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アニメ『葬送のフリーレン』感想(ネタバレ)…達観ファンタジーの眠る地へ

葬送のフリーレン

達観ファンタジーの眠る地へ…アニメシリーズ『葬送のフリーレン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Frieren: Beyond Journey’s End
製作国:日本(2023年~2024年)
シーズン1:2023年~2024年に各サービスで放送・配信
監督:斎藤圭一郎
恋愛描写
葬送のフリーレン

そうそうのふりーれん
『葬送のフリーレン』のポスター。自然穏やかな背景に主人公が鞄を持って立つデザイン。

『葬送のフリーレン』物語 簡単紹介

エルフのフリーレンは魔法使いとして魔王を討伐する冒険パーティに参加し、10年間もの旅路を経て、その目的を達成した。一緒に旅した勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼンにとっては、人生に刻まれる長い出来事。しかし、フリーレンには些細な年月だった。フリーレンはお祝いのムードに背を向けて、またマイペースでひとりの旅を始める。それからしばらく経ち、フリーレンにある目的ができる。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『葬送のフリーレン』の感想です。

『葬送のフリーレン』感想(ネタバレなし)

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エルフには長い歴史がある

ファンタジーにでてくる「エルフ」。その耳は、先っぽが尖った形をしている(pointy ears)というイメージが強く、通称「エルフ耳」と呼ばれるクリシェとして親しまれています。

ではこのエルフ耳、一体いつから定着したのでしょうか。

もともとエルフは「ウィリアムズ症候群」の人をモデルにしているという真偽不明の説もありますが、この尖った耳は古代ギリシアや中世ヨーロッパでも芸術表現の中でみられ、そこまで真新しいデザインではなかったようです。

エルフ自体は北欧神話での登場が原点として取り上げられやすいですが、そんなに有名ではなく、知る人ぞ知る存在のまま、しばらく年月が経過。その初期のエルフは今の私たちが知っているエルフとはまた風貌も違います。エルフが大衆化し始めたのは19世紀から20世紀にかけてです。

問題のエルフと耳の接点ですが、ヴィクトリア朝文学の中で尖った耳はエルフと結び付けられるようになり、1900年代からさまざまなファンタジー作品が溢れて、そこで「エルフと言えば尖った耳」という図式が浸透していったのだとか。

ちなみに“J・R・R・トールキン”『指輪物語』におけるエルフでは尖った耳をしているという描写は原作になかったのですが、それでも『指輪物語』の映像化や二次創作物ではエルフ耳で描かれるようになり、エルフ耳の定着に貢献することになりました。作品が別の作品へとどんどん派生していくにつれ、エルフ耳はより強調されていったんですね。

今やもうエルフだらけですよね。あっちにもエルフ、こっちにもエルフ。小説、漫画、アニメ、ゲーム…どこにでもいます。もちろんエルフ耳で…。

エルフ耳にも数千年の歴史あり…です。

そんなエルフ耳の歴史はさておき、今回取り上げるのはこれまた長い歴史をみてきたエルフが主役のアニメ作品です。

それが本作『葬送のフリーレン』

本作は、”山田鐘人”(原作)&”アベツカサ”(作画)による「週刊少年サンデー」で2020年から連載されている漫画が原作です。2023年から2クールでアニメ化がスタートしました。

ジャンルはハイ・ファンタジーで、日本でよくイメージされやすいファンタジー系RPGのような世界観。しかし、勇者の一行が魔王を倒した後の世界になっているのが最大の特徴です。魔王を倒した後なので平和な日常を描く後日譚的なまったりムードなのかと思いきや、そういうわけでもなく、より大局的な視点で世界を俯瞰して文明や歴史など人間の営みの「変化」を味わうという、ちょっと哲学チックな肌触りがあります。

その視点を提供できるのは主人公がエルフだからです。本作のエルフの種族は、数が少なく非常に長命で、人間社会を外から眺めてきました。そんなエルフによる”人間”批評みたいな感じかな。

最近の日本アニメ界隈は異世界転生モノやコメディ主体のファンタジー作品が量産されて溢れかえっていましたから、『葬送のフリーレン』のような独特のストーリー・テリングは新鮮ですね。

小難しさがあるわけでもなく、適度にコミカルなシーンがあったり、バトル展開があったり、バランスのとりかたも巧みな作品だと思います

ファンタジー系のアニメに飽きていた人ほどオススメしやすい作品ではないでしょうか。娯楽性重視のアニメとは距離をとっていた人にも手をつけやすいかもです。

後半の感想では、アセクシュアル・アロマンティックなどレプリゼンテーションの観点で『葬送のフリーレン』を解体したとき、どんなことがわかるか…というややマニアックなことを自己満足でダラダラと書いています。

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『葬送のフリーレン』を観る前のQ&A

✔『葬送のフリーレン』の見どころ
★大局的な視点で世界や人間を俯瞰する語り口。
★魅力的なキャラクターたち。
✔『葬送のフリーレン』の欠点
☆話数が多いので鑑賞に時間がかかる。
日本語声優
種﨑敦美(フリーレン)/ 市ノ瀬加那(フェルン)/ 小林千晃(シュタルク)/ 中村悠一(ザイン)/ 岡本信彦(ヒンメル)/ 東地宏樹(ハイター)/ 上田燿司(アイゼン) ほか
参照:本編クレジット

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:じっくり満喫
友人 4.0:のんびり視聴
恋人 4.0:気楽に見やすい
キッズ 3.5:多少の暴力描写あり
セクシュアライゼーション:わずかにあり
↓ここからネタバレが含まれます↓

『葬送のフリーレン』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

馬車に揺られる4人。剣を抱えたヒンメル「フリーレン」と静かに呼びかけ、呼ばれた人物はエルフです。顔を上げて本から目を逸らします。遠くに城壁に囲まれた王都が見えます。帰ってきました。

勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、魔法使いフリーレン…このパーティー4人は冒険の末に役目を果たして無事に戻ってきたのです。世界に君臨していた魔王を倒して…。

ヒンメルは「帰ったら仕事を探さないとな」と呟きます。そしてフリーレンに目を向け「君のこの先の人生は僕たちにも想像もできないほど長いものになるんだろうね」と語りかけると「そうかもね」と本を見つめて呟くフリーレン。

勇者たちの凱旋に町は大歓迎ムード一色。城では王が祝福と感謝を述べます。夜は平和な時代の幕開けを祝ってお祭りです。

4人は夜空を見上げて10年の冒険を思い出します。エルフのフリーレンにとっては10年は短いです。50年に一度のエーラ流星群を見上げながら、「50年後にもっと綺麗に見える場所に案内するよ」とフリーレンは言います。それを聴いてヒンメルは笑い、「そうだな、みんなで見よう」と軽やかに口にします。

翌朝、フリーレンは別れを告げ、魔法の収集という研鑽のために100年くらい諸国を回るつもりと宣言。「たまには顔を見せるよ」と言い残して去っていきました。

こうしてひとり旅です。ある日、フリーレンは暗黒竜の角を探していると、そう言えばヒンメルに預けたことを思い出します。もうすぐエーラ流星の時期なので町へまた戻ることにします。

街並みがだいぶ違うと感じながら、自分に声をかけたのは年老いた人物がひとり。それはヒンメルでした。「50年ぶりだね」

広場には4人の銅像があり、ハイターとアイゼンと合流します。1週間くらい歩いた先、久しぶりの4人旅を経験しながら、流れる星空をみんなで見上げます。前よりもよく見える場所で…。

後にヒンメルは亡くなりました。葬儀の中、表情の変わらないフリーレン。たった10年一緒に旅しただけ。けれども人間には短い感覚。その違いを受け止めきれません。

埋葬時、「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」とフリーレンは涙し、フリーレンは旅にでます。「私はもっと人間を知ろうと思う」と以前と違う意志を抱いて…。

またしばらく経ったある日、幼い子どもに出会います。フェルンという子で、ハイターの家に一緒に住んでいる戦災孤児だそうです。

再会したすっかり老いたハイターから「弟子をとりませんか? フェルンには魔法使いとしての素質があります」と言われますが、「足手まといになる」と断ります。

するとハイターは蘇生や不死の魔導書の解読を依頼し、フリーレンは「5~6年もあればできる」と取り組み始めます。その間、解読の片手間でフェルンに魔法を教えてあげてと言われ、しょうがないのでやってあげます。

4年が経過し、ハイターは息を引き取りました。ハイターはフェルンをフリーレンに預ける時間稼ぎがしたかっただけのようです。

フリーレンは次はフェルンと2人旅をすることになり…。

この『葬送のフリーレン』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/04/05に更新されています。
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哲学的思索からRPG的な醍醐味を

ここから『葬送のフリーレン』のネタバレありの感想本文です。

『葬送のフリーレン』はジャンルも構造もそんなに珍しくありません。

ハイ・ファンタジーですけど『とんでもスキルで異世界放浪メシ』『転生王女と天才令嬢の魔法革命』など無数の異世界転生モノと同様の構造があって、主人公側から世界を達観するのがミソです。メタ的な接し方があり、この立場が何よりもチートと言えます。

それをエルフのような長命種族の視点で成り立たせるというのも、既存作品でよく見るもので、例えば『でこぼこ魔女の親子事情』『江戸前エルフ』も、長命視点で人間を「他者化」しています。

では『葬送のフリーレン』の独自性のある持ち味とは何なのかを考えると、世界に軽薄に露悪的に寄りかかるのではなく、哲学的思索でじっくりと向き合うことなのかなと思います。

本作のエルフという種族は、長命で、とくにゼーリエという古来から魔法に秀でて人間の発展を見つめてきたエルフを出発点に、フランメが人類の魔法の開祖となり、そしてフリーレンへと続いています。

その過程で浮き彫りになってくるのが、人間という生き物の面白さ。チートな能力はない。一発でやられて死んでしまう。そんな儚い存在が、チームを組み、社会化し、精一杯生き抜こうとしている。

フリーレンという独りで生きてきた者が、他者との親密な関係性の喜びを知っていきます。

これぞ「パーティーを組むファンタジー系RPG」の醍醐味であり、そういうゲーム的なインタラクティブ性を非常に上手く物語に溶け込ませている作品だなと感じました。本作はゲームの映像化ではないですけど、そこらへんのゲームの実写化作品よりもはるかに完成度高くそれを成功させていました。達観ファンタジーも極めるとここまでいけるんですね。

ゾルトラークという貫通魔法を通した魔法技術向上から、一級試験での多くの魔法使いたちなど、各エピソードを「わたし、強い!」みたいなエンタメで終わらせないあたりも丁寧でした。

私は印象としては「異なる価値観や文化のズレと交流から人間文明を尊ぶ」みたいなアプローチは『スター・トレック』を彷彿とさせるな、と。『スター・トレック』にもエルフ耳の奴らがでてくるしね…。非地球人を主役にした『スター・トレック』を作ったら『葬送のフリーレン』みたいになるかな…。

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恋愛、アロフィリア、心

ここからは少し視点を変えて『葬送のフリーレン』をレプリゼンテーションの観点で見ていくことにします。

作中でフリーレンを始めとする本作のエルフは「恋愛感情や生殖能力はない」と説明されます。これは長命という時間認識のズレと共に、このエルフを人間と異なる存在へ特徴づける特性として活かされています。感情や感性に乏しく、人間離れした特異性のわかりやすい目安です。

そういう設定上、このフリーレンもアセクシュアル・アロマンティックのような性的指向・恋愛的指向のアイデンティティとして解釈できないことはないですし、そういうヘッドカノンな楽しみ方をする人もいるでしょう。それは全然自由です。恋愛を達観的に見ている仕草は共感性を刺激するそれっぽさもありますし…。

アセクシュアル・アロマンティックの観点では、フリーレンは、亜人としての「人外」という、わりとベタなクィア・コーディングと言えます。歴史的にロボットとか異星人とか極端に人間文明と離れた存在がアセクシュアル・アロマンティックの方面ではクィア・リーディングされやすいものでした。

ただ、本作はフリーレンにはヒンメルというキャラクターとの関係に重きが置かれ、これは疑似恋愛パートナー的に機能していて、明らかにロマンス・プロットを借用しています(久遠の愛情を示す指輪のエピソードとか、かなり露骨)。なので本作は”しっかり”(あえてそういう言い方をしますが)恋愛伴侶規範や異性愛規範にどっぷり染まった視聴者が何も違和感なく楽しめるようにできています(フェルン&シュタルクの若さゆえの未熟な”恋”風なヤキモキ模様など、本作はそういう提供をあえてやりたがるところがある)。

個人的には、フリーレンとヒンメルの関係性はものすっごく「アロフィリア」っぽいなと思いました。アロフィリア(allophilia)というのは、異なる他者と見なされるグループのメンバーに対する個人の強い感情を指します。フリーレンとヒンメルは互いの他者性に惹かれていますよね。

「人間文明を尊ぶ」みたいな全体プロットのアプローチがある以上、その人間社会の規範性を褒めているようにも思え、そこはあんまりクィアではないのかな。

実は忘れそうになりますけど、本作にはエルフ以外にもうひとつおそらく恋愛感情を持たないと思われる存在がいます。魔族です。

本作の魔族は「言葉を話す魔物」と定義されているそうで、家族という概念はありません。だから家族を偽装しています。要するに社会化に欠かせない「心」がありません。

他にもゼンゼの第2次試験の迷宮攻略では、心のない複製体(心の働きを精密に模倣できる)が立ちはだかり、この作品は「心無い存在」を敵として配置する傾向があります。

対するフリーレンは恋愛感情がなくても「心」はあり、そこに視聴者への同情する余地を残しています。恋愛感情がなくても心があるならそれはキャラクターとして世界に愛され、恋愛感情がなく心もないなら自害させられる。フリーレンとヒンメルは種族が違えど心が通うので関係性を構築できます。

こうなってくるとどうしたって浮きあがるのが、優生思想です。魔族は自分以外の存在を下にみており、フリーレンは魔族を下にみます。心の有無で境界線をひくというのはよくある構図ですが、その発想自体は優生思想の定番でもあります。

こういう種族間の軋轢や関係性が生じるジャンルは真っ先に「人種(race)」で分析されやすいものですけどAnime Feminist、日本ではあまりなされないような…。やっぱり問題意識は希薄なのかな。

こんな感じで『葬送のフリーレン』はレプリゼンテーションの論点でもいくらでも掘り下げられるので、やはり面白い作品ではないでしょうか。

『葬送のフリーレン』
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シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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関連作品紹介

日本のアニメシリーズの感想記事です。

・『ひろがるスカイ!プリキュア』

作品ポスター・画像 (C)山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

以上、『葬送のフリーレン』の感想でした。

Frieren: Beyond Journey’s End (2023) [Japanese Review] 『葬送のフリーレン』考察・評価レビュー