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『キューティーズ!』感想(ネタバレ)…Netflix;大炎上した少女映画は際どい問題を突きつける

キューティーズ

大炎上した少女映画は際どい問題を突きつける…Netflix映画『キューティーズ!』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Mignonnes(Cuties)
製作国:フランス(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:マイモウナ・ドゥクレ
性暴力描写

キューティーズ!

きゅーてぃーず
キューティーズ

『キューティーズ!』あらすじ

学校の女子生徒たちが結成した自由奔放なダンスグループに魅了された11才の少女アミ。家ではやんちゃな弟の世話に追われたり、家庭の問題でストレスを溜め込んでいる母を見るの辛くなったり、保守的な宗教のしきたりにうんざりしたりで、居心地は悪かった。過激で際どい衣装でダンスをすることにハマっていく少女たちに流されていき、アミは自由を手にしたように見えたが…。

『キューティーズ!』感想(ネタバレなし)

児童ポルノ!? 大論争を巻き起こした映画

日本ではアニメや漫画のキャラクターを起用したポスターなどの広告が「セクシュアル・オブジェクティフィケーション」として批判を浴び、炎上することがたびたびあります。無論、これはフェミニストの暴走でもなく、オタク文化が集中的に虐められているわけでもなく、日本特有の現象でもありません。世界中でいろいろな媒体で同様の批判は起こっています。

今回紹介するフランス映画『キューティーズ!』は、前述した日本の事例とは比べ物にならないレベルで烈火のごとく猛批判を受けました。

問題になったのは世界配給を手がけることになったNetflixの作成した映画宣伝ポスターです。これが少女を性的にアピールする広告であるとして厳しく非難され、Netflix側はこのポスターを撤回することになりました。どんなポスターなのか、さすがに画像を掲載するのはあれだと思うので、言葉で説明しますが、作中で登場する少女たちが肌の露出度が多い格好でダンスステージでポーズを決めているアートワークになっています。これは作中にあるシーンのイメージそのままです。

批判はポスターにとどまりません。作品自体へのバッシングは凄まじく、「Parents Television Council」といった団体を中心に、Netflixからの作品取り下げを求める署名キャンペーンも展開され、一部の国では政府も関心を寄せる事態に。YouTube上の予告動画は低評価が極端な数でつけられ、本作のIMDbのユーザー評価も一時は「1.3」(10点満点中)というちょっとありえない数値を記録しました(B級サメ映画でもこんな数字にならない)。

作品を評価した人への批判も凄まじいです。テッサ・トンプソンは本作を「beautiful film」と褒めたのですが、そのツイートに対するバッシングが相次ぎました。この背景には、Qアノンの存在もあって、この陰謀論支持者たちはなぜかリベラルな政治家やハリウッドスターはみんな小児性愛者であると主張していて、だからこの作品が格好の餌食になってしまっている面も大きいのですが…。

なお、『キューティーズ!』はサンダンス映画祭で「World Cinema Dramatic Competition」の部門で監督賞を受賞したり、批評家界隈では普通に高評価されています。

Netflixは『キューティーズ!』の作品配信停止は行わず、結局、2020年9月9日にNetflixオリジナル作品として配信されるに至りました。

で、私が実際に鑑賞した結論の感想をひとことで言うならば…すごく良かったです。ただ、この“良かった”はいろいろ注意書きも必要ですけどね。

『キューティーズ!』は確かにこれは炎上して当然だなと思う内容でした。ポスターなんて序の口で映画の中身はもっと強烈です。本作は、11歳の少女たちがダンスにハマり、大会で優勝しようとする物語…ざっくりと言えばそういうこと。しかし、そのダンスが問題で、端的に言えば「卑猥」なんですね。露出度の高い衣装で、体のラインをだしながら、お尻をクネクネと動かし、少女たちが踊る。そのダンスは露骨に性的で、加えて性行為を匂わすジェスチャーも平然とやるわけです。しかも、少女といっても11歳なので児童ですよ。性に緩い日本でもこのパフォーマンスを11歳の児童にテレビとかでやらせたら一発で謝罪モノになるでしょうね。

つまり、ダンス自体は限りなくポルノに近い。決して『Work It 輝けわたし!』みたいな、少女たちが青春を謳歌する学園エンターテインメント!というキラキラしたものではないです。

しかし、当然本作はその「11歳少女が猥褻なダンスを踊ること」を肯定的に描いている作品ではありません。むしろこの11歳の少女たちが直面する現代の問題としての「セクシュアル・オブジェクティフィケーション」を含めた一連のあれこれについて、おぞましさを真正面から描写し、非常に忖度抜きで突きつける、極めてセンセーショナルな社会派映画なのです。

確かに不愉快です。観ていて苦しいです。でもこれに直面しているのは少女たちなのだから、大人がこれと向き合わずしてどうするんだ…そう問い詰められる映画と言えるかもしれません。

私はこのタブーなしで議論を扇動する映画の姿勢は評価したいです。一応、言っておきますけど、うわべだけの中立ぶった目線ではなく、本作はちゃんと少女に寄り添った作りになっています。そこは安心してください。

一方で本作は「児童を性的に扱うことを批判する大人」の側に立った映画ではないわけです。むしろそういう人たちもばつの悪い気持ちになる。社会が見て見ぬふりをしてきたものを露悪的に露出させる挑発的な映画です。だから作品に対して論争が起こるのは当然なんだと思います(あのポスターは論外ですけどね)。

詳細はネタバレになるので後半の感想で書きますけど、本作の徹底して少女目線なスタンスは『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)に似ているなとも思いました。

過激な論争を巻き起こした『キューティーズ!』を生んだ監督は、セネガル出身の親を持つフランス人の“マイモウナ・ドゥクレ”という女性監督で、本作は長編映画デビュー作です。初長編監督作でこのチャレンジは凄いなと驚きですが、今後もどんな作品を創造するのか、動向が気になります。『アトランティックス』のマティ・ディオップ監督とか、『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督とか、『REVENGE リベンジ』のコラリー・ファルジャ監督とか、ここ最近のフランス映画界の女性のパワーは本当に目を見張るものがありますね。

もちろん人を選ぶ映画であることには変わりないですし、人にとっては映画に意義があってもこういう映像は目に入れたくないという方もいるでしょうし、あまり万人にオススメはできません。Netflix上でも「15歳未満の未成年者の視聴は推奨しません」とレーティングされているように、子ども向けでは全くありません。

それでもこの『キューティーズ!』は、既存の男社会映画界に異を唱えるフランスからの一撃であり、そういう意味では釘付けにさせられる映画ではないでしょうか。

『キューティーズ!』は日本ではNetflixオリジナル作品として2020年9月9日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(児童と性の問題に関心があるなら)
友人 △(気まずい空気にはなる)
恋人 △(気持ちのいい映画ではない)
キッズ ✖(子どもは推奨しません)

『キューティーズ!』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『キューティーズ!』感想(ネタバレあり)

少女はダンスに目覚める

アミは11歳の少女。家では元気いっぱいで手が付けられない弟イスマエルに世話を焼かされながら、騒がしい毎日を送っています。そんな2人の子どもを見つめながら、赤ん坊を抱え家事に勤しむ母マリアムは忙しそうです。引っ越したばかりの家を整理中で、「弟と一緒の部屋なんて嫌よ」とアミは訴えます。ひとつだけ使っていない部屋があるのですが、そこはなぜか母いわく「入ってはいけない」そうです。

移民でイスラム教徒であり、パリの貧困地区に暮らすアミの家族。定期的に、宗教の集会に参加せねばならず、多くの女性たちが集まる中、「控えめな服装をせよ」と説教されます。叔母はそこの中心的な存在で、アミに「大きくなったね」と声をかけ、「ママを助けるのよ」と言います。

アミの住むアパートの共同洗濯機の部屋で、音楽のリズムに合わせて体のラインがくっきりでた格好で踊りまくっている少女がいるのを発見します。その普段は見たことはない同年代の少女の姿にアミは衝撃を受けつつ、そっと立ち去ります。

弟を寝かしつけ、自分も寝るアミ。夜中に物音がし、そっと部屋から覗くと、誰も入ってはいけないという部屋を見つめる母の姿がありました。母は無言でベッドに入ります。

新しい学校。そこにはあの洗濯機部屋でノリノリだった女の子がいて、何やら他の3人の女の子と「キューティーズ」というダンスグループを作っているようです。先生にめちゃくちゃ怒られ、「なんて格好なの」と体にピタっとしたタイトなミニスカを基調としたカラフルな服装を注意されていましたが、気に留める様子もありません。

そんな少女たちに憧れを持ったアミは、部屋でTシャツをまくって結んで腹だしファッションになり、ステップを踏んでみたりします。まるで自分も仲間になったつもりで…。

その日、アミはベッドの下に隠れながら、母が電話しているのを聞いてしまいます。なんでも父(夫)がもうひとり妻を迎えたそうで、今は2人はセネガルにいるのだとか。母は叔母に責められ、「みんなに知らせなさい」と言われます。そしてあれほど頼もしかった母はひとり泣いています。アミもまたその悲しみが伝わるようで、涙を流しました。

弟とショッピングセンターに行った際、あの女の子4人がはしゃいでいるのを目撃。後を追うと4人がダンス練習している場所につき、こっそり見ていたのがバレて、石を投げられてしまいます。

ある日、甥で家具運びに来たサムバのスマホをこっそりポケットに入れて盗んだアミ。学校であの女の子4人に問い詰められ、「ダンス大会で優勝するんだ、あんた踊れるの、ダサすぎる」と散々な言われよう。しかし、その女の子のひとりであるアンジェリカ(アンジー)と親しくなり、ダンス場所に連れてきてくれます。アミは撮影係です。

アンジェリカの他にメンバーは、ヤスミンジェス。そのダンスは11歳にしては大人びた挑発的なもので、けれども当人はこのセクシーさがカッコいいと思っているようです。

アミは撮った動画をもとにトイレでダンス練習に一心不乱に頑張ります。自分もああなりたい。アンジェリカとヤスミンが喧嘩したことで、ヤスミンの代わりにグループに加われたアミは、セクシーさに磨きをかけ、過激な遊びも覚えていきます。それは家での窮屈な世界とは全然違いました。

こうしてアミは新しい環境へと一歩を踏み出したかのように見えましたが…。

保守的な女らしさから逃げたくて…

『キューティーズ!』はコントラバーシャルな題材ゆえに、どうしてもビジュアルばかりに目がいきがちですが、物語自体はとても誠実かつ丁寧に作られており、テーマに対する作品のスタンスも冷静です。

本作は、現代の11歳の少女が直面する「女らしさ」を問う物語だと思います。

主人公のアミはムスリム移民であり、非常に保守的な家庭環境で育っています。女は家(男)に帰属するモノに過ぎません。その事実を突きつけるのが、夫が2番目の妻を迎えると知って動揺しながらひとり泣く母の姿を目撃してしまうシーン。自分にとって「強い女」の象徴だった母のあまりの弱々しさ…11歳の少女には辛すぎる現実です。

本作の“マイモウナ・ドゥクレ”監督も同じような家庭で育ったそうで、こういう2人目の妻を迎える経験も幼少期にしているのだとか。

それ以降も、アミは「女の仕事」として料理という労働を教わったり、自分自身にも生理がくるなどの変化があったり、着実に意思とは関係なしに自分が「女」として前に進んでいることに、恐怖めいたものすら感じています。

終盤、あの部屋に真っ白なベールに包まれた2人目の妻の姿を見て逃げだすシーンがありますが、あれなんてちょっとした幽霊にも見えなくもないです。

あれはアミの未来の姿でもあって、アミはそんな宗教や土着文化に縛られた「保守的な女らしさ」から逃避しようとします。

このへんの要素は『少女は自転車にのって』(2012年)なんかに近いものがありますね。

現代的な女らしさの誘惑

しかし、このまま「保守的な女らしさ」からの解放をストレートに描くわけではないのが『キューティーズ!』の論争を発生させる要因でもあって…。

アミはアンジェリカたちダンスグループに憧れ始めます。それはとても性的なダンスでした。こういうお尻を突きだして挑発的に踊るパフォーマンスは「トゥワーキング(Twerking)」って呼ぶらしいですね。

無論、こういうパフォーマンスの文化も理解できますし、それをこの映画自体も否定する意図はないと思いますが、同時に問題視も投げかけているわけです。なぜなら、これはビジネスやインターネットが生み出した一種の「現代的な女らしさ」であり、結局のところ女性を搾取しているという意味では宗教や土着文化に基づく「保守的な女らしさ」とそう変わらないからです。

あのダンス大会を主催しているどこかの組織や審査員は、キューティーズを合格させたということは「11歳の少女が性的なダンスを踊ること」に何の倫理的な疑問を持っていないわけであり、もしかしたら女の子たちに活躍の機会を与えた(=良いことした)くらいにしか考えていないのかもしれません。そのおぞましさ。

あのダンス大会を見物している観客の中には、露骨に嫌悪感を表情に出している人もいる中、ニタニタと楽しそうに眺めている男もいる。そのおぞましさ。

これは趣味だ!芸術だ!表現だ!と安易に肯定できない、自分を性的にアピールすることで充実感を得ていく児童少女たちの危うさを、本作は逃げずに描き切っています。アミがダンスで自己肯定を得るごとに、それ以外の言動も過激さを増し、やがては体でアピールすることでスマホを盗んだ件も対処できると勘違いするようになり、同級生にも暴力を振るう。ヤスミンすらも危うく溺れ殺しそうになる。

「現代的な女らしさ」に縛られたアミはやっぱりどこか壊れていってしまいます。
ただ、本作は安直に正論に飛びつかず、「保守的な女らしさ」と「現代的な女らしさ」を批判して「女は女らしくではなく自分らしく」…以上!…みたいに丸投げしたりもしません。

あくまでアミという少女当事者に寄り添います。「女らしく」じゃなくて「自分らしく」とは言うけれど、じゃあそれはどうやって見つければいいの? 誰も教えてくれないじゃないか!…そんな叫びを代弁するかのように。

そのとおりだと思います。少女たちが性的なパフォーマンスなどに憧れることを卑猥だとか非行だとか断罪するのは容易いですが(それ自体も女性蔑視的なものが含まれますし)、でも居場所がないからこそ世間が囃し立てる「女らしさ」の方がよっぽどラクだと感じて少女たちはそこに向かってしまうわけで…。少女に「現代的な女らしさ」という名目で“歪んだ自立”を与えるのは社会です。

やっぱりこれは社会が少女に「自分らしさ」を発見できる居場所を用意できていますか、と。そう問いただす映画なのかな。

子どもを本当に救えていますか

当然、こうしたテーマを描く意義はわかるにしても、少女に実際にさせている映像を映し出す必要はあったのか…という批判はもっともだと思います。この映画自体がペドフィリアなんかの人にとっての格好の食い物になってしまうじゃないかという懸念もあるでしょう(こういう問題構造は「映画」というもの全般にあるのですが…)。本作は映像化による加害と問題提起の絶妙なラインの上を綱渡りしている一作です。ひとたび扱いを間違えれば少女を性的に扱うことを後押しすることになりかねませんしね(あのポスター炎上騒動はまさにその失敗例)。

ただ、私はやっぱり映像で見せられるからこそのメッセージの威力もあると思いますし、その効果を信じたいので、本作を全否定できないかなと感じています。もしかしたら小児性愛者だったり、こういう少女を性的に売るビジネスをしている関係者が、本作を観て自己批判に目覚めるかも…なんていうのは楽観的ですが、少なくとも本作を見て気持ちよくなんてとてもなれないと思います。

私事ですが、最近私は「児童ポルノ」や「児童性被害」に関する論文や専門書を読み漁って少し勉強しているのですけど、それでわかったのは私がこの問題を“わかったような気でいた”けど実際は何もわかっていなかったということ。思っているより何十倍も複雑で込み入った問題でした。

こういう「児童と性」の問題は議論すること自体がタブー視されがちです。もちろんこの議論というのは、「児童を性的に扱う(搾取する)のは良いか、悪いか」という議論ではないですよ(それは当然悪いです)。そうではなく「児童を性的に扱うのは悪いんだから、もうこれ以上語ることはないよね」とその先の議論をなかったことにすることが多いという話。でもむしろその先の方が大事なわけです。「児童を性的に扱うのはダメだ」というのは正論なのですが、でもその正論では肝心の当事者である少女たちは全く救えない。なぜ子どもたちは性表象に引き寄せられてしまうのか考えないといけないのに、「凶悪異常犯罪者がいるからだ!」という安直な答えで満足しがち。子どもの置かれた環境や社会の歪みに目を向けません。だから社会的なサポートは極めて乏しいです。

本作は『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』に似ています。あちらも児童目線の物語ですが、貧困の中で社会的なサポートが機能せず全く救いのない世界で生きる子どもが描かれます。そしてラストは現実には居場所がないことを痛烈に突きつける、非常にリアルから浮いたエンディングを迎えます。

本作も同じで、あの終盤のダンス大会はアミがずっと目を背けてきた現実社会を直視させます。あの会場が社会の縮図になっています。ダンスを嫌悪感で見つめる目、搾取的に見つめる目、商業的に見つめる目…。そこには本当の意味でアミに寄り添った目線を持つ人はいません。だから逃げだす。でも厳しい現実からは逃げる避難場所はない。外も家も…。縄跳びしながらスーっと浮いていくような映画の幕引きは。痛々しい当事者たる子どもの在り様そのものなのかなと思います。

子役の演技が自然体だからこそ心乱される

あとはテーマを一旦脇に置いて『キューティーズ!』で語りたいのは、子役たちの自然体な演技の上手さですかね。子役を扱うのが上手い監督は優秀といいますが、“マイモウナ・ドゥクレ”監督はきっと凄腕です。

あの少女たちのナチュラルな危なっかしさは見ていて本当にハラハラします。髪をアイロンかけたりは初手で、コンドームを触ってしまい「エイズだ!」と騒いだ後、舌を石鹸で洗うくだりとか、バカバカしい怖さがなんとも…。

物語の息抜きになっているアミの弟も良かったです。いとも簡単に餌付けされているチョロさ。あの弟だけがジェンダーに縛られていない感じで救いがあるんですよね。

『キューティーズ!』は観ていて他人事ではいられなかったと思います。日本でも未成年のアイドルを水着姿で踊らせるのが当たり前に行われ、そんなアイドルに憧れる少女たちが生まれています。ネットにアクセスすれば、容易に性的なアピールを肯定するコンテンツにたどり着けます。構造は同じ。

少女たちが社会に踊らされない世界になるように大人は努力しないといけませんね。

『キューティーズ!』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 3%
IMDb
1.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

関連作品紹介

フランスの女性監督の作品の感想記事の一覧です。

・『アトランティックス』

・『REVENGE リベンジ』

作品ポスター・画像 (C)Bien ou Bien Productions

以上、『キューティーズ!』の感想でした。

Cuties (2020) [Japanese Review] 『キューティーズ!』考察・評価レビュー