目覚めた後に何をするか…映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年6月2日
監督:サラ・ポーリー
性暴力描写
ウーマン・トーキング 私たちの選択
うーまんとーきんぐ わたしたちのせんたく
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』あらすじ
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』感想(ネタバレなし)
合意形成を映画にする
よく「差別って誰が決めるんですか?」みたいな質問が寄せられることがあります。「差別は主観的なものだから、差別を批判する人はいい加減で当てにならない」なんて言う人もいます。
何が差別を決めるのか。「当事者」が決める…という答えもイマイチ正確ではありません。実際のところは「当事者を中心とした合意形成」が差別か否かを判断しています。この「合意形成」という部分が何よりも大事です。ひとりの当事者が、もしくは発言力のある者が「これは差別だ」「これは差別じゃない」と言えばそれで確定するわけではないのです。当事者と言えどもいろいろな考え方の人がいます。そうした多様な価値観の人が集まって話し合いを重ねながら「ひとつの答え」をだします。もちろん全員が納得するとは限りません。意見が割れることもあります。苦労も多いです。
それでもこの「合意形成」のプロセスが何よりも大事です。「合意形成」がより公平で透明性があって包括的に行われるように日々努力しているのが今の世界です。
だから最初の質問に戻りますが、「差別って誰が決めるんですか?」と聞かれたら、私は「合意形成で決めるんだよ」と答えます。
この「合意形成」は「何が差別か」を決めるだけでなく、「差別に対してどんな対応をとるべきか」などさまざまな施策の方向性の柱になります。
今回紹介する映画はこの「合意形成」にピンポイントで焦点を当てて映像化しているという、かなり尖った一作です。
それが本作『ウーマン・トーキング 私たちの選択』。
本作は性暴力を題材にしているのですが、同じような主題の作品はいくらでもありますが、本作のアプローチは異色です。物語はある宗教の閉鎖的コミュニティで起きた陰惨な事件を描いており、複数の女性たちが男たちによって夜な夜な意識を失わされてレイプされていたことが発覚する…というもの。
しかし、本作はその事件が起きていく過程を生々しく描いているわけではありません。冒頭から事件が起きた後のことが描かれます。かといって犯人捜しのミステリーでもなく、ましてや法廷劇でもないです。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は、被害女性たちがこの事件に対してどんな行動をとるべきか「話し合い」をしている現場を描く、それだけです。まさに「Women Talking」、女性たちが話しているだけ…。
限られた空間で展開するソリッド・シチュエーションな映画であり、最近だと『対峙』や『ザ・ホエール』もそうでしたが、なんだか舞台演劇に向いてそうな内容です。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の原作は2018年に出版され、「NEW YORK TIMES ブックレビュー誌」の年間最優秀書籍に選ばれた“ミリアム・トウズ”による小説「Women Talking」。映画はアカデミー賞で脚色賞に輝きましたが、私は原作を読んでいないので(2023年5月時点で邦訳はでていない)、どう上手く脚色されているのか、以降の感想でも評価していませんのであしからず。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を監督したのは、『めぐり逢う大地』(2000年)や『死ぬまでにしたい10のこと』(2003年)などで俳優として活躍しながら、2006年の『アウェイ・フロム・ハー君を想う』で監督・脚本家としてデビューし、『テイク・ディス・ワルツ』(2011年)とキャリアを伸ばしていた“サラ・ポーリー”。一時健康上の理由で仕事から離れ、またハリウッドにおける女性への不平等な扱いに不満を感じて業界から遠ざかっていたことも明かしています。さらに過去に業界関係者から性的暴行を受けたことも自伝の中で語っています。
その“サラ・ポーリー”が久しぶりに監督・脚本として送り出してきたのがこの『ウーマン・トーキング 私たちの選択』ですから、それはもう注目しますよね。
俳優陣は、『ナイトメア・アリー』の“ルーニー・マーラ”、『蜘蛛の巣を払う女』の“クレア・フォイ”、『MEN 同じ顔の男たち』の“ジェシー・バックリー”、『ノマドランド』の“フランシス・マクドーマンド”、『父親たちの星条旗』の“ジュディス・アイヴィー”、ドラマ『アンブレラ・アカデミー』の“シーラ・マッカーシー”、『Don’t Talk to Irene』の“ミシェル・マクラウド”。また、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』の“ベン・ウィショー”、ノンバイナリー俳優の“オーガスト・ウィンター”も出演しています。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は淡々とした会話が続きながらも、そこには迫真の感情が迸る、静かにスリリングな人間模様のストーリーです。じっくり向き合って味わってみてください。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ゆっくり味わって |
友人 | :題材に関心あるなら |
恋人 | :デート向きではない |
キッズ | :性暴力が主題です |
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):決めるときが来た
ひとりの若い女性がベッドで目覚めます。すると自分の股から足にかけてが傷や痣、血で汚れているのを目にし、母を呼びます。「また起きた」と…。
ここはメノナイトの小さなコミュニティ。人里離れており、一帯は農地で、外部からの人の往来はほとんどなく、孤立しています。インターネットなどの情報交流もなく、自給自足の生活で成り立っていました。
このコミュニティで女性が目覚めるとこのような状態になっている。それもひとりではなく、かなりの数の女性たちの間で同様の事件が起きていました。
それについてコミュニティ内では「悪魔の仕業である」という説がまかり通っており、多くの女性たちもそう思っていました。
ところが状況が一変します。これはコミュニティ内の男性の仕業でした。女性たちをクスリで眠らせ、その間に男たちが性的暴行を加えていたのです。これは常態化していたようで、一体どれほどの男がこの事件に関与していたのかもわかりません。
今はとりあえず捕まった男が近くの街に連行され、多くの男たちがそちらに出向いてしまったものの、どうやらその加害者の男は釈放されてしまうようでした。
これに女たちは見過ごすわけにもいきません。被害者は子どもから高齢者まで幅広く、中には自殺に追い込まれた人もいます。女たちは今後どうするべきか、対応を考えることにしました。
思いついた案は3つ。ひとつはこのコミュニティに留まって男たちと暮らしを続けること。2つ目は男たちと戦うこと。そして3つ目はこのコミュニティを去ること。
全ての女性たちで投票が行われましたが、3つの選択肢共に票は拮抗。
やむを得ないので、コミュニティ内の有力者である3つの家族が話し合って決めることにします。議論の場は干し草を保存している薄暗い小屋。
アガタ、その長女のオーナ、次女のサロメ。姪のナイチャも幼いですがこの場にいます。そしてグレタ、その長女のマリチェ、次女のメジャル。マリチェの幼い娘のオーチャもナイチャと遊びながら参加しています。最後にスカーフェイス・ヤンツの一家。11人です。しかし、スカーフェイス・ヤンツは娘のアナとヘレナをこの場から締め出してしまい、9人になりました。
その議論の議事録を作るべく、コミュニティから破門された男性のオーガストを連れてきて、この場で記録をとらせます。女たちは読み書きを教わっていないのです。
この話し合いの結果、女たちは何を決めるのか…。
3つの選択肢。でも簡単ではない
ここから『ウーマン・トーキング 私たちの選択』のネタバレありの感想本文です。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は、3つの選択肢を議論する物語です。この選択肢は簡単に言ってしまえば、「stay」「fight」「leave」の3つの進路。しかし、当事者にとってはそんな簡単な話ではありません。
なにせここは閉鎖的なコミュニティ。「残る」ことを選んでも、そもそもが男尊女卑のルールで成り立っているので、性暴力が無くなるという保証はありません。もしかしたらまた性的暴行を受け続けるのかもしれないわけです。また、「戦う」にしても圧倒的に不利な女性たち側にしてみれば、戦う術すらろくにありません。勝つ見込みは厳しいです。そして「去る」という場合は、これは単に出ていくという意味合いだけでなく、事実上、女性たちは信仰心を捨てなくてはいけなくなり、それは自分たちのアイデンティティを失うのも同然です。捨ててしまった女性たちは他に何も持っておらず、さらなる孤立が予想されます。
本作では女性たちが議論を重ねていくうちに、この自分たちがいかに女性差別の環境にあったのかということを思い知らされていきます。
これは単体で事件を一面的に見れば、性“暴力”の事件ですが、単純な物理的暴行で片付けられるものでもなく、実際は性“支配”であり、マインドコントロールなのだということです。
そうやって全体を整理すると、この女性たちの置かれている状況は非常に最悪な絶望下であり、どうやっても良い結末はないじゃないかと映画鑑賞時は最初から観ている側にしてみても暗澹たる気持ちにしかならないのですけど、それでも女たちは答えをださないといけない…。
本来であったら加害者の男が逮捕されて刑務所に入ればいいのです。でもその社会の正義は機能していない。加えて、被害者をケアするサポートも無い。被害女性たちだけが集まって議論するなんて、余計に苦行だろうに、作中の女性たちにできることはこれが精一杯。
被害者側が自分がとれる選択肢を論じる(そしてその虚しさが浮かび上がる)というアプローチはちょっと同じく性暴力を主題にしたドラマ『I MAY DESTROY YOU / アイ・メイ・デストロイ・ユー』とも通じますけどね。
よりどの世界にも通用する寓話へ
とにかく苦しい『ウーマン・トーキング 私たちの選択』ですが、話し合いが地味で終わるということもなく、ここで“サラ・ポーリー”監督の手腕が発揮され、かなり多面的な味わいを見せます。といっても本作の多面性はとてもフェミニズムなリテラシーに根付いているので、それが根本的にわかっていない鑑賞者なら本当に単に退屈な映画に映るでしょう。それこそ作中のナイチャとオーチャみたいに暇を持て余します。
議論参加者の女性たちの中には深刻なトラウマで体調悪化させる人もいますし、その被害者像はバラバラです。馬の話ばかりでユーモラスに見えたグレタが、あの入れ歯の真相がわかるシーンが挿入されたときに、途端に痛ましさが降りかかってくる…この緩急の付け方も演出として上手いです。
復讐に燃える者もいれば、オーナのように新しい規則を作ってコミュニティを変えるという夢物語に思える提案する者もいます。正直、ここまで価値観が違うとまとまりそうには思えません。「男たちがでていけばいい」という指摘にだけ、みんな笑ってしまうのがまた心苦しいのですが…。
そしてこの場にオーガストという男がひとりぽつんと加わっていることで、極端な「vs男性」の構図にならずとも、多少の男性的な緊張感が適度に保持される。その絶妙な味付けも巧みです。
さらに子どもたちの世話をしている喋らないメルヴィンという人物は、トランスジェンダー男性としておそらく描かれており、このフェミニズムな議題にトランスのトピックも持ち込みます。マリチェがオーナを売春婦と呼ばわりするあたりは性嫌悪であったり、セックスワーカーのトピックも連想させますが…。
結局、大半の女性たちは「去る」という選択肢をこの合意形成によって確定させますが、これは正解だからではない。こうするしかないのだという話であり、本当の戦いはここからになっていきます。それを映画は描きません(最後に映る地平線の先にあるのは私たちの世界というのがまたメッセージを突きつけるものだと思いますが…)。あのゾロゾロとでていく姿は「出エジプト」を連想したりもできて宗教的なストーリーと重なるのがまた何とも言えない後味です。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は寓話的な作品ですが、原作で着想の元になっているのはボリビアで2005年から2009年にかけて起きた「ボリビアのゴーストレイプ」とも称される事件です。コロニーでの被害者女性は最低でも151人はおり、最年少は3歳、最年長は65歳。特定はされていませんが、成人男性や少年も被害に遭ったと言われています。麻酔ガスを供給した獣医師が主犯とされ、他にも数名の男たちが捕まりましたが、犯罪の真相はよくわかっていません。
題材となった実際の事件は南アメリカにおけるメノナイトの植民居住地が舞台だったこともあり、本当はもっと社会的背景で深掘りすることもできるのですが、本作はそういう歴史的精密さはあえて取り除かれており、世界どこでも通用するストーリーに変換されています。もちろん日本だって重なる話です。
『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を観た後に、ふと考えてしまうのは、今の私があのコミュニティの中にいるのか、外にいるのかということです。それさえもわからないというのは一番危険かもですけど…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 80%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 Orion Releasing LLC. All rights reserved. ウーマントーキング
以上、『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の感想でした。
Women Talking (2022) [Japanese Review] 『ウーマン・トーキング 私たちの選択』考察・評価レビュー