ダンジョン多様性を味わい尽くす…アニメシリーズ『ダンジョン飯』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2024年)
シーズン1:2024年に各サービスで放送・配信
監督:宮島善博
だんじょんめし
『ダンジョン飯』物語 簡単紹介
『ダンジョン飯』感想(ネタバレなし)
ダンジョンの多様性もある
「生物多様性(biodiversity)」という言葉があります。
「生物が多様なのか…」と漠然と言葉の意味を受け取っているかもしれませんが、科学用語であり、もっと明確な意味があります。生物多様性とは、地球上の生命の多様性のことですが、具体的に言えば、さまざまな生物が生物間相互作用のもとで生態系を持続的に構築している状態を指します。単にやみくもにたくさん生物がいればいいというものではありません。
この「biodiversity」という用語の原点は、1916年に「Scientific American」という歴史ある科学雑誌の中で”J・アーサー・ハリス”という植物学者が最初に用いたとされています。ただ、当時は明確な科学用語ではありません。そのときは「biological diversity」というやや長めの2つ単語の組み合わせでした。科学界でこの言葉が普及し始めたのは、1980年に”トーマス・ラブジョイ”という生態学者が著書の中で使ったことがきっかけです。そして、“ウォルター・G・ローゼン”という科学者が「biodiversity」という短縮のいち単語を作り、1988年には出版物でも広まり、1992年の「生物の多様性に関する条約」へと繋がります。
生物多様性は「遺伝的多様性」「種の多様性」「生態系の多様性」のように焦点をあてるレベルを変えて捉えることもできます。多様性を築いているのは生物だけでなく、その周りの土壌や水や空気も欠かせず、それがひとつのシステムを構築している…。なので、森林には森林の多様性、草原には草原の多様性、湿地には湿地の多様性、砂漠には砂漠の多様性、海洋には海洋の多様性があるのです。
とまあ、少し長々と生態学の講義みたいなことをしてしまいましたが、今回紹介する作品は「ダンジョンの多様性」とも言える、ちょっと並みの生物学の教科書には載ってないテーマが垣間見えます。
それが本作『ダンジョン飯』です。
本作は”九井諒子”による漫画で、2014年から展開していたのですが、2024年になってようやくアニメ化。ファンにしてみれば待望という感じでしょうか。
世界観はハイファンタジーで、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」に源流がある典型的なファンタジーです。日本だと「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」などの王道のRPGシリーズで巷に認知が浸透しているやつですね。『ダンジョン飯』は神話や伝承など古典的な要素を丁寧に引用することが多く、わりとオーソドックスです。
しかし、そこに「グルメ」の要素を交えており、本来は武器や魔法といったテクニックで攻略していくダンジョンを、「料理」のスキルを強調して掘り下げていく…そんなアプローチになっています。
ファンタジーで料理を大事にする考え方は、既存のゲーム(例えば「モンスターハンター」など)でもおなじみですし、今では珍しくはないです。ただ、そういうものはたいてい料理がプレイヤーキャラクターに回復やバフ(メリットの効果)を与える程度です。
グルメとファンタジーを織り交ぜたジャンルは、ファンタジー世界観で現実のグルメっぽいことをしてみるという奇抜さに狙いを定めていますが、『ダンジョン飯』はそこからもうワンステップ踏み込んでいて、ダンジョンを「生態系」としてみつめるという視点があります。
ダンジョンに息づく魔物たちが単なる冒険者の行く手を阻む邪魔者ではなく、それぞれで生物間相互作用があって、生態系をダンジョン内で築いている…そういう発想で世界観を作っています。
主人公はそんな魔物を「食べる」のですが、その「食べる」という行為もまた生物間相互作用であり、それが何をもたらすかもしっかり描く。丁寧な作品です。
なので『ダンジョン飯』は私に言わせればジャンルとしては「グルメ」というよりは「エコロジー」に近いんじゃないかなと思います。そういう楽しみ方もじゅうぶん可能な作品です。
アニメーションになったことで、世界観はより生き生きと躍動し、個性豊かなキャラクターも混ざり合い、楽しく見られるものになりました。
基本はコメディなので肩の力を抜いて楽しめますが、ダンジョンの謎に迫るシリアスな展開も挟まれ、いろいろな顔を覗かせるのも本作の特徴です。ダンジョン内では魔法などで蘇生ができるせいか、結構豪快にキャラクターが死んでは復活するのも独特ですね。
『ダンジョン飯』を鑑賞して、「食べて美味しい」という癒しでは終わらない、ちょっと視野を広げて自分より大きな環境を考えてみるのはどうですか。
『ダンジョン飯』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :気軽に鑑賞できる |
友人 | :一緒に攻略 |
恋人 | :気楽に見やすい |
キッズ | :やや残酷だけど |
セクシュアライゼーション:なし |
『ダンジョン飯』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ある日、小さな村の地下墓地で地鳴りと共に底が抜け、奥からひとりの人物が現れました。その人物は1000年前に滅びた黄金の国の王を名乗ります。狂乱の魔術師によって地下深くに囚われ続けているというその王国。「魔術師を倒した者には我が国の全てを与えよう」…そう言い残すとその人間は塵となって消えました。
冒険者ライオスが率いる、ファリン、マルシル、チルチャック、ナマリ、シュローの6人パーティは準備万全でダンジョン最深部のレッドドラゴンに挑んでいました。ひとつ気がかりなのは空腹です。ここに来る間、道に迷い、罠にかかって、食料を無駄にしました。考え事をしていたライオスは、ふと妹ファリンが自分の背中を押し出してくれたのに気づきます。そのとき、ファリンはドラゴンに丸吞みで食われてしまいました。
茫然自失のライオス。ドラゴンに飲まれる寸前のファリンは脱出魔法を使い、ライオスたちをダンジョンの外に逃がします。
目が覚めたライオスはファリンを助けようと迷宮に戻ろうとしますが、これ以上はついていけないとシュローとナマリがパーティを離脱してしまいます。マルシルとチルチャックもとりあえず何かを食べようと提案。
ライオスはパーティーを解散し、単身で迷宮に行こうとするが、足手まといとは言わせないと2人は拒否。そこで食料は迷宮内で自給自足するとライオスは宣言。魔物にも美味そうなのがいるはずだと言います。ライオスは魔物がずっと関心の対象で、味にも興味関心がありました。
マルシルは食中毒の危険があると拒絶しますが、たまたま通りかかった初心者レベルのキノコのモンスターを捕まえ、手始めにこれを食べてみようということになります。さらにオオサソリも捕まえました。
さっそく地下1階で調理開始。そのとき、通りかかったセンシという人物が丁寧なアドバイスをしてくれます。その場で採れる植物を加え、食材としてスライムをあっさり撃退するセンシを見て、知識に関心。
センシはこの迷宮で10年以上も魔物食の研究をしているそうです。「大サソリと歩き茸の水炊き」の完成です。
最初は食べるのに消極的だったマルシルやチルチャックも抜群の美味しさに感激。満腹になり、遅れながらも自己紹介。センシは同行したいと言ってくれます。レッドドラゴンを料理するのが長年の夢だったとのこと。
こうして即席ではありますが、新しいパーティが誕生しました。
ダンジョン飯、それは食うか食われるか…食は生の特権…。
ダンジョン生態学
ここから『ダンジョン飯』のネタバレありの感想本文です。
『ダンジョン飯』は既存のグルメとファンタジーを織り交ぜたジャンル作とはひと味違いました。「ファンタジーの世界観で料理してみた!」みたいな一発企画に終始しません。前述したとおり、ダンジョンを「生態系」としてみつめるという視点が面白いです。
本作に登場する魔物はどれも有名なものばかり。しかし、いずれもしっかりその魔物ごとに生態を設定し、学術的な納得感を持たせています。現実の生き物を参考にしており、とても丁寧です。
例えば、動く鎧を貝のような軟体動物としたり、なかなか生物解釈が難しそうなものでもアイディアが光っています。魔物を単体の生き物として扱うだけでなく、魚人・刃魚・クラーケンなどの食物連鎖が成り立つ水生生態系だったり、ミミックの繁殖だったり、ゴーレムは畑になったり、クリーナーの迷宮復元だったり…。各生物が相互作用の中で、ダンジョンの持続的なエコシステムを構築しているのがわかります。
学生時代のマルシルのエピソードでも語られるように、「迷宮作り」の過程でダンジョンが複雑に構築されていることが示唆されます。エルフはそれを魔術という言葉で表現しますが、これは私たちの現実社会における生態系とそう変わりません。
それを「食す」というのは、緻密なバランスで維持されている生態系に介入するという行為であり、一歩間違えれば生態系の破壊になってしまう。責任が生じるものです。
大概のファンタジー系のRPGは魔物をどんなに乱獲しようとも、アイテムを採り尽くそうとも、自動で復活するのがお約束ですので、『ダンジョン飯』はその無意識の当たり前を問い直します。これぞ環境保護の視座でしょう。
蘇生手段があるという点が「それだと生態系の前提が崩れないのかな」と観始めた当初は不安だったのですが、「食べれば蘇生できない」と食の有効性に結び付ける発想は目から鱗でしたね。
そんなダンジョンを主人公パーティはそれぞれの専門知識で分析していきます。
とくにライオスは魔物への探求心という最も学者っぽい姿勢があり(剣士の見た目なのに)、生物への偏愛っぷりは『ファンタスティック・ビースト』シリーズの主人公に通じますが、あちらよりも研究者らしいと思います。
ユニークなのは、このダンジョンの解明が本作で言うところの「攻略」になっているんですね。単に武力でもって攻めていくという略奪や支配ではありません。
ジャンルに対する自己批判的な分析がきめ細かく、コンセプトが洗練されている作品で感心してしまいました。
現実社会の多様性を考える
『ダンジョン飯』は、ダンジョンを軸とした生物多様性(バイオダイバーシティ)だけではありません。さらに拡張してテーマを広げてくれます。それがダンジョン外の人間社会のコミュニティの多様性です。
「人間」といっても『ダンジョン飯』にはさまざまな種族がいます。トールマン、エルフ、ドワーフ、ハーフフット、コボルト、ノーム、オーク…。人語を話せる者たちであっても、それぞれの文化や価値観があり、ときに歴史的に根深く対立しています。
そのうえ同じ種族間であっても、さらに違いがあり、本作はそこも無視していません。ブラック・コード化されたキャラなのは見た目で明らかなカブルーの口からも言及されるように、トールマン族間の人種問題も暗示されます。
まあ、本作のこの人種の多様性はやや簡略化されすぎなところは否めないですけども、日本の大衆的な作品でこのポイントを軽視していないだけでも珍しいです。人種にとどまらないレプリゼンテーションの豊富さは特筆されます。
『ダンジョン飯』はダンジョンの生態系を保護するだけでなく、この人間側の生態系とも言えるバランスをいかに守り、調和させていくかということがミッションになってきます。
最初はライオスたちは自身のパーティ内でその課題にぶち当たります。多種族構成ながらも烏合の衆だったのが、自分の本心を素直に語り合い、信頼を深めていきます。シェイプシフターやチェンジリングでの混乱を経験し、相手の種族の違いを越えた個性に気づいていく、その観察眼と他者への姿勢も誠実です。
おそらくライオスたちは今度はこの地上も含めて世界全体をどうやって統治するのかという使命を帯びるでしょう。それは権力をいかに行使して、破壊を生まずに多様性を維持するかという、ダンジョンでやってきたことの延長です。難易度は格段に跳ね上がりますけどね。
アニメ『とんでもスキルで異世界放浪メシ』の感想でとくに問題提起しましたが、こういうファンタジー&グルメ系の日本のジャンルは(グルメのサブジャンル付属に限らず、ファンタジー全般、ことさら異世界モノはその傾向があるのですが)、無自覚に植民地主義の立場で世界を弄んでしまうことが多々あります。
ゲーム感覚のノリが植民地主義の構造と一致しやすいのだと思いますが、それがエンターテインメントとして何の疑問もなく過剰に消費されすぎるというのはやっぱり現実社会に多少の影響はあるもので…。
『ダンジョン飯』がこの2024年にアニメ化されたのはそうした流行りの傾向に一石を投じるという意味でもとても良いタイミングだったのではないでしょうか。「楽しければ何でもいい」…ではなく、「多様性とか”意識高い系”なんだね?」…ではなく、一度真面目に考えてみませんか?という話。
私たちは現実社会というダンジョンを攻略しています。自分が慣れてきたと思ったあたりが一番足元をすくわれやすいです。初心者からやり直すつもりで、自分とは違う他者と一緒に美味しいご飯を食べながら、学び直すのもいいんじゃないでしょうか。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
日本のアニメシリーズの感想記事です。
・『葬送のフリーレン』
作品ポスター・画像 (C)「ダンジョン飯」製作委員会
以上、『ダンジョン飯』の感想でした。
Delicious in Dungeon (2024) [Japanese Review] 『ダンジョン飯』考察・評価レビュー
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