生殖の正義を産みだした人たち…Netflix映画『JOY: 奇跡が生まれたとき』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2024年)
日本では劇場未公開:2024年にNetflixで配信
監督:ベン・テイラー
恋愛描写
じょい きせきがうまれたとき
『JOY 奇跡が生まれたとき』物語 簡単紹介
『JOY 奇跡が生まれたとき』感想(ネタバレなし)
生殖の正義が危機を迎える時代だからこそ
2024年11月に“ドナルド・トランプ”がアメリカ大統領選挙の勝者となったことで、さまざまな混乱が予想されていますが、その中でも「生殖に関する健康と権利」が脅かされることを危惧する声は高まっています(IPPF)。これから数年は「生殖の正義(reproductive justice)」が試されるのは間違いありません。
すでにアメリカでは2022年の「ロー対ウェイド」判決を覆す判断が最高裁で示されたことをきっかけに、続々と各州が州法で中絶を禁止し始め、不穏な空気にあります。
しかし、中絶に問題はとどまりません。そこからさらに拡大し、避妊や体外受精(IVF)へのアクセスが失われる可能性も現実味を帯びてきました(The Independent)。生殖医療全般の危機です。
副大統領の“JD・ヴァンス”を始めとする宗教右派系の政治家たちは「コムストック法」の復活を示唆しています。これは猥褻物を取り締まる1873年の法律なのですが、中絶や避妊に関する情報も猥褻物扱いとなります。
先ほどの中絶禁止も合わせて生殖医療に関わるクリニックや専門家は厳しい立場に晒され、産婦人科の不足が悪化するとみられており、生殖医療サービスを受けたい全ての人に影響が及ぶことが考えられます。
そんな苦難の時代を迎えようとしている今だからこそ、今回紹介する映画は観る価値があり、現代に直接繋がるメッセージを強く感じるでしょう。
それが本作『JOY 奇跡が生まれたとき』です。
本作は、1960~1970年代の研究によって世界で初めて体外受精による「試験管ベビー」を産みだすことに成功した、ジーン・パーディ、ロバート・エドワーズ、パトリック・ステップトーという3人の医療科学者に焦点をあてた伝記映画です。映画のタイトルは、その世界初の試験管ベビーとして誕生した「ルイーズ・ジョイ・ブラウン」の名にちなんだものですね。
「20世紀で最も注目すべき医学的進歩」と称される出来事ですが、それは医療の発展だけでなく、生殖医療というものが女性など“出産に関わる身体を持つ”全ての当事者に寄り添うものであるという「生殖の正義」の出発点にもなりました。
作中では保守的な政治や宗教の勢力によって、生殖医療が軽視され、否定されていく当時の実態も映し出しており、非常に現代社会とシンクロするものです。
この『JOY 奇跡が生まれたとき』の脚本を手がけたのは、『エノーラ・ホームズの事件簿』シリーズなどフェミニズムな題材を扱うのが上手い”ジャック・ソーン”。これまでも『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』(2019年)、『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』(2019年)など女性科学者に焦点をあてた映画を手がけてきましたが、今回は少しプライベートな事情も絡んでいるようです。
というのも”ジャック・ソーン”は妻の“レイチェル・メイソン”と体外受精の医療を利用した経験があるそうで、その体験が本作を作るきっかけになったとのこと。そのためか、非常に出産を望む当事者の心情に配慮した映画になっていた気がします。
『JOY 奇跡が生まれたとき』を監督するのは、ドラマ『セックス・エデュケーション』のエピソード監督もやっていた“ベン・テイラー”です。
俳優陣は、『ラストナイト・イン・ソーホー』の“トーマシン・マッケンジー”、『闇はささやく』の“ジェームズ・ノートン”、『生きる LIVING』の“ビル・ナイ”の3人が主役です。
『JOY 奇跡が生まれたとき』は「Netflix」での独占配信で、劇場公開されていないのは残念ですが、「生殖の正義」を静かに心に灯すエネルギッシュな味わいのある映画です。ぜひ今の時代だからこそ鑑賞してみてください。
『JOY 奇跡が生まれたとき』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2024年11月22日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :科学史に関心あれば |
友人 | :題材に興味ある同士で |
恋人 | :医療との付き合いを語り合って |
キッズ | :社会勉強になる |
『JOY 奇跡が生まれたとき』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1968年5月、ジーン・パーディはケンブリッジ大学でロバート・エドワーズ博士との面接を受けにいきていました。管理職に応募したのです。
研究室ではネズミが逃げ出して騒ぎになっていましたが、ジーンはネズミを簡単に捕まえてみせ、採用となります。これまでいろいろな病院で看護師として働いていましたが、ここが次の職場です。
ジーンはロバートに連れられ、産科医で外科医のパトリック・ステプトー博士を訪れに行きます。そのステプトーは斬新な見解を持っていましたが、主流の学会の研究者からは嫌われていました。ロバートは不妊への解決策となる人間の生殖医療研究に誘うつもりでした。さっそく紛糾していた研究発表後に「先生の腹腔鏡手術に興味があって…」と話題を切り出します。
ステプトーは関心なさそうですが、2人で後を追って必死に説得。
「あなたは精子を卵管に入れられる。入れるだけでは精子は機能しません。でも卵管に受精卵を入れられれば妊娠は可能です。あなたは腹腔鏡で卵子を取り出す。私たちが卵子を体外で受精させる。それを体内に戻せば妊娠の確率は急上昇します」
熱弁もあってステプトーは興味を持ってくれました。教会も国も非難してくるだろうと警告しますが、とにかくこれで研究はスタートです。
ジーンとロバートは毎日オールダムまで車で4時間通いました。その道中でロバートはこれまでの研究の経緯を語ります。小型げっ歯類から始めた研究はやっと人間に応用できる段階になったのです。
ステプトー博士の用意してくれた研究室は病院の薄暗い廊下を渡った奥まった場所にあって、まるで廃墟です。
1969年1月、ついに体外受精を成功させ、科学誌に成果が発表されました。しかし、喜んでいたのもつかの間、デイリー・ミラー紙はロバートをフランケンシュタイン博士と表現するなど、保守的な世間からの風当たりが強まります。
ジーンの母親もそのことを知りました。2人は信仰深く教会にも共に通っていましたが、今では母はジーンに「神を侮辱している」「試験管で人を作るなんて!」と厳しく言い放ちます。そのうえ、「あのステプトー博士は人工中絶もやっている」とジーンも知らない情報まで口にしました。ジーンは「私の研究は人に誇れるものだ」と反論しますが、馴染みのポールソン牧師からも礼拝に出席しないように命じられ、母の家にも入れず、孤独を味わいます。
それでも研究は続き、いよいよ参加者の女性を募って、体外受精した受精卵を母体に戻して適切に妊娠できるかに挑戦する段階に移行。多くの不妊に悩む女性が集まりました。
ところが社会からの非難は強まるばかりで…。
出産美化ではなく、健康と権利のために
ここから『JOY 奇跡が生まれたとき』のネタバレありの感想本文です。
『JOY 奇跡が生まれたとき』は世界初の「試験管ベビー」に繋がる体外受精の確立に貢献した3人の医療研究者を主題にしていますが、その中でもとくに光があたるのが、ジーン・パーディという女性です。
ジーン・パーディはこの医療実績にもかかわらず過小評価されてきた人物のひとりで、その理由は映画の最後にも説明されるように39歳という短い生涯だったからです。もちろん彼女が女性だったというのも過小評価の背景にあるでしょう。本作はそんなジーンの果たした偉業を掘り起こして現代に伝える役目を淡々とこなしています。
ただ、ジーンは39歳の若さで亡くなり、そのうえ作中でも映し出されるように子どもを産んでもいないので、現在も存命の近親者がいません。そのため、本作の製作にあたって、ジーンの研究への貢献の描写はある程度史実に基づいていますが、私生活の大部分は創作となっています。
脚本家の”ジャック・ソーン”は実在の人物の人生史を損なうことなく、映画的に魅力を増すような脚色を施すのが上手い人だなと以前から思っていましたが、今作でもその技が活きていました。
まずジーンたちが進めようとする生殖医療に立ちはだかる世間の拒絶反応です。体外受精による妊娠というのは、要するに受精を体内で行うか、体外で行うか、ただそれだけの違いなのですが、保守的な社会は母体での受精を「健常」とみなし、体外受精など邪道であるかのように悪魔化してきます。
ロバートをフランケンシュタイン博士呼ばわりしてマッドサイエンティストのように扱ったり、「人間を製造している」「赤ちゃん工場だ」などとセンセーショナルな言葉で煽り立てたり…。はたまたよりもっともらしく「危険ではないですか?」と訴えたりもしてきますが、その「危険」という言葉も恣意的に向けられています。
さらには医学研究評議会の聞き取りの際に「不妊は限られた人の問題では?」と指摘される場面もあり、そもそも当時の男性中心の権威主義的な医療業界は「不妊に苦しむ女性」という規範的ではない女性のことなど視野の外だったこともわかります。
これらは実際の当時の反応そのままなのですが、それは現代の生殖医療に向けられる批判的レトリックと瓜二つで一致するものばかりで、本作は表向きは過去の出来事を描きながら、その方向としては現代を批評していることが明白です。
わざわざ作中でオールダムの病院の看護師長のミュリエルの口から「私たちは女性にあらゆる選択肢を与える」と人工中絶の意義を語らせるなど(イギリスでは1967年から中絶は法律で合法化されているので、作中の年代はちょうど過渡期です)、体外受精に限らずに中絶まで包括して主題にしています。こうして本作の土台には「女性は出産するべき」という出産美化ではなく、「体の自己決定権」を含めた「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)」があることを強調していましたね。
当事者に寄り添って
そのSRHRを軸とするうえで『JOY 奇跡が生まれたとき』はジーン・パーディというキャラクターを脚色しつつ最大限に活用しています。
自身の信仰する宗教から見放されることの辛さ、そして同じ女性でありながらも理解者になってくれない母への複雑な思い。そして自分も重度の子宮内膜症で妊娠できない身体となっており(子宮内膜症の人はみんな不妊になるわけではありません)、自尊心が傷つけられていくのをひとりで懸命に耐えています。
このジーンの身体的容態の場合、当時まさに研究している体外受精による自己出産でも希望の選択肢とはならず、今でいう代理出産でもなければ、出産できません。まだ、包括しきれていない当事者がいるということを忘れないで…と、このジーンの存在が示していました。
それでもジーンは、あの「卵子クラブ」と自称する試験に初期の体外受精治療の試験に参加した女性たちと交流を重ね、連帯を深めます。この描写については、製作にあたって当時の実際の女性たちの多くにインタビューしたそうです。別に不妊に限らず、妊娠&出産におけるメンタルケアは本当に大事で、現代でもようやくその重要性が認識され始めた段階なのですが、本作はその点でも非常に現代に通じる視点をキープしていました。
1978年に最初の「試験管ベビー」であるルイーズ・ジョイ・ブラウンが誕生する場面は実際の映像が使われており、あそこはややドキュメンタリーチックになっています。その演出がまたこの研究が現実とどれだけ地続きなのかを実感させてくれます。
今では毎年何十万人もの赤ん坊が体外受精で産まれており、一般化しつつあります。
本作は過度にドラマチックに演出することなく、その研究がもたらす権利の平等と正義を丁寧に映し出すことに専念した一作だったと思います。こういう科学史に刻まれる偉大な研究を主題にした伝記映画というのは、ときに盛大にその成果が高々と掲げられたりもするのですけど、本作が極めて落ち着いたトーンを維持しているのはむしろ良かったですね。
世間がどう騒ぎ立てようとも静かに寄り添うべき相手に寄り添い続ける。それが医療のあるべき姿ですから。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
生殖医療に関する作品の感想記事です。
・『コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話』
・『Made in Boise』
・『エブリボディ』
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『JOY 奇跡が生まれたとき』の感想でした。
Joy (2024) [Japanese Review] 『JOY 奇跡が生まれたとき』考察・評価レビュー
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