小さき者たちに私たちができること…映画『マルセル 靴をはいた小さな貝』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2023年6月30日
監督:ディーン・フライシャー・キャンプ
マルセル 靴をはいた小さな貝
まるせる くつをはいたちいさなかい
『マルセル 靴をはいた小さな貝』あらすじ
『マルセル 靴をはいた小さな貝』感想(ネタバレなし)
貝は2020年代にここまで進化した
貝は海などの水の中にいるもの。そういう印象がありますが、陸にもカタツムリのような貝を持った生き物がいます。
カタツムリなどの生物群を「腹足類」と分類学的には呼ぶのですが、約5億4200万年前から約4億8830万年前のカンブリア紀の岩石から腹足類の化石は発見されており、最古の軟体動物だと言われています。当時の腹足類は海洋に住んでいました。そして約3億5000万年前、陸上に植物が存在していた頃、この腹足類はついに陸に進出しました(Facts About Snails)。
この陸デビューの際に役に立ったのが貝殻です。乾燥に耐えるのに好都合で、緊急避難先にもなりました。貝殻があったからこそ陸を闊歩できたのです。まあ、勢い余ってその貝殻さえ捨て去ってしまったナメクジというやつもいましたが…。
そして腹足類の地球誕生から5億年以上が経過した2020年代、やつらは靴を履いて人家をテクテクと歩き回れるようになるまでに発達しました。
え? 靴です。スニーカーみたいなお手頃な靴。あと喋ります。
そんな現代の腹足類に迫るネイチャードキュメンタリー、それが本作『マルセル 靴をはいた小さな貝』です。
ちょっと嘘をつきました。ネイチャードキュメンタリーではないです。靴を履いた貝の物語であることは確かですけど…。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』は実写とアニメーションを融合した映画で、その組み合わせ自体は別に珍しくもありません。
主人公は体長2.5cmくらいの貝で、目がひとつあり、靴を履いていて、お喋りが好きです。そんな小さな貝が普通の人間の家でひっそりと暮らしており、本作はその日常を映し出しています。
こういう私たちの社会の中にある“私たちが普段認知していない”ミニマムな世界観を描く作品というのも、これまでいろいろありました。最近だと『オリー』や『ぐでたま ~母をたずねてどんくらい~』など、実写の中にアニメーション・キャラクターを混ぜ合わせるのが定番。
なので『マルセル 靴をはいた小さな貝』もその点では突出して新鮮な世界ではないのですが、本作はなぜか妙に独特の味わいがあって、不思議な癖にハマると抜け出せません。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』はこの家で暮らしている小さな貝を、ひとりの人間(本作の監督である“ディーン・フライシャー・キャンプ”)がドキュメンタリーとして撮影して取材しているという体裁になっており(つまりモキュメンタリー形式)、それがまたシュールで面白いんですね。
だから『借りぐらしのアリエッティ』的な“小さな存在”の生活感がしっかり実在感を持って映し出されつつ、それが秘匿にされているわけでもない、清々しい解放感と共に描かれているわけです。
アニメーションはストップモーションだそうですが、一挙手一投足の細かい動きも小物のデティールと合わせて非常によくできており、個人的には「マルセルごっこ」ができる「シルバニアファミリー」みたいなグッズセットが欲しい…。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』はインディペンデント映画ながら、その独創性が高く評価され、アカデミー賞でも長編アニメーション賞にノミネート。アニー賞では長編インディペンデント作品賞・長編作品声優賞・長編作品脚本賞を受賞。配給の「A24」はアニメーションの目利きもいいですね。
本作の“ディーン・フライシャー・キャンプ”監督は『マルセル 靴をはいた小さな貝』で一気に知名度を上げ、次はディズニーの『リロ&スティッチ』の実写リメイク映画の監督に起用されたということで、今後もあちこちで声がかかるのでしょう。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』に心を射抜かれる人はきっといるはずです。私は映画開始の冒頭2分くらいでもうメロメロでしたけどね。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :大人でも癒される |
友人 | :趣味が合う人と |
恋人 | :ホっとする物語を |
キッズ | :子どもでも安心 |
『マルセル 靴をはいた小さな貝』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):小さな世界を取材
これといって特段の違和感もない、ごく普通の家。静かなこの家ですが、そこにテニスボール1個が床を転がり、階段を落ちていきます。それはまるで意思があるかのように、リビングをコツンコツンぶつかりながら進んでいきます。
そしてボールの一部がパカっと割れて、中からでてきたのは靴を履いた小さな貝のマルセルです。大きな目をパチクリさせながら、マルセルはいつものように歩いていきます。
カーテンを開け、外へ行って、器用にロープを使って庭先の木になる果実を落としたり、マルセルにとっては普段よくやっている日常です。紐と靴でロープウェイのように移動したかと思えば、スプーンを使って実を飛ばしたり、蜂蜜で足をくっつけて壁を歩いて壁の奥にある秘密部屋に行ったり、行動は自由気まま。
マルセルは知らなかったようですが、この家はAirbnbで貸し出されており、たまたまドキュメンタリー作家のディーン・フライシャー・キャンプが愛犬のアーサーと一緒に泊まりに来ました。ディーンはこのマルセルの生活に興味を持ち、カメラを回して密着取材することにしました。
質問にたどたどしく答えるマルセルですが、お喋りな生活なためか、取材には好意的です。
マルセルは祖母のコニーと暮らしており、この広い家は今はこのマルセルとコニーの独占状態。そのへんをぶらついていたコニーに「何してるのですか?」と聞かれ、「ドキュメンタリーです」と答えるディーン。実は同じ質問を前に受けました。コニーは少々認知症の傾向があるようです。
コニーは庭先の植木鉢で農場をしており、本で学んでいる様子。しょっちゅう窓に激突するハチや、うねうねするミミズ、アリなどを眺めながら、マルセルも大好きな祖母と戯れています。
マルセルによれば、この家にはマークとラリッサという人間の男女カップルが住んでいたそうですが、ある夜、言い争いになっている感じになり、マークが立ち去ってしまい、その際、マルセルの家族のほとんども荷物と一緒とどこかに連れて行かれてしまったようです。
昔は小さな家族がたくさんいました。丸ガラスを反転させると家族の絵が彫られており、以前の賑やかさを思い出すことができます。
ディーンはそんなマルセルの姿をYouTubeにアップしていましたが、マルセルの動画はいつのまに人気となり、話題を集めていました。テレビでも紹介され、タトゥーを入れる人まで出現。
マルセルもインターネットというものがあると知って、「家族の探し方」とネットで検索。さらにライブストリーミングで家族探しの協力を呼びかけてみることにします。家の画像をアップして、家族の絵も追加して、おそらくマルセルの家族といるであろうマークと車の写真も…。
この動画もネット上で話題になりましたが、話題性ありきで家の前で記念撮影する人たちばかりで全く役に立ちません。再生数もコメント数もたくさんですが、これでは意味なし。
そこでマルセルは思いつきます。こっちから車で探しに出てみるのはどうか、と。マルセルは張り切ってマッチ棒などを背負って準備し、ディーンの運転する車に同乗しますが、窓から見える世界は想像を超えて広かったことに途方に暮れてしまい……。
たまらなく可愛い
ここから『マルセル 靴をはいた小さな貝』のネタバレありの感想本文です。
私は「ピクミン」や「ちびロボ!」みたいな人間の世界でちょこまかと動き回る小さな存在を映す作品が大好きなのですが、『マルセル 靴をはいた小さな貝』が私の好みにクリティカルヒットしないわけがなかった…。
最初は冒頭数分で「これは私へのご褒美のために作られた動画なんだ」と気持ち悪い思い込みで身悶えする、そんな心境でした。たまらなく可愛い、これに尽きます。
これほどのミニマムな魅力的な世界を構築できた時点で、この映画は大成功ですよ。
マルセルに関する「そもそもこいつらは一体なんなんだ」という説明はありません。そんなのはどうでもいいのです。妖精みたいな存在か、はたまた物体が意思を持って動きだしたのか…。とりあえず可愛ければそれでいいじゃないですか。
食パンに挟まれて寝ている、上手に日光を集中させてポップコーンを作って食べている、初めて車に乗ったら何度も嘔吐してそのたびに謝る…。全部が可愛さで納得できます。
まあ、これがクモだったり、ゴキブリだったりしたら、現実では悲鳴をあげる人が続出するのですけど、そこは映画の魔法です。このマルセルは愛くるしさを刺激するデフォルメでデザインされているのが幸いです。作中ででてくるクモも可愛かったですけどね。
マルセルの場合は、ところどころの本人が呟くセリフもまたキュートです。アドリブで撮っている部分もあるらしいですが、インディペンデント映画としてこのクオリティを維持して制作を続けるのは大変だったろうな、と。完全に趣味の推進力がないと無理なやつですよ。
それも合わせて演出がやはりワンシーンワンシーンで素晴らしいのが良くて、テニスボールでゴロゴロする冒頭から「なんだ?」と思わせる導入も上手くて、それが終盤では家族そろっての大量ゴロゴロになるというオチもあったり、“ディーン・フライシャー・キャンプ”監督のセンスの賜物でした。
失恋&夫婦解消のセラピー
その“ディーン・フライシャー・キャンプ”監督ですが、この『マルセル 靴をはいた小さな貝』でマルセルに声をあてているのは俳優の“ジェニー・スレイト”で、“ディーン・フライシャー・キャンプ”監督とは夫婦関係にありました。”ありました”と過去形で語っているのはもう別れたからで、本作製作の段階では関係は解消しています。でも一緒にこの映画は作っています。
それを踏まえると、あのマルセル家族離散のきっかけとなる人間カップルの喧嘩、そして作中のディーンのこの家に来た経緯と繋がります。
つまり、これはある種の「失恋や夫婦解消におけるセラピー」みたいな機能を果たしていて、とくに男性がその経験をどう処理するのかという問題です。
近年はドラマ『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』といい、夫婦仲が雲散霧消して独りとなった男性がどうやってそのポッカリ空いた心を“有害な固定観念”に傾くことなく自分の中で消化するのか…そういう観点をテーマにする作品が増えた気がします。
“ディーン・フライシャー・キャンプ”監督はマルセルという小さな貝を取材するという過程で、その心の動揺と向き合っているとも解釈でき、男性が小さな存在でメンタルケアしていく話でもあります。言い換えれば“男らしくない”方法で…ということです。
マルセルの日常動画をアップしていくあたりも、実際の監督の初期キャリアと同じなので、本作はモキュメンタリー形式であるだけでなく、メタ的な自己言及で一貫しています。
これは『マーウェン』と似たような構成アプローチではあるのですが、『マルセル 靴をはいた小さな貝』は上手くジェンダー表象と距離をとっているぶん、本作のほうが鑑賞時のストレスが極めて抑えられているのではないかと思います。
認知していなかった”困っている者たち”
『マルセル 靴をはいた小さな貝』の全体の物語としてはシンプルで「家族離散」からの「家族再会」というベタな結末でもあります。これは現実世界で言うところの「難民」のストーリーに一致します。
本作はその家族離散に遭ってしまったマルセルについて、家族の大切な歴史やそれでも健気に暮らす生活実態が克明に映し出されるので、余計に難民っぽく見えてきます。
それが最小スケールで私たちの世界で発生していて、全然認知できていなかった…という事実もまた、現実の難民問題へとちょっとした皮肉にも思えたり…。私たちの何気なくやってしまった出来事が、予想外のところで巨大なインパクトとして他者の家族を脅かしてしまうというのは、この世界で起きている紛れもないあれこれ(地球環境問題とか紛争とか)と同一の構造ですから。
また、マルセルの家族探しにおいて、動画アップによるイマドキのバズリではあまり効果をあげないという展開も、昨今の煩雑なデジタル文化へのチクチクとした風刺でしょうか。
結局、CBSの『60 Minutes』の看板ジャーナリストである“レスリー・スタール”の番組の取材で、家族は見つかります。本当に「困っている者たち」を助けられるのは、「インフルエンサーみたいな目立つことを優先する人間」ではなく、「純粋に支援に身を捧げられる人間」であるということ。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』はそんな献身さを優しく教えてくれる教養に溢れた物語でもありました。
あなたの身の回りにもマルセルみたいに、密かに困った境遇に陥っている者たちがいるのではないでしょうか。その姿は見えていますか。声は聞こえていますか。目を凝らして探してみてください。もし認識できるようになったら、きっとあなたの世界は広がっていくはず…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 90%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 Marcel the Movie LLC. All Rights Reserved. マルセル・ザ・シェル・ウィズ・シューズ・オン マーセル
以上、『マルセル 靴をはいた小さな貝』の感想でした。
Marcel the Shell with Shoes On (2021) [Japanese Review] 『マルセル 靴をはいた小さな貝』考察・評価レビュー