村の一員になれました…映画『理想郷』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スペイン・フランス(2022年)
日本公開日:2023年11月3日
監督:ロドリゴ・ソロゴイェン
動物虐待描写(家畜屠殺)
理想郷
りそうきょう
『理想郷』あらすじ
『理想郷』感想(ネタバレなし)
田舎もこれがないと獣の世界になる
日本で最も人口が少ない市町村は伊豆諸島の青ヶ島村だそうで、その数は2023年時点で約160人とのこと。村のホームページでも「日本で一番人口の少ない村」ということを押し出してます。
それでも図書館があったり、防災訓練していたり、メンタルケアの相談の機会を設けていたり、公的サービスはちゃんとあります。こういう最低限の公共福祉があることってその地域の豊かさには欠かせないですよね。人口が少なくても快適さというのは保持できます。
では、人口が極端に少ないうえに公共福祉すらも壊滅的に乏しいとなると、どうなってしまうでしょうか。
おそらくそこに待っているのは「人」と「人」の人間関係のパワーだけで決まる世界です。まるで獣のように縄張りを定め、侵入すれば威嚇し、それでも辞めないなら排除する。ものすごく野生動物的な力の構図に陥ってしまいます。
今回紹介する映画は、そんな極端な環境にある“とある田舎の村”で起きた実在の事件からインスピレーションを得て生まれた作品です。
それが本作『理想郷』。
本作は、スペイン映画で、スペインの山岳地帯にある小さな村に移住してきたフランス人夫婦が、その村で嫌がらせを受けて孤立していき、やがて凄惨な事件へと発展する様子を描いています。一種の田舎ノワール・スリラーです。
同じようなジャンルで史実ベースのヨーロッパ映画と言えば、同時期にルーマニアの『ヨーロッパ新世紀』もありました。
あちらはコミュニティ全体の人種・民族差別が背景にありましたが、この『理想郷』はもう少しミニマムで登場人物も少なく、個人レベルの軋轢に焦点があたります。「部外者への敵意」という点ではテーマ性は似ていますけど、オチ含めたアプローチは全然違っていて、その違いも含めて興味深いですね。
どちらにせよ今のヨーロッパはこうした「異なる者同士の不協和」を題材にした作品が目立つ傾向にあるように思いますが、それはやはり「EUの連帯の揺らぎ」だったり、「移民・難民への排外主義」だったり、そうしたことが社会問題として浮上しているからなんでしょう。
同時にそもそもヨーロッパというのは歴史的にそうやっていろいろなものを排斥したり、侵略したり、そんなパワーゲームを繰り返してきた経緯があり、その現代版として、よりスケールを狭めていくと、こういう田舎を舞台にしたサスペンスが映画として手頃に作りやすいのかもしれません。
この『理想郷』を監督したのは、スペインのマドリード出身の“ロドリゴ・ソロゴイェン”。長編映画監督デビュー作は共同監督作でもある2008年の『8 citas』だそうですが、2016年の『ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件』でスペインのアカデミー賞とも言われるゴヤ賞で注目されます。2018年の『El Reino』はゴヤ賞の監督賞に輝いて評価を確立。2019年の『おもかげ』は、ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門で女優賞を受賞しました。
2022年のこの『理想郷』はゴヤ賞では作品賞や監督賞、脚本賞、主演男優賞など総なめにする勢いで絶賛されました。なお、東京国際映画祭でも最優秀作品賞をとりましたが、そのときの邦題は英題をそのままカタカナにした『ザ・ビースト』でした。
私は“ロドリゴ・ソロゴイェン”監督の映画を観るのはこの『理想郷』が初めてだったのですけど、またスペインから陰湿なノワールの名手がでてきたな、と。これは“ロドリゴ・ソロゴイェン”監督も世界三大映画祭の常連になるのかな…。映画祭も若い監督はどんどん加えていかないと顔触れが同じになるしね…。
俳優陣は、『ジュリアン』の“ドゥニ・メノーシェ”、『私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?』の“マリナ・フォイス”、『El Reino』の“ルイス・サエラ”など。
なんか日本の宣伝ポスターの雰囲気のせいか、間抜けな移住者が田舎で痛い目に遭う風刺劇みたいに思えますが、そういうノリでは全くないのでそこは勘違いしないように。
『理想郷』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :作風が好みなら |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :暴力描写あり |
『理想郷』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):嫌がらせのすえに…
スペインのガリシア州の山岳地帯。この奥地にある小さな村はインフラもほとんどない環境で、村民が細々と自給自足で暮らしていました。
この地を第2の故郷にするつもりで思い切って移住してきたのはフランス人のアントワーヌとオルガの夫妻です。とくにアントワーヌは張り切っており、一部が廃墟となった建物の補修をかってでて、植物が生い茂っているのを剪定し、ボロボロの屋根を直し、壁も修復したりと、大忙し。家では菜園を営み、そこで採れた野菜を市場で売って、収入を得ています。
車で家まで続く1台通れるかどうかの細い道を通り、遠くにある風力発電に目をやりながら、アントワーヌは帰宅。
家にはオルガがおり、本を読んでくつろいでいました。外に机を出して、のんびりと食事。残りの時間は畑の手入れに費やされます。
そんな平穏そうな暮らしですが、気がかりがあります。現在、この地域は風力発電の建設が拡大しており、この村にも作る計画があり、アントワーヌとオルガはこの景観が乱されるので反対していました。しかし、他の村人は全員賛成しており、とくにシャンとロレンソの兄弟は村の総意に反するアントワーヌとオルガに激しく敵意を向けているようでした。
ある日、アントワーヌは愛犬を連れて山を登っていると、乾いたパンパンという音が聞こえます。そしてシャンとロレンソの兄弟のものと思われる馬がぞろぞろと歩いているのを目撃します。あの兄弟は隣で畜産を営んでいるのです。
道の途中、車が動かなくなる事態になったアントワーヌ。ロレンソの車が通りかかり、乗せてくれると言うので乗ろうとしますが、近寄ると車を走らせるという嫌がらせをしてきます。
それでもアントワーヌは忍耐強く村人と友好を深めようとしてきました。けれどもシャンは落ち着きながらも不満が顔にでており、ぴりぴりした空気になるだけです。
別の日、夫妻は水辺で泳いだあと、家の前の2人の椅子に尿をされているのに気づきます。兄弟の仕業だと勘づいたアントワーヌは文句を言いに行くが相手にされません。
今度は警察に真剣に訴えてみますが、話し合いで解決するように言われるだけで介入を避ける態度を変えません。
夜中、侵入者の気配を感じて外に飛び出すアントワーヌ。常にあの兄弟が狙っているような嫌な緊張感は高まるばかり。
そこでカメラをポケットに忍ばせ、わざわざポケット底に穴を開けて盗撮できるようにし、兄弟と接触。帰って家で映像を確認し、メモをとって、証拠を残すことにしました。
あるとき、オルガは家のトマトが不自然に生育できていないことに気づきます。急いでアントワーヌは貯水槽を確認。中に2つのバッテリーが捨てられ、水は汚染されていました。
さすがにこれは許せなくなったアントワーヌは兄弟の家に入り、座っていたロレンソに掴みかかり、静かに怒りをぶつけます。ロレンソも銃を手にし、アントワーヌはビデオカメラを向けて対峙。シャンもでてきて追い出されてしまいました。
その映像を警察に見せるもの、証拠は無いとやはりまともに取り合ってくれません。
こうして嫌がらせはエスカレートしていき、ついには一線を越える事件が起きてしまい…。
動物的な縄張り争い
ここから『理想郷』のネタバレありの感想本文です。
『わらの犬』(1971年)みたいな図式で始まる『理想郷』。本作で描かれる、田舎での隣人同士の対立。とくに前半で起きるくらいのレベルは、日本でもどの田舎でも起きうる話であり、特異なものではありません。
警察が全然対応してくれないというのもあるあるですね。実際、話し合いで解決するなら警察なんていらないのですが、田舎となると公的介入以上に庶民の交流が重視されたりするので…。
でも『理想郷』は冒頭から話し合いなんてできる空気ではないことがハッキリ示されます。こんなにも出だしから嫌~な緊張感MAXなので、こうなると何が起きるかわかりません。
日本の宣伝ではこの本作の対立を「都市vs田舎」という単純な二項対立で表現しているのですが、実際のところはそんなわかりやすいものではないでしょう。
そもそも本作の元になった事件。それは2010年から2014年にかけてスペインのガリシア州のサントアラに移り住んだオランダ人夫婦の身に起きた出来事です。これは2016年に『Santoalla』というドキュメンタリー映画にもなっています。
この舞台となったガリシア州というのは、スペインの自治州のひとつで、ガリシア語という独自の文化があります。そして事件が起きた村は、ほとんど廃村状態にあり、ひとつの一家だけがなおもそこに棲みついているという、ものすごく特殊な環境でした。
つまり、田舎は田舎でも、コミュニティとしての機能を失った田舎なのです。ひとつの家族が根城にすることで実効的に占拠できているという、一種の独裁が成立しています。
よくこんな孤立集落で暮らそうとその実際のオランダ人夫婦は思ったものだなと驚きますけど、自給自足でなんとかなると思ったのでしょうかね。
この移住者の夫妻もそこまで富裕層ではないです。本当に超富裕層ならこの土地ごと買い取ってリゾート地とかにするでしょうし…。あの夫妻は都会的な暮らしをしたいわけでもなく、あくまでこの地域に馴染んだ農園を細々としているだけで、邪魔になってはいません。
こういう田舎で農業をするとまず間違いなく野生動物による農業被害に頭を悩まされることになるのですが、残念ながら野生動物以上に恐ろしい存在がいて、それがあの敵意を剥き出しにしてくるあの在住の男たちだった…ということです。
だからタイトルの「The Beasts(獣たち)」というのはぴったりです。
ちなみに実際に本当にビデオカメラで一部始終を撮影していて、それは後の裁判でも重要な証拠になったのですが、YouTubeにもアップされています。
あらためて証拠の映像記録を撮るって大事なんだなと痛感させられますね。
最後の笑みは…
『理想郷』では、アントワーヌとオルガの夫妻、シャンとロレンソの兄弟、この二者の利害関係者のほかに、最も軋轢の引き金となるも作中で関係者は出てこない存在があります。それが風力発電事業者です。
ヨーロッパでもこうした発電などの開発は行われており、田舎はそのフィールドとしてまず手が伸ばされます。農業と自然エネルギー発電がいざこざになっていく映画として『Alcarràs』というスペイン・イタリア合作映画も2022年にはあったようですが、おなじみの問題なのかもしれません。
日本は山脈地帯ということで、こういうテーマなら昔から「ダム」がよく槍玉にあがりますよね。ダムの湖底に沈みゆこうとしている村を描く『ふるさと』(1983年)などの映画もありました。
『理想郷』のシャンとロレンソの兄弟は風力発電建設に賛同しているようで、それはおカネをもたらすからというのが理由です。ただ、実際に本当に潤うのかは曖昧です。たぶん儲かるのは事業者だけでしょう。
真に富裕層的な存在はこの風力発電事業者だろうに、シャンとロレンソの兄弟はそこには歯向かいません。勝てないとわかっているのか、なんなのか…。とにかく本当に強そうな相手には吠えないのです。その代わり鬱憤をぶつけるように、隣にやってきた移住者をひたすら攻撃し続けます。
最終的にアントワーヌとオルガは折れて、風力発電に賛成するという妥協をするのですが、それでも敵意は消えてくれません。結局のところ、風力発電うんぬんは口実にすぎず、シャンとロレンソの兄弟はとくにアントワーヌがただ嫌いというそれだけだったんでしょうか。
このアントワーヌ、体格は誰よりもデカいというのが面白い造形になっていて、タイマンで勝負したらあの兄弟に力ずくで勝てそうなのに、ビデオカメラを律儀に持って謙虚に闘う人です。
その体格のデカさは後半に起きる殺害シーンで効果的に活用されます。冒頭の馬を押さえつける場面を繰り返すように、シャンとロレンソの兄弟がアントワーヌを羽交い締めにして絞殺する…。ここでもとても動物的な殺傷が起きる…。
最後のオチも非常に印象的です。未亡人となったオルガは娘の説得も虚しくここに住むことに執着し、やがてあのビデオカメラを発見して、犯人逮捕へと繋がります。
でもめでたしめでたしの雰囲気にはしません。ラストはあの兄弟の老いた母の姿を通り過ぎながら目にして、わずかに笑みを浮かべるオルガの表情で終わります。それをビデオカメラ固定画面風に撮っている演出もいいです。
あの笑みは勝ち誇った感情というよりは、「私もこの村の仲間入りか…」という、ある種の自嘲的な意味にも思えます。まさしくこの村の一員になったわけですが、それは理想どおりのかたちと言えるのか。あの老いた母のように自分もこの村で朽ちていく。それくらいしか未来は見えませんから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 89%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
スペイン映画の感想記事です。
・『PIGGY ピギー』
・『ノーウェア 漂流』
・『バード・ボックス バルセロナ』
作品ポスター・画像 (C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S. ザ・ビースト
以上、『理想郷』の感想でした。
The Beasts (2022) [Japanese Review] 『理想郷』考察・評価レビュー