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映画『ドライブ・マイ・カー』感想(ネタバレ)…理解できなくても走ればいい

ドライブ・マイ・カー

理解できなくても走ればいい…映画『ドライブ・マイ・カー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Drive My Car
製作国:日本(2021年)
日本公開日:2021年8月20日
監督:濱口竜介
性描写

ドライブ・マイ・カー

どらいぶまいかー
ドライブ・マイ・カー

『ドライブ・マイ・カー』あらすじ

舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻である家福音と平穏に暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。自分でずっと運転するつもりだったが、寡黙な専属ドライバーの渡利みさきに任せないといけなくなる。そんなと時間を過ごす中で、家福は自分の心と向き合っていく。

『ドライブ・マイ・カー』感想(ネタバレなし)

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濱口竜介監督、静かに爆走中

キャリアというのは車の運転みたいで少しずつ走行距離が伸びていって運転スキルも慣れていくもの。でも個人差もあります。いきなり見事なドライビングを見せる人もいれば、ずっと初心者マークの人もいる。車を買えない人もいるだろうし、事故を起こして人生を滅茶苦茶にしてしまった人もいる。

しかし、“濱口竜介”という名のドライバーはそれはもう他者を圧倒するハンドルさばきで『ワイルド・スピード』並みにぶっちぎりで爆走していきました。いや、そんな暴走運転とかではない、鮮やかで静かな運転スタイルです。

といってもこの人、ドライバーじゃない、映画監督ですけどね。

“濱口竜介”監督が商業映画デビューしたのは2018年の『寝ても覚めても』。その前は2015年に『ハッピーアワー』という5時間超えの作品を作っていたのですが、こちらも高い評価を受けていました。しかし、この『寝ても覚めても』の評価は段違いで、なんといきなりカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出。名だたる世界の映画監督と肩を並べたわけです。この年のカンヌの頂点に輝いたのは『万引き家族』だったのでそっちに話題をとられた感じもありましたが、じゅうぶんすぎる偉業です。普通、「商業映画デビューでカンヌいきました~」なんて言う人、そうそういないですからね。

その“濱口竜介”監督、決して出だしだけがロケットスタートできたラッキーな人…というわけではありませんでした。続く道路も快走です。

2020年には脚本を担当した“黒沢清”監督の『スパイの妻 劇場版』がヴェネツィア国際映画祭にてコンペティション部門の銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞。

そして2021年の監督作『ドライブ・マイ・カー』です。

本作ではついにカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で脚本賞を受賞しました。現地の批評ではダントツで高評価だったので、もはや“濱口竜介”監督は大絶賛されていると言っても大袈裟でも何でもないですね。なんだろう、別次元の人みたい…。“濱口竜介”監督キャリアの車は、空でも飛ぶ機能ついてるのかな…。

そんなキャリア史上最高の評価を獲得した長編映画『ドライブ・マイ・カー』ですが、物語自体は結構なんてことはないというか、主人公の男が車に乗っているだけなのです。まあ、他にもドラマはあるのですけど、車に乗るというシチュエーションが鍵になる作品。それでいてここまで面白くできるんですからね。

原作は“村上春樹”の短編小説で、「女のいない男たち」と題する連作の短編小説の中の一作。映画『ドライブ・マイ・カー』はその原作を“村上春樹”の匂いを残しつつもしっかり“濱口竜介”監督の色でも染め上げて映像化しており、本当に絶妙な仕事っぷり。これほど“村上春樹”作品の映像化が上手いのは、『バーニング 劇場版』の“イ・チャンドン”くらいだろうし、この名監督に匹敵するあたりが“濱口竜介”監督の凄さの証なのかな。

俳優陣も素晴らしい名演を披露しています。主人公を演じるのは、『クリーピー 偽りの隣人』『空母いぶき』の“西島秀俊”。その主人公の妻役を『運命じゃない人』の“霧島れいか”。作中で重要なキーパーソンとなるドライバーを演じるのは、『天気の子』で主題歌も担当したことで話題の“三浦透子”。他にも、印象深い役として『家族のはなし』『さんかく窓の外側は夜』の“岡田将生”が熱演しており、役者のアンサンブルとしても見応え抜群。

約179分、だいたい3時間の映画ですが、長くて退屈と感じることもない、“濱口竜介”監督らしい人間ドラマのサスペンスで私も釘付けになりました。

これは鑑賞前の人に言ってもネタバレにならないと思うので書いてしまいますが、この『ドライブ・マイ・カー』は韓国でロケする予定だったのですが、コロナ禍の影響で海外に行けず、急遽広島を舞台にしたストーリーに練り直しているんですね。でも本作を観た後だと、「これは最初からこの地以外ありえない」と思えるくらいにジャストフィットしており、“濱口竜介”監督の脚本の柔軟性というか、場と物語を絡める手際が素晴らしくて脱帽してしまいます。

2021年の必見の邦画なのは間違いありませんので、クセは強いですが、『ドライブ・マイ・カー』を見逃さずに。

オススメ度のチェック

ひとり 4.5:2021年の必見の邦画
友人 4.5:映画や演劇好き同士で
恋人 4.0:王道ロマンスではないけど
キッズ 3.0:性描写がややあり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ドライブ・マイ・カー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):車は走り続ける

ベッドで語り合う男女。女の顔は暗くて見えませんが、まるで憑りつかれたように物語を抑揚のない声で語りだします。それはある同級生の家に毎日のように忍び込む女子高生の話で、その女子高生の中にはルールがあり、必ず自分のタンポンなど性的な痕跡をその侵入した先に残すのだとか。

家福悠介とその妻のにとって、この夜の営み後に起きる出来事は普通です。2人の娘が4歳で肺炎で死んだ後、音は女優をやめ、そして体を重ねるたびにこうして奇妙な物語を語るようになり始めたのです。その物語は翌日には音は覚えておらず、家福悠介が覚えておいて後で教えます。

今日も赤い愛車を運転しながら、音と会話する家福悠介。「テレビドラマになる?」と音は半信半疑ですが、家福悠介はまんざらでもないようです。「今回ばかりは君の初恋の話かと思ったよ」「んなわけないでしょ」と気楽に会話します。

今は売れっ子の脚本家である音を職場に降ろし、家福悠介は自分の仕事へ向かいます。家福悠介は舞台演出家で出演もします。今回は『ゴドーを待ちながら』の初日。家福悠介の手がける演劇は変わっていて、多言語を駆使し、ステージの後ろにセリフの翻訳が多言語で表示されるというもの。

今日の舞台が終わり、楽屋に音が来て「良かった」と感想を告げます。そして高槻という若い俳優を紹介されます。音が脚本を書いたドラマで演じるそうで、「とても感動しました」と高槻も口にします。

世界的に名の知れている家福悠介はウラジオストックの演劇祭から招待され、早朝に出発します。音は『ワーニャ叔父さん』の上映台本を吹き込んだテープを手渡します。家福悠介は愛車を運転しながら、そのテープを聞き、妻の吹き込んだセリフ部分に応えるようにワーニャの台詞の部分を暗唱します。これが欠かすことの出来ない日課になっていました。

ところが、空港に着いたところで演劇祭の事務局からメールが届き、悪天候でスケジュールを1日延期するとの知らせが。しょうがないので車を運転して家に戻るのですが、家の玄関を開けるとある光景を目にします。音が他の男と体を交えているのです。その浮気現場を目撃しても、とくに何も言わず、そっと家を出て、空港近くのホテルに宿泊する家福悠介。

1週間後。いつものように運転していた家福悠介は交通事故を起こします。大きな怪我はありませんでしたが、緑内障だと診断されました。亡くなった娘の法事の帰り、音が運転していましたが、そこで会話。

「本当は子ども、欲しかった?」「わかんないな」「ごめんね」「いいんだよ」「私ね、あなたことが本当に大好きなの。私、あなたで本当に良かった」

2人はまた体を重ねます。そして物語を悠々と語る音…。

翌日、また出かけようとしている玄関の家福悠介に対して音は「今晩帰ったら少し話せる?」と言ってきます。

そして夜遅くに家福悠介が帰ってくると、妻が倒れて亡くなっていました。死因はくも膜下出血。葬式を済ませ、また劇の仕事に戻るも、集中できない家福悠介。

2年後。家福悠介は広島で行われる国際演劇祭にレジデンス・アーティストで招待され、広島へといつもの愛車のハンドルを握って走らせました。あの音のテープも一緒に…。

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“わからなさ”を言語で象徴する

『ドライブ・マイ・カー』、たっぷり魅入ってしまいました。切り口がいくらでもある映画なので何から語ればいいのか…こういう映画の感想は良い意味で困りますね。

“濱口竜介”監督の十八番というか、真骨頂は“わからなさ”を抱えた人間たちを描くセンスだと思うのですが、今作はそれが最大限に発揮されていました。

まず本作は作中の家福悠介が手がける演じる劇と同じように多言語構成なのです。家福悠介の仕切る劇の俳優として集まったのは様々な母国語を持つ国の人たち。そのため、日本語だけでなく、英語韓国語も飛び交います。さらには手話まで登場する。この手話を「言語」として取り扱っているあたりは印象的です。

そして単純な言語だけではなく、手話も言語ならば、性行為だって言語であろうというスタンスが物語から滲んできます。性行為は万人に共通のものではない…する人もいれば、しない人もいるし、どうやってするのかという細かい違いもある。性行為は多様な言語のひとつなのです。もともと原作の“村上春樹”は性行為を即物的な行動ではなく非日常なファンタジーのように捉える傾向にある作家でしたし、性が規範的ではなく、客観視されがちでしたからね。

家福悠介はあまり性行為自体を言語として駆使する人間ではなく、どちらかと言えば妻の音に合わせているだけの人間でした。

一方で、高槻耕史は性的関係でしかコミュニケーションがとれないような不器用な男です。相手の話す言葉がわからなくとも体を重ねることに躊躇いはない、むしろそれで相手がわかると言わんばかりのことを作中でも言ってました。そして高槻耕史は暴力という言語にも依存してしまう人間であり、それは終盤の波乱に繋がってしまい…。

そんな多種多様な言語を全部マスターしている人間はいない。ゆえにわからないのも無理はない。かといってそれで劣等感を感じる必要なんてない。理解できなくてもいい、理解できないことが積み重なっても物語になっていく…そういうメッセージ性。

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PUI PUI 家福カー

『ドライブ・マイ・カー』のもうひとつの欠かせない要素がタイトルにもなっている「車」。劇以外に家福悠介が興味を持つのは車、というか自分の愛車です。

この車というのは『PUI PUI モルカー』の感想でも書いたのですが、男らしさの象徴として位置付けられることが多い代物です。男性にとっての車は男根的な存在。

車を運転する家福悠介はひとりで自分の数少ない男らしさを享受する時間を満喫しているような、そんな雰囲気も序盤ではありました。事故にともない妻が一時的に運転することになったときも「なんで車線変更しないの」と妻の運転に不満をつけたり、あの運転という行為だけは家福悠介は素直に言語として感情を口にできてしまう。ある種の“男らしさ”の空間に囲まれているからこその強気なのでしょうか。

ところがその家福悠介は妻を失った後、広島の仕事で車を運転できないことに。しかも代わりに運転するのはどこの誰ともわからない若い女。拒絶の態度を示す家福悠介は「若い女だからではない」と口にはするものの、やはりあの自分のかけがえのない“男らしさ”の空間に外部の者を侵入させて、加えてそれは若い女で、なおかつハンドルを握るというのは心理的に嫌なのでしょう。

このドライバーである渡利みさきが、まあ、カッコいいです。プロフェッショナルらしさを感じる超クールな佇まい、口数の少なさに潜む自信。なんかもうジェームズ・ボンドみたいだった…。演じた“三浦透子”はこのために運転免許をとったらしいですけど…。

この2人によるロードムービーへと転がっていく本作。別に中盤は仕事で往復しているだけですけど、その車の移動の中で言葉も頻繁に交わすわけでもないのに、2人は触れ合い、互いを曝け出すようになり、そして人生に向き合っていく。

この静かな心理カーチェイスみたいなサスペンスがまた緊張感がありました。車の中で煙草を一緒に吸う場面も良かったなぁ…。

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僕たちはきっと大丈夫だ

“濱口竜介”監督は商業映画デビュー前は震災をテーマにした「東北記録映画三部作」を制作していたこともあってか、巨大な抗えぬ悲劇に直面して苦しんでいる人の物語を描くのが上手いです。今作『ドライブ・マイ・カー』もその側面があります。

渡利みさきには札幌で水商売をしている母を中学生のときから車で送迎していた過去があり、下手な運転をしていれば殴られるので結果的に上達したという過去がありました。そして地元で起きた地滑りで家は倒壊し、下敷きになった自分はかろうじて脱出できたものの、母はそのまま見殺しにしてしまったことも…。

北の大地で渡利みさきの家の残骸を見て、「僕は正しく傷つくべきだった」「会ったら怒鳴りたい、責めたい、謝りたい。もう一度だけ話がしたい」と涙ながらに妻への想いを言語にする家福悠介。そこで彼の抱える男らしさが雪解けしていく、心に突き刺さるシーンです。渡利みさきというステレオタイプではない女性キャラクターがその案内人になる(かといって慰め役でもない距離感)という構図もいいですね。

全体的にシリアスなのですが、ところどころ意図しているのかはわからない笑いのカーブがあって、そこも興味深かったです。「どこか広島の好きなところを見せてくれ」と家福悠介に言われて、渡利みさきが連れていくのがごみ焼却施設で、「ちょっと雪みたいじゃないですか」というセリフの何とも言えない空気とか。ユンスの家でごちそうになるときの渡利みさきの照れ隠しなのかお茶目なのかわかんない感じとか。個人的にはヤツメウナギの動画を検索している家福悠介も面白かったけども。

ラストは暴力事件で降板となった高槻に代わり、ワーニャを家福悠介が演じて、ユナが後ろで家福を抱き、手話で語られるという長いシーン。数ある言語のうちでも手話で締めるというのがまた最高ですね。

まだまだ感想は語り足りないけど、長くなるのでこれで一旦終わりで。

とにかく“濱口竜介”監督、恐るべし。2021年は『偶然と想像』もありましたからね。この車、どこまで行っちゃうんだろう…。

『ドライブ・マイ・カー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience –%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
9.0

作品ポスター・画像 (C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会 ドライブマイカー

以上、『ドライブ・マイ・カー』の感想でした。

Drive My Car (2021) [Japanese Review] 『ドライブ・マイ・カー』考察・評価レビュー