昔々あるところに…映画『老ナルキソス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2022年)
日本公開日:2023年5月20日
監督:東海林毅
自死・自傷描写 性描写 恋愛描写
おなるきそす
『老ナルキソス』物語 簡単紹介
『老ナルキソス』感想(ネタバレなし)
ゲイの高齢者もここにいる
性的マイノリティの当事者が老後の心配をする声はよく聞かれますが、一方で現在進行形で今まさに高齢者として生きている性的マイノリティはなかなか話題になりません。
実際は性的マイノリティのサポートを考えるうえで高齢者という観点は深刻な問題です(PinkNews)。
現状のセクシュアル・マイノリティのコミュニティにおけるサポートの多くは若者主導であり、必然的に若者向けに作られてしまうことが多いです。すると高齢の当事者は参加しづらいことになります。高齢の当事者は今よりもはるかに迫害の激しい時代を生きてきたからこそ、トラウマも根深く、過去を明かすのも避けがちです。医療機関についても信用しない傾向にあります。
この性的マイノリティの高齢者の疎外感にどう向き合うかを社会は包括的に考えないといけません。
それは映画も同じで、高齢者の性的マイノリティが主人公となる作品は滅多にありません。表象として可視化していくこともまた大切です。
今回紹介する映画は、そんな高齢者のゲイ当事者に焦点をあてた貴重な日本映画となりました。
それが本作『老ナルキソス』。
本作は、70代後半の年齢となった高齢者男性を主人公にしており、その人物が20代の若い男性に惹かれていき、関係を深めていこうとする姿を皮肉なユーモラスかつ愛情たっぷりに描いた物語です。2020年代の日本のゲイ当事者の今を正確に捉えながら、ストーリーに落とし込んでいるのが特徴となっています。世代間の人生経験の違いなどのジェネレーション・ギャップ、または同世代でも社会の受容性の認識の違いなど、かなりきめ細かに当事者のリアルさを映し出す手際が印象的です。
『老ナルキソス』を監督するのは“東海林毅”。バイセクシュアル当事者であるというだけでなく、LGBTQ権利運動にも積極的に参加しており、「なぜトランスジェンダー役は当事者の俳優を起用すべきなのか」を解説した動画資料などで普及啓発に努めたり、2024年には「トランスジェンダー追悼の日」に合わせて他の映画監督の有志たちとともにLGBTQへの差別に反対する声明を発表するなど(ハフポスト)、国内のクリエイティブ界隈からLGBTQ平等の実現に向けて活動する先導者のひとりとして認知されています。
“東海林毅”監督は、2021年にはトランスジェンダー当事者の俳優を主演にキャスティングした短編映画『片袖の魚』を手がけ、大きく注目を集めました。
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『老ナルキソス』は同名の2017年の短編を長編映画化したもので、2023年に一般に劇場公開されました。
映画業界でのキャリアはもう長いでしょうが、“東海林毅”監督は今回の長編映画版『老ナルキソス』を観てあらためて思いましたが、メキメキと実力が総合的に上がっている感じがして、日本映画界に欠かせないクリエイターになっているのではないでしょうか。
やっぱりLGBTQ権利運動にコミットすることは創作のスキルにも大いに活かせる証左です。ね、無関心なままにクィアを描こうとする一部の日本の映画人の皆さん?
“東海林毅”監督はまだまだ国内でも過小評価されていますから、さらなる作品の積み重ねで頑張ってほしいですね。日本で展開する動画配信サービス運営企業とか、“東海林毅”監督にオリジナル・ドラマシリーズの企画提案とか頼んだらいいと思いますよ。絶対に世界に通用するLGBTQクリエイティブな力がありますから。
『老ナルキソス』に主演するのは、『悪は存在しない』の“田村泰二郎”と、『忌怪島』の“水石亜飛夢”の2人です。
マイナーな公開規模だったのでまだ観ていない人もいるかもしれませんが、日本のLGBTQ映画史に残る良作なのでぜひ。
『老ナルキソス』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 自殺未遂の描写があります。ゲイ当事者の苦悩は描かれますが、あまり重くなりすぎない扱いなので比較的見やすいです。 |
キッズ | 生々しい性行為のシーンが含まれます。 |
『老ナルキソス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
高齢の山崎薫はゲイ風俗を利用することにし、やってきたのは25歳のレオという青年でした。2人でさっそくホテルにあがり、ピンクな照明の部屋で裸になり、レオによってお尻を叩かれ続ける山崎。レオは「まだ続ける?」と優しく聞いてきます。しかし、山崎はもう持たなかったようで、限界が来ます。
その部屋のベッドで目が覚める山崎。「大丈夫ですか?」とレオは心配そうに声をかけます。高齢者を相手にするのは初めてだったレオですが、当の山崎は「美しいね」とレオを恍惚と見つめます。
ホテルを出て夜の街を歩いていると、「一杯飲もう」と山崎は誘います。もう喜寿(77歳)である山崎ですが、たまたま他の高齢者男性がひとりよろよろと歩いているのを目撃し、「ああはなりたくない」と吐き捨てるように呟きます。
山崎は若い頃は自身が痛めつけられる姿に酔っていたと自分語りを始めます。今は違いました。美しい者に痛めつけられても痛みは痛みのままでしかない。溺れることもできないのだと自嘲気味です。
そんな山崎は連絡先を渡そうとしますが、レオは受け取るのを断ります。ところが山崎が有名な絵本作家だと判明し、レオも読んだことがある子どもの頃のお気に入りの絵本だとわかって興味が湧いたようです。レオは父が早くに死んで絵本に助けられました。その絵本の名前は「みのむしもんた」。結局、レオからLINE交換をしませんかと言われ、山崎はいつでも連絡できるようになります。
ある日、レオは山崎に「助けて」という連絡をもらって慌てて駆けつけます。どうやら何か嫌なことがあったようで、酷く落ち込んでいます。ビルの屋上で助け起こすと、山崎はそのビルの屋上から飛び降りそうになり、レオは必死に止めます。
「もう書けないんだ」と若さも才能も失われた自分を嘆く山崎。なんでもあの絵本はプレイ中に吊るされて死にそうになった時に思いついたそうです。
そんな出来事もありつつ、レオは家に帰ります。本名は佐藤恭介。一人暮らしではありません。大木隼人という恋人の男性と同棲しています。大木から「あのことについて説明を聞きにいかないか」と言われますが、レオは曖昧な返事。それはパートナーシップ制度のことです。
一方、山崎は出版社から新作を急かされます。「みのむしもんた」は50周年です。でも山崎はそれどころではありません。
病院へ行くと、癌は前立腺に転移する可能性があり、医者から放射線治療を奨められます。しかし、「広島のおばは原爆に殺された」と山崎は呟いて拒否し、さらに薬で男性ホルモンを抑え込む代替案も激しく「嫌だ!」と拒絶。
今の山崎にとっての生きがいはレオです。おカネを渡してデート気分。山崎は自分の人生の過去をぽつりぽつりと語り、それは今の若者であるレオには新鮮でした。山崎にとってはレオこそ真新しく手が届かない存在です。
こうして2人は独特の関係で繋がっていきますが…。
2020年代の日本の年齢を超えたゲイ当事者たち
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ここから『老ナルキソス』のネタバレありの感想本文です。
『老ナルキソス』は主役・脇役含めてさまざまなゲイの登場人物が顔をだし、本当に多彩で、それがとにかく見ていて楽しいです。同時に今作は作り手がレプリゼンテーションというものをしっかり熟知して作っているなという納得感がありました。
まず主人公である山崎薫に象徴される高齢のゲイ当事者。
山崎は出版社側の対応や生活状況、金銭の羽振の良さから察するに相当に著名な絵本作家らしく、単身独居老人世帯でも経済的にそこまで困っていません。ただし、孤独は確実に感じているようですが、自己憐憫で皮肉屋で他者に棘を剥き出しにする性格ゆえにとても面倒くさくこじらせています。
もちろん山崎にも若い頃から苛烈な同性愛差別を経験し、さらに横暴な父に耐え、生存してきたという実体験が刻まれています。かといって同情しすぎることはせず、不憫さを強調しすぎず、ミソジニックで有害なゲイネスも醸し出しつつ、上手いバランスのゲイ高齢者の描き方でした。
その描き方を効果的に支えているのが他の高齢者ゲイ仲間で、バーで気軽に会話相手になってくれるシノブから、独り身の高齢ゲイたちを集めて交流会の居場所作りをしている島本、異性愛者に同化することで生きるしかなかった立川幹夫(山崎の元カレ)、さらにエイズで亡くなった古くの友人のひとりだったり…。とにかくそれぞれの人生が丁寧に描かれていて、同じ高齢者でも同じ生き方の人はひとりもいないのがいいですね。
一方の若者を象徴するレオ(佐藤恭介)。山崎と組ませることで世代間の人生経験の違いというジェネレーション・ギャップが浮き上がります。この2人の非対称の共依存が、山崎が傲慢な王様のような振る舞いゆえに、ちょっとドラマ『メアリー&ジョージ 王の暗殺者』みたいな国王と寵臣の関係に近い感じもします。
また、若い世代同士でも社会の受容性や人生経験の差異が立場を違える現実も描かれていました。
レオはウリセン(売り専;男性の同性愛者向け風俗店で働く人のこと)で、借金で自殺した父がいて、家族の実感がありません。対するレオの恋人である大木隼人は、家族はゲイという性的指向でも温かく受け入れており、パートナーシップ制度、さらには養子を迎える将来計画もどんどん進める意思があります。
こうした現役若者世代の姿はまさに2020年代の日本(同性婚が法制化されないまま各個人の受容の格差が生じている社会)のゲイ当事者を正確に捉えていたのではないでしょうか。
20~40代に限定したゲイ・コミュニティを描くとかなら海外作品でいくらでもありますけど、そこに高齢者ゲイたちも交えて描くというのは、世界を見渡してもかなり貴重な表象であり、この『老ナルキソス』が達成してみせたことは素晴らしいと思います。
真面目に、でもコミカルに
ストーリーラインやキャラクタープロットだけを抜き出せば、わりとシリアスな『老ナルキソス』なのですが、全体の感触としては後味も含めて軽いです。
ゲイを主題にすると、俗に「Bury Your Gays」と呼ばれる使い捨ての死以外でも、何かと悲劇的な顛末に転がることが多いです。
『老ナルキソス』では主人公の山崎は希死念慮があるようで何度か自暴自棄に自殺未遂行動を繰り返します。しかし、それほど重たいトーンにならない程度に抑えられています。マッチングアプリにハマるラストでも山崎自身はセルフケアでどうにかなってるっぽい軽い味わいにしており、そこまで引きずりません。でも自己受容の旅路はきちんと描いており、そこは誠実です。
この山崎というキャラクターをコミカルに味付けするのが本作は巧みでした。
難しいと思うのです。まず老人という存在を笑いに変えようとすると、極端にお年寄りをバカにしたような感じになってしまって、エイブリズムやエイジズムに陥りやすいです。
さらに山崎はゲイでもあるので、ホモフォビアにならない匙加減でギャグにするのはまた難易度を高めます。高齢のゲイなんて、一歩間違えると本当にセンセーショナルさありきになりかねません。
本作の山崎は実態としてはどうしようもない人間であり、「みのむしもんた」の絵本の着想元といい、医者との会話とか、他の言動といい、自虐的なユーモラスが漂います。そこはしっかり笑わせてくれます。
確かに束縛された姿は「みのむし」そのものであり、ミノムシという虫が雄だけ成虫になるという生態を考えると、この山崎は年を重ねてもミノムシの幼虫のままという自己の男性性の停滞を表現しているようでもあります。男らしさへの皮肉にもなっています。
それでも本作のBDSMの描写はそれ自体を笑いものにせず、ちゃんと老人の肉体も含めて丁寧に映し出されていました。ゲイであること、キンクであること…これらのアイデンティティが山崎の人生にとっての血脈です。
“東海林毅”監督作らしい寓話的なアレンジもほどよく、例えば、配布物にすぎないどこか無機質なレインボーバッジが、山崎の手によって「おんどりとうつくしいかげ」というより当事者に染み入る物語に変換される。そういう創作という技が当事者の喜びに繋がる結末も良かったですね。この『老ナルキソス』もその創作の技を魅せてくれました。
現時点でゲイを主題にした日本映画の中では最も豊かな表現に溢れている作品のひとつだったと思います。こういうトップクラスの上質な表象がたくさん続くと嬉しいかぎりです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
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・『怪物』
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作品ポスター・画像 (C)2022 老ナルキソス製作委員会 老なるきそす
以上、『老ナルキソス』の感想でした。
Old Narcissus (2022) [Japanese Review] 『老ナルキソス』考察・評価レビュー
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