それはこれからわかる…映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2023年10月20日
監督:マーティン・スコセッシ
人種差別描写 恋愛描写
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
きらーずおぶざふらわーむーん
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』あらすじ
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』感想(ネタバレなし)
ネイティブ・アメリカンはこの映画でどう描かれる?
今回は映画とネイティブ・アメリカンの関係性の話から始めます。
ネイティブ・アメリカン(ネイティブアメリカン)…「インディアン」とも呼ばれたりしますが、要するにアメリカの先住民族のことですね。アメリカの人口の約1%少しを占めるネイティブ・アメリカンとひとくちに言っても、さまざまな部族があり、それぞれで生活実態も違うので、一概にイメージを抱くのはよくありませんが…。
そのネイティブ・アメリカンと映画の関係性。これは私なんかが語ることではないのは百も承知。当事者がその問題を真摯に解説した『Imagining Indians』(1992年)や『Inventing the Indian』(2012年)といったドキュメンタリーを観るべきなのですが、残念ながら日本で視聴する機会がほぼない状況で…(部分的に扱っている『殺戮の星に生まれて / Exterminate All the BRUTES』は観れるのでこちらは必見)。
なのでここでざっくりまとめるかたちになりますが、とにかく映画というものはネイティブ・アメリカンを描いて目につきやすくすると同時、そのステレオタイプを助長するような功罪をもたらしてきたということを忘れてはいけません。
アメリカ映画にてネイティブ・アメリカンはそれこそ『The Red Man and the Child』(1908年)のように映画黎明期から描かれていました。当時は西部劇が多く、先住民の登場出番はいくらでもあります。
しかし、野蛮な民族として描かれたり、文化的に劣っているように描かれるなど、その表象は問題が山積していました。
子ども向けの作品でも変わりません。ディズニーのアニメーション映画『ピーター・パン』(1953年)は先住民の典型的な誇張でしたし、『ポカホンタス』(1995年)は白人に都合のいい善良な先住民としての位置づけでした。
『ローン・レンジャー』(2013年)や『PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜』(2015年)などでの、白人俳優が先住民を演じるという「レッドフェイス」の問題も昔の話ではありません。
そうした当事者にとって複雑な心境を抱かざるを得ない映画史において、この映画は後の未来にどう記録され、評価されていくのでしょうか。
その映画とは2023年についに公開された“マーティン・スコセッシ”監督による『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』です。
本作は“デヴィッド・グラン”執筆の「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を映画化したもので、1920年代初頭にオクラホマ州オーセージ郡でオセージ族(オーセージ族)の人たちが連続で殺された実在の事件を扱っています。
どうしてそう言うことが起きたのかという背景は、映画を観てもらうとして、注目されるのは直近でも『アイリッシュマン』という名作を生んだばかりのあの映画の巨匠“マーティン・スコセッシ”がネイティブ・アメリカン迫害の歴史に手を出すということです。前述した表象の問題もあって、どう描く気なのかとザワザワした反応は製作発表段階からありました。
で、私の観た感想としては、とりあえずネタバレなしで言えるのは、まずはとにかく作中で重要キャラクターとなるオセージ族の女性を演じた“リリー・グラッドストーン”、ぜひアカデミー助演女優賞をあげてほしいですね。“リリー・グラッドストーン”はアメリカ先住民当事者であり(オセージ族ではない)、この大役を評価せずして何を評価するという感じです。
もちろん『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』には、“マーティン・スコセッシ”監督作ではおなじみの“レオナルド・ディカプリオ”や“ロバート・デ・ニーロ”といった白人のスター俳優が豪華に結集し、“ジェシー・プレモンス”、“ブレンダン・フレイザー”、“ジョン・リスゴー”といったバイプレイヤーも揃っています。そこも当然見どころになるでしょう。
けれども“リリー・グラッドストーン”を中心に語ってあげたいなという想いがどうしても強くなる。そういう映画なのです。
後半の感想では、ネイティブ・アメリカンの表象を論点に、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を掘っています。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :2023年の話題作 |
友人 | :時間に余裕あれば |
恋人 | :恋愛とはいかない |
キッズ | :長いので辛いか |
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):主導権を取り戻す
グレートプレーンズの中西部に暮らすオセージ族。紀元前700年頃からの歴史ある部族ですが、アメリカ政府によってオクラホマ州への移住を余儀なくされ、以後は大部分がこの地に定住しています。
1894年、オセージ族の大人たちは集まり、伝統的な儀式をしながら、白人に主体的な尊厳を脅かされて生きざるを得ない現状を嘆いていました。
そのとき、部族が所有する広大な草原の下で大量の石油が発見されます。いきなり吹き出す黒い石油。それはまるで大地からの恵みのようでした。こうしてオセージ族は石油開発で富を得ます。
ところがそれを快く思わないものがいました。移住してきた白人です。白人社会はこのオセージ族の財産の源であるこの土地の権利を法律で制限し、1920年代には白人の「後見」がお金を管理をすることを義務づけました。これにより、多くのオセージ族は土地やロイヤリティを法的に剥奪されることになったのです。
そうした白人によるオセージ族の統治が徹底し始める直前の1919年。第1次世界大戦から戻って来たばかりの白人のアーネスト・バークハートは列車を降り、賑わっているオクラホマの地に立ちました。
ここで牧場主をしている実業家の叔父ウィリアム・“キング”・ヘイルを頼りにしてきたのでした。車で近づくと平地一帯が石油採掘場だらけです。ウィリアム・ヘイルは温かく迎えてくれます。
さっそくタクシー運転手として働くことになったアーネストは、車で町を行き来します。
そこで乗せたのがモリー・カイルというオセージ族の女性でした。彼女は家族が石油利益の多くを所有していることもあって、安定した暮らしができています。そして落ち着いた態度のモリーは財を管理する才能も持ち合わせていました。
モリーを何度か乗せて親しくなったことで、モリーはアーネストにウエスタンハットをくれます。そして家にも招いてくれます。
2人はやがて恋に落ち、結婚することになりました。
しかし、アーネストの叔父ウィリアムはこれを好機とみなしていました。モリーの家族さえ消えてしまえば、その石油利権は全てアーネストに移るのです。
そこでウィリアムは己のコネを最大限に利用し、モリーの家系の人々を狡猾に暗殺していきます。
その所業にアーネストも関与することになり、その毒牙はついにはモリーにまで…。
当事者たちの反応
ここから『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のネタバレありの感想本文です。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のネイティブ・アメリカンの表象について、私がどうこう感想を述べる前に、当事者の人たちはどういう反応で受け止めているのでしょうか。
今作でオセージ言語コンサルタントとして関わった“クリストファー・コート”、そして衣装コンサルタントの“ジュリー・オキーフ”は、複雑な心境をメディアの前で吐露していました(The Hollywood Reporter)。やっぱり当事者としてこの映画がどう受け止められるのかと何よりも気にかけてしまうのは不可避ですよね。
オセージ族のコミュニティと映画製作チームを繋ぐ役割を果たした”ブランディ・レモン”は「彼らは耳を傾けてくれた。私たちは世間で言うところの“形だけのインディアン”とはみなさず、私たちを人間として見てくれた」と好意的にコメントしています(TODAY)。
本作で題材になる殺人事件の犠牲者のひとりであるヘンリー・ローンの曾孫娘“アディ・ローンホース”はアシスタント・アート・ディレクターとしてこの映画の制作に参加しましたが、当事者でもあまり歴史を知る人がいない中、この映画をそれを知るきっかけになればと前向きに受け止めていました(TODAY)。
このように映画製作にも関与した当事者は比較的この作品をポジティブに迎え入れている印象です。当然、これは製作チームがこの当事者たちに真剣にコンタクトして、信頼関係を築けたからこそであり、その共有あってこその立場からの姿勢なのだと思います。また、これらの製作関与の当事者はこの映画の内容に以前から触れているので、すでに時間が経って心の整理ができているという面もあるでしょう。
一方で、製作に関与していない一般の当事者観客の側にいる人たちからは、否定的な意見も少なくありません。
『Reservation Dogs』の出演で知られる“デヴェリー・ジェイコブス”は「この映画を観るのは本当に地獄のようなものでした。先住民女性の殺害をスクリーン上に映すことによって、私たちに対する暴力が常態化し、私たちがさらに非人間化されると危惧しています」とSNSで投稿していました(IndieWire)。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で描かれる事件は本当に残虐です。実際は数百人を殺しているという可能性も指摘されているのですが、作中ではモリーの家系を中心とした連続殺人が起きている実態が断片的に描写されます。
何よりもモリーが毒でじわじわと弱らされていくという展開は、この上映時間3時間超えの本作にずっと横たわっているものです。「面白くてあっという間に感じました」なんて気楽に言える人はそれでいいですが、当事者にしてみれば自分の先祖が毒物で拷問を受けているところを何時間も目に流し込まれるのは拷問的な体験になり得ます。ショッキングなのは当然です。
白人の反省映画としての大作
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は製作の初期段階で脚本が大幅に書き換わったことが伝えられています。
なんでも“レオナルド・ディカプリオ”のひと言でそうなったらしいですが、当初は捜査するFBIの視点で物語が描かれる予定だったのが(“レオナルド・ディカプリオ”が捜査員役だった)、もっとオセージ族の視点を入れていこうということで再考されたそうです。
もし捜査視点であったなら、この映画はありきたりなホワイト・セイバー(白人救世主)の構図に収まっていただけかもしれません。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)、『ウインド・リバー』(2018年)などと同様の…。まあ、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の場合はこの事件の捜査が後にFBIを創設して絶大な権力を振りかざす“ジョン・エドガー・フーヴァー”の序章になるので、単なる救世主というわけではない皮肉な後味があるのですが…。
とは言え、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のプロットが最終的にどうなったのかと言えば、モリーの視点で彼女を主人公にしたわけではありません。結局はアーネストという絶妙な位置にいる日和見的な加害者の視点で物語が貫かれます。
白人の加害者性を描いているというだけならとくに新しくもありません。白人による先住民への残虐な歴史を描く作品は『The Indian Wars Refought』(1914年)など昔からあり、このオセージ族の事件自体も『Tragedies of the Osage Hills』(1926年)で題材になっています。『小さな巨人』(1970年)など、以降もいくつもその犠牲者としての先住民は描かれてきました。
ドラマ『イエローストーン』もそうですが、白人がメインで、先住民はサイド・ストーリーという図式は何度も観てきました。
つまるところ、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は「白人の加害者性を描く」スタイルの最新版であり、白人の巨匠と白人の大スター俳優たちによる超低姿勢な温情主義で作られた映画と言えるのかもしれません。
最後にラジオドラマが描かれ、エピローグ的に“マーティン・スコセッシ”本人がでてきてその白人の罪を逃れた重さを突きつけるシーンまであるのですから、修正主義西部劇映画としては最大限の謝罪会見を追加したようなものです。
始めと終わりにオセージ族の儀式の姿を入れているのは、文化を大切にしていますよというエクスキューズにはなっています。
ただ…ただやっぱり「2023年のハリウッドはここが限界か…」という釈然としない気持ちが残るのも無理ないです。『Oppenheimer』も同じ問題構造を持っていますが、2023年はこの加害史の描き方が焦点になる賞レース映画が目立ちますね。
ネイティブ・アメリカン当事者制作のインディペンデント映画と言えば、『スモーク・シグナルズ』(1998年)などがすでにあります。先住民が先住民の視点で物語る映画はいつ大作としてでてくるのでしょうか。それが10年後や20年後だというのは遅すぎるでしょう。
最後にオセージ族のライターの“ジョエル・ ロビンソン”が「Slate」に書いた言葉をそのまま載せてこの感想は終わりにしたいと思います。
「これはオセージの歴史の一章にすぎないことを知ってもらうことが重要です。これが最後でないことを願っています」
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 85%
IMDb
8.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『沈黙 サイレンス』
作品ポスター・画像 (C)Apple キラーズオブザフラワームーン キラーズ・オブ・フラワームーン
以上、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の感想でした。
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