フェミニズムの刀が封建社会を斬る…アニメシリーズ『BLUE EYE SAMURAI ブルーアイ・サムライ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
シーズン1:2023年にNetflixで配信
原案:アンバー・ノイズミ、マイケル・グリーン
性暴力描写 DV-家庭内暴力-描写 性描写 恋愛描写
ぶるーあいさむらい
『BLUE EYE SAMURAI』物語 簡単紹介
『BLUE EYE SAMURAI』感想(ネタバレなし)
鎖国ファンタジーに切り込むハーフ侍
学校で習ったので覚えている人も多いであろう「鎖国」。
江戸幕府によって日本への貿易を制限した対外政策のことを一般に指し、1600年代から徐々に制限が厳しくなり、1800年代半ばに撤廃されます。
そんな鎖国ですがイメージと現実はちょっと違います。実際の当時の日本は完全の孤立閉鎖状態だったわけではなく、オランダ商館や中国船と貿易を行っていました。
なので「鎖国」という言葉が当時の日本の状態を示す歴史用語として適切なのかは専門家の間でもいろいろ意見があるようで、もしかしたらいつかすっかり死語になって「なにその言葉?」という感じになるかもしれません。
今回の紹介する作品は、そんな鎖国の日本を舞台にしたアメリカ製作の時代劇アニメシリーズです。
それが本作『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』。
本作は先に説明したとおり、鎖国の極端なイメージをそのまま採用しており、完全に閉鎖した17世紀の日本で展開されます。史実には基づいておらず、実在の人物も基本はでてきませんので、歴史ファンタジーといった感じ。
主人公は、ワケありの一匹狼な侍で、白人と日本人のハーフと思われる出自があります。だからタイトルが「ブルーアイ(青い目)」のサムライなんですね。
海外はこういう日本に西洋人がひとり佇むようなシチュエーションが大好きです。最近も『YASUKE ヤスケ』みたいなアニメシリーズがありましたが、異文化を体感している感覚に浸れるんだろうな。
そんな世界観の作品ですが、そこまで「ヘンテコなジャパン」にはなっていない方だとは思います。エンターテインメントのケレン味とリアリティのバランスとして、作り手もそこは細心の注意を払っているのでしょう。
『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』の原案は、“アンバー・ノイズミ”と“マイケル・グリーン”の2人で、このペアは夫婦だそうで、“マイケル・グリーン”は『LOGAN/ローガン』『ブレードランナー 2049』『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』などの脚本家で有名です。“アンバー・ノイズミ”は自身の人種の経験を作品に投影しているとのことで、今作はこのペアだからできたのかもしれませんね。
声を担当するのは、ドラマ『Mr. & Mrs. スミス』でも主演を務めた日系アメリカ人の“マヤ・アースキン”、ドラマ『HEROES』の“マシ・オカ”、『密かな企み』のタイ系アメリカ人の“ブレンダ・ソング”、ドラマ『私の”初めて”日記』の日系アメリカ人の“ダレン・バーネット”など。
他には、大御所の“ジョージ・タケイ”、『非常に残念なオトコ』で監督業でも才能をみせた“ランドール・パーク”、ドラマ『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』の“ミン・ナ”なども参加しています。
そして悪役には、あの“ケネス・ブラナー”が貫禄たっぷりに居座ってます。この人、『TENET テネット』でも思ったけど、パワハラ感が溢れる暴力男の役もやっぱり合うね。
見どころの際立つポイントはアクション。アニメーションとして作り込まれたカッコいいアクションが楽しめます。バイオレンスも満載で、大人向けです。
あと、大人向けと言えば、本作はがっつり直接的な性描写があるので、子どもは『鬼滅の刃』で我慢してね。
もうひとつ注目点としては、実はかなりフェミニズムなストーリーを持っているということ。これ、事前に教えてもらわないとわからないのですけど、この手の時代劇モノにしてはハッキリと家父長的な封建社会における女性の抑圧を生々しく描き、それに抗う物語を用意してくれています。フェミニスト嫌いな海外の人たちが「けっ、ミサンドリーのアニメかよ」と吐き捨てるくらいは明解なので、フェミニズム時代劇を見たかった人はぜひチェックです。
『BLUE EYE SAMURAI』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :フェミニズム視点でも |
友人 | :ジャンル好き同士で |
恋人 | :雰囲気が好きなら |
キッズ | :直接的な性描写あり |
『BLUE EYE SAMURAI』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1633年、日本は外界を遮断し、国を閉じました。この列島に暮らす人々は肌の白い人を知らず、混血児を人間と見なさないのが当然となりました。そうした異様な見た目の存在は、あさましく、不浄で、奇怪だと忌み嫌われます。
とある辺鄙な道外れにある食事処にひとりの客がやってきます。笠を被ったまま、無口に座るだけ。両手のない店員が注文を聞いたりと忙しく働いていましたが、そこに女を虐げる粗暴な女衒が懐から銃を取り出し、騒ぎを起こします。
するとあの笠の人物がおもむろに立ち上がり、銃を分析。「お前を追っていた」「その銃を売った男を教えろ」と呟きます。銃を向けられるも、一切怯むことなく、手近の刃物で相手の指を切断。あらためてその銃の出所を問うと、あの男は「新堂平次」の名を口にします。
笠の人物の眼鏡の奥には青い瞳。それに気づいた女衒は「混血の悪魔め」と罵倒し、その笠の人物は刀で切りつけて去っていきます。
外であの食事処の店主の息子だという両手のない店員・林檎がついてきます。なんでも侍になりたいそうで、弟子にしてほしいと頼んできますが、置いていきます。
京都に到着。ここは女だけでは入れないことになっており、入り口では女だけだと門前払い。新堂道場を探す青い瞳の侍は、手がかりを求めます。
その頃、由緒ある徳延家の娘である明美は父から有力者に嫁げと言われていました。そこで父を上手く誘導し、貧しい漁師の息子だが負け知らずの道場最強の侍の泰源を話題にだし、嫁ぎ先として説得します。実は2人は密会しており、互いに好いていました。
青い瞳の侍は道場へ。門下生多数相手で実力を示すと、道場破りの事態かと連絡を受けて泰源が駆け付けます。泰源は同郷で、かつて自分をイジメてきたあの少年でした。因縁の相手。一騎打ちの結果、青い瞳の侍は泰源を倒します。
道場を統べる宗家にあらためて「新堂平次の居場所は?」と問うと、田辺島の城塞にいるとのことでした。そこは源賢家の所領だそうです。
負けた泰源は威厳を失い、明美との婚約も破棄となりました。泰源は青い瞳の侍を追いかけ、再戦を求めます。一方の明美は残されるもこのままでは父の言いなりで好きでもない男と結婚させられるので、自分で事態の打開を模索します。
青い瞳の浪人侍は京都を出て、さっそく次の目的地へ旅する準備をします。そこに林檎がまた追いつき、ちょうど青い瞳の侍が水を浴びているところでした。その姿は裸で明らかに女性の身体…。
この青い瞳の侍…”ミズ”は孤児で、父が白人、母は女郎だと聞かされていました。幼い頃、村の他の子にいじめられながら、ある日、青い隕石が落ちるのを目撃。その隕石を拾おうとする盲目の老人を手伝い、後に剣父として慕うことになります。剣の腕もそこで磨いてきました。
そして今、自分の出自に関係があると思われる4人の男を追いかけていたのです。
全ては復讐のために…。
シーズン1:仇討ち(リベンジ)の物語
ここから『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』のネタバレありの感想本文です。
『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』が描く日本。本作では、幕府があって、将軍がいて、そういう権力構造は史実と同じです。しかし、アバイジャ・ファウラーという白人が密かにこの日本の権力者の転覆を企んでおり、ヨーロッパから取り寄せた最新の銃を武器に、独自の軍隊と抱き込んだ日本の関係者をスパイにして、着実にその征服を実行に移そうとしています。このあたりの設定はSF的です。
そして徹底して女性を虐げる男社会の残酷さが強調されます。
貧しい女はネズミのように見下され、ある程度の家柄の女性であっても、どの男と婚姻するかで身分が決まります。失墜すれば捨てられるだけ。この日本社会では、女性は男社会の所有物であり、豊穣の安産多産を役割として平然と押し付けられます。
そんな地だからこそ、最底辺に生まれたミズは男性の格好で行動することになります。男として生きれば、とりあえずは多少の自由は手に入ります(それでも”家”がないので孤立無援ですが…)。
ミズは個人的な恨みが動機にある「復讐に憑りつかれた怨霊」ですが、その原点にあるのは女性搾取なので、必然的にこの男社会全体への仇討ちとして捉えることができます。
そんなミズに対し、もうひとりの主人公と言えるのが、明美です。彼女は身分が上でもやはり男に従うしかなく、それでも主体性を奪われることを良しとしません。最終的には明美は伊東に嫁ぐも、付き添いの家臣の関から「あなたの統治を夢見た」と言われ、大いなる目的を見い出したようです。
この明美のエピソードをどこまで進展させるかで、本作のフェミニズムの突破力が問われるところ。少なくともこのシーズン1では、明美は「妻」や「母」としての役目に収まる気はなく、もっと「頂点」を目指そうとしているようで、何かしらの歴史ifとして大きなことをやってくれそうな期待をさせます。
そんな野心を燃やす女性陣の傍にいるサポートの男性たち。とくに林檎と泰源は今後どうなるのかはわかりませんが、先天性で手がない障がい者の林檎と、貧しい身分でのし上がって来た泰源とで、良いコンビも作れそうなので、こっちもまだ頑張れそうです。
このように日本社会にリベンジするキャラクター・ストーリーがシーズン1だけできっちり描かれ、ガシっと心を掴まれました。
シーズン1:ジェーン・ウーの名を覚えよう
『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』はそんな感じで日本を美化するだけに終わらず、ちゃんとその歪んだ保守的な社会構造を批評しているので、そこまで極端なオリエンタリズムにはなっていないと思いました。
とは言え、全くオリエンタリズムではないとは言いきれないところもあって…。
例えば、遊郭などの性風俗の文化を基本的に女性側の視点で描こうとしているところはいいと思います。一方で、やっぱり本作は性描写が盛沢山で、タコの性的な戯れまであるというポルノっぽさも強く、これはエクスプロイテーション感が強いです。
個人的には終盤の江戸城の展開で、ファウラーが支配のために攻め込んでくるパートに思うこともあります。ここは見た目としては植民地主義そのもので、攻められているのが日本側であり、いくつか日本らしい風景を挟んで、「こんな美しい日本がパンやチーズに染まってしまうのか」なんて哀愁を漂わせます。
ただ、日本史をきちんと学んだ身からすれば、日本はすでに朝鮮半島など他の地を植民地支配しようしていた過去があり、この後もその蛮行に手を出すわけで、あんまり日本を「植民地支配される側」として固定化させることはよろしくないだろうな、と。
白いレンズを通して描かれる日本は、なかなか日本の多面性を捉えきれないところがあります。日本は歴史的に植民地主義においては「被害者」と「加害者」の面が乱れており、一概にひとつの角度で評価はできない国です(現代だって沖縄や北海道は複雑な問題を抱えていますしね)。
だからそこをもう少し煮詰めてほしかったなというのが本作への正直な感想。惜しいのですが、その足りない一歩が大事です。
『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』を手放しで絶賛できそうなところはアクションですかね。モーションを丁寧に描き、流れるように組み立てられている剣劇はどのエピソードでも見ごたえがありました。第6話のノリノリな連続戦闘も良かったです。
本作で監督のほかに絵コンテ・アーティストを務めているのが“ジェーン・ウー”という人物なのですけど、ロトスコープ的に実際に生身の人間がアクションをしてみせて、それをアニメーションに落とし込むという作り方をしています。
実はこの“ジェーン・ウー”は、MCUなどハリウッドの大作でもアクションの絵コンテを手がけてきた経歴があり、あの『アベンジャーズ』の超盛り上がる全員結集のニューヨーク決戦の絵コンテも“ジェーン・ウー”が作ったそうです(Polygon)。
何かと既存のアメコミ映画は男性ばかりがクリエイターとして目立ってきましたが、縁の下の力持ちとして女性クリエイターの才能が活躍していたのです。
そんなこれまで頑張ってきたのに注目される機会が乏しかった“ジェーン・ウー”が初めて全面に立って作品を引っ張る…その機会となった『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』は物語のテーマ性とも一致しています。
シーズン1は江戸城での決戦でエンディング。ファウラーは生け捕りにしたものの、ミズが捜す残り2人はスケフィントンとラウトリーという名で、母は別でまだ生きているのかという疑惑もあり、ファウラーの呟くロンドンという言葉を頼りに、どうやらミズは異国へ旅立った様子。出自の秘密として何が待っているのか。
シーズン2の制作も決定済みで、青い瞳が次に何を見るのか、楽しみです。
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 100% Audience 96%
IMDb
8.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ハズビン・ホテルへようこそ』
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作品ポスター・画像 (C)Netflix Animation ブルーアイサムライ
以上、『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』の感想でした。
Blue Eye Samurai (2023) [Japanese Review] 『BLUE EYE SAMURAI/ブルーアイ・サムライ』考察・評価レビュー
#アダルトアニメ #時代劇 #侍