忘れていませんか?…映画『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年に配信スルー
監督:ジーン・スタプニツキー
性描写 恋愛描写
マディのおしごと 恋の手ほどき始めます
までぃのおしごと こいのてほどきはじめます
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』あらすじ
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』感想(ネタバレなし)
ヘリコプターみたいな親はお帰りください
「ヘリコプターペアレント(helicopter parent)」という言葉があるそうで、直訳すると「ヘリコプターの親」で、何の意味なのかさっぱりですが、これは「まるでヘリコプターのように自分の子どもの頭上をホバリングし、子どもの生活のあらゆる側面を絶えず監視する過剰な干渉が目立つ親」を指します。
1980年代に英語圏で普及し出した用語らしいですが、ヘリコプターペアレントと呼ばれる親たちは子どもが大学に行くような年齢になっても干渉をやめず、大学などにまで口出しをするようになります。日本だとこれに類似する用語としては「モンスターペアレント」がありますね。
ヘリコプターペアレントと呼ばれる親たちの言い分としては、これはあくまで「その子のため」であり、とくに学業や生活を心配してのことなのですが、これではその子の主体性は損なわれるばかりです。
ドキュメンタリー『バーシティ・ブルース作戦 裏口入学スキャンダル』で、親側が不正な行為をしてまで自分の子どもを名門大学に入れようと画策した事件が扱われていましたが、あそこまではいかなくても行動が過剰に先走る親というのはどこにでもいるものなのかもしれません。
今回紹介する映画もそんなヘリコプターペアレントが背景にいる物語です。
それが本作『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』。
本作は、とある親が「自分のもうすぐ大学生になる息子とデートをしてほしい」と求人をだし、それに飛びついたひとりの女性を主人公にした作品です。要するに、その子とデートして、初恋人、さらには初の性的経験を与えてほしい…というもの。お見合いとかではなく、もっとカジュアルなお願いですが、それにしたってかなり干渉の度が過ぎる親心です。
『ブロッカーズ』みたいに親が子どもが迂闊に性的な行為をしないように干渉する物語はこれまでもありましたが(それもヘリコプターペアレント的ですけど)、こうやってその逆パターンというスタイルは案外と少ないかもしれません(子ども自身が性的経験をしたくて自発的にあれこれするコメディは腐るほどありましたけどね)。
映画の体裁としてはいわゆる「セックス・コメディ」なので、この手のジャンルらしいふざけまくりなノリがたっぷりあります。一方で、しっかり現代的な視点でも作られているので、当然ただのお色気では終わりませんし、ちゃんと落ち着いたオチはつきます。
原題は「No Hard Feelings」です。邦題はいかにもありがちなつまらなさそうなタイトルになってますが…。
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』を監督するのは、小学6年生の男の子たちがキスのしかたがわからずにパニクっている様子をユーモラスに描いた『グッド・ボーイズ』を手がけた“ジーン・スタプニツキー”です。
主演して製作にも関与するのは、あの“ジェニファー・ローレンス”。『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー主演女優賞を受賞し、賞レース常連街道を突っ走る若手として確立。近年も『その道の向こうに』で変わらぬ名演を見せていました。
最近は『ドント・ルック・アップ』のようなコメディにも顔をだしていましたが、今回の『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』は“ジェニファー・ローレンス”がやりたい放題にやりまくっており、「どうした? おい!?」ってくらいの羽目を外しています。たぶん本人もセックス・シンボル的に扱われがちだった自分のパブリック・イメージをここで完全粉砕したかったんじゃないかな…。そう思いたくなるほどに今作の“ジェニファー・ローレンス”、暴れてます。
そんなかつてない勇ましさを見せる“ジェニファー・ローレンス”を対峙するのは、『ハイスクール・ミュージカル:ザ・ミュージカル』にもゲスト出演していた“アンドリュー・バース・フェルドマン”。
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』は日本では劇場未公開で、配信スルーになってしまったのですが、気になる人はどうぞ。
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :気になるなら |
友人 | :俳優ファン同士で |
恋人 | :気に入りそうなら |
キッズ | :ヌード描写あり |
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):デートの求人です
32歳のマディ・バーカーの愛車は今まさにレッカーされるところでした。自宅の前まで大慌てで飛び出して抗議するマディですが、母親から相続した家の固定資産税を滞納している事実に変わりはなく、車が差し押さえられるのを止めることはできません。
しかし、マディはUberの運転手であり、これは商売道具でもあります。バーテンダーとしても必死に働き、必死に稼いでいる最中。最後の悪あがきをしてみせますが、家からパンツ1枚ででてきた男にうんざりされつつ、車は行ってしまいました。
ローラーシューズで町まで向かい、途中で自分の車を発見。隙をみて、車を取り返そうと奮闘します。それでもしっかり固定されているのでアクセル全開でも後退はできず、万策尽きました。
このままでは家まで失うかもしれない。そう考えたマディは少しでカネを稼ぐべく手を考えます。
すると友人からこれはどうかとスマホを見せられます。それは求人サイトの1ページ。
そこには「19歳の息子とこの夏にデートをしてください。息子はステキで賢い若者ですが、少々内気です。ガールフレンドは今までひとりもいません。魅力的で親切で聡明な女性を探しています。対象は20代中頃ぐらい。秋に大学に行くまでに殻を破らせてください」と書かれています。
しかも、報酬として自動車のビュイック・リーガルを与えるとまで明記。これはジョークだろうかと疑いますが、ヘリコプターペアレントみたいな親は世の中にいると言われ、納得。今すぐにでも車が欲しいマディにとっては渡りに船です。
意を決してあの求人の依頼主のもとへ。かなりの高級邸宅です。そして車もありました。これが私のものになる…。
そう妄想していると、依頼主のあの親2人が迎えてくれます。セックスワーカーみたいに思われているので「私は違います」とセックスワーカーに配慮しつつ丁寧に答えるマディ。年齢を聞かれて一瞬誤魔化そうとするも結局は32歳だと打ち明け、なんとか説得。
「友達も全然いないし、飲んだりもしない」というその息子パーシーがこのまま大学に行くことに随分と気を揉んでいる様子のこの親たち。
「彼はゲイじゃないんですよね?」「ネットの履歴を見た限りではね」と確認しつつ、マディは承諾します。
でもこの依頼の件は本人は知らないそうです。
このやや強引なデート計画は上手くいくのか…。
全裸で外で暴れると危ないです
ここから『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』のネタバレありの感想本文です。
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』、とりあえず“ジェニファー・ローレンス”にはお疲れ様でしたと言ってあげたくなる鑑賞後の所感。
あの浜辺での全裸バックドロップは、本人が演じているそうです。本人いわく楽しんで演じたらしいですが、周囲の製作チームは「本当にやるのか?」と心配していたらしい…。まあ、そうですよね。なんかもうヤケクソな感じになってましたから。女優がヌードをみせることを「体を張った」と表現はあまりしたくないですが、これは体を張ってたと言いたくなる…。
野外で裸でアクションするのは怪我につながりやすいので、良い子の皆さんはマネしないでくださいね。
それはさておき、『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』本編のメイン・ストーリー。今作は19歳の若者男性のために32歳の女性がデートを仕掛けるというのが基本軸です。
別に性的な行為を体験させるならそれこそセックスワーカーに頼めばいいですし、性的なものを介在させないならアニメ化もされた『彼女、お借りします』みたいな「レンタル彼女」といったサービスも絶対にどこかにはあるでしょう。
ただ、厄介なのはこの両親は当人には気づかれずに自然にデートに持っていくようなシチュエーションを望んでおり、言うなればこの両親の過干渉が状況をややこしくしています。
本作への真っ先に向けられた批判として、この「19歳の若者男性のために32歳の女性がデートを仕掛ける」という構図はこの性別を逆転させたら成り立たないだろうという指摘があります。
これはつまり、じゅうぶんに成人した男性が雇われて19歳の女性にデートを仕掛けて誘惑することは、明らかに性的なグルーミングと認識されやすいということ。逆に言えば、男性を性被害者として位置づける認識が社会には欠けがちで、そこをあまりにも気にしていないのではないかということです。
日本も「ジャニーズ問題」が取りざたされたばかりの時期なので、確かに思うことはありますね。世間には「若い男の子を性的にからかう」という行為を「可愛げのあること」とみなす人は一部でいますから…(無論それは性的加害行為です)。
もちろん本作は最終的な物語展開ではこの「本人に同意なく無断でデートを仕掛ける」という行為自体をしっかり反省することになるので、性別に関係なく、この映画はこの行為を肯定しません。ヘリコプターペアレント的だったあの両親は少しは自省したのか、最後は大学に向けて家を出ていく息子に手は出しませんでした(すごく不安全開だったけど)。
ということで本作は一応は倫理観を保持し、上手く着地したと言えるかもしれません。
性的指向はそんな雑に片付けられない
いや、倫理観を保持し、上手く着地した…のでしょうか?
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』を見ていてずっとモヤっとさせられるのが、ことさら性的指向の観点です。
本作はマディがあの両親から説明を受ける際に「ゲイではないか」と確認をとっており、パーシーが同性愛者ゆえに女性と性的関係を持たないのだという可能性を考慮しています。まあ、そのシーンでもポルノありきで性的指向をジャッジするなど、明らかにセクシュアリティに関するリテラシーが雑すぎるのですが、そこは置いておきましょうか…。『ビッグマウス』だったら黙ってないですよ…。
問題は「同性愛者じゃないんだね。じゃあOKだね」ということで安易に片付けられていることです。
他にも懸念すべき性的指向はあるだろうに…。アセクシュアルなんてなおさら…。
言っておきますが、パーシーがアセクシュアルであると断言したいわけではありません。論点となるのは、アセクシュアル・スペクトラムの存在が一切考慮されないという脚本上の問題で、これは典型的なアセクシュアル・イレイジャーです。
もしそれが考慮されるなら、おそらくこの映画はそんなに単純な展開にできなかったはずです。というよりは序盤で早々に「個人の性的なトピックへの向き合い方に干渉するのがいかに問題なのか」ということに気づけたはずで…。
『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』は『40歳の童貞男』みたいなプロットと共通の構造的欠落を抱えており、恋愛伴侶規範が土台にありすぎます。『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』はまた「恋人ができる」とか「性的関係を持つ」ということに着地していないだけマシなのですが、やはりまだまだ不十分でしょう。
性的指向というのはどの性別に惹かれるかという軸だけでなく、どんなふうに惹かれるのかという軸だってあるのです。例えば、すぐに性的関係を持たずに信頼関係を築いてから性的関係を考える人だっているし…。
本来であれば、今作の出来事においては『セックス・エデュケーション』にでてくるセックス・セラピストがここ一番で活躍するんですけどね。
“ジーン・スタプニツキー”監督の前作である『グッド・ボーイズ』では、プレティーンの子どもの目線を通して大人を批評するという構図がありましたが、この『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』ではマディとパーシーという一見すると正反対の両者が共通点を見い出し交流するというほんわりした構図で終わってしまい、そんなに「性」に対する批評性がありませんでした。
昨今の「性」に鋭く切り込む作品が連発している時代、少し物足りないアプローチだったかなと思います。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 71% Audience 87%
IMDb
6.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
ジェニファー・ローレンス出演の映画の感想記事です。
・『ドント・ルック・アップ』
作品ポスター・画像 (C)2023 Columbia Pictures Industries, Inc ノー・ハード・フィーリングス ノーハードフィーリングス
以上、『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』の感想でした。
No Hard Feelings (2023) [Japanese Review] 『マディのおしごと 恋の手ほどき始めます』考察・評価レビュー