映画にされるべき歴史はまだある…映画『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2023年に配信スルー
監督:ジーナ・プリンス=バイスウッド
性暴力描写 人種差別描写
ウーマン・キング 無敵の女戦士たち
うーまんきんぐ むてきのおんなせんしたち
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』あらすじ
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』感想(ネタバレなし)
本来の姿、そして歴史を知ってほしい
アフリカ、いや、この言葉自体がすでに雑かもしれません。なぜなら「アフリカ」とひと口に言っても、とにかく多彩な文化や民族が存在し、それぞれに歴史があるのですから。
それにもかかわらず、多くの非アフリカ世界の人々はこの地を「アフリカ」という、ざっくりした言葉で片付け、そして先入観を増幅させてきました。
アフリカが押し付けられてきたのは「劣ったイメージ」です。なんにせよ全ての分野において、劣っているに違いないと思われてきました。実際は全く違うのに…。
このアフリカに対する偏見を象徴する出来事が、2023年に日本でも話題になりました。アフリカの男性たちが、片言の日本語でメッセージを読み上げて踊ったりして“お祝い”する「世界からのサプライズ動画」というサービスです(ハフポスト)。こうしたサービスで多くの多数派の日本人が安易にアフリカを消費するということは、「アフリカ人は未開で野蛮である」というステレオタイプに直結すると専門家も指摘しているとおり。日本にもアフリカ差別は根強いです。
残念ながらこうしたアフリカへの差別や偏見を助長してきたのはメディアです。ドキュメンタリー『殺戮の星に生まれて / Exterminate All the BRUTES』でも説明されるように、映画などは「先住民は劣る存在で、いくらでも弄んでいい」として嘲笑してきた過去があります。
一方でアフリカへの差別や偏見を払拭し、本来の実在の個々の文化や歴史を適切に知ってもらうために欠かせないのもまたメディアです。
とは言え、アフリカの歴史を描く映画というのはそんなに多くなく、注目されづらいです。
アルジェリア戦争を描く『アルジェの戦い』(1966年)、アンゴラ独立戦争を描く『Sambizanga』(1972年)、ルワンダ虐殺を描く『ホテル・ルワンダ』(2004年)、各所で起きた魔女告発事件を描く『I Am Not a Witch』(2017年)、ザザウ王国の王女を描く『アミナ』(2021年)、ヨルバ族の歴史を描く『キングズ・ホースマン ~王の先導者~』(2022年)…。
上記で挙げた作品はほんの一例ですが、「映画が趣味です」という人ですら、どれだけ観ていることやら。
そうした中、普段、アフリカの歴史なんて興味なかった人でも、この映画はぜひとも観てほしいと言える作品が登場しました。
それが本作『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』です。
本作は、西アフリカに実在した「ダホメ王国」…その王国を守護していた女性からなる戦士部隊「アゴジェ(Agojie)」を題材にした歴史映画です。この女性からなる戦士部隊は『ブラックパンサー』に登場する「ドーラ・ミラージュ」のモデルとなったことでも有名ですね。ちなみにその『ブラックパンサー』に出演した“ルピタ・ニョンゴ”は後に「アゴジェ」の歴史をたどるドキュメンタリーに参加して、現地を訪れています(The Guardian)。
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』は、俳優の“マリア・ベロ”がこの「アゴジェ」の歴史を2015年に知って映画化を望み始めたことに企画の原点があるそうですが、当時「Women in Film」の代表だったプロデューサーの“キャシー・シュルマン”と共に着手。
そして主演として真っ先に声をかけたのが“ヴィオラ・デイヴィス”であり、彼女を製作総指揮に、アフリカ系女優が主体で勢揃い出演するという、ハリウッドでは異色の映画企画が始動します。
しかし、やはりその異色さがハードルを上げて、なかなか企画が進まず…。なんとか『ブラックパンサー』の大ヒットのおかげで資金を集められ、『オールド・ガード』の“ジーナ・プリンス=バイスウッド”を監督に抜擢して、ついに映画は完成。
批評家も絶賛で、これは賞レース確実か?と思われましたが、ここで腹立たしい出来事が…。まさかのアカデミー賞一切スルー。ノミネートすらひとつもない。『ブレイブハート』や『グラディエーター』がアカデミー作品賞を獲れたのに、なぜ『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』はかすりもしないのか…。あらためてハリウッドのアフリカ系軽視が露骨に浮き出ました。
そして追い打ちで日本ですよ。日本では(予想できていたけど)本作は劇場公開無しで配信スルー。こんなんだからアフリカ人をバカにしたサービスに喜んじゃうんじゃないか…。
ということで『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』、観てください。エンタメとしても歴史ものとしても必見です。
なお、本作には直接的な描写はないですが、性暴力のフラッシュバックに苦しむ描写がありますので、留意してください。
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :隠れた傑作 |
友人 | :知識なしでも面白い |
恋人 | :関心あれば |
キッズ | :暴力描写あり |
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):何のために戦うのか
1823年、西アフリカ。この地には1600年からダホメ王国が存在し、今はゲゾ王が治めていました。そのダホメ王国が敵対していたのが、ヨルバ人からなる大きな国家のオヨ王国です。オヨ王国はマヒ族と手を組み、ダホメの村人を捕まえてヨーロッパの奴隷商人に売り渡していました。オヨ王国は軍事力もあり、そう簡単に撃退できません。
しかし、ダホメ王国には切り札がいました。それが女性たちからなる戦士の部隊「アゴジェ」です。その部隊を率いるのが、ナニスカ将軍でした。
とあるマヒ族の村。暗闇で焚火を囲んでいる兵士たち。気づくとアゴジェの兵士に囲まれていました。雄叫びをあげて襲ってくるアゴジェ。交戦しだすと、アゴジェは戦闘慣れしており、村の男たちを次々と殺めていきます。そして捕まったダホメの人たちを解放し、死者を弔います。
その後、王国へと帰還。兵士が帰ってくると村人は頭を下げて迎えます。けれどもナニスカは勝利なのに険しい顔です。
そんな中、村人の若いナウィは憧れの眼差しでアゴジェを見つめていました。ナウィは気に入らない男と結婚させられそうになり、自分よりもはるかに年上の相手で、つい突き飛ばしてしまいます。困った父はナウィをアゴジェに連れて行き、アゴジェの兵士のイソギが引き取ることになりました。
中では戦闘訓練が熱心に行われており、もっと奥では女性たちがリラックスして打ち解け合っています。
ゲゾ王はナニスカを気に入っており、会議にも参加させます。ナニスカはオヨ王国はさらに略奪をすると警鐘を鳴らします。
ナニスカの右腕であるアメンザは今後も死の危険がある戦いが待っていると女性たちに告げます。「戦うか、死ぬか」とナニスカもゆっくりとした語りで覚悟を問い、去ってもいいとも語ります。まだ保護されたばかりの数人の女性はその場を去りますが、ナウィを含む多くの女性は残る道を選びます。
風呂場で、ナウィはナニスカと会話できました。「私は夫は欲しくない、兵士になりたい」と19歳のナウィは主張します。
鍛錬が始まりますが、最初は縄の縛り方から。でもすぐに訓練は厳しくなります。ナニスカは夜に一心不乱に練習するナウィを目撃します。
そんな中、オヨ王国の使者としてオバ・アデ将軍が現れ、ナニスカに激震が走ることに…。
史実を知ることで映画の意義がわかる
ここから『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』のネタバレありの感想本文です。
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』は大まかに歴史に基づいています。ゲゾ王も実在の人物ですし、ダホメ王国の政治情勢もあのとおりです。しかし、細部は脚色されています。
違いのひとつは、奴隷貿易をめぐる立ち位置です。
作中では、オヨ王国とポルトガル人が結び付いて奴隷貿易が強固となり、ダホメ王国のアゴジェ率いるナニスカはそれに抵抗していたように描かれていますし、この作中の出来事によって、奴隷貿易からパーム油の生産へと移行したように表現されています。
しかし、実際はもっと複雑な状況でした。まずそもそも本作で描かれるのは、アフリカの奴隷貿易のほんの一部にすぎません。実際は膨大な歴史があり、広範な地域で多くの利害関係者の関与で奴隷貿易が成り立っていました。そしてダホメ王国も奴隷貿易が欠かせない存在であり、それで王国を成り立たせていました。
ゆえに本作を「奴隷で利益を得る側を好意的に描いている」と批判する意見もあります。ただ、単純に奴隷貿易に手を付けていたアフリカ側を責めるのも違う話で、なぜなら奴隷貿易無しではアフリカ諸国は潤えない状況に追い込んだのは他ならぬ西欧社会だからです。そういう構造を頭に留めておくのは大切でしょう。
作中でも“ジョン・ボイエガ”演じるゲゾ王が、ポルトガル人に対して、この構造を示唆する発言をするのですが、この相互依存は対等ではなく、そして絶対的な上下関係に常に収まるわけでもない。ゆめゆめ忘れるなという警句はそのまま後の白人社会に突き刺さります。
もうひとつの史実との差異は、アゴジェの存在です。
作中でもナウィが最初はそうだったように、この時代の女性は家のモノで、強制的に結婚させられていました。ではアゴジェの女性たちはどういう立場なのか。
一応、アゴジェの女性たちは王の妻ということになっているそうで、ただし、王と性的関係を持たず、子を作って産むこともありません。でも体裁としては王の妻なので他の男性とも婚約も性行為もできません。そういう点ではかなり特殊です。既存のジェンダーから逸脱しています。
作中では、ナニスカは最後はゲゾ王に「Woman King」として認められます。あれは本当に戴冠して王位の権力を持ったわけではなく、あくまで称号みたいな感覚で描いているのでしょう。ちなみに作中のナニスカは架空のキャラクターです(ナニスカという名の人物は実在したようですが)。
専門家のリン・エルスワース・ラーセンは「アゴジェの女性たちも問題のあるシステムに加担していた。依然として国王の家父長制の下にあり、奴隷貿易の当事者である」と冷静に解説しています(Smithsonian Magazine)。
それも間違いなく事実でありつつ、一方で、ダホメ王国やアゴジェは明らかに欧米の考える(もしくはそう思いたい)アフリカのイメージとは全然違っており、欧米と異なる独自の文明がありました。それを「先駆的」だとか「先駆的じゃない」とか言うのはそれこそ西欧中心的な見方でしょう。
西欧はこの事実を見てみぬふりすることに決め、1893年にシカゴで開催された「世界コロンビア博覧会」では、「ダホメという“村”があり、アゴジェという生首を狩る野蛮人がいた」という内容の展示が行われたわけで…。
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』はそんな固定観念に真っ向から反論する映画で、その歴史をまず伝えることに全力を捧げていたのではないでしょうか。
イゾギ先輩についていきたい
歴史の話は私も研究者じゃないのでこれくらいにして、あとは『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』のジャンルとしてのエンタメ部分を語っていきます。本作はエンタメとしても非常に見ごたえ抜群でした。
“トゥソ・ムベドゥ”演じるナウィの視点から初心者目線でアゴジェが映し出されていきますが、意外だったのは、なんだか女子高みたいな空気感があるんですよね。若い子の視点だから余計にそう思うんでしょうけど。確かに戦闘部隊としてはものすごく殺伐とした展開もあるのですけど、その小休止の裏側のシーンは本当に温かくて…。
とくに個人的に心を鷲掴みにされたのは、“ラシャーナ・リンチ”演じるイゾギ。お喋りでちょっと荒っぽいけど、でもめちゃくちゃ頼りになる先輩って感じで、私がナウィだったら、あれはもう大好きになっちゃいますね。女子高だったらイゾギ、すっごい後輩にモテそうです。“ラシャーナ・リンチ”のあの演技のバランスも上手かった…。
もちろんナニスカを熱演した“ヴィオラ・デイヴィス”も圧巻でしたよ。覇気で殺せます。『フェンス』でアカデミー助演女優賞をとって、『マ・レイニーのブラックボトム』でアカデミー主演女優賞にノミネート。絶対にこの『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』で再度アカデミー主演女優賞にノミネートいけると思うんだけどな…。
“ヴィオラ・デイヴィス”が白兵戦しているだけでもテンションあがりますが、実はレイプのすえに産まれて捨てた自身の子であったナウィとの関係だったり、葛藤溢れるドラマ面での演技も魅入るものばかりです。
アフリカ系の女優たちが揃いまくる映像のエキサイティングな醍醐味は、『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』で味わったはずですけど、あらためてそれが歴史ベースで実現するというのは、いやはや本当に貴重な瞬間でした。
『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』は特別な一本ですが、これだけではダメです。アフリカ(あえてこの大雑把な言い方をする)にはまだまだ銀幕で描かれるべき歴史や文化があります。これ1作で終わらせず、これを新しい歴史の開幕としてほしいですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 99%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ラフィキ ふたりの夢』
作品ポスター・画像 (C)2022 TriStar Productions, Inc., eOne Features LLC and TSG Entertainment II LLC. All Rights Reserved. ウーマンキング
以上、『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』の感想でした。
The Woman King (2023) [Japanese Review] 『ウーマン・キング 無敵の女戦士たち』考察・評価レビュー