで背中を押されたのか、「男でも女でもなく、僕は僕のままで生きたい。男の子だけど女の子みたいなものが好き」とアイデンティティにひとまず答えをだした花岡まこと。でも正解はないので、これからも自分らしさを模索していってほしいですね。

本作はだいぶ理想化された作品ですが、実際、当人間の宥和への期待だけでは現実では解決しないことも多いので、LGBTQサポート専門のコミュニティやメンタルクリニック(ジェンダークリニック)に力を借りるのもひとつの選択肢です。

『先輩はおとこのこ』
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
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関連作品紹介

ジェンダー・アイデンティティに関する参考となるドキュメンタリー作品の感想記事です。

・『ウィル&ハーパー』

・『ジェーンと家族の物語』

・『ジェンダー革命』

作品ポスター・画像 (C)pom・JOYNET/LINE Digital Frontier・「先輩はおとこのこ」

以上、『先輩はおとこのこ』の感想でした。

Senpai Is an Otokonoko (2024) [Japanese Review] 『先輩はおとこのこ』考察・評価レビュー
#男子高校生 #女子高校生 #ゲイ #バイプラス #トランスジェンダー #ノンバイナリー