ケニアのレズビアン・ロマンス…映画『ラフィキ ふたりの夢』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ケニア・南アフリカ(2018年)
日本公開日:2019年11月9日
監督:ワヌリ・カヒウ
LGBTQ差別描写 恋愛描写
ラフィキ ふたりの夢
らふぃき ふたりのゆめ
『ラフィキ ふたりの夢』あらすじ
『ラフィキ ふたりの夢』感想(ネタバレなし)
ケニアのレズビアンを映画で可視化する
4月26日は「レズビアン可視化の日(Lesbian visibility day)」です。何かと不可視化されやすいレズビアンという性的指向・恋愛的指向に対して、この日は特別に注目を高めようとするためのものです。
このサイト「シネマンドレイク」でも、「レズビアン可視化の日」に合わせて、レズビアンを主題にした作品をピックアップしようと思います(他の日でもレズビアンを題材にした作品の感想を書いているんですけどね)。
ということで今回取り上げる作品は、本作『ラフィキ ふたりの夢』です。
私の中でも好きなレズビアン・ロマンス映画の上位に入る一作ですが、公開規模の少なさからあまり認知は低い作品だと思います。
『ラフィキ ふたりの夢』は2018年のケニアの映画であり、アフリカ・ケニアで暮らす同性愛者の若い女性2人の恋模様を描いています。
まずケニアの同性愛事情について少し整理をしておこうと思います。
アフリカの真ん中の東あたりに位置するケニアという国は、首都ナイロビには国際連合環境計画の本部があるくらい、政治・経済の中心地であり、200万人以上が訪れる観光地にもなっています。
で、同性愛についてですが、そもそもアフリカは全部の国が同性愛を禁止しているイメージを持っている人も少なくないと思いますが、それは間違いです。ひとくちにアフリカといっても国ごとに状況は全然異なります。例えば、南アフリカは同性同士の性行為も結婚も合法ですし、差別を禁止する法律もあります。また、同性同士の性行為は合法だけど、同性同士の結婚は法的に認められていない国もたくさんあります。
そしてケニアはどうなのかというと、同性同士の性行為も結婚も違法となっており、同性同士の性行為に関しては14年以下の懲役刑となります(法律の規定があるのはあくまで男性だけですが、首相は女性にも同じく適用されると主張しています)。かなり厳しい現状です。その背景には影響力の高い宗教の存在もありますし(ケニアの人々の約80%はキリスト教)、大多数の国民も同性愛に否定的という調査結果もでています。宗教指導者が先導して同性愛者を襲撃するという事件を引き起こしたこともあり、差別や暴力は深刻ですが、ケニアのウフル・ケニヤッタ大統領は「LGBTQは人権ではなく社会や文化の問題である」と言い張っています(日本政府と同じような言い回しですね…)。
そのケニアで同性愛当事者はただ黙って耐えているだけなのかというとそういうわけでもなく、世論や法律を変えるべく活動しています。「GALCK」のような当事者団体もあり、連帯をしているのです。
そうした背景のあるケニアで、本作『ラフィキ ふたりの夢』は異色の存在でした。別に映画で同性愛を描くことは違法ではないはずなのですが、それでも上映を禁止するという検閲的処置を実行し、本作はケニア国内で上映できなくなります。しかし、反対の声が国内外で沸き上がり、結果、一時的に上映できることになりました。
この映画を取り巻く出来事そのものがこの『ラフィキ ふたりの夢』の物語を補強するような感じですね。
こんなアウェイな状況にある映画をどうやって作ったんだろう?と思うところですけど、多数の海外出資者の支援と南アフリカの製作会社「Big World Cinema」を筆頭とする6社のプロデューサーの参加という、かなり複雑な製作体制に支えられていたようです。スタッフ全員がケニア人で、女性も多く参加したということで、相当に異例な環境がこのクリエイティブを後押ししたことがわかります。
監督は“ワヌリ・カヒウ”という人で、『ラフィキ ふたりの夢』は長編劇映画2作目。2009年にはノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイの生涯を追ったドキュメンタリー『For Our Land』を作り、2017年には、初監督長編映画『From A Whisper』を手がけ、1998年にナイロビとダル・エス・サラームで起きたアメリカ大使館爆破事件に基づく物語を巧みに描ききっていました。
私たち日本人の多くはケニア自体の内情さえもよく知らないでしょうし、ましてやその地で生きる同性愛者のことなんて余計に見えてきません。『ラフィキ ふたりの夢』はそれを垣間見るひとつの窓になるでしょう。また、ロマンチックな俳優の共演とフレッシュな演出もたっぷりで、アフリカ映画の印象をポジティブにアップデートしてくれると思います。
なお、差別的な言葉を投げかけられるシーンや、直接的な暴力をともなうシーンが、作中ではいくつかあります。その点はご注意ください。
『ラフィキ ふたりの夢』は配信で簡単に観られるのでぜひどうぞ。
オススメ度のチェック
ひとり | :隠れた良作 |
友人 | :関心ある者同士で |
恋人 | :ロマンチックな描写も多め |
キッズ | :差別を知るためにも |
『ラフィキ ふたりの夢』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):リアルになれるだろうか
ケニアのナイロビで暮らす若いケナは、男友達と一緒につるむことが多く、今日もブラックスタとその友達の男と一緒にアティムの店でのんびりとカード遊びをして暇を潰します。そんなとき、仲間のひとりが通りかかった男に対して差別的な言葉で揶揄います。
「男同士でセックスするなんて神が黙っていると思うか?」
ケナは仕事があるからとその場を去ります。ふと近くにいたある女子のひとりが目に入りますが、視界に入れるだけしかできません。
ケナの父であるジョン・ムワウラに政治に出馬することになっており、選挙のためのポスターがあちこちの壁に貼っています。普段の父は雑貨屋を経営しており、ケナも手伝っています。
その日、父はケナに「ママはどうだ?」と聞いてきて、ケナも「普通だよ」と答えます。父は母と離婚しており、今はケナは母と暮らしています。
それが終わり、近所のお節介なアティムから「父の結婚相手の人が妊娠した」と聞かされます。父のあの表情の真意はそこにあったのか…。察しがつくケナ。
帰宅し、浮かない顔のケナに母は「どうかした?」と心配しますが、父のことを聞かれるもケナは何も言えません。「きっと選挙活動で忙しいのね」と母はその場は納得した様子を見せますが…。
翌日、居ても立っても居られないケナは父を問い詰めます。「隠してたの?」…父は「お前に弟が生まれる。紹介したい」と言葉少なげに言いますが、ケナは感情を抑えられずにその場を立ち去ります。礼拝のとき、母は元夫の妻が妊娠している姿を見て事情を把握。説明したがらない元夫に厳しい口調で感情をぶつけ、母は急いで帰宅し、落ち込みます。ケナには何もできません。
一方でケナにも他者に公にできない秘密がありました。父の対立候補であるオケミの娘であるジキのことがなんとなく気になり、いつも目で追いかけてしまいます。でも立場上、簡単に話しかけることもできません。
ある日、そのジキと仲間の3人にポスターを剥がされているのを見て追いかけるケナ。ジキと一瞬だけ見つめ合い、何かを共有したような感じがします。
そして別の時間、ジキが近づいてきて「出かけないか」と誘われます。とりあえずアティムの店でソーダを注文するも、ゴシップが大好きな店主のアティムの嫌味な言葉に席を立ち、屋上へ。2人で景色を眺めます。
ケナは試験の結果待ちで、看護学校に行くつもりでした。「なんで看護師なの? なんにでもなれるのに」とジキは言います。ジキは旅に出たいそうで、ずっと家でケニア人のありきたりな生活をするのは嫌だとのこと。「私たちは本物になろう」…そう2人は言葉を交わします。
ケナは男たちとサッカーをしていると、ジキも一緒に入りたいと言ってきます。しかし、突然の雨でみんな散り散りに退散。車に避難したケナとジキはまたも見つめ合い、たまらずケナは出ていきます。
こうして2人はよく出かけるようになり、一緒の時間を過ごし、人知れずにキスをするまでに…。ケナとジキの愛は深まっていきます。
ところがその2人の気持ちを踏みにじる出来事が起きてしまい…。
クリエイティブな表現で愛を確かめ合う
『ラフィキ ふたりの夢』、同性愛の要素はさておき、全体的な演出がとてもフレッシュで良かったです。どう考えてもハリウッドが作りたがるアフリカ映画のそれとは全然違いましたね。
まず音楽の使い方が素晴らしくて、冒頭の“Muthoni Drummer Queen”の「Suzi Noma」という曲が流れるオープニングがクールですし、随所随所で駆使される曲もストーリーを盛り上げます。個人的には“Njoki Karu”の「Nita」や「Stay」(エンディングクレジット)も良かったです。現代アフリカ音楽をもっと知りたいと思わせられます。
俳優陣も実はアーティスト系の人が揃っており、映画自体がそういうスタイルです。
主人公のケナを演じる“サマンサ・ムガシア”は本作が俳優デビューなのですが、もともとはミュージシャンであり、デザイナー兼モデルでもあります。
そしてジキを演じる“シェイラ・ムニヴァ”は若手監督であり、映画制作のスキルを学んでおり、確かにクリエイター気質があの役柄からも伝わってくるようです。
あの二人のファッションも注目ポイント。ケナはおそらくそこまで裕福ではないというか、どちらかと言えばおカネに悩んでいそうで(母は学力はありそうですがシングルマザーゆえにそもそも苦労しているのだろうなと推察される)、一方のジキはあの父親の佇まいや選挙活動の雰囲気から察するにあの地域の中では裕福な方なのでしょう。ジキのあのピンクと水色を編み込んだヘアスタイルといい、ファッションセンスもその余裕を感じさせます。といってもケナもなかなかにファッショニスタな感じで、この2人が揃って隣り合ったときのベストカップルとしてのオーラが凄い。
車の中をデコレーションして2人の秘密の愛の巣みたいな様相でムード満載にするロマンチックなシーンがありますが、本作はそういうクリエイティブな表現で愛を確かめ合う場面が多いですよね。発光するメイクの場面とかもそうですし、ラストのピンクのマニキュアがチラっと映る一瞬だけのインパクトとかも…。
とにかく『ラフィキ ふたりの夢』は非アフリカ圏の人々がケニアに抱くステレオタイプなイメージをビジュアルで爽やかに吹き飛ばしており、それだけでも気持ちがいい映画でした。
もう立ち去らない
『ラフィキ ふたりの夢』の原題は「Rafiki」。これはスワヒリ語で「友達」という意味だそうで、これ自体が同性愛という恋愛関係を友情としてカモフラージュしなくてはいけない現実を表現しています。
本作ではケナとジキのロマンスが前半はとても眩しく描かれていきますが、同時にケニアにおける同性愛の背景もしっかりまんべんなく映し出されます。
何よりも国民全体のほとんどが同性愛に否定的であり、露骨にホモフォビアな差別的罵倒が飛び交う環境だということがわかります。同性愛に肯定的なグループと嫌悪的なグループの2つに分かれるという感じですらもない。圧倒的に世界自体が同性愛を迫害するという空気になっています。メンタルケアとかできる場合ではありません。
そしてその差別を固定化させる主犯となっているのが政治と宗教です。
本作はケナとジキの双方の父親が政治に出馬しようとしていることで、その政治というものの責任、そしてそれと重なるように家父長的な支配の怖さもセットで描かれます。無論、そこには女性差別もある。この政治と家父長制が一心同体で若い女性の居場所を追い詰めていくあたりは日本でも共感しやすいと思います。状況はだいたい同じです。
さらにそこに宗教の負のパワーが加わることでコミュニティ全体が差別へと傾倒する根が深くなる。「同性の結婚は人権だと主張している人がいます」と説教で公然と批判するあの場の息苦しさ。
その中で作中ではケナが「立ち去る」という挙動をよくします。逃げるしかない、避けるしかない…そういうその場しのぎで生きるしかない当事者の辛さがよくわかります。しかし、そこに現れたひとつの希望であるジキの存在。彼女はちょっとフェミニスト的な思考の持ち主であり、世界を見たいと希望を抱き、ケナにも看護師以上に能力に見合った夢を目指そうと持ちかける。たぶんケナにはこの眩しさが何よりも魅力に映ったのかな。
しかし、そんなジキにも限界があって…。暴力というかたちで2人は引き裂かれ、ケナには悪魔が憑りついていることにされてしまい、ジキはロンドンへ追い出される。差別というものが社会に存在していれば、同性愛者は友達にさえもなれなくなってしまうことが突きつけられる…悲しすぎる展開です。
ただ、ラストはケナは医者になっており、そこにジキが帰ってきたのではないかと思わせるシーンで終わります。2人の運命はここからまた始めればいいと言っているかのような希望的展開は、ケニアの同性愛当事者の前向きな未来を応援する後味でした。女性同士の深い関係を築きたい全ての世界中の人が幸せになれるように…という微かだけど力強い願いのようなクリエイティブがそこにありました。
『ラフィキ ふたりの夢』はフィクションですが、現実のアフリカでは同様の出来事が確かに起きています。実際の当事者の生の声と姿を知りたいならば、ドキュメンタリー『Difficult Love』(2010年)がオススメです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 70%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ユンヒへ』
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作品ポスター・画像 (C)Big World Cinema.
以上、『ラフィキ ふたりの夢』の感想でした。
Rafiki (2018) [Japanese Review] 『ラフィキ ふたりの夢』考察・評価レビュー