異形の愛は古き日本の芸術へと姿を変える…映画『犬王』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2021年)
日本公開日:2022年5月28日
監督:湯浅政明
犬王
いぬおう
『犬王』あらすじ
『犬王』感想(ネタバレなし)
犬王を知っているか?
日本の伝統芸能と言えば、それはもういろいろ挙げられますが、その多くは現在のエンターテインメント飽和時代の日本社会でも埋もれつつも親しまれています。
その中でもかなり古くから歴史があるのが「猿楽(さるがく)」です。
中国大陸より日本に伝わった舞台芸能を土台とすると考えられているこの猿楽は「室町時代」に成立しました。室町時代は、1336年に後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の天皇を擁立して幕府を開いた時期から1392年の3代将軍義満によって南北朝が統一された時期までを「南北朝時代」、それ以降の室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭して戦乱が頻発した約100年間の「戦国時代」…この2つに区分されます。
なんだか殺伐と争い合っている印象がありますが、この頃は北山文化と呼ばれるような文化の発展も観察でき、猿楽もそんな時代の空気の中で成熟していったとされています。どんどんとその猿楽は他の文化に刺激を受けて形を変え、今では今日の「能楽」の原型に至っているとのこと。なので現在は狂言などの能楽という言葉の方が有名ですが、源流にあるのは猿楽なんですね。
その猿楽の歴史を大胆すぎるほど斬新に描ききってみせたアニメーション映画が2022年に誕生しました。
それが本作『犬王』です。
このタイトルにもなっている「犬王(いぬおう)」というのは、南北朝時代から活躍していた猿楽師の名手だそうで、そうは言ってもその実像はかなり不詳な部分も多いです。どんな芸風だったのかということも推論の域を出ません。700年前の謎の芸術家なのです。
その犬王を題材にした“古川日出男”の2017年の小説「平家物語 犬王の巻」を取り上げて、ダイナミックなアニメーション映画にしてしまったのがこの映画『犬王』。
しかし、この映画『犬王』、とんでもなく個性的な作品となりました。普通の歴史モノではないです。歴史を懇切丁寧に解説してくれることもないです。あえて言うなら、この映画自体が犬王のパフォーマンスそのものになっている、極めて大胆な構成です。
そんなふうになったのも、この映画『犬王』を監督したのがこの人だからなのは間違いないでしょう。その人とは“湯浅政明”。2004年の映画『マインド・ゲーム』で脚光を浴び、その個性的な作家性で独自のアニメーションを世に送りだし続け、今や世界的に最も有名な日本のアニメーターのひとりとなりました。
2017年の『夜は短し歩けよ乙女』と『夜明け告げるルーのうた』、2019年の『きみと、波にのれたら』と長編映画を作り、その間にも『DEVILMAN crybaby』や『映像研には手を出すな!』などのアニメシリーズも手がけて多忙な創作活動を送っていました。
その“湯浅政明”監督の新作長編映画『犬王』。私の評価を言うなら、これは”湯浅政明”監督の作家性を象徴するような、まさしく顔となる映画になったのではないかと思います。完全に”湯浅政明”のクリエイティブが極まりに極まった到達点なんじゃないか、と…。
何度も言ってしまいますけど、とにかく変な映画なんですよ。パフォーマンス、パフォーマンス、パフォーマンス…その連発で…。人によっては「なんだこれ、ストーリーがないじゃないか」と怒るかもしれない。でもこれは物語をカットしたのではなく、パフォーマンスそのものが“語り”なんだということで、これはある意味で猿楽に忠実な結果なのかもしれません。
もともと“湯浅政明”監督はフィルモグラフィーを見ているとわかりますけど、キャラクターを躍らせたりとかパフォーマンスさせるのが好きらしく、それがアニメーションの“動く”気持ちよさともリンクして独特の快感を与えてくれていました。今回の『犬王』はその要素100%でできていますね。
制作スタジオはもちろん2022年も『ユーレイデコ』などを作った「サイエンスSARU」。
ただ、『犬王』は室町時代を描いていることもあって、ちょうど「サイエンスSARU」は2022年はその室町時代の少し前の時代である平安時代を題材にしたアニメシリーズ『平家物語』を制作してもいます。この『平家物語』の内容が偶然にも『犬王』と繋がっているので、時間がある人は『平家物語』を見てから『犬王』を見るといいのではないでしょうか。
また、パフォーマンス面だけでなく、世界観やキャラクター造形も特徴的で、今回の『犬王』なんかはそれこそ“ギレルモ・デル・トロ”的ですらあると思います。呪いで盲目となった者が、異形の者と交流を深め、芸術で自身の居場所を獲得する…そんな物語ですからね。このあたりも私の好みにハマりました。
『犬王』の脚本は『逃げるは恥だが役に立つ』『アンナチュラル』『MIU404』など人気ドラマを手掛ける“野木亜紀子”なのですが、この『犬王』に関してはどこまでが脚本でどこからが“湯浅政明”監督の作劇なのか私には全然わからない…。
とりあえず『犬王』の映像と音楽をその目と耳に流し込まれて圧倒されてみてください。
『犬王』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :奇想天外な寓話が好みなら |
友人 | :互いの視点で語り合って |
恋人 | :癖が強い奇抜さだけど |
キッズ | :やや残酷な映像あり |
『犬王』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):出会いが芸の始まり
足利義満が南北朝の統一を目指して邁進していた室町時代初期。京の都の猿楽の一座である比叡座では赤子が産まれました。しかし、その子は明らかにヒトの姿をしておらず、周囲の者はその異形に怯え、不気味がります。そして産んだ母はすぐに亡くなってしまい、立ち尽くすのは不気味な面を被って、己の欲の結果がもたらした事態を呑み込もうとする父親だけ…。
別の場所。水中に潜るひとりの子ども、友魚(ともな)。底まで到達し、船の残骸の傍を泳ぎます。父は漁師で、泳ぎは慣れています。
この壇ノ浦の港村では何やら村人が集まっていました。友魚の父のもとに京から侍たちが訪れ、ある依頼をしていたのです。なんでも源平の合戦で海に沈んだ天叢雲剣を引き揚げてほしいとのことで、大金を提示されます。友魚の父はよくわからない依頼を怪しみますが、渋々引き受けることに…。
友魚の父は船を出します。友魚も一緒で、同行した侍たちはここで滅んだ平家の呪いを恐れていました。友魚は父と潜り、水底からそれらしき箱を引き上げます。
中に確かに立派そうな代物があり、父は何気なく鞘を引く抜くと、光を放ち、父は真っ二つに切断され、死亡しました。そしてその場にいた友魚は目が見えなくなります。
いつの間にか依頼者は消えてしまっており、残された盲目の友魚は恨みを抱えて亡霊となった父の声が聞こえるようになり、しばらくして京へと赴くことにしました。
その道中、琵琶法師と出会います。お互い目が見えないので名札を触り合り、共に厳島へ。そして友魚はこの琵琶法師の谷一に弟子入りし、諸国を遊行することにします。
成長した友魚は旅の途中で京で才能のある琵琶法師が相次いで殺されていると耳にします。何十人とひとり残らず殺害され、犯人はわからず、もののけの仕業という噂も…。
そんな京の街で、犬に混ざりながら過ごすヒョウタンの実を割って作った面を被った存在。比叡座で生まれ、その異形の容姿のせいで孤立していたその存在は、見よう見まねで猿楽の動きを学び、会得すると急に二本足がスクっと伸びて、街中をビュンビュン走り飛び回れるようになります。こうして仮面をとって自分の姿で人々を驚かす日々でした。
ある日、京の都に戻って来た友魚と谷一。上京した友魚は谷一の所属する覚一座に入り、「友一(ともいち)」の名を与えられます。父の霊は「いけん!」とやめさせようとします。名前を変えたら見つけられないそうです。
夜の街を歩いていた友一は「化け物め!」と恐れる声を聴き、「どけ!ひょうたんだぞ!」と騒いている声も耳に入ってきます。その誰かは友一の前に立ち、仮面を外します。しかし、友一には見えないので何も驚きようがありません。
友一は琵琶を弾いてみせ、そのひょうたん面の存在もそれを気に入ってくれました。
「俺には名が無い。呼ぶものもないからな」
こうして出会った2人は意気投合し、互いの芸を極めようと前人未到の高みを目指すことに…。
大胆不敵な嘘を堂々と表現する
『犬王』はまず誰しもが鑑賞して最初に驚くのが犬王の見た目です。生まれた瞬間はあまり映像に映らないのでわからないのですが、次に登場するときは犬に混じって外で走り回っている“生き物”です。そうとしか形容しようがありません。「これが主人公のひとりなの?」と困惑するのも無理はない…。
猿楽だから「猿」っぽい見た目にしているのか、でも異様に長い手足があって、本当に不規則に動き回ります。でもこれこそアニメーションでしか表現しようのない犬王の姿ですよね。なお、制作スタジオの「サイエンスSARU」はその名のとおり猿がスタジオ・キャラクターになっており、“湯浅政明”監督の持ち味でヌルヌル動きます。この犬王もその系譜です。
こんな感じで本作『犬王』はアニメーションだからこその大胆不敵な嘘を堂々と表現してみせ、観客を翻弄します。この大立ち回りがまた犬王らしく、これはこれでアリだなと思わせてくれます。
パフォーマンスもリアリティとかは度外視しています。みんなわかることですけど、あの楽器を使ってこんな音楽になるわけないです。でもそれを絵として音として強引に成り立たせてしまう。このフィクションのパワーはやはり支離滅裂だけど、同時に何とも言えない魅力に飲まれる興奮もあるし…。
ロックバンド風になったり、実在のアーティストのパフォーマンスをそのまんまサンプリングしてみせたり、豪快にもほどがある演出を連発していく犬王と友有。
毎回「どんなパフォーマンスをやる気なんだ?」と私ものめり込んでしまい、細部を観察するとかできる状況になれなくなりました。ほんと、これは映画鑑賞というよりは、舞台観劇、もっと言えばスケールのデカいテーマパークの巨大なショーを眺めている気分ですね。清水寺のでっかいクジラ・パフォーマンスとか、普通にセンスあるし、どこかでマネして実際にショーをすればいいのに…。
後半の北山の邸で上覧演舞も盛り上げ方が上手いし、“湯浅政明”監督はあれだな、アニメーション監督だけでなく、ショーの演出とかの仕事もできるな…。
こういうライブショー化するという映画スタイルは『ボヘミアン・ラプソディ』で昨今のムーブメントが作られた感がありましたが、それをキャラクター・ファンダムもブランドのネームバリューも何もない『犬王』というアニメーション映画が見事に恐れることなくやり遂げてしまったという、それだけでもこの今の日本アニメ界では異例だったのではないでしょうか。
奪われて失われた私たちの物語
『犬王』は前述したとおり、呪いで盲目となった者が、異形の者と交流を深め、芸術で自身の居場所を獲得する…そんな物語です。
犬王はディザビリティ的に捉えることもできなくはないですが、それ自体はあくまで呪いであり、一方で呪われつつも、むしろその特殊な身体で独自の芸を獲得してしまうというアビリティを発揮します。犬王にとってはこの身体はハンデになっていません。自分の表現方法としての武器です。
対する友魚は目が見えなくってしまい、明らかにそれは当初はハンディキャップとして人生に圧し掛かります。しかし、琵琶法師としての役目を見い出し、犬王と出会って刺激を受けたことで、こちらも才能を輝かせる。
本作は非常に「障がい」を「障がい」と見なさない立ち位置が明確にあり、エンパワーメント溢れています。
犬王は芸をひとつ極めるたび体の一部が変わっていき、特殊な身体ではなくなってしまうので、「普通」になる物語の結末なのかとも思うのですが、ここで本作のもうひとつの要素が浮上。実のところ、本作はとてもクィアなテーマも並行しているのではないか、と。
友魚は芸を向上するたびに身体ではなく名前が変わっていくのですが、他にも髪を伸ばして化粧もして遊女のようなスタイルになります。周りからは変だと批判されますが、気にしません。とてもジェンダー・ノンコンフォーミングですよね。音楽スタイルがクィアなアーティストからも引用されているので余計にそう見えてきます。
そしてそんな友魚こと友有は犬王と見方によってはクィアなリレーションシップを築いているようにも思えます。
犬王は最終的には直面(ひためん)で演じて素顔を晒すのですが、その自身を初めて大衆にオープンにすると、犬王の姿もやはりどこかジェンダー・ノンコンフォーミングな感じが漂っています。
つまり、本作は猿楽というひとつの歴史に間違いなく存在していた文化が大衆を熱狂させ、そして権力に抑圧されて切り捨てられる顛末を描いているのですが、その歴史自体がクィアなヒストリーとも重なる。作り手はそこまで考えてないかもですけど、それくらいのパワフルさのあるストーリーだと思いますし、それを日本の芸能歴史文化を題材にする作品の上で展開しているのがまた重要なことで…(いまだにLGBTQは日本の歴史には存在しない、最近のムーブメントだと言い張る人はいますからね)。
『犬王』は猿楽という古き日本の芸術を軸に、ディザビリティやクィアも包括し、そして現在のアニメーションへと昇華する。時代を超越したなかなかの偉業をたったの約97分でやってみせる…さすがでした、“湯浅政明”監督…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 88%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
湯浅政明監督の長編映画の感想記事です。
・『きみと、波にのれたら』
・『夜明け告げるルーのうた』
・『夜は短し歩けよ乙女』
作品ポスター・画像 (C)2021 “INU-OH” Film Partners
以上、『犬王』の感想でした。
INU-OH (2021) [Japanese Review] 『犬王』考察・評価レビュー