LGBTQ迫害の歴史を学ぶ(ナチス編)…Netflixドキュメンタリー映画『エルドラド ナチスが憎んだ自由』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ドイツ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年にNetflixで配信
監督:ベンヤミン・カントゥ、マット・ランバート
LGBTQ差別描写 人種差別描写 恋愛描写
エルドラド:ナチスが憎んだ自由
えるどらど なちすがにくんだじゆう
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』あらすじ
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』感想(ネタバレなし)
ナチスによるLGBTQ迫害の歴史
日本含む世界中で、LGBTQへの反発(バックラッシュ)が急激に悪化していますが、こうした現在の反LGBTQの活動は極右、とくにネオナチと関連している事例が観察されています。
例えば、反トランスジェンダーの活動家として有名な“ケリー・ジェイ・キーン・ミンシュル”(別名:“ポージー・パーカー”)は、「Let Women Speak」と題したキャンペーンで積極的に反トランス主張を展開しています。その活動に抗議するLGBTQ当事者に対して、ネオナチのグループが現れて、「ホワイト・パワー」を唱え、ナチス式敬礼を行って煽る出来事が起きています(PinkNews)。“ケリー・ジェイ・キーン・ミンシュル”本人はネオナチとは関係ないと潔白を述べていますが、白人至上主義者のYouTuberの動画に出演したりするなど(PinkNews)、行動に説得力がありません。
また、学校でLGBTQをサポートする教育に激しく反対している「Moms for Liberty」という「親の権利」団体は、アドルフ・ヒトラーの言葉をニュースレターで引用し批判されたりもしましたが、南部貧困法律センターから「ヘイト・グループ」と認定されるのも納得です(The Advocate)。
人も殺されています。2016年6月12日、フロリダ州オーランドのゲイナイトクラブ「パルス」で29歳の男性が銃乱射事件を起こし、49人を殺害、53人を負傷させました(Human Rights Campaign)。これらのセクシュアル・マイノリティが犠牲になる銃乱射事件の加害者の多くは、極右思想との繋がりが発覚しています。
反LGBTQと「極右・ネオナチ」の関係は偶発的なものではありません。最近になって始まったわけではなく、これには明確な根深い歴史があります。
今回はそのことをわかりやすく教えてくれる歴史ドキュメンタリーを紹介します。
それが本作『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』です。
本作は1920年代~1930年代のヴァイマル共和政(ワイマール共和政)から国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の台頭に至るまでのドイツにおいて、その地で息づいていたセクシュアル・マイノリティの人たちの生活や文化を、歴史家などの解説でまとめたドキュメンタリーです。
「そんな時代にセクシュアル・マイノリティの人たちの文化があったの?」と思う人もいるかもしれません。まあ、確かに学校の歴史の教科書では習わないでしょう。
でもハッキリ存在していました。それも謳歌していました。1920年代のドイツは間違いなくクィアの人たちにとっての先進地だったのです。
しかし、ナチスがそんなセクシュアル・マイノリティを迫害していきます。一体なぜそんな変化が起きたのか。このドキュメンタリーは徐々に弾圧へと転換していく流れも説明されていきます。そこには意外なナチスの勢力争いがあったりして…。
タイトルの「エルドラド」とは、実際に存在していた当時のドイツでセクシュアル・マイノリティの人たちが集っていたナイトクラブの名前。本作ではそんなナイトクラブの様子も再現映像で映し出されていきます。当時のセクシュアル・マイノリティ界隈の著名人も登場します。
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』の1作だけでこの歴史を網羅的に説明しきることはさすがにできませんが、入門編としてはじゅうぶんに役割を果たすのではないでしょうか。LGBTQの歴史を知りたいという人は、鑑賞リストのひとつに加えておいてください。
後半の感想では、『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』の内容を掘り下げつつ、このドキュメンタリーでは解説できていないことも少し補足として加えて、あれこれ書いています。
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2023年6月28日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :知識として知っておきたい |
友人 | :興味ある者同士で |
恋人 | :互いに学び合って |
キッズ | :歴史の勉強に |
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』予告動画
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』感想(ネタバレあり)
LGBTQ楽園だった当時のドイツ
ここから『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』のネタバレありの感想本文です。
まだ「LGBT」や「LGBTQ」なんていう政治的連帯を意味する言葉も存在しなかった1920年代のドイツ。『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』はその当時のドイツにも、セクシュアル・マイノリティの文化があり、ある場所では繁栄を極めていたことをまず教えてくれます。
「どうしてドイツなんだろう?」と思うかもしれませんが、それには理由があって、ドイツは社会の規制が比較的緩かったからです。
当時のヨーロッパ各国には同性間の性行為を禁止する法律がありましたが、ドイツにも刑法175条で「同性同士の密通は禁固刑に処す」ことになっていたものの、その立証の難しさから法律はあまり意味を成していなかったことが作中で説明されます。
ゲイ、レズビアン、トランスヴェスタイト(「トランスジェンダー」という言葉ができる前の呼称)についての出版雑誌もあったり、そもそも「homosexual」という言葉を生み出したのもドイツの作家である“カール=マリア・ケートベニー”でした。
その先進地の象徴となっていたのが「性科学研究所」。“マグヌス・ヒルシュフェルト”というユダヤ人の性科学者が設立した組織で、この“マグヌス・ヒルシュフェルト”は「科学人道委員会」というのも1897年に立ち上げ、これが世界初の同性愛者の権利団体となりました。
「性科学研究所」は、研究所とやや堅苦しい名前にはなっていますが、実際はセクシュアル・マイノリティの人たちのカウンセリング、中絶や妊娠の情報提供、社交場、無料宿泊、資料集約など、幅広く機能する場所で、さながら当時のクィア文化の博覧会&サポートケアセンター。
世界初の性別適合手術もこの「性科学研究所」を中心に行われ、“シャーロット・シャラク”、”トニ・エベル”、“ドーラ・リヒター”などがそこでジェンダー・アイデンティティの肯定を医療的に手にしました。まだ当時は今と違ってこの手術は命に関わるものではありましたが、重要な一歩です。
そして警察と話し合い、異性装で自由に外に歩ける許可証をだすということまでしてくれるという…。
その後の時代を考えると、信じられないくらいに進んでいますし、「もうこの時代にかなりの理想形が出来上がりつつあったんじゃないか」と思いますよね。
さらに「エルドラド」というナイトクラブの存在です。このベルリンにあったナイトクラブですが、別に路地裏や秘密裏に隠された建物の奥とかにあるわけではなく、堂々と通りに看板をだして運営されていたわけです。クラブといってもキャバレーみたいなもので、ドラァグショーなどをしながら、さまざまな客が通い詰めていた場所でした。“クリストファー・イシャーウッド”の小説「さらばベルリン」(後に『キャバレー』として映画化)もこの「エルドラド」から着想を得ていると言われています。
現代の活動家“モーガン・M・ペイジ”や、歴史家の“クラウス・ミューラー”、“ザヴィエ・ナン”、“ベン・ミラー”、“ロバート・ビーチー”らが語るように、この「エルドラド」はまさしくクィア文化の中心地。エンターテインメントとして普通にそこにありました。
このまま歴史はめでたしめでたしで終わってくれれば良かったのです、ほんと…。この時代のクィアな文化や施設が未来に受け継がれれていれば、現在はどうなっていただろうかと、そう考えてしまうのは無理もない話です。
けれどもこの後にあまりに厳しい残酷な歴史が待っていて…。
なぜ楽園はナチスに破壊されたのか
『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』は支配を確立するナチスによってセクシュアル・マイノリティの楽園が破壊し尽くされていった歴史も解説されていきます。
ここで興味深いのは、単に「悪たるナチスが現れて迫害していきました!」みたいな単純な「加害・被害」の構図ではないこと。そこには複雑な人間模様がありました。
そのキーパーソンが、ヒトラーと非常に親しく、反ユダヤ主義者としても強烈だった“エルンスト・レーム”。ナチスに政権をとらせるという夢を共有していた間柄ですが、実は“エルンスト・レーム”はゲイで、あの「エルドラド」の常連でもありました。
当たり前と言えばそうなのですが、ナチスの中にだってセクシュアル・マイノリティ当事者はいたわけですよね。
その“エルンスト・レーム”が所属する右翼の準軍事組織「SA」はわりと誰でも入れるハイパーマスキュリンな環境で、ある意味では同性愛的な空間があったという指摘も。
しかし、中道左派であった「ドイツ社会民主党」などの政敵によって“エルンスト・レーム”の性的指向はアウティング(暴露)され、ナチス内の「SS」という別組織の隊長であった“ハインリヒ・ヒムラー”は“エルンスト・レーム”と敵対し、「SS」を金髪碧眼のアーリア人でなくてはいけないという厳格な組織へと発展。そこには同性愛排除も前提にありました。
そして“エルンスト・レーム”は処刑されるという…(通称「長いナイフの夜」)。
つまり、どうしても右派だけが反LGBTQとしてピックアップされがちですが、左派だって当時はクィアを嫌悪し、政治的な汚点としてしか見なしていませんでしたし、ナチス内の政治的駆け引きにも(とくに保守派の)ホモフォビアが影響していたということ。最初は「私生活は問わない」と半ばスルーしていても、ひとたび政治争点となると情け容赦なく火をつける…。
セクシュアル・マイノリティの楽園が破壊された根源には、クィアの存在そのものへの「歪んだ政治利用」があったのでした。政治的な敵を排除する道具として…。
今と一致するのは偶然ですか?
1933年、ヒトラーは首相となり、一党独裁政権が完成。国民共同体として優生思想が徹底されます。ナチスは当人的には「スペースを守っている」だけのつもりです。自分たちにとって理想的なスペース(秩序空間)を…。それに邪魔なものは排除します。
「エルドラド」は閉店。ここにしか無かった自分たちのソーシャル・スペースを失い、密かに会うしかなくなるセクシュアル・マイノリティたち。さらに「性科学研究所」はナチス党員の若者たちによって襲撃され、貴重なアーカイブは焚書に…。
社会の性別の固定化は進み、性的な堕落を粛清するという名目で同性愛の根絶が掲げられます。法律は恣意的に悪用され、刑法175条に基づいて迫害は正当化。同性愛者の5000~1万5000人が収容所で殺され、逃げおおせた者もいれば、人知れず殺戮の犠牲になった者も…。
テニス選手“ゴットフリート・フォン・クラム”のように著名人の中には、その迫害に公然と対抗しようとした人もいましたが、個人には限界があり…。当時は政治的連帯という対抗手段もありませんでした。
そして戦後にナチス体制が崩壊したからと言って、あの楽園が戻ってくることもなかった…というのがまた悲しくて…。爪痕はあまりに深い…。
作中で語る100歳を超える“ウォルター・アーレン”の当時を知る者の言葉が重いですね。『シークレット・ラブ 65年後のカミングアウト』を思い出す…。
今の世代はこのナチスの時代を「昔話」のように思うかもしれませんけど、これは限りなく今の時代に直結しており、事実、同じような光景が起きていないでしょうか。
LGBTQを政争のネタとしてこぞって持ち上げ、勢いづいている保守派や右派は日本の政治においても近年急速に目立っています。「LGBTは社会の秩序を乱す!」と恐怖を煽るレトリックはそこかしこにメディアから発信されていませんか。セクシュアル・マイノリティの人たちにサポートやケアを提供する施設への非難や攻撃が発生していませんか。LGBTQを扱った書物が排除されていませんか。
これらの今の出来事は、偶然に、あのナチスの時代と一致しているだけでしょうか。
「ナチス」というのは悪者の名前ではなく、社会が歪んだことで生じる危険な構造に対してつけるラベルのひとつと考えましょう。今は「ナチス」じゃなくて別の名前になっているはずです。
あの1920年代から1930年代にかけても、たった数年で劇的に悪化しました。「最高」から「最悪」へと転げ落ちたのです。私たちの今も次は何が待っているのか、それはわかりません。
「エルドラド」があった場所は今はオーガニックのスーパーになっていますが、今の私たちが立つ場所は何になってしまうのか。
本作は100年前のことを題材にした歴史ドキュメンタリーでしたが、未来への不安が頭にこびりついて離れない、そんな作品でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 78%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『プライド』
・『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』
・『テレビが見たLGBTQ』
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』の感想でした。
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